医療機関も警察も | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

今日一つ目の記事です


独断と偏見満載なので流して読んでください。

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岐阜県警が医療過誤訴訟の証拠品紛失 


2010年9月3日 09時01分


 2005年に岐阜県羽島市の市民病院で

胃ろうカテーテルの交換手術を受けて死亡した40代女性の遺族が、

同市を相手に起こした損害賠償請求訴訟をめぐり、

県警が証拠品として保管しているはずの胃ろうカテーテルを紛失していることが分かった。


 関係者によると、カテーテルは岐阜羽島署が同年、

手術を担当した同病院の医師を業務上過失致死の疑いで捜査した際に押収した。

同署は医師を立件しなかったが、遺族が08年に提訴。

岐阜地裁が今年7月、提出命令を出すためにカテーテルの所在を確認する書類を署に送ったところ、

署にはないことが判明した。


 病院側に返却された形跡はなく、返却を記録した書類も署にないため、

署は8月中旬、担当部署に当時在籍した署員を集めて聞き取りをしたが、

有力な情報は得られなかった。


署では、地裁で10月上旬に開かれる次回弁論まで引き続き探すとしている。

 胃ろうカテーテルは口から食事が取れない人の胃に穴を開け、

チューブで流動食を流し込む器具。


訴状によると、女性は02年に同病院で胃ろうカテーテルを造設。

05年5月に受けた交換手術で食道が傷ついて縦隔炎を発症し、3日後に死亡したとされる。


 原告側は、チューブを胃の内側で固定するカテーテルの一部が硬化していたため

食道を傷つけたのが原因だと主張し、裁判では硬化の程度を調べる予定だったという。

病院側は「医療ミスはなかった」として争っている。


(中日新聞)


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医療関係の訴訟と言うのは客観的に見ても

被告・原告のどちらに義があるかを判断するのは難しいと思います。


病院が最善を尽くしても助からない時もある。

それで死亡した患者の家族が医師に食って掛かったとすれば

医師が気の毒ですし、


通常の処置が出来ていれば死ぬ事も無いような患者が死んでしまう事もあり

そんな場合は医師が攻められて当然と言う事になります。


しかしながら一番困るのは

患者の状況を客観的に判断できるのは

一応は専門家の医師であるということになりますから、


この記事のような場合、医師の主張が

どうしてもまかり通る羽目になることが多く

医療ミスを立証するのは難しいのが現実だと思います。


心無い医師が例え自分達のミスに気がつきながら

隠蔽したとしてもそれを立証する事は難しいわけです。


そこで重要になってくるのは医師以外の周辺の人間の証言や証拠物件。


今回であれば物証とされたカテーテルの存在です。


医師でも当然ミスはするでしょう。

しかしながら最近は不思議と医師のレベルが低いのか

それともモラルが欠けているのか


ろくに執刀をした事の無いような医師が

難しい手術を執刀しては患者を死に至らしめたような事件もありました。


医師の能力にも個人差がありますし

そんな状況では、病状によっては

手術をしてくれる医師によって生死を分ける事になる。。。

そんな事も少なくはないと思います。


マスコミ報道でゴッドハンドと呼ばれるような人間がいる一方、

平均的な外科医であれば成功する手術を失敗してしまう。。

そんな医師もいるわけです。


それに振り回される患者もたまったものではないのですが

これが今の日本の医師の実態だと思います。


しかしながら時にはそんな医師が危険承知で

難しい手術の執刀をする。。。

手術の成功率は執刀する医師の実力によって変動する事にもなります。


しかしながら手術を受ける一般市民は

カエルの解剖に使用されるカエルではないのです。


この事件がそうだとは言いませんが

兎に角今の医療機関には人の命を守るべき人間が持つべきモラルが

欠けているように見えると言う事をまずは主張したいです。



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少し話は飛んで今の日本に蔓延っている

悪の連帯感に触れます。


日本の中には目に見えない悪の連帯感を持っている人間達が

暗躍しています。


その人間達はありとあらゆる組織の中に潜んでは

自分達の仲間が常に有利になるように

それぞれの持ち場で立ち振る舞うわけです。


仲間が犯罪に手を染めたような時でも

場合によっては警察である仲間がそれをもみ消してしまう。。


例え逮捕されたとしても

今度は弁護士や検事が罪が軽くなるように誘導する。


そんな事を社会のあらゆる局面で繰り返し

一般人には見えない特権階級とも言える立場を守っています。


例えば医師がそんな人間達の仲間であったような場合は

もしも本来手術が失敗して

それが医師の責任であるような場合であるような時でも

その非を認めることなく


手術後に患者が死ぬような事があっても

それは患者の体力や病に問題があったと誘導すれば

医師はその罪に問われる事も無いでしょう。


そんな時に暗躍する可能性があるのもやはり警察だと思います。


医師と警察の中に共通の利害関係を持つような人間がいる場合です。

勿論これは医師と医療機関に限った事ではありません。


例えば警察組織内部に職権を利用して特定の人間達を

擁護しているような人間がいれば


一般庶民が犯罪の存在を主張しても

警察はその存在を隠蔽する事で仲間を守る事が出来るわけです。

(例えば宗教や人種に関連して仲間をかばうような場合です)


実際は犯罪が存在してそこに被害者や犠牲者が居ても

それを犯罪として認定しなければ良い訳です。


例えば死体を発見した時でも

警察はそれが殺人であったと気がついても


自殺や自然死であると処理をしてしまえば

殺人事件は隠蔽される事になります。


そしてまさにそんな事がこの日本ではまかり通っていて

多くの殺人と言う犯罪を隠蔽しているわけです。


現実に死亡した人間の親族の手によって

後日警察の判断が翻され

殺人事件が暴かれるような事が頻繁にあります。


ここでは、記事の医師が意図的に殺人を犯したと言っているのではなくて

例えば結果的に医療ミスで死なせたとしても

それを認めないで隠蔽すれば結果は一緒であると言いたいわけです。


死ななくて良い患者が医療処置をされた結果死に至った。

そこには勿論原因があるわけですし

それを徹底追求する事が警察の役割にもなります。


しかしながらもしもそんな警官が

医療機関と繋がっているような人間であったら。。。

特定の人間達を擁護する立場の人間であったならば。。。


事実は歪められ、一般人は無自覚のまま憂き目に遭う事になる。。

それは彼らにとっては認めたくない事実であるから。。。


隠蔽する事で自分達の利権を守る事が重要だからです。


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警察署に保管してあった遺族側の物証に当たるものが

ある日突然消えてしまった。


通常であればまかり通る話ではありません。

でもそれが現実に起こったわけです。


当たり前の事を推理すれば

それが偶然無くなったというよりも

誰かの手によって意図的に処分されたと考えるべきです。


そしてその事で得をする人間は一体誰なのか??


今回であれば患者を死なせた医療機関でありますし


証拠の保管場所が場所だけに

証拠を隠したのは警察署の内部の人間である可能性が高そうです。


だとすればその人間はその医療機関と何らかの共通の利害関係を

持っていたのではないかという想像も出来ます。


警察にしろ医師にしろ

以前は一般庶民に信頼されていたような人間達が

実は今は一番当てにならないと言う状況。。。


これが今の日本の実態なのです。


権威に弱い日本人は社会的地位のある人間の事を

過信しがちでありました。


しかし現実に今の日本では社会的地位が高い=信頼できる人間ではない。。


社会的地位が高い=金か権力を持っている象徴

でしかないのだと言う事を私達は認識すべきなのです。



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P.S.


そう言えば最近多い自殺報道で

「室内に争った後が無い」

という言葉を頻繁に聞きますが


例えば殺人事件でも犯人の力が強ければ

一方的に被害者を押さえつける事もできますから

そこには争った後など残りませんよね。


遺書などいくらでも偽造も出来ます。

合鍵だって簡単に作れます。


部屋に鍵がかかっていたから。。

争った後が無いから。。

遺書があったから。。。


といって自殺と断定されるのであれば

殺人者達はその準備を整えてから

殺人を実行すれば殺人は全て自殺や事故や自然死にすることができますね。。


何でも疑いの目を持って見なければ真実が見えてはこない。。。

信じられないような恐ろしい実態が日本には存在していると思います。