友人は宝だね 自称戦士の休息 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

今日二つ目の記事です。

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近隣の部屋に出入りする基地外朝鮮工作員

やりたい放題。


特権階級は何をしても警察沙汰になることもない。


科学力を使用して人を殺しても

警察は自殺や病死で済ませてくれる。


これでは日本の治安が良くなるわけが在りませんよね。


治安が良く見えるのは悪人たちが

皆犯罪を表立ってやらなくなり、地下にもぐっているというだけの話。


全てが目に見えれば日本は危険だらけの国なのです。

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帰省した時の話でチラシの裏なので、軽く流して読んでください。



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私の場合書いている内容が内容だけに

創価朝鮮関係者からの被害は激化する事も多いですし


そんな人間達が被害者や理解者を装って近寄ってくる事も頻繁にあります。


しかも味方だと信じていた組織の人間が

信用できないと言う事に気が付く事も頻繁にあり


何かと失望させられる事も多いのですが

そんな事を繰り返すと流石に自分の心はどんどんと荒んでいきます。


少し前には、止めとばかりに、

以前懇意にさせてもらっていた被害者が

何故か突然私を叩き出しました。


(その裏で何が起きているかも想像がつきますが)


そんな事もあり今では被害者に関しては誰とも関わりたくありませんし

最近では心から笑う事ができる機会も殆どありません。


頭の中は常に戦闘モード。


他人を見る時も出来るだけ冷静沈着に

尚且つ常に疑いの目で見つめるようになっています。


そんな人間が生きていても勿論楽しい事など何も在りません。


室内では24時間科学力の関与を受けていますし

住んでいるアパートは勿論の事、近所も工作員や関係者で一杯。


(最近引っ越して行った部屋もありますが
新たに越してきた人間もいます)


肉体でぶつかり合って戦っているわけではないので

そんな敵だらけの環境の中でも何とか生きていますが

心は一時も安らぎを感じる事もありません。


これは勿論私だけではなくて、

組織的犯罪に自覚して今でも戦っているような人間の共通の意識ではありますが

一般の人にしてみれば理解しにくい状況。


マスコミや加害者関係者に日本人の多くが騙されて

平和な日本を暮らしている中で


気がついてしまった人間は今この瞬間も

この恐ろしい現実の中で過酷な環境に負けないで戦っているわけです。


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私は先日、田舎に帰って来たのですが

実はいくつか自分なりの目的を持っての帰省でした。


勿論ここでも最悪の環境を覚悟していたので、

例え一時でも肉体的にも精神的にも楽に成れるなどという

甘い考えは持ってはいませんでした。


それ故に電車の中に工作員が紛れ込んでも、

付きまといを大量増員されて取り囲まれても

科学力の関与を受けまくっても


「ほら来た」程度の事にしか思いませんでした。


恐らくは加害者達にはその事は予想外で、


私が被害から逃れられるとか

精神的な安らぎを求めれるとか

甘い事を考えているであろうから


それを逆手に取る事で私を失望させたかったのだろうと思いますが

私にとっては全てが想定の範囲内。


最悪の事態を想定していれば何も落胆する事もありませんし

今の私は誰にも何にも期待してはいません。


つまりは何人も私を落胆させる事は出来ないわけです。


私のような立場の人間の中には

そこまでの覚悟を持っている人間もいるという事を

彼らには恐らくは理解できないのだと思います。


奴らは自分達が組織という傘の下で守られているからです。


今回の帰省で強いて予想外だったとすれば

義理の親父の住んでいる環境が

予想以上に酷い状態になっていた事ぐらい。


(加害者と協力者であたりを見事に囲まれていましたし

その中にはヤクザものも数人いたようです)


それ以外は特に驚くような事もありませんでしたし

(あとは弟の人格変貌が加速化したぐらい)


私をがっかりさせたかった人間達は

随分と悔しがっているのかも知れません。


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今回私が一番の目的としていたのは

昔可愛がってくれた親族にお別れをする事と

稚内の街が如何に変貌したのかを確認する事。


そして自分の義父の正体を確認する事と

更には家族の洗脳されている度合いを確認する事でした。


本音を言えば友人に会いたいと言う気持ちもありましたが

中学時代や高校時代から仲の良かった友人の多くは

札幌に住んでいるか行方不明であります。


稚内にいるはずの仲の良かった友人はたった一人だけ。


そして正直言えばその友人にも会わないで帰った方が良いかと

思っていた位なのです。


理由は勿論、私と関わる事で迷惑を掛けてはいけないと思ったから、
更にもしも友人が変貌していたら
落胆はしなくても流石に寂しい思いをする事になりそうだったからです。


しかしいざ稚内に帰って見るとその友人に無性に会いたくなって

二日目の昼間には、

恐らくは自宅事務所で働いているだろう事を予想して尋ねて行きました。


高校時代には酒盛りの場所になっていたその友人の家。

どう変貌しているかと恐る恐る行って玄関で声をかけ


出てきた友人の前でサングラスをはずして顔を見せると

以前とまるで変わらないままの友人がそこにいて

「おお!入れ入れ」と昔ながらの対応。


実はその友人とは、
私の結婚式に遠路はるばる山梨まで来て貰った時以来

19年ぶりの再会でもありました。


勿論年賀状のやり取りはありますがそれだけでした。


私は友人達には薄情者で通っていると思います。


仕事で頭が一杯になると例え近場に友人が居ても会う事も殆どありませんし

誘われても酒なども殆ど付き合いませんでした。


北海道に関しては遠かった事もあり

20年間の間に帰ったのは日数にしてたったの7日程度。


しかも帰ったのは一度は結婚のために妻を親族に紹介しに戻った時と、

三年前に義父が倒れた時ですから

友人に顔を見せるような時間もありませんし

札幌などに寄ってゆっくりする事も在りませんでした。


結婚式の招待状を貰いながら

仕事や経済的な事情で出席できない事も頻繁で


挙句の果てに最近は転居を繰り返したので

私の消息を知っているのは友人では10人程度です。



しかしながら、中学時代そして高校時代

更には大学時代と、

私の人生をサポートしてくれたのも間違いなく友人達。


組織的犯罪の加害者達が私をマークしながら、
若い頃の私にはあまり手を出せなかったのは

そんな友人だらけの環境が幸いしていたのだとも考えています。


(それでも今から考えればですが、科学的な関与は

大学時代には頻繁に受けるようになっていた気配があります)


それが社会に入り結婚して、

身近には友人と言える存在が殆ど居なくなっていた頃から

組織的犯罪も確実に激化していたのだと思います。


つまりは私が友人と言う身包みをはがされた事で

彼らは関与をしやすくなった。。。


被害者を孤立化させるという奴等の手口は

そっくりそのままそんな環境とも同調していたようです。

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今回の帰省では、

友人がまるで昔のままの応対だった事もあり、

私の戦闘モードは間違いなくそこで一旦途切れました。


五時間程度の交流ではありましたが


その間感じたのは若い時そのままの、

友人との交流を心から楽しんでいる自分の姿でした。


ホンの一時ではありましたが

私は人間の心を取り戻したわけです。


そしてその事が逆に

如何に自分が普段荒んだ心で日々過ごしているのかを

認識する機会にもなりました。


ただ、もう一つ考えた事。。。


恐らくは世の中には仕事や日常生活が忙しくて

その時の私のように、心底楽しい時間を過ごしていない人間が

山ほど存在しているだろうなと言う事です。


そして楽しみ方も忘れてしまい

笑い方も忘れてしまい、


気がつくと能面のような無表情の顔をした

自分を鏡で見つめてもそれに何の違和感も感じない。。。


恐らくは私だけではなくて

大勢の日本人がそんな状況に置かれているのではないでしょうか。


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世の中で一般に呼ばれている”友人”とは一体何を指し示すのでしょうか。


社会の中で暮らしていけば誰であっても

嫌でも多くの人間と関わることになります。


会社の同僚と気があって一緒に酒を飲んだり

一緒に出かけたりするような事も在ります。


ただそのような付き合いが心からのものなのか?

そんな人間達は友人と言える存在なのか?


同僚だから関係を良く保ちたいという意識に拠る付き合いであれば

同じ友人といってもその質は違ってくると思います。


近所で交流があり、気まずくなりたくないが故に

交流するそんな事だってあります。


そんな人間達との付き合いは

職場を止めれば、引越しをすれば、

当然終わることになります。


最近は子供達がとても薄い人間関係を築いている事も

何となくですかが想像できます。


メールを送って返すまでの時間でその友情の強さがわかるとか

メールの返事がなくて交流が壊れるとか


そんな薄氷の上を歩くようなそんな付き合いが

今の人間同士の当たり前の関係になっているようにも見えます。


しかしながら本当の友人と言うものは

形式ばったり、体裁を気にしたり

関係の悪化を気にして付き合うようなものでは無いと思います。


私は社会に出てからは良い友人に恵まれませんでした。


それは自分らしさが出せないで殻に閉じこもっていたためなのかも知れませんし

組織的犯罪によって風評被害を受ける立場にいたからかも知れません。


しかしながら学生時代までに出来た友人の数は少なくはありません。

私は本音で腹の中をさらけ出して語るので

それが心地良いと感じてくれた人間とは直ぐに親密に成れたのだと思います。


腹を割って話す。


これが私や私の友人の基本的な姿でした。


当然社会に出れば本音で話すという機会は少なくなり

多くの人間が建前を語って生きていく事になります。


そんな中でもいつまでも友人で居れるような人間達は

会えば常に昔のままに腹を割って話が出来るような人間であると思います。


そして本音で語る事こそが

人間同士の距離を一気に縮めるきっかけに成ると思います。


私は今後はもう友人が増える事は無いと思います。

(本音を語る気がないからです)


しかしながら今まだ一般市民と関わる事の出来るような人たちは

是非これからも良い友人を作ってこれからの人生を送ってください。


日本には心から本音で語れる友人を持てないような人間が

山ほど存在しています。


その代表が組織的犯罪を繰り返している、

創価在日朝鮮関係者の中の反日関係者です。


彼らはある意味強い絆で結ばれています。

それは組織からの絶対的な支配と民族への拘りです。


しかし彼らの持っている人間関係は
上司、部下、同志という関係であり


恐らくは本当の友人関係のような心の絆など存在していないと思います。


そこにあるのは民族や組織の連帯感。


それは人間が心を豊かにしていくための

糧になるような意識ではありません。


そして現に彼らは金持ちであっても

心貧しい人間達の集まりです。


例え日本が全て彼らの思い通りの世界になってしまったとしても


せめて日本人だけは、心から信頼できる出来る友人を

持てるような心を持ち続けて欲しい。


そしてその信頼を裏切る事なく受け止める事の出来る心を持ち続けて欲しい。


(今の私は持つ事の出来ない感情ですが。。)


そんな人間が存在し続ける限り
日本と言う国は決して終わる事はありません。


心ある人達が日本中に大勢存在している事を信じ、
日本の未来が良い意味で変貌する事を夢見ています。


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P.S.


実のことを言えば、

今回会ってきた友人は帰化人の子孫の可能性の
高い人間でもあります。


苗字もそうですし、実家の宗教は日蓮宗だと言っていました。
親父さんは一時、創価学会にいた事もあるそうです。


しかしながら私とその友人が昔築いた人間関係は

そんな事では変わる事は無いと思います。


(ましてその人間は普通の日本人として生きている人間で

私に言わせれば被害者の可能性が非常に高い人間でもあります。)


人間同士の本来の関係は結局は損得を抜きにした個人と個人との信頼関係。


人々が以前通りのそんな付き合いを繰り返していれば
組織や他人に誘導されて妙な対立を引き起こす事もなかった。


私はそう思います。


人間同士の絆を壊し続けるよう

誘導している人間たちがいる。。


そして今でも人間同士の絆は壊し続けられているということを

忘れないで欲しいです。



ほんの一時ではありますが
安らぎを感じる事が出来たその一日。。。


私にとっての最後の休息だったかもしれませんが
本当に幸せな時間を送る事が出来ました。


友よ、ありがとう。。。。