イタリア映画「幸せのバランス」
シネマ・ジャック&ベティで、4月4日(土)から1週間限定上映。

4月25日(土)~5月15日(金)まで、新宿K's cinemaにて
16本一挙上映、「ラテン!ラテン!ラテン!」開催!!

同時上映+5月16日(土)~3週間モーニングショー
「スリーピング・ボイス~沈黙の叫び~」



1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
April 09, 2015

ラテンな映画と監督たち(ベルリン映画祭2)

テーマ:スペイン・ラテンアメリカ映画

前回、グアテマラのジャイロ・ブスタマンテ監督だけで終わっておりました、このシリーズ、今回は、スピードあげていきますよ。(←ほんまかいな?)


まずは、コンペから。

「Ixcanul」と同様に期待していたのが、日本でも「NO」が公開された、チリのパブロ・ラライン監督作品「El Club」でした。1976年生まれのラライン監督、1作目の「Fuga」から注目しておりました。日本では、ラテンビート映画祭で上映された「Tony Manero」を覚えてらっしゃる方もいらっしゃると思いますが、あの作品からすると「NO」は、分かりやすくて正統派。ガエル・ガルシア・ベルナル主演でしたし、アカデミー賞狙いに行くぜ!な感じでした。


その監督の真骨頂が戻って来た、と思ったのが、今回の「El Club」。




チリのとある小さな港町。高齢者の男性4人と40代(?)ぐらいに見える女性ひとりが一軒家で、暮らしています。最初は、小さな老人ホーム?とか思うのですが、次第に分かってくるのは、彼らが元カトリックの神父だということ。女性もシスターでした。規則正しい生活とつましい食事。でも、時にひとりの神父が犬を鍛えて、ドッグレースに出しています。それを双眼鏡で遠くから見る老人たち。そこに、新入り神父が来るのですが、その彼を名指しにして、ののしる男が、家の前に来て、幼い頃に何をされたかを叫びまくります。それに耐えられなくなった新入り神父は、静かにさせろ、と渡された銃で、自殺します。


そうなのです。ここにいる神父たちは、みな教会にいるときに性的虐待の疑いをうけ、沈黙と矯正のために、この小さな一軒家に送られてきたのです。


そこへ、教会本部から、査察官のような男が来ます。なぜ、その家に銃があったのか。何が起こったのかを調査するためと、全国にある、小さな家を閉めて、元神父たちを大きな施設に入れるために。


査察官がそれぞれから聞き取り調査を行うのですが、その緊張感たるや、最後にはグッタリするほどの映画でした。それぞれの役者がとても良くて、会話と表情で描写される「原罪」に震えがくるほど。そして最後の最後に、赦しとは何か、ということを観客に突きつけて来ます。これは、もう、真っ向からのカトリック批判です。


でも、「バッド・エデュケーション」とか「アマロ神父の罪」と違うのは、批判の質で、過去のこととしたい元神父たちの罪以上にカトリック内部の深いところで起こっていることを、これでもか、とえぐり出しているところ。一緒にいたシスターは一体、何をしたのか…。そして、査察に来た教会幹部は、どうやって罪を償わせることにしたのか。


いやはや、終わったあとには、強い酒が必要になりそうな作品でした。「NO」のように分かりやすくはないので、公開は難しいでしょうが、これまでラライン監督作品を上映してきたラテンビート映画祭に期待!です。


ラライン監督は兄弟たちと製作会社を持っていて、プロデューサーとして、セバスティアン・シルバ監督作品にも関わり、アベル・フェラーラ監督の「4:44地球最後の日」の製作も行いました。

まだ30代なので、今後がとても楽しみです。


コンペに出ていた、もう一作もチリ出身、パトリシオ・グスマン監督「El Botón de nácar」


これはドキュメンタリー作品で、前作「光、ノスタルジア」と対をなしている感じ。そうそう、「光、ノスタルジア」は、ついに、今年、10月に岩波ホールで劇場公開されるようです。パトリシオ・グスマン監督は、アジェンデのドキュメンタリーも撮っていて、ピノチェト時代にチリを出ています。妻もドキュメンタリー映画監督ですが、娘と共にキューバに亡命しました。娘は、2009年のキューバ映画祭で上映したドキュメンタリー「シュガー・カーテン」のカミラ・グスマン監督です。 父のパトリシオは一貫してピノチェト政権の傷跡を撮り続けていて、前回がアタカマ砂漠の天文台なら、今回は、海底です。何やら3部作になる予定のようで、これはアップリンク配給に期待です。


今回、ラテン関係といえる映画として「グアナフアトのエイゼンシュテイン(原題)」がありましたが、ピーター・グリーナウェイ監督作品で主に英語でした。予告編を観て、映画は観ず。


おっと、また長くなってしまった!!!

パノラマ部門の気になる1作は、また明日。

AD
March 30, 2015

4月25日(土)より新宿K's シネマにて   「ラテン!ラテン!ラテン!」開催

テーマ:ラテン!ラテン!ラテン!
あっという間に配給10周年!

初配給作品「永遠のハバナ」が公開されたのが
2005年の3月。まだ桜ヶ丘にあったユーロスペース
でした(遠い目…)

なんと、それから早や10年。

ということで、先に宣伝します!
スペイン・ラテンアメリカ映画配給10周年を
記念して、これまでの配給作品15本と
新作1本、スペイン映画「スリーピング・ボイス」
を一挙上映いたします。

latin



~まとめて予告編~
AD
March 09, 2015

ラテンな映画と監督たち(ベルリン映画祭1)

テーマ:スペイン・ラテンアメリカ映画
今年のベルリン映画祭には、かなり多彩なラテン系作品が 出品されていたのですが、中でも注目を集めていたのが コンペに出品された3作品とパノラマ部門の1作品。

  個人的に一番期待していたのが、 これ。
グアテマラ出身ハイロ・ブスタマンテ監督
 Ixanul (Volcano)  あえて出身と言ったのは、監督が現在 フランス在住だからですが、この作品は全編カクチケル語で、主な登場人物はスペイン語が分からない設定です。
 
物語は、コーヒー農園があるIxanul(火山)の麓から、 山を登ったところで、土地を借りて農作物を育てる 両輪と独り娘のマリアの一家を中心にすすみます。 土地を借りているので、そこで農作物が 収穫できなければ、追い出される運命にある家族は、 彼らにしてみれば上司である土地の監督主任と マリアを結婚させることに。

でも、17歳の マリアは、火山の向こうの世界を見てみたい。
コーヒー農園で働き、米国まで行くと豪語していた 同年代の若者と一緒に村を出るために 身体を許したら妊娠して…という、ある程度、 予測がつく展開ですが、乾いた風景とそびえる火山、 民族衣装とカクチケル語に魅了され、 最後にどう着地するのか、楽しみにしておりました。
 
若者は独りで去り、結婚のために、何とか流産させようとする 母の願いも空しく、お腹はどんどん大きくなる。 農地では蛇が出て、作物が育たないので、また、 追い出されるかもしれない。そんな時に母親が、 妊娠している時には蛇も追い払える、と言ったことから マリアが蛇を追い出そうとして、噛まれ、 街の病院へ運ぶために監督主任に頼む羽目に…。

街の病院でのやりとりは、すべてスペイン語で 両親や娘が何を言っても通じない。ここでスペイン語とカクチケル語、双方が分かるのは、監督主任の男だけ。子供も無事に生まれたのに、マリアを自分の妻にするために「死産」だったと 告げ葬儀まであげさせる。でも、棺が空なことに気づいたマリアが両親を通して、 当局に訴えようとして…。
 
最後は予想どおり、悲しくも美しく終わりましたが、 グアテマラが幼児売買ネットワークの拠点であることを考えると 非常に複雑な心境に。
 
思い出したのは、2004年に公開された(と記憶している) ジョン・セイルズ監督の「カーサ・エスペランサ」。 あれは、米国の子供が欲しい女性たちの視点から撮っていましたが、 ラテンアメリカの子供を養子にするためにやってくる 北米人たちへの批判にもなっていたと記憶しています。 
 舞台は南米のとある国でしたが(ロケはアカプルコ)、 まさに、あれがグアテマラで起こっていることだと思いました。

養子縁組が簡単なことから、北米やヨーロッパから養子を とりたい女性たちが大挙する中で、乳児が誘拐されることも あり、80年代から、問題になっていたグアテマラ。
 
なので今のグアテマラで描くなら、そして、これがリアリティで あるのなら、映画として、もう一歩、踏み込んで欲しかった、 と思わずにはいられません。折角、カクチケル語で通して いるのだもの。ああ、もったいない!!という感想。
 
この作品はサンセバスティアン映画祭のCine en construcción (制作中の作品賞)でも受賞していたので、後で担当者(女性)とも 話しましたが、風景と民族衣装が余りにも美しく、 ヨーロッパが観たいラテンアメリカで 終わってしまっているところが何とも残念と。
   「ヨーロッパが観たい日本を撮っている某監督作品に 通じるところあるね」と言われ、まさに!と納得した次第。

 げげげ、1本だけで、こんなに長くなっちまった!
 でも、ベルリンのコンペ初のグアテマラ映画、そして ブスタマンテ監督は初めての長編ということで、 力が入ってしまいました。

ベルリン映画祭は折角行ったので、備忘録も兼ねて、あとの作品も書いていこうと思います。
(仕事は山積みなのだが、これをやらないと次へは行けない、みたいな感じがあるので)
AD
March 07, 2015

ラテンな映画と監督たち(アカデミー賞)

テーマ:スペイン・ラテンアメリカ映画

冬眠中にもかかわらず、寒いベルリン映画祭に行って、

その後、また冬眠していたので、書くことが山ほど

たまってしまいました。


そろそろ、春の予感がするので、

去年のサンセバスティアン映画祭、ブエノスアイレスの

Ventana Sur(フィルムマーケット)からベルリン映画祭まで
感じて来たラテンアメリカ映画と監督たちの変化について、

少しずつ、書いていこうと思います。


と思っていたら、もうアカデミー賞も終わってしまった!


米国のアカデミー賞なんだから、と毎年、外国語映画賞しか

チェックしてなかったけれど、去年、「ゼロ・グラビティ」で、
メキシコ人のアルフォンソ・クアロン監督が7部門受賞。

今年は、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の
バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」が

作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞の4冠、撮影の

エマヌエル・ルビツキは2年連続の受賞。

言葉や国の枠を越えて活躍するラテン系映画人が増えて来て
嬉しい限り。

イニャリトゥ監督の次回作「The Revenant」の主演は
ディカプリオにトム・ハーディ。

アレハンドロ・アメナーバル監督の次回作「Regression」の
主演もエマ・トンプソンとイーサン・ホーク。

後へ続けというかのように、最近ではメキシコと米国、
ヨーロッパとラテンアメリカの合作が花盛りで、
スペイン語以外の言語の映画も増えて来ました。

でも、今回のアカデミー賞では、
外国語映画賞にアルゼンチンの「Relatos Salvajes」

(英語タイトル:ワイルド・テイルズ)と

短編ドキュメンタリー部門に、これまたメキシコの映画学校

CCC(映画研修センター)の卒業生でニカラグア出身の

ガブリエル・シエラ監督作品「La Parka」がノミネート、と

ラテンアメリカ映画界の鼻息荒くなってます。

Relatos Salvajes 予告編


アルゼンチン=スペイン(2014)
プロデューサーがアルモドバル兄弟なので
スペインとの合作だけれど、
監督もキャストもアルゼンチン。

アルゼンチンオールスターキャストって感じの
6つの話のオムニバス。

これまでアルゼンチン映画といえば、じっくり観る
ドラマや、皮肉で抑え気味なブラック・コメディが
多かったのだけれど、これは、もうハチャメチャ感が
満載!ショートストーリーだから、これだけ
テンション高くいけたのね、と思うけれど、
アカデミー賞ノミネートは、ちょっと驚き。

監督:ダミアン・ジフロン
出演:リカルド・ダリン
   レオナルド・スパラグリア
   リタ・コルテッセ
   ダリオ・グランディネッティほか。
音楽:グスタボ・サンタオラヤ

2015年夏、日本公開予定

November 18, 2014

「未来の記憶は蘭のなかで作られる」星野智幸著

テーマ:ラテンな本
本書は、「俺俺」や「夜は終わらない」の著者、星野智幸さんの選りすぐりエッセイ集。
2014年から1998年まで年代を遡る形になっている。星野さんには、「言ってしまえばよかったのに日記」というブログがあって、時々、のぞきに行っているのだが、文芸誌や新聞へのエッセイがこうして本になってじっくり読めるのが嬉しい。

静かな語り口で、時にはユーモアも交えながら16年間の足跡をたどっていくと、星野さんの決してぶれない軸にたどり着く。

2012年のエッセイ「震災を語る言葉を待つ」から、2011年の「言葉を書く仕事なのに、何といっていいのか分からない」、はたまた2002年の「戦争を必要とする私たち」まで、何度も、何度も、“言葉を書くことがきつい”状況に陥りながらも書いて来たのは、“言葉が機能していない事態には抵抗したい。言葉が通じなくなったら、私たちは孤立して生きるしかない”(「絶対純文学宣言」)ことへの危機感だ。

その根底には、言葉への信用を回復するには文学作品しかない、という踏ん張りと “形式的で空虚な言葉だけは絶対に吐かない、流通させない”(「新人作家の賞味期限」)ことが“作家としての社会的責任だ”という確固たる覚悟がある。

ラテンアメリカでは、表現活動は、おしなべて政治的行動で、作家はもとより俳優や映画監督、ミュージシャンたちも作品を通してだけではなく、様々な場面で、政治的、社会的発言をする。それが当たり前のメキシコで、文学を志した星野さんだからこその覚悟だと思う。

デビュー前の星野さんと初めて出会って、「文学をするためにメキシコへ行った」と聞いた時の衝撃。あの瞬間を、今でも鮮明に覚えている。星野さんより10年も前にメキシコに留学した私は、卒論とフィールドワーク、映画以外は、ギター弾いて、歌って呑んでいただけだったので、メキシコで文学っすか!と、とても新鮮だったのだ。

以来、デビュー作「最後の吐息」から、全ての星野作品を読んで来たが、毎回、純文学の可能性をどんどん拡げている気がする。(この点に関しては、いつかじっくり書いてみたい)

そんな星野さんだから、エッセイの内容も多彩だ。メキシコへの里帰りや死者の日のこと、台北やインドでの作家たちとの交流、韓国滞在記、そして、もちろんサッカーから、タンゴ、執筆日記に至るまで、ついつい、読み進んでしまう。ところどころ、「ぷふっ」と笑いながら読み終わるごとに、様々な想いが去来する。それを明確にすべく、今度は、1998年から、ゆっくりと時間をかけて、ひとつ、ひとつ読んでみようと思った。

そして、私も、また、ブログを書き始めよう、と。

最近、日記は書くけれど、ブログを書いていない。
余りにも色々なことが起こりすぎて、頭が整理されていないこともあるけれど、誰かに何かを伝えること、映画を通して伝えることに疲れてしまった、というのが本音だ。巨大な壁の前で途方にくれて、「もう、どうでもいいや~」という無力感に苛まされながら、日本から逃げることしか考えていなかった。サンセバスティアン映画祭やローマ映画祭で、今では友人と呼べるようになった仲間と話して「まだ独りじゃない」と思えることだけが救いだった。

そんな私に、冷水を浴びせかけてくれたのが、エッセイの帯にもある文章だ。

“どれほど極端な情勢になろうと、他人の言葉や雰囲気になびかず、自分で感じて、自分で考え、言葉遣いは人と同じでもいいから、虚無に陥らずに、自分の責任のすべてを賭けて発言するほかない。現状を生き抜き、変えるために、私の言えること、私のできることは、この当然で陳腐な文句がすべてである”

同時代に作家・星野智幸が存在してくれたことに感謝しながら、虚無から脱して、また、ゼロから始めてみようと思った。そして、その経緯の中で考えたことを書いて行こうと。

未来の記憶は蘭のなかで作られる/星野 智幸

¥2,160
Amazon.co.jp

夜は終わらない/星野 智幸

¥1,998
Amazon.co.jp

September 11, 2014

ラテンビートラインナップとアカデミー賞スペイン代表候補3本

テーマ:スペイン・ラテンアメリカ映画
ついに出ました!
今年のラテンビート映画祭ラインナップ

これに加えて、アレックス・デ・ラ・イグレシア監督特集も
あるというから、充実しておりますね~。

落ち込み気味の今、自分に必要なのは
植木等だ!と秘かに愉しみにしているのが
「クレージー メキシコ大作戦」

あとは、ダニエル・モンソンとルイス・トサルが
「Celda 211」(プリズン211)から再び
タッグを組んだ「エル・ニーニョ」。

このルイス・トサルと「朝食、昼食、そして
夕食」
のトサルを見比べていただきたい!
というほど、トサル好きですが、
これを機に、何度もご紹介している(はず)の
「スリーピング・タイト」も、ぜひ。

ルイス・トサルの演技の幅広さと奥深さが
きっと分かっていただけると確信しておりまする。


同じく、出演作は常に
チェックしているエドガー・ラミレスの
「LIBERTADOR(解放者ボリバル)」あたりは
必ず観ようと計画しております。

ところで、そんな中、2015年度アカデミー賞、
スペイン代表の最終候補作3本が発表されました。

■ 10.000 km, de Carlos Marques-Marcet.
■ El niño, de Daniel Monzón.
■ Vivir es fácil con los ojos cerrados, de David Trueba.

おっと、ラテンビートに2本ありますねえ。
でも、今、タイムテーブル観て、きづいたのですが、
"Vivir es fácil con los ojos cerrados"
東京では上映なし?

いや、わたくし、最近惚けているので、
見えていないだけかもしれませんが…。

"10,000km"は、オースティンで行われた
SXSW(サウス・バイ・サウスウエスト映画祭)で
審査員特別賞(for Best acting duo)を受賞。
バルセロナとロサンゼルスの遠距離恋愛のお話。

エル・ニーニョと"Vivir es fácil con los ojos cerrados"
の内容については、ラテンビートのサイトをどうぞ。

この3本が最終選考に残ったことについて
スペインの映画アカデミーの選考基準が曖昧、と
厳しい指摘をしている記事も出たけれど、さて、
何が代表になるのでしょうか?
El Antepenúltimo Mohicano


10,000 km 予告編



朝食、昼食、そして夕食 [DVD]/ルイス・トサル,セルヒオ・ペリス=メンチェタ,ペドロ・アロンソ

¥4,423
Amazon.co.jp

このサブタイトルが、あれですけれど…。
スリーピング タイト 白肌の美女の異常な夜 [DVD]/ルイス・トサル,マルタ・エトゥラ,アルベルト・サン・ファン

¥4,104
Amazon.co.jp

August 14, 2014

8月22日(金)ラテンアメリカ映画のすべて@Cafe y Libros

テーマ:ラテンな日常
お暑うございます。
しばらく大量の字幕作業と会社の決算でネットから離れ気味の
vagaabunda ですが、おっと、もう来週だ、という
ことで、お知らせです。

目黒のCafe y Librosで行われる、月に1度の
TELTULIA。前回は映画そのものに関してでしたが、
今回は、ラテンアメリカ映画の魅力と現状、はたまた、
日本における配給やスペイン語から日本語への字幕について、
時間が許す限り、お話ししたいと思います~。

トークはTELTULIAの趣旨にのっとって、
基本的にスペイン語で行いますが、
ゆっくりと分かりやすく話しますので、
ご興味ある方は、ぜひぜひ。

ご予約はカフェ・イ・リブロスまで。
TEL: 03-6228-0234



FLYER
July 11, 2014

イタリア映画「幸せのバランス」ついに最終週へ突入!7/18(金)まで!

テーマ:イタリア映画「幸せのバランス」
さて、4週目も今日で終わり、明日から最終週となりました「幸せのバランス」。
週末は、明日、明後日を残すのみ!となりました。

今回は、じっくりと上映していく予定ですので、しばらくはDVDもお預け。
なにしろ、最近は、サイクルが早すぎて、目が回るほど。

もうちょっと、地に足つけていきたいものです。
映画は消耗品じゃないから。。。

今回の作品に関して、観ていただいた方から、ツイッターやFBを
通して、色々な、ご感想をいただきました。

登場人物を様々な角度から観ていただいて、とても嬉しいです。
そして、どこか懐かしいイタリア映画、と言われる方もいらっしゃって、
パンフにも書きましたが、ヨーロッパでは、ヴィットリオ・デ・シーカの
「ウンベルトD」へのオマージュだ、と言われていることを思い出しました。

日本でデ・シーカと言えば、「自転車泥棒」か「ひまわり」があがりますが、
この「ウンベルトD」は、家賃が払えなくてアパートを追い出されそうになる
年金ぐらしの元公務員が主人公。制作は1951年で、イタリアで公開された時には、
余りにもリアル(まわりの人々が冷たいしね)なことから、憤慨した人も多々いたとか。
でも、その後、イングマール・ベルイマンやスコセッシが紹介して再評価され、
日本でもDVDで観ることができます。
私のおすすめは、こちらのDVD。
イタリア映画三大巨匠名作集。
(ヴィスコンティ、デ・シーカ、ロッセリーニ)
10作品でこのお値段!

イタリア映画 3大巨匠名作集 DVD10枚組 自転車泥棒 靴みがき 終着駅 ウンベルトD 郵便.../ランベルト・マジョラーニ,エンツォ・スタヨーラ,リナルド・スモルドーニ

¥2,037
Amazon.co.jp


デ・シーカは「ウンベルトD」を自分の父親に捧げたと言っていたようですが、
私は、今回の「幸せのバランス」を観た時に、父を思い出し、配給しようと
決めました。私の父も公務員で、不器用で、借金の保証人になってしまい、
ちょ~貧乏だったので、私は、子供のころから、路上生活が
他人事だとは思えませんでした。「明日は我が身」と今でも思います。

どこにあるか分からない落とし穴。
自分は大丈夫だと思っていても、ふと、踏み違えたら落ちるかもしれない。
でも、たとえそうなっても、這い上がれるチカラを持て、というのが、
一度、落とし穴に落ちた父からの生きた教訓でした。

なので、福祉課に勤めながら「明日は我が身」だと思っていなかった
ジュリオにとって、現実は「まさか」の連続だったと思います。
まさか、自分が、ここまで…と。それを認めざるを得なくなったときの
衝撃と、その向こうに見える一筋の希望で映画は終わりますが、
そのあとの物語は、観た人それぞれで違うでしょう。

デ・マッテオ監督はエンディングの音楽に自らの想いを託しています。
「明日から、人生を変えてやる」
内容は、パンフに書きましたので、ぜひ、見てみてくださいまし~。

この作品を観て下さった東京大学の柳原先生は、
ガルシア=マルケスの「大佐に手紙は来ない」を思い出したと
ブログに書かれています。

「大佐に手紙は来ない」は映画にもなっていて、
メキシコのアルトゥーロ・リプステインが監督
フェルナンド・ルハンとマリサ・パレデスが主演、
若き日のサルマ・ハエックが出演しています。
さすが、リプステイン監督、これでもか、これでもか、と
大佐を追いつめ、最後のひと言で、どっか~んと
地の底まで。。。凄みのある作品だったことを思い出しました。

様々な映画や文学に想いを馳せてしまう「幸せのバランス」
どれだけお金がなくとも、自分で自分を最低だと思っても、
生きている限り、誰かがあなたを必要としている、ということを
思い出させてくれました。

この作品に出会えたことが、私の中で、ひとつの転機に
なりそうな予感がしています。

上映館
新宿K's cinema
10:30/12:35/14:40/16:45

7月18日(金)まで。。。

ウンベルトD(予告編)懐かしい昔の予告編(イタリア語)


大佐に手紙は来ない
(2012年にウルグアイのテレビ放映のときに作られた予告です)
July 02, 2014

読み出したら止まらない「夜は終わらない」星野智幸著

テーマ:ラテンな本
時間に追われる東京から離れて、浜辺の2日間で、
噛み締めながら読了した「夜は終わらない」。
(書きっぱなしですが、ネットが切れるので
まずはアップ!)

これほど、終わってほしくない物語はなかった。
星野さんの作品は、第一作目の「最後の吐息」から
読んでいるが、毎回、「おお、どこまで行くねん!」という
驚きとともに新たな境地を堪能しました。

きっとあらすじは、そここで紹介されているので、
ここでは、なぜ、そこまではまってしまったのか、
ということを書こうと思う。

この作品には「ネタバレ」なんて言葉は通用しない。
なぜなら、想像力によって読む人、それぞれの解釈が
違うと思うから。

映画でも文学でも、「こう観ろ」「こう読め」という
説明過多な作品が苦手なので、これほど、様々な部分に
読む者の余地を残してくれている作品に出くわすと、
ワクワクしてしまう。

全体を通しての主人公、玲緒奈は、複数の男から
金品を巻き上げ、疑われ始めるとあの手この手で後を
残さぬように男たちを消して来た。
でも、消すかどうかを決める前に、男に物語を語らせる。

「私が夢中になれるようなお話してよ」

ここから、まず、玲緒奈に興味がわく。
金目当てなら、あっさり消しちゃえばいいのに、
なぜ、物語を求めるのか。。。それは後々、
分かってくるのだが、私は、何も考えずに読み進めた。

死を前に最初に物語る春秋(シュンジュー)は
玲緒奈に6,000万円盗られても、ぞっこんで、自分をクズだと
思っているデイトレーダーだし、
「カワイルカ」から、「日常演劇」「フュージョン」と、どんどん物語を広げて行く
久音(クオン)は、文具会社の営業という、地味な存在だ。

クオンが語る「聞いたら二度と戻れない物語」の主人公も、見た目が
貧相な男、祈(いのる)、そう、語るのは、一般社会の中に紛れているか
はたまた、社会の外にいて、見えない人たちだ。

ラテンアメリカやヨーロッパの独立系映画では、
社会の中で聞こえない声、無視される人々を描きたい、
という監督が多々いるが、星野さんの小説にも同じことを感じた。

最初の春秋の話から、かなり面白かったので、
「え、これでダメなんですか?」と思ってしまったが、
その後の久音が語る「カワイルカ」から、もう途中で
本をおけなくなってくる。

一つの物語の中の人物が、語り始め、次にその人物の物語の
中の人物が語り始め…と、時間も空間もとけてしまったような
感覚に襲われ、どっぷりと浸ってしまうのだ。

久音は夜の間だけしか語らないので、物語の途中で、
夜が明けそうになると、次の日に持ち越される。

久音と玲緒奈の同居生活に戻ると、読んでいるこちらも、
ちょっとひと息、現実(?)に戻り、
玲緒奈と共に、夜が待ち遠しくなる。

一回目は、目次も見ないで、何も考えず、
自ら物語の世界に浸っていった。
そのうちに、「ん?この人、どこかで…」という既視感が
生まれてきても探さない。そのまま、つき進む。

私はジンとジンナの話が好きだ。

最後までたどり着くうちに、現代社会の問題が、そこここに
見えてくる。男女を交替する「日常演劇」(これは、一時期、
演劇に関わっていた人間として、実にリアル!だった)

その中の4人が互いを交換して自分の物語として
話すところで、一体、誰が誰なのか、分からなくなって来て
これこそ、ホドロフスキーがいつも言っている
「私は、あなたであり、あなたたち全員」みたいな話だと思った。

また、核融合工場の推進派と反対派が、途中から
混じり合って、一体、自分はどっちだったのか分からなくなる
という、笑っているうちに背筋が寒くなる話。(「フュージョン」)

「ええ~っ?」ということも起こるのだが、
そこでも、止まらずに読み続けた。
最後の数ページは、この物語が終わらないで欲しいと
願いながら、ゆっくりゆっくり…。

ついに最後の行を読み終わり、しばらく放心状態のなか、
ふいに、存在する者しない者、生きている人、過去に生きた人、
これから生まれてくる人、空も海も川も宇宙も、時間も世界も、
全ての境界がなくなり、融合したような感覚に陥った。

何より、野生性を失った代わりに、これだけ境界を越えることができる、
それを伝え、感じることができる「人間」が愛おしくなった。

こう書くと、とても抽象的なのだが、物語は、とてもリアルだ。
それに、時々、「ぷふっ」と吹き出すところもある。
星野さんの作品を読むと、こんなに感じてしまっていいのか、と
思うほど、五感が敏感になる。

味や匂い(臭い)や手触り、痛みまで体感してしまうのだ。

だから、私は、もう一度、読む。今度は、物語ごとに。
入れ子になったり融合したりしている物語の中を、
ひとつひとつ泳ぎたい。特に「日常演劇」から生まれてくる
物語を。

「日常演劇」の参加者、バンドネオンの音が出せる風の声を持つ丁(ひのと)が、
ミロンガを探しにブエノスアイレスに行く物語では
「ブエノスアイレスのマリア」や「ジーラ・ジーラ」を初めとする
タンゴが、ラプラタ川でショローナとアルフォンシーナが
出会う「アルフォンシーナと海」では、
歌(Llorona とAlfonsina y el mar)が流れ続ける。

そして、玲緒奈が唯一、心を許せたフェレットの名は
「トリスタン」(“トリスタンとイゾルデ”)。

読みながら、生前、埴谷雄高が、自分が宇宙を見上げる時、
宇宙にいるもうひとりの自分も、こちらを見ているんですよ、
みたいなことを言っていたなあ、と思い出した。

目の前のことに翻弄されていて、生きるのびることに必死で
見失った部分、実は、そこを認識できる人が増えてくれば、今の
危うい方向を是正できるのではないか、とさえ思う。

これだけ言葉が消費され、伝わりにくくなっている今、
言葉から受け取っているのに、言葉では言い表しにくい感情が
生まれてくるときのワクワク感を、ぜひ、体感していただければ、と思う。

そう、映画も小説も演劇も、ひと言でテーマが言えるなら、
作ったり、書いたりする必要はないのだ。

でも、言えないから、伝えられないからこそ生まれる
作品の中に、自分が伝えようとして伝えられなかったことを
見つけるとき、ため息とともに、作者に、監督に感謝する自分がいる。

そして、これだけ翻弄されている自分の中に、まだ、それを
見つける触覚が生きていたことを知った時に、また、
生きるエネルギーがフツフツと湧いてくるのだ。
夜は終わらない/星野 智幸

¥1,998
Amazon.co.jp

アルフォンシーナと海


そして、あなたは、夢の中にいるように
眠りながら言ってしまう
海をまとって

La llorona
June 03, 2014

何をそんなに急ぐのか?

テーマ:ラテンな日常
暑さと周りのスピードについていけず、すでに夏バテ気味の
vagabundaですが、みなさま、いかがおすごしでしょうか?

今は、6月14日(土)公開のイタリア映画
「幸せのバランス」のパンフ原稿を書き上げたところです。
balance1

遅いっ!!遅い。。。いくら一人でやっているとはいえ、
すべてが遅い。(←誰も言ってくれないから、自分で言う)
なにしろ、一度に、複数のことができないので、
ひとつ、ひとつなのである。

3月に「聖者の午後」を公開したばかりで、
ただいま、名古屋シネマテークで上映中である。
なのに、もう次かい? 

いや、それは、私のせいなのだが、
それにしても、周りのスピードが早い。

まるで、ハバナに滞在したあと
メキシコシティの地下鉄の駅を歩いているよーだ。
(と、書いて、このたとえは、とても分かりにくいと反省)

ハバナのリズムになれるとメキシコシティがキツいって
ことなのですが(メキシコ在住のみぽりんの歩く速度に
ついていけず、「歩くの早すぎるっ!」と叫んだ)、
メキシコから戻ると、今度は、渋谷のスクランブル
交差点がこわい。人がいっぱいやってくる。

これって相対的なスピードなのだろうけれど、
映画やDVDのスピードにもついていけなくなってきたので、
次回作を公開したら、一度、完璧に動きを停止して、
自分のリズムの立て直しをはかりたい、と思う今日このごろ。

本当は、「ホドロフスキーと過ごした6日間」とか
少しずつ書いていきたいし、彼のタロット本をスペイン語から
訳したい。それに、とっても楽しみにしていた星野智幸さんの
「夜は終わらない」をじっくり読みたい。群像で連載のときに
追いきれず、でも、読むのをやめられず。
ボラーニョの「2666」の時と同じように何にも邪魔されず読みたいのだ!
夜は終わらない/星野 智幸

¥1,998
Amazon.co.jp

そういえば、「2666」も最後まで、2度も読んだのに
途中で一度、書いただけで終わってる。いかん!
2666/白水社

¥7,128
Amazon.co.jp

こういうことを考えたのも、先日、ホドロフスキーの妻の
Pascaleから写真を送ってもらって、色々、思い出したからで、
次回はそれを書きたいと思いまする。
(自分が通訳していると、写真が残らないので嬉しかった!)
baus

これは、吉祥寺のバウスシアターで行った、ホドロフスキーの
来日、最後の通訳で、ヘロってたので、情けない顔してる。
いや~、嘘はつけないなあ。

これが4月だった…(だよな?)
そして、そのバウスシアターでの映画上映も
5月31日で終わり、6月10日までのラスト・ライブ
本当に、閉館してしまう。

今年は、歌舞伎町のシネマスクエアとうきゅう、ミラノ座、そして、丸の内ルーブルも閉館する。


昨年、映画の公開本数が1,100本越えて
ますます、映画が消費されているのだなあ、と思う。

10年後に思い出せる映画は、どれだけあるのだろう。

そういう映画をどうやって伝えて行けるのだろう、と
色々、模索したいのだが、あと2週間は、お預けだ。

でも、自分のためにも、書いて行きたいし、
次回は、休憩時間に話したホドロフスキーとの会話や、
ホドロフスキーのDUNE
についても書いてみたい。

「幸せのバランス」と同じ公開日なのだけれど、
ちょ~面白かったから。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

AD

Amebaおすすめキーワード

Setsuko Higa

Create Your Badge ケータイ検索Yicha.jp edita.jp【エディタ】

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

ランキング

  • 総合
  • 新登場
  • 急上昇