トンデモ学会的 ( スケプティック ) 懐疑論者の正体…と、彼らを叩きのめすべく本格的反論を此処にまとめて置いておく

UFOや宇宙人や超常現象や超能力や陰謀説や電磁流体宇宙論や常温核融合やフリーエネルギー …などへの批判派とか懐疑論者とか否定論者と、真っ向から対峙した場合に、結局行き着く 「 ほぼ共通する結論 」 を集めて一まとめにしたページを、此処に作っておこう。

トンデモ学会的な懐疑論者 = 「否定説の信奉者」というのは、( 科学的・論理的に反論するのではなく ) アタマから超能力や宇宙人説を疑って掛かり、その否定説の方ばかりを安易に信じ込み、大して調べもせず然したる知識も無いのに肯定説をバカにし、殆どを見間違い・捏造と勝手に断定し、更には通俗科学の方法論以外の方法論全体を勝手に「似非科学」や「疑似科学」と呼んで嘲笑・罵倒するという、「言葉と態度での投石」行為 ( しばしば人格攻撃を伴なう ) で、そうしたものを何とかして世に信じさせまいとしてきた。

 [ そうした一派 ( 例えばカーティス・ピーブルズやドナルド・メンゼルや ト学会系の懐疑論者やデーブ・スペクターや陰謀論は学会ではタブー
とテレビで怒り狂う宮崎哲弥など ) が、実は UFO や 911 陰謀論の否定工作を担う工作者である …という可能性は十分にある。 ]

故に上のような事柄の熱心な肯定論者は皆、この何ともタチの悪い懐疑論者一派の詭弁と、何処かで対峙しなければならなくなる。

拠って以下は、別々な時期の色々な文章中で、これまでに私が書いた懐疑論者と否定論者への 「 決定的な反論 」 部分だけの寄せ集めである。 なので文章によって文体が違っており、チグハグな印象を与えはするだろう。 が、こうした文章が此処に纏めて置かれてる事は、 ( スケプチックな 「 と学会 」 系の ) 懐疑論者たちにとって、きっと、かなり大きなダメージとなるに違いない。 ( どちらの表記でも検索に掛かるように、「 ト学会 」 と 「 と学会 」 をワザと混在させてある。 ご容赦。 )




( 疑問符 ) ( 2010.9.20. 記 )
隠蔽工作加担者を見抜き、見分けて、そのような工作によって目を晦まされない為の心得です
 世界権力に都合の悪い真相を、一般民衆の目から隠す為に、マスコミや隠蔽工作加担者が設置している防波堤的テクニックの色々を、予め知っておかないといけません。

● いつまで経っても 「 UFO は有るか? 」 という問いレベルで立ち止まってるのは…
UFO は有るか…という設問で数十年一日の如くマスコミが止まってるのは、UFO 肯定的な意見を、意図的にそのレベルまでで何時迄も足踏みさせておく為の防波堤的テクニックです。
 ( この文章の 「 UFO 」 を 「 ET 」 「 宇宙人との遭遇 」 「 超能力 」 「 フリーエネルギー 」 「 常温核融合 」 などに置き換えても全く同じです。 )

● UF が実在する …を、UFO を信じる …と言い変えるのは、とても奇妙なことです
( マスコミや否定派が ) 「 UFO が実在するかどうか? 」 を、「 UFO を信じるか否か?」 …という言い回しにすり替えるのは、「東京タワーが実在するか?」 という問いが 「 東京タワーを信じるか?」 という問いにすり替えられてしまうのと同じく、全く奇妙なことなのです。
これは要するに 「 物理的に存在するか否か? 」 を 「 個人心理的にどう思うか? 」 という質問にワザとすり替え、出てきた答や結論を単に個人や大衆の心理問題でしかないかのように思わせ、UFO 問題が物理的な問題ではないかのように見せ掛ける為の ( 議論上の ) 心理テクニックです。
でも、こうした 「 すり替え 」 によって、( 周囲の評価が絶えず気になり、ついつい論理を軽視しがちな ) 日本のテレビ視聴者は簡単に騙されてしまいます。

● その存在が肯定されると世界権力に都合の悪いモノでだけ、この言い変えが行われています
マスコミが “ それが有ると思うか否か ” を “ それを信じるか否か ” という表現にスリ替えるのは、主に権力にとって都合の悪い、隠蔽しておきたいものについてである事に気付くべきです。
それは例えば、UFO、ETとの遭遇、超能力、フリーエネルギー、陰謀説等々です。
これらが眉唾モノと見做されているのは、この種の言い換えテクニックの効果なのです。

● 陰謀と聞いただけで即座に否定論を吐く人物は 「 隠蔽工作加担者」 か、余程のバカです
陰謀について語ってる…というだけで直ぐに、「 それ陰謀論じゃないですかあ 」 とか 「 その人って陰謀論者ですよねぇ 」 などと、始めから “ 如何にもバカにした ” 言い方をする人々は、基本的に 「 隠蔽工作者 」 または 「 その加担者 」 と見做して差し支えありません。
ただし、不勉強と無知故に公式発表やマスコミの通説を盲信し、全く無自覚で隠蔽工作側に加担している傍迷惑な人々も多いのです。

● 「 そういう事を言ってる人も一部にいます 」 や 「 全ては状況証拠に過ぎません 」 は逃げ口上です
911テロ米政府自作自演説 など証拠の歴然とした陰謀説について訊かれて、「 そういう事を言ってる人たちも一部にいます 」 とか 「 すべては状況証拠に過ぎません 」 と答えて逃げ出すのは、とことん追い詰められた 「 隠蔽工作加担者たち 」 の降伏旗、または玉砕寸前の捨て台詞です。

● 陰謀という危険な言葉を徹底的に貶めて茶化せるようにわざわざタブー化してる日本のマスコミ
陰謀という言葉を、日本のマスコミは実際に起きた 「 陰謀事件 」 についてさえ、決して使わないことに注意しなければなりません。
いったい何のためにそうなのでしょうか?
それは、陰謀という言葉に現実的な意味があることを、( 大手マスコミが ) 一切肯定しないでおくことで、「 陰謀 」 という言葉があたかも非現実的なモノであるかのような 「 錯覚 」 を、日本国民に与えておく為の措置であることを知っておかなければなりません。
 ( これ自体が既にマスコミのトンデモない謀略なのですが、この措置によって、日本人の多くが 「 陰謀 」 について語る事自体を何か変人的な後ろめたい行為であるかのように捉えてしまい、コソコソとしか話せない…という風潮が生じて、本当は至るところ陰謀だらけのこの地上世界に於いて、日本人全体を世界一 「 陰謀に対して疎い 」 国民にすることに成功しているのです。 )

例えば 「 911テロ 」 や 「 オウム真理教サリン事件 」 は、公式発表の内容を鵜呑みにしてさえもがそれが何らかの陰謀の結果であった事は明白で、「 陰謀 」 という言葉が連日新聞の見出しに載ったりテレビで語られてたとしても全くおかしなことではなかったでしょう。
ところが日本のマスコミでは、そのどちらについても 「 テロ 」 や 「 事件 」 や 「 謎 」 や 「 疑惑 」 等の言葉だけが使われ、「 陰謀 」 や 「 謀略 」 という言葉が使われることは、なかったのです。
むろん筆者は総ての記事を読んだワケではありませんし、総ての報道番組を残らず見たワケでもありませんから、見落としはあったかも知れませんが、少なくとも記憶する限りは、一件も無かったのです。
つまり日本のマスコミは、日本国民が 「 陰謀 」 について普通に語れるような状況を、それほどに怖れているのです。
そうしておかなければ、本格的な陰謀論が出て来た時、“ 一笑に付して無視 ” することが出来なくなってしまうからです。 ( 日本のマスコミは、 陰謀説を必ず 「 馬鹿げた 」 とか 「 子供じみた 」 とか 「 おかしな説 」 のように、最初からバカにした表現を付してしか語らないことに注意して下さい。 これは正に意図的にそうしているのです。 )
何しろ日本は、これまでの日本政府とアメリカその他の政府や巨大国際金融資本との関係の中で、山ほどの陰謀や密約に漬け込まれています。
なのにそれを全部まるで無いもののように装ってウソをつき、国民をずっと騙し続けて運営されてる …という実に変な国だからなのです。
つまり日本政府自体が国民を欺く陰謀の塊なのです。
そしてその事実を国民の目からひたすら隠しておく役割を担ってるのが、実はNHK報道局を始めとする日本の大手マスコミ ( テレビキー局6局と全国紙5紙 ) の全体なのである。
日本こそは本当の事を言えない「ハダカの王様の国」であり、私たちはそこの住民なのです。
日本のマスコミというのは、社会の木鐸でも報道機関でもなく、報道機関のフリをして国民の耳目を塞ぎ、日本の民衆をツンボ桟敷に置いて愚民化しておく為の 「 愚民化装置 」 であり、隠蔽工作機関と見做されるべきモノなのです。

実際、ある米国の学者は今から6年ほど前に 「 日本の国民は “ 重要な事実 ” を、欧米の国民と較べるとホンの10 % 程度しか知らされていない 」 と指摘しています。



 ( 2015.6.19. 追記 )  UFO懐疑論者と論争してみてハッキリと分かったこと
UFO懐疑論者は別に慎重な人々ではなく、UFO ではない …という否定説の方をいとも簡単に信じ込みやすい、逆方向のビリーバーたちである


 つまり彼らは 「 UFO否定論信者 」 と正しく呼ばれるべき人々 …なのである。

UFO懐疑論者というのは、一見すると頗る慎重派のように見えるが、実は彼らが慎重派として振る舞うのは、高々 UFO を本物と認める事についてだけ …の話である。

UFO懐疑論者は、UFO を認めないでおく為の「自分たちの姑息な思い付き ( 例えばカメラノイズ説 ) 」を、確かな証拠も無しに真実だと信じ込むことにかけては、筋金入りの陰謀論者も呆れる程に大胆かつ勇敢なのである。

そしてその信念を守る時には、まさしく不注意極まりない …のである。

つまり UFO ではない、 UFO では有り得ない …という考えに調和しそうな 「 情報や理屈や意見 」 になら、後先を考えずに飛び付いて、どんなに曖昧でバカげた証拠であっても簡単にソレを認めて、受け入れてしまう気質なのだ。
 ( 都合の悪い画像を何でも …白くても黒くても …ノイズ扱いして無視したがるのもその典型である。 )

だからこそ 「 UFO 懐疑論者 」 はみんな 「 UFO 否定論の信者 」 であり、「 UFO 否定論者 」 とほぼ同義語で、「 UFO 肯定論者 」 とは殆ど相容れないのである。



 以下は上の元となった一般原理である。

( 真理 ) ( 2015.6.1. 記 )
○○○否定心理の化物 = ○○○否定論者 …の特徴とは何か?

 ( ○○○にはUFOや宇宙人やUMAや超常現象や超能力やニューサイエンスやフリーエネルギーや陰謀論…等々…がそれこそ全部入る。 )

○○○否定論者の特徴は、○○○を肯定するような情報や論理に対してはやたら厳しい条件を付けて、可能な限りそれらを認めずに拒否 ( または無視 ) しようとし、その一方で○○○を否定するに都合の良い情報や論理については、たとえそれが単なるガセネタや悪口や誰かが何処かでそう書いてる…というだけの事でも、驚くほど安易にそれを受け入れて信じ込む傾向が強い。

だから○○○否定論者は、自分が簡単に否定出来そうな○○○の例についてしか取り上げようとせず、証拠の揃った手に負えそうもない○○○の例については、ワザと無視して取り上げない。

つまり、○○○否定論者というのは「○○○を否定する情報や論理」だけを信じ込み易く、「○○○を肯定する情報や論理」に対しては異常過ぎるほどに疑り深く、卑劣なのである。

故に「○○○をもしかしたら否定出来るかも知れない情報や論理」に対してはほぼ無条件に大甘で、ホンの微かな否定可能性を提示して見せるだけで ( それを立証する証拠が一切無くても ) もうソレが真実と認められたように思い込んでしまえる、客観性がなく偏向した人々なのである。

○○○否定論者は、否定論にとって都合の良い情報や論理だけをほぼ無条件に信じ易く、否定論にとって都合の悪い情報や論理には殆ど耳を貸さない「○○○を最初からまともに考えてみる気の全然無い」人々である。
 ( 併しこういう人々がしばしば、NHKなどのテレビに重宝され○○○専門家などと紹介されて登場し、偉そうに発言してるのだから全く始末が悪い。 )

そんな風にして何とかコジツケてでも否定出来そうなモノやケースを全部否定して捨ててしまっていると、多くの本物の○○○を本物ではないことにして捨ててる事になるから、「否定出来そうなモノを全部捨てて残ったモノだけが本物」…という考え方での探求は、全く不毛で殆ど得られるモノが無い。

本当に○○○を研究するつもりなら、先ず肯定して入って行かない限り、殆ど何も見付けられないのだが、○○○否定論者というのは結局、その事が全く判っていない人々である。

○○○否定論者は、悪質な噂に頼ったり、○○○肯定的な証人や証言者や肯定論者に対して平然と人格攻撃をする場合が多く、詭弁を多用し、また○○○肯定論者に対する揶揄や侮蔑や嘲笑といった手を常用する。

○○○否定論者は大抵が権威主義者で、既存の価値観を鵜呑みにしてモノを語る。

○○○否定論者は多くの場合「寄らば大樹の陰」で、既成概念や体制側に与してて、○○○を否定し批判して見せることが「カッコイイ」事だと思い込んでる。
つまり「極めて創造性に欠けた保守派」である。

○○○否定論者の典型はだから、例えばトンデモ学会などスケプティックを標榜する人々である。

彼らの最大の罪の一つは、形而上学や哲学にあたるものを、その足りない頭で勝手に「似非科学」や「疑似科学」などと呼び、その最低の造語を世に蔓延させ、哲学や形而上学の重要性と意味を貶めようとしてる点である。

何という軽薄さだろう。 現行科学の限定された方法論と成果のみを、唯一絶対の真理と思い込む。
この拙劣極まりない、と学会 ( ト学会 ) の独断と傲慢とを、私は断じて許さない!




( 疑問符 ) ( 2014.2.12. 記 )
既存科学の範囲で説明のつき難いものは何も無かった事にして安心したい人々
 ( 以下では、と学会をト学会と誤記してるが、後者で検索する人々にも見付かるように、敢えてそのままにしておく。 )

どうやら、現在の公認科学の範囲内で説明のつきにくいものは全部
「人騒がせなクダラナイもの」と括って何も無かった事にして安心したい、
思考の組み換えを嫌がる ( 新しく勉強し直したくない ) 狭量な人々
( 似非科学者や科学教徒 = 既存科学の狂信者 ) がこの世の中には結構沢山居るらしい。


彼らは典型的な参照主義者・権威主義者で、自分の頭では何も判断出来ず、考えられない。
まさしく " 寄らば大樹の陰 " である。

そうした人々の代表格とも言えるのが、例の 「トンデモ学会」 いわゆる 「ト学会」 である。
彼らは自分の気に入らない認めたくない説や人々の一切を、
勝手に「トンデモ」とか「トンデモさん」と呼んで、マトモには対峙せず、
ワザと穏やかに嘲笑し、相手の説を茶化して面白がる…という何とも性質の悪い、
ずるい方法で異論相手を斬り捨てて来た。


ト学会がやってきた事の中でも特に許し難いのは、
雑誌ニュートン的な既存の公認科学へのほぼ絶対的な依存主義者である彼らが、
科学的方法論のみが唯一絶対であるかのような愚かな錯覚に陥って、
科学以外の形而上学や哲学を指して勝手に 「 擬似科学 」 とか 「 似非科学 」 と呼び、
その言葉をへらへらと垂れ流し、無知な人々の間にその言葉を蔓延させようとしていることである。

( ト学会中で唯一発言が公正だった故・志水一夫氏を除いて )
恐らく「ト学会」メンバーの大半は唯物論者なのだろうが、
再現性の有る比較的コントロールの可能な現象についてだけ有効である
「科学の方法論」以外の方法論の一切を、
平気で「擬似科学」や「似非科学」等と呼んでしまえる処こそが頭がオカシイのである。

哲学を始めとする形而上学は、
元々、科学的方法論が扱える範囲を超えた問題を捉える論理であって、
その論理性の部分で科学に似てるからとタカがト学会如きの幼稚な唯物論者どもに
「擬似科学」とか「似非科学」などと呼ばれる筋合いは元から無いのである。
いったい軽薄極まりない自分たちを何様だと思っているのだ?

ト学会やその追従者の吐く否定論に対して言っておかなければならないのは、
これまで既存科学で正式には認められていない現象や事実の肯定者に対して、
科学的な証拠を提出するようにと求めたいなら、
否定論を主張する場合にも同じく
科学的に確かな証拠を提出して論理的に否定しなければならないという事である。

にも拘わらず、
そうした事柄 ( 例えばUFOや超常現象や全く新しい説 ) に対して、
自らがあたかも「現代科学全体の代弁者」であるかの如く態度で否定するような人々は、
しばしば、単に「それが他の良く知られた現象である可能性もあるかも知れない」
と指摘しただけで、もう反論が成ったかのように錯覚している場合が多いのである。

冗談ではない。そんなのは唯、「自分は絶対そんな事は無いと思う」とか、
「自分は絶対そんな事が起こってる訳は無いと信じてる」と言ってるのと
まったく同じレベルの発言に過ぎないのである。
可能性を云々するだけで成るのなら、そんなものは少しも科学的な反論とは言えない。

自分は科学の代弁者のつもりだから、増長してそんな基本的な事も分からないのである。
寄らば大樹の陰を決め込む参照主義者や権威主義者というのは
皆そのレベルである。

つまり否定論者のそうした、否定的可能性に言及して相手の主張の足を掬うだけの
証拠や論証の欠落した安易な否定の仕方そのものこそが、
単に既存科学による微かな説明可能性に寄りすがるだけでもう防衛出来ている
・・・という世にも不思議な錯覚なのである。

つまりそれは、「後からやって来たのだから、挑戦者は "チャンピオンに絶対有利な判定条件" で
完璧に勝たない限り、チャンピオンベルトは渡さない」という
格闘技の世界のルールと同じである…ということである。
が、それは本来真実に対して真摯で厳正であるべき科学論理の世界にあるまじきやり方である。

格闘技と同じく既存科学にとってもパラダイムの変更は死活問題だから仕方がない…なのだろうか?

それこそが非科学的な態度そのものではないか?
それならば霞ヶ関の官僚主義と同じやり方ではないか?

その卑劣な否定論の論法を私は絶対に認めない。



( 疑問符 ) ( 2014.6.28. 記 )
UFO では無くヘリコプターだった …というような 「 UFO 否定説 」 の方の信憑性にだけ大甘な否定論者たちの偏向した思考経路


UFO ではないかも知れない、と単に UFO 以外の可能性を示唆するだけで、証拠も示さずに UFO 否定説が成立する…と言うなら、それは全然科学なんかではなく、「 UFO を認めない教 」 とでもいうべき新宗教の信者間でだけ通用する “ 狂信者たちの勝手な思い込み ” と全く同じです。

否定論をちゃんと成立させる為には、例えば上のヘリコプター説が ( 単なる可能性ではなく ) 実際に事実であることを、丹念に証拠を集めて立証しなければならないのです。

つまり否定論者が UFO 肯定論者に対して、「 科学的な証拠を示さなければ認められない 」 …と突っぱねるのと同じく、否定論者もまた 「 科学的な証拠を揃えて論証して見せ 」 なければ否定論はいささかも成立せず、こうした強い ( あるいは決定的な ) 証拠の前では、可能性の示唆など唯の 「 負け犬の遠吠え 」 に等しい、と見做される事をちゃんと自覚すべきなのです。

単に可能性を云々するだけで論が成立するのでしたら、UFO 肯定論もまた一つの可能性なので、UFO である可能性がある…と言うだけで成り立つということになります。

併しそれは、上記の通り、同じ論に与する味方の間でだけ成立することです。

UFO 否定論者は、視野が狭いのか、どうやら自分たちの味方の方が圧倒的に多い…と勝手に勘違いしてるフシが有って、否定論の側は 「 ただ否定的な可能性があることを示唆するだけ 」 でもう勝ってしまった気分に陥るらしいのです。

そんなことはなくて、少なくとも現在では、多くの証拠から、ちゃんとマトモにこの問題に対峙して調べてみた事のある人たちの過半数以上が、UFO 肯定派…というのは今や紛れもない現実なのです。



● どんなに証拠が明確でも決して積極的に UFO や E T を肯定しようとはせずに 「 分からない 」 「 未解明だ 」 とゴマカスのが UFO 懐疑論者 = UFO 否定論の信者であることの証拠である。

つまり UFO 懐疑論者 = UFO 否定論信者 ( 何が何でも UFO 否定派 ) であることの証明は、決定的な証拠写真や映像を突き付けられた場合にも尚、彼らは UFO や E T の存在を決して積極的に肯定しようとはせず、「 分からない 」 「 未解明だ 」 などと判断を保留し、何とか誤魔化そうとすること自体である。

彼らは何しろ、否定するのがどう考えても難しい UFO 映像や写真については、こう答えるのである。
「 見間違いや捏造だと解明 ・断定する事の出来ないようなモノは、要するにまだ未解明なのであって、そんな未解明な映像や写真を取り上げても仕方がない 」 …と。  ( ← この言い回しが何とも卑怯だと、みんな、どうかちゃんと気付いてくれい。 )
彼らはそうやって決定的な証拠については一切取り上げず、単にそれを無視して済まそうとするのである。

実は上は、「 NHK 幻解 UFO 徹底解明編 」 に UFO 解明の専門家として出てた当のご本人 藤木文彦氏から私への、呆れた回答である。  ( あの番組内で 「 いちばん重大な筈のポポカテペトル長大 UFO 映像 」 を一体何故無視したのか? …という私の質問に対して、氏はツイッター上で私に対して実際にそう回答してきたのである。 )

つまり UFO 懐疑論者の言う 「 解明 」 とは、UFO の証拠とされる写真や映像を 「 見間違いや捏造だと解明して断定 」 する事のみを指す言葉らしく、決定的な証拠映像や写真を、積極的に 「 本物だ 」 と肯定する事は、一切含まれてないらしいのである。
 ( 尤も自分たちが頑くなな UFO 否定論者ではないと見せ掛けたい為にか、出処の曖昧な然して重大な意味もなさそうな映像をワザと肯定的に評価して 「 本物かも知れませんね 」 等とお茶を濁すが如く論評をしたりはする。 が、それが本気でないことは明白である。 )

この理屈でゆけば ( 超常的なモノを否定したい NHK や UFO 懐疑論者 = UFO 否定論の信者にとって都合の悪い ) 「 どうにも上げ足を取れない決定的に超常的なモノ 」 は、危ないから最初から全部無視して一切取り上げない …という事 ( やり方 ・方針 ) になるのである。

「 UFO を徹底解明 」 とか謳いながら、ポポカテペトルの火口に飛び込む直径 200 メートル、長さ 1000 メートルもの葉巻型 UFO http://utzsugi-rei.com/utzugi/OpenLetters_002.htm#002 の映像 https://www.youtube.com/watch?v=B6ZSS2TpDaA や、キュリオシティのナビゲーションカメラが捉えた 6 枚組の UFO 写真や、その背景に写る星々の一部が火星の表面に対して 10 分間も全く動かないまま http://utzsugi-rei.com/utzugi/OpenLetters_007.htm#001 であることや、かぐや ( SELENE ) の撮った詳細な月面写真に数千ヶ所もの ( 異星人施設と思われる ) 異常な形状の構造物や光体や光点が明らかに写り込んでる http://ameblo.jp/utzsugi-rei/entry-12053583646.html …という事実を、そうした人々や NHK や JAXA が全く無視して取り上げない理由は、つまりそういう事なのである。



( 疑問符 ) ( 2015.12.19. 追記 )
『 ( あたかも UFO 否定論者の如く ) UFO 懐疑論者やテレビが、UFO の決定的な証拠 を取り上げて堂々とそれと対峙出来ない、本当の理由 』

 彼らの 「 UFO の決定的な証拠は取り上げない 」 …という、UFO 研究者にあるまじきその不誠実で奇妙な態度は、 一体何に起因してるのだろうか?


UFO 存在の肯定派から見ると、UFO 懐疑論者は 「 UFO 否定論の信者 ・UFO 否定説ビリーバー 」 のようにしか見えないのだが、「 UFO 問題を否定でも肯定でもなく批判的に分析する 」 と謳うそのスタンスと心理を十分に考慮しつつ改めて分析してみると、彼ら自身が決定的な証拠を前にして自家撞着に陥ってることが判明する。

懐疑論者が 「 UFO 存在の決定的な証拠 」 を取り上げて、堂々とそれと対峙出来ない理由

UFO 存在の決定的証拠 ( 例えばポポカテペトルに突入する超巨大 UFO 写真 ) に対して、
懐疑論者やテレビがそれを本当に本気で取り上げようとしないのは、
それを否定すべく論拠が何処にも無く ( 難癖を付けられそうな弱点も見当たらず ) 、
マトモに対峙すると ( 自身が懐疑論者にも拘わらず ) 本物だと認めて UFO の存在そのものを肯定する以外になくなるからである。

つまり、そうした 「 決定的な証拠 」 をもし、
たった1つでも本物の UFO と認めて肯定してしまったら、
その途端に懐疑論者はもう UFO 肯定論者になってしまう。

すると彼らは直ちに UFO ビリーバー と呼ばれるようになり、
UFO に対して 「 あくまでも冷静に批判的に取り組む 」 とか言ってた
懐疑論者のスタンスは、もう取れなくなってしまう。

彼らが 「 冷静で批判的な UFO 問題の研究者 」 というポーズで物を言い続ける為には、
証拠の出所さえ曖昧なケースで 「 もしかしたら本物かも知れません 」 …という程度の
曖昧な肯定ならともかくも、
逃げの打てない決定的な証拠と対峙しての 敗北宣言の如き UFO 肯定 などは、
「 懐疑論者としてのスタンスの維持 」 の為にも、絶対にやってはイケナイのである。

故に UFO 存在の決定的証拠 に対して懐疑論者 ( やテレビ ) が取れる態度は、
「 それについては良く解りません 」 「 まだ未解明です 」 「 分かりません 」
または、「 他にはデータが有りませんのでこれだけでは何とも 」 等々の言い訳、
そして大抵は、一言も触れないでの無視 ・知らん顔 …という 逃げ出し戦術 しか無いのである。

 ( テレビの場合はバラエティでしか扱わない。 ニュースでは扱っても決して詳しくは扱わず、ヘラヘラ笑いで誤魔化して終わる。 テレビ朝日の特番で 武良ラムウ 氏が実際に UFO らしきものを呼んで見せてさえも、
テレビ朝日の報道ステーションがそれを取り上げたり ・・・は決して無い。 また、かぐや の月面画像中の 「 異星人施設らしき数千ヶ所の光体群 」 については、今年 7 月以来、私自身が総てのテレビキー局の報道と新聞と主要な雑誌全部の編集部宛に、詳しく内容を告知し、情報提供料等は一切放棄すると宣言してるのにも拘わらず、未だに何処も取り上げてくれようとはしない。 実はあの学研の雑誌 「 ムー 」 でさえもが、ソレについては完全に無視して一切触れようとせず、今では私からの情報提供をも全部遮断してるのだから驚く。 かぐや の月面写真ほど纏まった量の決定的な証拠となると、もはや逃げ場が何処にもなく エクスキューズも利かない から、マスコミには手が出せないものらしいのだ。 )

さもありなん。


● UFO 懐疑論者は 「 UFO 研究 の 寄生虫 」 である

○○○ 問題の肯定的な解釈を、否定する事しか出来ない 「 純然たる懐疑論者 」 というのは、○○○ 研究に巣喰う寄生虫である。
 ( ○○○ には、UFO や、異星人や、超能力や、霊魂や、死後の世界や、陰謀論などを、試みに代入してその意味を考えてみて下さい。 )

つまり、決定的な UFO 証拠とは一種の踏み絵の如きモノであり、本当に UFO を研究してる本物の研究者と、UFO 研究など本当にはするつもりもなく、只 「 偽物の UFO 証拠
探し 」 や 「 間違い探し 」 しかしてない文字通り 「 偽物の研究者 」 を、篩いにかけて振り分け、後者が本当の UFO 研究に巣喰う 「 寄生虫 」 の如きモノでしかない事を暴き出してくれるのである。

本当に何かを研究する為には先ず、それが存在するものと仮定して研究を始めなければならない。
そうでなければ真摯で創造的な研究など誰にも出来る筈がないからである。
そう仮定して研究した結果、その存在証拠が何処にも見付からなければ、仮定を誤りとして破棄すればよいだけの事であり、最初からその存在を批判的に分析する…等は全く余計な事で、研究妨害行為にも等しい。
 ( 「 肯定でも否定でもなく、あくまでも冷静に批判的に研究する 」 …等という、最初から腰の完全に引けたスタンスで為されて、何かの成果が上がる研究があるなどとは、一度も聞いたことがない。 そんな言い回しは 「 それを批判する事だけが正しい 」 「 それを否定する事だけが正しい 」 という悪意の主張の、巧妙で悪質な 「 言い換え 」 であるに過ぎない。 )

何れにしても、間違い探し ・偽物探し …をしてるだけの人たちが、何かの真理に到達することは絶対無い。 そうした人々は 「 間違いや偽物の研究 」 をしてるだけで、本物の研究を全然やってないからだ。 スケプティック とはそういう研究でしかない。 スケプティックな人々 ( 懐疑論者 ) は結局、誰も UFO の研究者なんかではないのである。

分かったら、目を醒ませ。






彼らは例えば、かぐや が捉えて グーグル・ムーン に貼り付けられてる写真の中の、以下のような光景を一体どう説明して 「 何でもない只の自然物だ 」 と誤魔化せるつもりなのだろうか?

参考までに、上のページの中から 6 枚だけ、此処にも貼り付けておく。 ( 画像クリックで拡大する。 )
 ( 出来るものなら反論をどうぞ。 反論先は こちら )


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