大いに機を失しましたが、バージニアへの引越しに伴う諸事(のごく一部)を、思い出せる範囲でまとめておきたいと思います。


まずは、住むところを決めないと始まりません。
(試験勉強中につき)妻に日系の不動産業者にコンタクト取らせたところ、返事がなかったり、「この予算じゃこの地域はとてもムリですね。」とヤル気あるんかい!という返事だったり、こちらの希望日を無視してアポを設定したり、勝手に別の業者にメールを転送したりと、かなりのヤンチャぶり。
中で比較的まともそうな業者に具体的に今どのような物件があるかとたずねると、英文で何ページもある”Exclusive Agent Agreement”を送ってきて、それにサインしてからでないと物件リストは渡せないとのこと。いちおう読んでみたのですが、「契約期間中はもちろん契約期間終了後Xヶ月間は、自らまたは他の業者の仲介で不動産賃貸借契約を締結した場合、家賃Xヶ月分のペナルティを支払わなければならない。」とか、好き放題のことが書いてあります。
スチャダラふうに言うと、「アンタ、ダレ?」の世界。どうして会ったこともない人にいきなり全幅の信頼を置けようかと思うのですが、この業者いわく「契約書という形ですので難しそうに見えますが、要は私どもが責任を持って物件をお探しするということです。」だそうです。
ボストンの日系不動産業者は私の知る限りもっとずっとまともで、多くの人が利用していたのですが、ワシントンDC周辺で日系の不動産業者に頼んだという話をあまり聞かないわけが、ようやくわかりました。


しかし、捨てる神あれば拾う神あり。
賃貸物件検索サイト経由で知った地元不動産業者の営業さんは、私がアメリカで出会ったいろんな営業さん(日本人も含め)の中で、もっとも良心的な人でした。
この不動産業者の名は、Long & Foster といい、あちこちに営業所や看板があることから見て、この地域では大手のようです。

ただし、アメリカの不動産屋の営業は、従業員ではなく不動産屋とコミッション・ベース(出来高払い)で契約している独立の個人であることがふつうらしいので、Long & Fosterの営業が全員よい人かどうかは、知りません。
余談ですが、個人契約のセールスマンと言えば思い出すのがminimum contactsのルールを確立したInternational Shoe Co. v. Washington, 326 U.S. 310 (1945)。この判例から察するに、いわゆるindependent contractorを使って事業展開するのはアメリカでは長い歴史があるようですが、現在では、物の販売はもちろん、引越業、修理業にいたるまで、あらゆるところでこの形態で事業が行われていて、ある会社の名前入りのクルマに乗ってきてその会社の名刺を持っていたからといって、その会社の従業員であるとはぜんぜん限らないようです。


話を戻して、この営業さんは、事前のメールや電話での打ち合わせも、夜中や休日でもすぐ返事をくれるし、6月中旬の貴重な3日間を使って現地で物件を見て回った時も、日系不動産業者のように物件を案内するだけなのに手数料を要求するようなこともなく、物件概要を印刷して渡してくれたうえで、親切に案内してくれました。
その後も、希望したところを6件も断られたりと波乱続きでしたが(1年未満で家を借りるのは非常に難しいことがよくわかった)、この営業さんは精力的に交渉してくれ、最終的に満足できる物件を借りることができました。


今回住むことになったFairfax County(地下鉄orange lineの終点のあたり)は、家賃はボストン(ブルックライン)にくらべればだいぶ安く、治安、教育、買い物などの環境もまずまずです。
なにより、2ベッドルームの狭いアパートから開放された子どもたちが家の中を笑顔で走り回るのを見ると(あんまり走り回っちゃいけないのですが)、苦労して探した甲斐があったという気になります。