親切心 前編 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

今日の記事は二つです。

もう一つの記事は被害者でなければ判りにくいかもしれませんが

工作員が繰り返すスパイごっこと風評被害の話です。


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昨日は昼間が何時に無く科学力の関与が弱かったのですが

夕食後には再び激化。


汚い話ですが、トイレ妨害もひどい物で

腹が張っているのに

30分粘っても小便も出ない状況にされました。

(結局寝る前にはトイレはいけませんでした)


要するにその特定の場所を科学力の使用で詰めたわけです。


今朝も朝から胃腸中心にマイクロ波を食らっていますし

左手の痺れも続いています。


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どうも、身勝手なユダヤ傀儡、創価・朝鮮軍団の手による

被害者の口封じが続いているようです。


奴等の暴走の被害自覚者に被害を主張させないためにてっとり早いのは

被害者を精神異常者扱いしてその主張から一般人の関心をそらす事。


奴等の常套手段は、殺すか精神異常者に仕立て上げるか

それとも圧力で押さえつける。。


そんな選択になるかと思います。


俺と一年以上メールでやり取りしている大阪の被害者がいます。


女性なのですが、昨年働いていた会社を解雇されました。


その理由も、同じ職場の人間がいきなり

「あの人とは一緒に働けない」と騒ぎ出したためです。


どこかで聞いたような話ですが

私も過去に数回同じ目に遭っています。


要するに創価信者か朝鮮関係者が、

嫌がらせをしても会社を辞めない被害者に対しての

最終手段の一つとしての行動では無いかと想像しています。


この方はその後職探しをしても次の職が見つからず

母親と二人暮しなので生活保護の申請を考えているそうです。


その事で役所に出向くと

生活保護を受ける条件は何故か

彼女が精神科に行く事だと言われたそうです。


精神科に掛かったとなれば身障者同様

生活保護が受けやすいという話でなくて


被害者だから口封じするためにも

精神異常者扱いできる状況が必要だと考えての

申し出だと想像しています。


つまりその役所の窓口は

メーソン傀儡の創価や朝鮮の息の掛かった人間だという

可能性が高いのです。


福祉課などの窓口に創価学会信者が多いと言う話は

良く知られています。


勿論本人そんな事は承諾できず

母親と揉めている様な状態ですが


生きていかなければならないとなれば

その要求を甘んじて受ける事もありえるわけです。


本人が経済的に家族に依存しているような時は

家族から固めて口封じを図る。


時には強制的に精神科へと誘導し

被害者の主張の信憑性を落とす。。。


それでも屈しない人間には経済封鎖によって

生活保護へと誘導し

その条件として口を封じる事を強いる。。。


創価学会狂信者や反日朝鮮人の実態を知っている方は

本当の意識異常者が奴らである事は判ると思います。


でも奴らは今のこの日本社会の特権階級の人間であり

権力者に従う人間達です。


本当の異常者達が野放しにされてその悪事を糾弾しようとする人間を

風評被害を流してはその主張を封じる。


姑息な人間達の姑息な手段。

俺は黙ってみている事が出来ません。


今度本人から承諾得れたら

その姑息な役所の名前でも

でかでかと取り上げてやりたいと思っています。


これが日本の見えないところで起きている

口封じの実態。


自殺や死へ追いやられずに住んだ人間は

今度は奴らへの服従を強いられる。


異常者が正常者を押さえつけて

支配するこの異様な世界を貴方はどう思いますか。


でもこれはSFの話でも作り話でもなくて

貴方の直ぐ隣で起きている現実の話なのです。


そして貴方も何時こんな事に巻き込まれないとも限らない。


欲に駆られた腹黒い人間達と

頭をカルト洗脳された人間や意識異常者たちが


自分達の利益のために

正常な人間を陥れる世界。。


そんな世界に自分が生きていると言う事

是非認識しておいて下さい。


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ここからが本題です。


優しいということが日本では美徳になっていると思います。

もともと日本人は他人に親切です。


困っている人間が居れば手を貸しますし

頼まれれば嫌と言えない人間も多い。


そして弱者と言われる人間には

皆が揃って親切であろうとします。


老人や子供そして身体障害者は勿論のこと、

社会的弱者であると認識すればそこに手を伸ばしてくれる人間も多い。


国内でも被災が起きれば救援物資や義援金が山と集まりますし

チャリティーやボランティアにも参加する人間も多い。


世界を探しても日本人ほど親切な人間は

他のどこの国にも居ないのではないかと思っています。


でもこの親切というもの、そして優しさとは一体何なのでしょうね。


その行動の原点となるものは

他人を助ける事で得られる他人との連帯感かもしれませんし


人の役に立つ事が出来るという

満足感に繋がる意識かもしれません。


もしかしたら心から純粋な

他人への思いやりの感情なのかもしれません。




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他人に親切であろうとする。

これは日本人の多くが昔から持っていた自然の意識だと思います。


日本人はこの日本という国土の中で

そこで共に暮らしている人間達と協力し合い生きているという意識を

常に心の中に持っていたのではないかと想像しています。


何かを成し遂げるにも一人ではできない事が

他人と協力しあう事で達成する事もできる。


そして人に協力するという行為は

他人に協力を受けた事のある人間として当たり前の行為で

皆が他人に協力してもらう事で何かを助けられた経験を持っている。


無意識のうちに他人との連帯の重要性を感じていて

それが人のためだけではなくて


回りまわって自分のためにもなるという事を

感じていたのかも知れません。


そしてその親切な心というものは

他人との関わりが重要だと感じるが故に重視される行為であり、


人と人との繋がりが軽視されるような時代になれば

その親切心というものも変貌してくると思います。


自分と第三者の関係が親密であると考えるからこそ

誰もが強く持っていた可能性の高いその無意識の親切心。


人間同士の関係が希薄になれば

親切心も弱くなって居く事も想像に難くありません。


そして現に日本では以前と比べると

その親切心というものは

どんどんと希薄になりつつあると思います。


(それでもまだ日本人が親切であることは間違いありませんが)


とりわけ都会で暮らしていると感じる事も多いかと思いますが

他人に関しては無関心な人間が多くなっています。


人の多い都会ですからその辺を歩いている一人一人の人間に気を使って

生きていくわけにもいきませんし

個々の人間の存在感も希薄なのでしょうし


人間一人一人に思いやりを持って接する事は

難しくなっているのだと思います。



でも日本人は時々は心の中で眠っている大きな親切心が

目覚める事があります。


災害を目の当たりにした時の日本人の他人への思いやりは

その持っている親切心を呼び起こされているように見えますし


そんな時に日本人の優しさを見ては

こちらが心温まるような事も多いです。


でも私はこの親切心なるものには

正直危険性を感じています。


自然に湧き出る他人への思いやりこそが親切心だと思うのですが

現実の日本ではその親切心なるものが

歪みつつあるように見えるからです。


歪むと言えば大げさですが

心からの親切心でない親切が世の中には蔓延している。。


悪く言えば親切にする事が義務付けられたり

何か利を得ようとする人間が他人に親切を装う行為

国内で急増中のように見えるからです。


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私は本来はどちらかといえば親切な人間ですでした。

(今は親切とはいえない状態です)

電車に乗っていて老人が居れば席を譲る。。


物を落とした人が居れば一緒に拾ってあげる。

頼まれれば嫌といえないタイプでもありましたし

もしも時間や金に余裕があればボランティアもすると思います。


子供の頃はカブスカウト・ボーイスカウトに所属していて

ボランティア活動を手伝う事も多かったですし


人を助ける事は当たり前だと、

子供の頃から祖母に教育されていた事も関係しているのかもしれません。


そして本来あるべき親切というものは、

自分の性格や信念、価値観のような物によって自然に湧き出てくる

見返りを求める事のない物であります。



人として、そうある事が当たり前であると言う

意識に元ずく行動のようなもので、そこには打算はありません。


もしも打算があるのだとすれば

それは人が喜んでいるのを見て自分が嬉しくなるという

自己満足のためかもしれません。


でもそれは決して悪いものではありません。


でも今の世の中では親切心は

危険な意識になりつつあります。


他人の親切心に付け込んで自らの利益を得ようとする人間が居たり、

以前は一般人が当たり前に持っていた親切を

法や慣習で規定するような動きが見られるからです。


それは勿論、騙しであり詐欺でありますし

福祉行為であり弱者救済運動の存在です。


同じような意識を持っている人間同士の間であれば

親切心が利用される事もありませんし

その意識を利用して騙される事もありません。


人はいつまでも他人に親切で居る事ができますし

親切は日本人の美徳であり続けたかもしれません。


でも今の時代は人間の意識は

限りなく身勝手になってきています。


人と助け合い協力して生きていく。。

そんな意識を持った人間が多く存在していたからこそ

皆が持ちえた親切心でありますが


今の世の中には自分が良ければそれで良いという

身勝手な人間が急増中なのです。


そして人々の心にゆとりがなくなっている事も

親切心を失う原因になると思います。


時には自分を犠牲にしてでも

他人を助けたいという素晴らしい人間をに見かけますが


多くの場合は、まずは自分がある程度満たされる事が

他人に親切で居れる事の前提になっていると思います。


自分の心に余裕がなければ

他人の事を思いやる事もできない。。


自分が荒んでいる状態で

他人に親切にする事などできない。


心の荒む人間社会が

日本人の心の中から親切心を奪っているのだとも居えます。


でも単に親切心を失ってしまうだけであれば

まだ問題は少ないのですが


更に心が荒んだ人間達が居て

その人間達は他人の親切心を利用しては

自らの利益を得ようと狙っています。


心が荒み人の親切が理解できなくなったり

人に親切にできなくなることは

誰だって経験のある事だと思います。


この時点では人の親切心は

まだ廃れたとは言えません。


でも親切心を利用されて

自らの権利を迫害される事でも経験すれば

その親切心は壊されていく事になるのかもしれません。


親切心を持つ事で他人に騙される。。


そう学習する事で人は今の私のように親切心を忘れるかもしれない。


悪人達の存在が日本人の心をも変貌しているのだと言えそうです。


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少し脱線します。


他人の親切心を利用する事で利益を得ると言えば詐欺ですが、

最近では”振り込め詐欺”などが有名です。


子供や親族の名前を語っては

困った振りを装い、ターゲットからお金を騙し取る。


他人の親切や親族への愛情を利用して

そのまま商売にしている典型だと思います。


金を出した方にしてみれば

「身内が困っている助けてあげなければ。。」


という親切心があってお金を出すわけですし

それに対して見返りを期待しているわけではありません。



結婚詐欺が良く取り上げられますが

あれは相手が身内であるという意識による場合は

振り込め詐欺と共通するものもありますが


多くの場合は、好きな人間のためだから。。

結婚する事ができるから。。

という意識が心のどこかにありそうです。


投資話の詐欺の場合、親切心ではなくて

金を設けたいと言う欲がどこかにあるからこそ

騙される事になりますし


その意味では詐欺=親切心を利用とは言えません。


しかし少なからず身近な人間に親切であろうという気持ちや

身近な人間への親切心が、

犯罪者に利用されている側面がある事は間違いなさそうです。


更に慈善事業の存在。


困っている人間に愛の手を。。


とても素晴らしい事をのたまっては人々からの

支援を受けているような有名な組織の中には

ユダヤ・メーソンの偽善の片棒を継いでいるような組織もあります。


人のため、と言いつつ金を集める行為が

実は人のために行われているのではなくて

実際は自分達の評判をあげるために行われている。


そんな事もあるわけです。


ユニセフがそんな良い例です。

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人の心が荒む中で親切な人間の存在は

一段と目立つようになっていると思います。


心が荒んでいるからこそ

そんな親切な人間の存在は都会のオアシスにもなり得ます。


人間同士の交流でも

冷たい人間よりは暖かい人間のほうが好まれますし

親切な人間が好かれるであろう事も想像がつきます。


でもその親切な人間と言うものは演じる事も可能です。


本音と建前を使い分けするような人間にしてみれば

他人の前で良い人間、親切な人間を演じるのは当たり前の事なのです。


先述の詐欺師などには、

親切だったり社交的な人間が多く存在しています。


繕った表の姿に優しさや暖かさを感じ

人を惹きつけるわけですが心の中にある感情は

実際はまったくの別物です。


親切と言うのは演じる事が容易なのです。


そして現実では、親切な人=良い人とは限らず

現実ではぶっきらぼうであっても実際は

心の温かく親切な人間も居るわけですが

その心を他人は知る事ができません。


目に見える表立っての姿だけが

今の私達の他人の判断の材料になっているからです。


本当は他人を評価するにも

親切心を評価するにも考えなければいけないものがあると思います。


でもその親切心が一体どこから来ているものなのかと言うことです。。


昔同様に人間同士の関係を考えて

自分の美徳として自分の良心に照らして

自分にとって当然の事として他人に親切な人間も居ます。


でも今の社会には

偽善者が溢れているのです。


本音と建前がまったく異なり

本当は腹黒い人間でありながら表では善人の様に振るまう。


そしてそんな人間こそが

今の社会を崩壊していて居る現況なのですが

私達はその事になかなか気がつく事ができません。


表の親切な姿を鵜呑みにしてはその本当の目的を

知ることなく騙されている。。


私達が目に見える親切心を重視している限り

その傾向は続くことになるのです。



続く