コーヒーブレイク 愛情たっぷりの人生 | 不幸のブログ 

不幸のブログ 

三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

今日は俺の戯言・ぼやきです。


コーヒーブレイクにでも読んでやってください。




俺のアパートで

昨日は深夜に引越しがあったようです。


不思議な引越しでトラック二台で越してきたようですが

引越し車が来ると何故か下の部屋や隣の部屋でも

慌しく物を移動し引きずる音が聞こえて来ます。


出かけるので、詳細は後日。

被害内容も変わりつつあります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

最近は少しばかり政治の話ばかりに偏っていますが

やはり今の日本にとって一番の危険はそこにあると思います。


だからどうしてもそこには触れずには居れませんし

最近は右脳への刺激が多いためか

目に見えるような話が中心になってしまっています。


でもいつも言いますが目に見える脅威よりも

目に見えない脅威の方が危険なのです。


という事もあり、政治に関して言えば

中国やアメリカの脅威だけではなくて

朝鮮半島の脅威をしっかりと感じてくださいね。


彼らは日本に同化する事で

日本人の目をごまかして日本を誘導しているのです。


輿水氏が復活したようで。

取り敢えずは体にお気をつけ下さい。


でも相変わらずですが

どうして日本と韓国や中国との友好に拘るのか

俺には理解できないのですよね。


統一教会を北朝鮮の工作員として

取り扱っていますが


朝鮮半島の複雑さを一番良く理解しているはずの人間が

何故に韓国KCIAと統一教会の関係には触れないのでしょうか。


北朝鮮に全ての罪を擦り付けても

日本は決して良くはなりません。


韓国や中国は日本にとってよき隣人と言えるのでしょうか?


身近に存在し続けながら、未だに日中友好とか日韓友好とか

アジア友愛とかそんな言葉を取り上げなければ

友好関係を作り上げられないような国々との関係に

何故にそこまで拘るのでしょうね。


先日言いましたが

友好関係など気が付くと出来上がっているものです。


長年付き合いがあったもの同士が、

「今から仲良くしましょう」

といって今更始まる関係でもなければ意識して盛り上げる物でもない。


マスコミ報道で故意に誘導する物でもありません。


それが出来上がっていないのは

日本の中に中国や朝鮮半島に対する違和感があるから。


そして中国や朝鮮半島の人間に反日感情があるからです。


日本を開放してアジアの香港のようにでも作り上げて

便利な空間にしてしまうようなそんな発想は

俺には認める事は出来ません。


ロックフェラー大王だけでなくて

ロスチャイルド大王を叩いてはくれませんか。。




日本を少しでも良くしたいと思う方

工作妨害されまくっている俺のブログを

是非応援してやって下さい。




人気ブログランキングへ ←これをクリックしてやって下さい。



にほんブログ村 政治ブログへ ←これをクリックしてやって下さい。


----------------------------------------

----------------------------------------


正直言えば最近心が壊れかけています。


自分に向けてこられる無数の悪意の存在に

すっかり嫌気をさしていますし


身近な人間もが奴らの餌食にされていると言う現実が

そんな心の荒みに拍車を掛けています。


この現実世界には偽りが多すぎる。


嘘がまかり通る世の中で

嘘を真実だと信じて疑わない人間も山と存在しています。


でもそれが洗脳であると言っても現実の嘘だらけの世界を

正しいと信じて生きている人間にとっては

そちらの偽りの世界こそが本当の世界。


嘘を常識として持っているという意識も無ければ

それに疑問を感じる余地さえ無くなっているのかもしれません。


多数の人間がそれが正しいと考えれば

嘘であってもそれが真実として扱われる。


目覚めて欲しい、洗脳を解いて欲しいといっても

恐らくは変人扱いされるのが関の山。


彼らが全てを理解するのは

恐らくは地球が危機にでも陥った時か

自分自身が死んでしまった後かもしれません。


私に言わせればマスコミの暴走は続いていますし

マスコミによって植えつけられた偽りの常識は

私達の脳の中で深く皺に刻み込まれ

今や脳にとっては完全な常識となっているようです。


マスコミ洗脳が酷い人間に至っては

マスコミが報道する事は全て正しいという視点から

思考回路が働く事になります。


基本回路に既に致命的な誤りが含まれるのですから

そこから正しい答えが導き出せるはずもない。


本当はそこから理解して貰いたいのですが

そういう人間ほど私のような記事を見ると

眉唾にしか見えないのでしょうね。


そんな人間達を誘導できるような記事を書きたいと

思うのですが一体何をどうすれば理解を受けられるか。。


最近はそんな事ばかりを考えています。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


二年前にこのブログ記事を書いていた頃と比べ

すっかり心が荒みきった自分が今ここにいます。


その頃から読んでくれている方は

恐らくははっきりとその事が見えているかと思います。


加害者の悪意に反応しては苛々を繰り返す。


最近はそんな私に対して加害行為を繰り返してくる人間達が

朝鮮半島関係者である確信が掴めてからは


今度はそれに対してのアレルギー反応が

随分と強くなってしまいました。


本来の自分は好き嫌いこそあっても差別はしないし

人を憎む事も有りませんでした。


以前は気の毒に思えた身障者や

いたわりたいと思ってみていた老人さえも


そんな行為に参加しているのを見れば

いたわりの心もなくなります。


元々は温情タイプで、平和主義で

争い事を見ると仲介に入りたくなるタイプのおせっかい。


でも最近はそんな自分がしっかりと揉め事の渦中に

入り込んでいるようです。



先日13日は私の46回目の誕生日でした。

日本では嫌われる4という数字

そして西洋では嫌われる13という数字。


そんな組合わせの日に生まれたという事もあり

昔は自分の不運さをそんな誕生日に生まれた故だと

思う事もありました。


うる星やつら”諸星あたる”

設定では4月13日の金曜日の仏滅に生まれた事になっていますから

それを考えると未だマシではありますが

出来るものなら今月なら8日にでも生まれたかった物です。


でもこんな中年の親父でも

”子供は子供”と今でも気にかけてくれる母親からは

毎年誕生日には決まって電話が掛かってきます。


そして子供の頃に私を不自由な思いをさせたとか

苦労をさせたとかその度に謝られ恥ずかしいやら困るやら。


私が生まれてまもなく離婚したらしいのですが

その結果その後直ぐに母親が再婚し私を祖父母に預けて本州へ出て行ったために


義理の親父家族と私が一緒に暮らすようになるまでの七年間、

両親の愛情が無い状態で育った私の事をとても気にかけていたようで、

今でもそんな事を気にしては口にします。


親にしてみれば、こんな親父になった私でも

何時まで経っても自分の生んだ子供。


そして子供は何時まで経っても子供以外の何者でもなく

親は子供が自分の首にしがみ付いて泣いていた頃の事を

何時まで経っても忘れる事がない。


親の子への愛情は本来そういう物だと思います。



私は七歳まで殆ど両親と暮らす事無く

お寺で祖父母の下幼少期を送りました。


優しくて何と言っても穏やかな祖父と

それよりはエネルギッシュではありますが同じように人の良い祖母。


そして時々寺に戻ってくる母の兄弟達に可愛がられ

両親がいなくても寂しさを感じる事はありませんでした。


一家の最初の孫と言うこともありますし

父親が離別したという事もあり、


ある意味私が不遇な境遇だと考えていた一家は

命一杯の愛情を私に注いでくれていたのです。


私は溢れんばかりの愛情に囲まれて幼少期を育ちました。


そしてそんな親族の優しさにも、

一家の血を引いている事にも心から感謝していますし


私が実は鬱陶しいぐらい愛情たっぷりの

人間に育ったのはまさに母方の一家の血と

そこで幼少期から受け続けてきた愛情のためでもあると思います。


そしてこの鬱陶しいぐらいの愛情を

妻と出会ってからは妻に命一杯注いでしまった物ですから

妻は正直とても鬱陶しく思っていたでしょうね。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私の交流のある被害者男性に

”愛情が良く解らない”という方が居ます。


それは自分が人を本気で好きになる経験が

殆ど無かったからであり


そんな愛情を感じかけた相手を

失ったからだという話でした。


確かに人間そういう傾向はあるかもしれません。


愛情たっぷりの環境で育った人間は

不思議と同じように愛情たっぷりに育つ傾向があるようです。


それは他人の愛情を体に吸収する訳ではなく

愛される事でそれに答えようとする自分の心の中から

やはり愛情が湧き出すからではないかと思います。


そしてそんな愛情なるものを一杯感じて育った人間は

恐らくは自らも多くの人間を愛する事になる。



芸能人でも浮き名を流すような人間がいますが

確かに身勝手や軽薄な側面もあると思いますが


その一方では恐らくは他人への愛情一杯に

溢れているそんな人間も多いのではないかと思います。



実は私は子供の頃からとても惚れっぽい男でした。

そして友人に対しても情が厚いタイプでもありました。


いつもクラスの中に好きな女の子がいて

そんな事ばかり考えて暮らしていた事もありますし

友人とはそんな話でばかり盛り上がってもいました。


今から考えるといつも遠くから見ている片思い専門で

自分からの求愛が成就したのは

妻に対しての想い、只の一回だけです。



でも不思議な物でそれが片思いであっても

いつも好きな女性がいるというその事だけで

日々の生活が楽しかった事を今でも覚えていますし


子供の頃の思い出は

いつも私が想っていた女の子とセットになっているようです。


私のような鬱陶しい男に想われた女性達も災難ですが


別にストーカー行為をするわけでなし

他人に想われる事、誰しも悪い気はしませんよね。


そして人を愛する事は自分の心を豊かにする

そんな側面も有るような気がします。


その意味でも私の心は今は荒んでいるのかも

知れません。


悪意を感じ偽善や偽の友情を感じ

それに全て気が付けば心も閉ざされ

人への愛情どころでは無くなります。


唯でさえ心の広くない私のような人間であれば

ましてそれが顕著に現れる


そしてそんな感情はそのまま文章にも現れる

から困り物です。



ーーーーーーーーーーーーーーーー


実は何でこんな記事を書いたかというと

半ばオカルトと思われそうですが


ユダヤ・イルミナティー(メーソンの方でなくてもっと上の組織)

が一番嫌いな物はではないかと

先述の被害者からのアドバイスがあったからです。


噂に拠ればユダヤ・イルミナティーの大好きなものは

混沌に怒りに憎しみの感情だと言います。


そんな感情は人間の心を豊かにするどころか

どんどんと荒ませる種でもあります。


そしてその感情は人間同士を争わせる原因にもなりますし

それがユダヤ・イルミナティーの目的だとも言います。


そう言えば彼らによって刺客を送られたと言われる

ケネディー大頭領も愛情たっぷりの人間だったといいますし、


同じく刺客を送られたと言われるジョンレノンも

晩年は愛と平和を歌っていました。


マイケルジャクソンは子供達への溢れんばかりの

愛を持っていましたし


日本で言えば尾崎豊さんは若者に愛を語っていました。


そんな人間達が人々に与える様々な影響が

彼らにとってはとても邪魔だった。。


そんな話も聞こえてきます。


「だから奴らと対峙するには愛が大切かもしれない」

その被害者はそう語っていました。


確かにユダヤ・メーソンにしても

友愛を語ってこそいますが


愛情というものは最初に提示してから

それに感情を注ぐような物ではありません。


内面から勝手に溢れてくる物ですし

それにどうやら一番大切な愛情は

一方通行でも相手を思う気持ちのようです。


自己満足のための物ではいけないようです。


そしてユダヤ・メーソンの言っているような愛は

恐らくは偽善という仮面をかぶった愛情の事。


人の温かい心から自然に出てくるものではなくて

規定してそれを形式的に実行するような物です。

弱者保護の福祉や人権擁護がまさにそれです。


その意味では宗教的でもあるかもしれません。


私に愛を語ってくれた方は

要するに私には敵をも愛せるような

広い心を持って欲しいという気持ちを含ませて

話をしてくれたのだと思います。


確かに聖書のその部分の記載が本当であればイエスは


汝の敵を愛せ


と語っています。


でも私などは心の狭さゆえに

愛すべき人間を愛せなくなりそうなその程度の人間ですから

まして敵の事など愛せるわけもありません。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


心が荒み捲くり

他人への愛情が乏しい人間である今の私には

愛など語る資格は無いと思ってはいます。


でも確かに愛情が人の心を豊かにする事は

身にしみて感じてもいます。


それも見返りを求めるような愛情ではなくて

相手への思いやりとして心から自然とにじみ出てくる

そんな愛情です。


今、大人だけでなくて

子供だって心が荒みつつある時代に

私達は暮らしていると思います。



親子や兄弟であっても時には憎しみあい時には争う。


そして先日の集会では

殺人事件として処理されている事件の半分が

その犯人が家族や身内だと亀井さんが言っていました。


その原因の多くが恐らくは経済的なゆとりがなくなることによる

心が狭くなるというお金がらみのものや、


自分の心にゆとりが無くなっているが故の

小さな行き違いだと思います。


でも愛情に関してはお金の豊かさとは

必ずしも比例はしないと思います。


お金があったほうが心も余裕が持てるので

愛情もわきやすい事も否めませんが


金が沢山有るからといって

家族関係が良好とも限りませんよね。


ぼろは着てても心は錦。


そんな気持ちの持ち方が

私のような人間には大切なのでしょうね。




愛情一杯かけて育った子供は

自分が親になったときにはその子供に

同じようにたっぷりの愛情を注ぐような人間になれると思います。


未来の子供のために未来の日本のために

子供には愛情たっぷりな親でいてやってくださいね。


親になれなかった何時までも子供としての

立場しかもっていない私ですが

自分の親の姿を見ていて学べる物がありました。


児童虐待の親が児童虐待の子供を作るような

そんな連鎖が在るようですが


愛情深い親が愛情深い人間へと子供を育て上げる

そんな連鎖こそ今の日本には大切なのだと思います。




日本を少しでも良くしたいと思う方

工作妨害されまくっている俺のブログを

是非応援してやって下さい。




人気ブログランキングへ ←これをクリックしてやって下さい。



にほんブログ村 政治ブログへ ←これをクリックしてやって下さい。