ばーちゃん 1話 | 恋せよ乙女
本日更新第2弾


前からいつかは書きたいと思っていたばーちゃんの話し。

先日から少しづつ書き始め、なんとか形になったので、

数回にわたってUPしていこうと思います。

自己満足な思い出話です。

お時間に余裕があれば読んでやってください。


合格合格合格合格合格合格ーーーーーーーー合格合格合格合格合格 




一番小さいときの記憶

それは右の窓からあったかいポカポカした日差しが差し込んで

それを気持ちいいなーと思いながら

ねっころがってる私。

上から誰かすごく好きな人たちが優しいまなざしで見下ろして

「かわいいね~」って言ってる。

そう、多分、あたしがまだとっても小さい赤ん坊の頃。

ベビーベッドで寝転がってるときの記憶。

なんだかとても穏やかで優しい時間の記憶。



この家で5歳までを過ごした。

気がついた時には母親の存在はなかった。



私はちょうど高度成長期の真っ只中に産まれた。

この頃すんでいたこの家は2DKのアパートで

そこに、ばーちゃん、おばさん(ばあちゃんの妹)、

にーちゃん(ばーちゃんの次男)と一緒にいた。

長男であるあたしの父親は少し離れたところの

市営(長屋)に住んでいた。

あとから聞いた話では

両親が結婚してあたしが産まれるまでこの長屋にいたらしく、

私が産まれて共働きだった両親は

私をばーちゃんの家に預けて、

週末だけあたしをつれて行っていたらしい。

この長屋の記憶はあるけど、

母親の存在だけはすっぽりと抜けている。



この頃ばーちゃんは駅前の立ち食い立ち飲みの

串カツ&飲み屋

赤提灯を店構えにしたようなところで働いていた。

このお店は今思えば古きよき昭和の時代の象徴のようなお店で

50代、60代くらいのおばちゃんたちが

着物を来て真っ白な割烹着を着て

やっているお店だった。

ばーちゃんは小柄でふっくらしていて、いつも髪を結っていて

私が言うのもおこがましいが、顔立ちもどこか気品があった。

口調もやんわりとやさしくて、笑った顔なんか

あどけなさがまだ残っていた。

どこかのおかみさん、みたいな雰囲気だった。

ばーちゃんからはいつもほんの少しの油のにおいと

おしろいのにおいがしてた。



そうやってばーちゃんは働いていたので

幼少期は私は生涯独身を貫いた

ばーちゃんの妹のおばさんが育ててくれていた。




一人っ子で、回りに大人しかいない環境で育ったせいか、

人見知りがすごくて、

友達とか近所の子2人しかいなくて、

今も覚えてるのは、

小学校に入学したての頃、

集団登校でみんなと一緒に行けず、

おばさんに毎日送ってもらっていたこと、

学校で初めてしゃべったとき、

「わぁー、小夏がしゃべった~」

と同級生の男の子に驚かれたこと。

今からでは考えられないくらい人見知りだらけの

おとなしい子だった。



そんな小学1年生の途中、

私たちは一家揃って、新しく山を削って開発された

巨大マンモス団地の抽選に当選し、引っ越すことになった。

運良く希望どうり、同じ階の1階と5階に入れることになった。

ばーちゃんと父は1階へ。

ばーちゃんの次男とおばさんは5階へ。

私は両方の家を行ったり来たりした。

この引っ越した先の学校で、

とても仲のよい友達もでき、

私は小さい頃からは想像もできないほど

活発な女の子に成長した。



結婚するまでの21年間をこの団地で過ごした。

私が中学2年まで、うまれたときと同様、

みんな働きにでていて、

私の母親代わりはおばさんだった。

おばさんは男勝りで活発で、

私をとてもかわいがってくれた。

他人に、自分の娘だと言っているほど

本当にかわいがってくれた。

いろんなところへ遊びにつれていってくれたし、

いつもそばにいてくれた。

ただ、怒るとすごく怖かった。

この頃の私にとっておばさんは、

ある意味絶対的な存在だった。

反抗するとか言い返すなんてとんでもなかった。



中学2年になった頃

おばさんは糖尿病をきっかけに、

一気に体調を崩し、入退院を繰り返し、

他の病気も併発して、

結局、そのまま、生涯を病院で過ごすことになってしまった。

おばさんが亡くなるまでの15年余り

私は足しげく顔を見に通った。

私にできるせめてもの恩返しは

顔を見せて、日常の話をすることくらいだった。



そしておばさんの入院が本格的になってから

しばらくは私1人になった。

とはいっても、夜には父親も帰ってくるし、

2交代だったばーちゃんも、勤務によっては

昼間にいることもあったし、

私自身も小さい頃からお手伝いとかしていたので、

料理に関してはまったく平気だった。

ただ、当時、学校では離婚家庭というのは

まだまだ珍しく、学年でも私1人だったので、

いつもどこかで引け目を感じていた。



私が中学生の頃、ちょうど校内暴力などが

活発だった時期で、

私の学校も田舎ながらにそこそこやんちゃな子たちがいた。

私はその子たちとも一緒に遊んだりした。

やんちゃな子たちと一緒に遊んだりもしてたけど、

私はいたって普通のクラブ活動大好きの中学生だった。




ある日、その中の1人が言った。

「小夏なんて一番荒れてもおかしくない家庭環境やん」

私がそれを聞いたときに思ったことを今もはっきり覚えている。

家庭環境でやんちゃなことをするなんて変だよね?

それに、そんなことを理由にするほど

私は愛されてないわけじゃない。

いや、母親がいなくても

家族からすごく愛されている。

だから心配かけるようなことはしたくない。

私は家族から愛されていることを充分認識していた。

入院してしまったおばさんからも。

夜たまにしか顔を合わさない父親からも。

ばーちゃんからも。



こんな生活は私が高校を2年で中退して、

働き出すまで続いた。

私が16歳の頃 ばーちゃんの長年勤めていたそのお店は

駅前開発のため立ち退きになり、

店自体なくなることになった。

そうしてばーちゃんは長く働いたそのお店をやめて

家にいるようになった。

その頃になると父は、副業として喫茶店をはじめ、

そっちで寝泊りをするようになり、

実質、この公団住宅の1階で

ばーちゃんと私2人の生活がはじまったのだ。




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