キリストは来ないだろう その2 | 不幸のブログ 

不幸のブログ 

三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

今日は寝ている間に頭と胃腸に喰らい捲くった科学力の所為で

朝から頭がガンガン、胃腸はむかむかしていて

落ち着くまで大変でした。


ベレンダにタバコを吸いに出かけると

今度は普段は見かけない黒いバンが別棟の駐車場に止まっていて

出てきた男がこちらを意識しながら頭に手を乗せるそぶり。


本当にくだらない人間たちです。


そう言えば、明日は久しぶりに

テクノロジー犯罪ネットワーク

参加してこようと思います。


最近の様子を見て来ようというのが一番の目的。

そして他の被害者と会う予定もあるので。。


今回が最後になる可能性が高いので、

テク犯会員の被害者で俺に興味がある方は

是非声をかけてやって下さい。


出かけるときは寝不足にされる事が多いので

寝ぼけた顔をサングラスで隠しているかも

しれません。



そう言えば博士の独り言首位奪回喜んでいて

もう1つ書き忘れていたのですが


よーめんさんのブログが

輿水氏のブログを抜いてくれました。


とても良い傾向だと思います。


よーめんさんが、日本人の左に偏重している意識を

もっと右寄りに修正し続けてくれる事、期待しています。


忙しい中ブログ更新頑張って下さい。

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阿修羅で見つけた記事で

タイトル

「俺の部屋に毒ガスを撒くな」


http://www.asyura.com/mg0003.htm

http://www.asyura.com/mg0004.htm


シックハウス症候群で科学物質にやられて病気になった方の

話ですが


要するにそれを故意に引き起こされているのが

俺の受けている薬品被害と言う事です。


悪意一杯のこの世界。。

日本は一体どうなるのか??


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http://blog.goo.ne.jp/pandiani/e/53874d93092f9a2c8d9ba31e18c29c4e?fm=rss

厳選!韓国情報


日本で親しまれている”そめいよしの”桜の花は

実は韓国済州島がその起源なんだそうです。。。。。。

イヤー知らなかったな(苦笑)


勿論否定の意味で取り上げている記事です。


このサイトは韓国文化や世評にとても詳しくて興味深いですね。


日本文化で目立つものはいつの間にか全て

韓国起源にされてしまうようです。。


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以前紹介した色々痛いニュース

とても興味深い記事が取り上げられていました。


http://itainews.com/


インパクトがあるのでそのままコピーペーストさせて貰って

紹介します。



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市営住宅

暴力団員一掃に警官

北九州市


2010年3月25日 06:28


 北九州市は、市営住宅の暴力団員排除を徹底しようと、暴力団員の退去や入居阻止に従事する「適正入居指導官」に、警察官1人を4月から追加配置する方向で、福岡県警と協議を進めている。


 市によると、24日現在で暴力団員29人が居住している。現行の指導官は市の嘱託を受けた県警OB1人だけで、市は「警察権を持つ現職も派遣してもらい、市営住宅から組員の一掃を図りたい」としている。


 市は2008年2月、市営住宅条例を改正して暴力団員排除を定め、指導官を置いた。



 市は入居者などの情報を県警に照会し、暴力団員と判明した場合、退去するか、暴力団を脱退するかを勧告し、新規入居は拒否している。



 こうした業務は一般職員には危険性が高すぎるため、指導官が前面に出て対処している。


 市営住宅は約3万3千戸。これまでに入居者43人が暴力団員と判明し、指導官の交渉で13人が退去し、1人が暴力団を脱退した。ほか1人の入居を拒否したという。



 退去の交渉に全く応じない暴力団員も多い。


 市は「公費で建設した市営住宅に暴力団員を住まわせるのは市民感情にも反する。現職警官なら相手への効果も多く、期待している」とする。





┗【`Д´】┓三
 
暴力団員の9
在日朝鮮人
かエセ同和


公営住宅に住み
生活保護
遊んで暮らしている





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とても興味深い内容です。

組織的犯罪の加害者も生活保護の人間が多いのですよね。


生活保護で生活を安定させた上に他人に

日本人に集団ストーカーを仕掛ける。。

とんでもない話だとは思いませんか?


日本人の税金が日本人排除に使用されているような物なのですよ。。。



日本を少しでも良くしたいと思う方

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今日は俺の寝言を聞いてやってください。

とりわけ宗教関係に興味のある方。

気分を悪くする事なく聞いてもらえれば幸いです。


俺は決して自分が良い人間だとは思っていませんが

でも少なからず極悪人ではありません。


でもそんな俺を攻撃してくる人間達がいて

宗教関係者も多い。


そんな現実を見ていると宗教に批判の目を向けたくもなります。


増して宗教はユダヤ・メーソンが利用し捲くっている事も事実。


ジャーナリストのBさんは

カトリック教会に牧師として多くのメーソン会員が

もぐりこんでいた事実をコメントしていますし、


カトリック牧師による児童虐待(性的なもの含む)の実態を

取り上げていた人間達もいます。


日本でも妙な韓国のキリスト教牧師が

信者女性に性的暴行を加えていたという事件

数回取り上げられていますね。


今はキリスト教世界でも何かが起きている。。。

それだけは間違いないと思います。


今日は荒み捲くっている自分の心を落ち着かせようと

精神的な記事を書いていたら

やはり宗教的な話になってしまいました。


寝言だと思って読んで貰えればと思います。

でも是非参考にはして欲しいです。


因みにキリスト教に批判的な記事になりがちなのは

俺がクリスチャンになる寸前まで行った人間であるから

キリスト教にはある程度知識があるから。。。


そしてキリスト教の知識がある人なら

余計に今の世界を正しく理解して貰えるのではないかという期待からです。


クリスチャンを侮辱しているわけではないので

気分を悪くした方は勘弁してくださいね。


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今、私達は擬似黙示録の世界を生きています。


それはキリスト教の聖典である新約聖書の

一番最後の章にある世紀末世界の予言の世界。


でもこの黙示録は予言がそのまま現実に起きているわけではなくて

その予言を成就しようという人間達の悪意に拠って

作り上げられている偽の黙示録の世界です。


その世界においては嘘や偽りがまかり通り

真実の欠片も目にする事は出来ません。


そんな世界を作り上げている人間達の意識にあるものは

間違いなく悪意です。


でもその悪意が目に見えない状況に置かれているから

私達は人としての道を見えなくされているのだと思います。



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宗教が溢れる世界。


聖人が山ほど存在している世界。


でも現実には、世界中で人間の心が

今の私と同様にどんどんと荒んでいると思います。


子供を殺害する親、親を殺害する子供、

金が欲しくて他人の命を殺める人間。


金のためには法律も破る政治家。

金のために一般市民を犠牲にしている特権階級の人間達。


宗教が人を救うのであれば

人の心を満たして真実へと導く物であるのであれば


その宗教が世界中に蔓延している今の世界で

何故に人の心がこれほどまでに病むのでしょうか。


毎日のように聞こえてくる殺人事件や

TVの殺人事件ドラマにすっかりと慣らされて

私達の脳は人の死という物にすら鈍感になっていて、


生命の尊厳などという意識は

とっくにどこかに消えてしまっているようでもあります。


人に対する思いやりも消えますし

人に対しての優しさも失なわれています。


でもこれは恐らくは一部の人間に限った事ではなくて

私を含め多かれ少なかれ殆どの人間がその傾向にある。


生活に負われ、他人の事を気に掛けているような余裕もなくなり

その中で気が付くと孤独な自分の姿に気が付く。


でもその孤独を感じたくない故に

必死に誰かと人間関係を保とうとする。


でも荒んだ人間同士の関係は

心のこもった暖かいものからはかけ離れていると思います。



孤独感や不安から解消されたいと思い悩み

気が付くと新興宗教にのめりこんで居る人も居るでしょう。


でもそんな宗教にのめりこんでも

実際は何も変わっては居ない。


いくら奇麗事を言っていても

それを実践しているつもりでいても


宗教をしている事で心が本当に満たされる人間は

恐らくはごく僅かな人間だけ。


求めるべき物が現実世界での幸せであり、

自分が神に救われる事である以上、


本来到達すべき道とは別の方向へと意識は進んでいるのですから

何をしても心は満たされる事はなく、


満たされているのは組織に所属しているから

自分はひとりではないと言う意識だけ。


神を意識して心を高めるのが宗教であれば

本来組織に入る必要も無ければ組織の決め事に従う必要もない。


組織に所属してそこで満足感を得ているだけであり

組織の決め事に従ってそれで自分の行動を正当化させているだけで


それが人間の有るべく姿で有るかどうかというのは

全くの別の話だと思います。


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今の時代人間を集めようとすれば

精神的な快楽を与える事や苦痛を取り除く事が

何よりも簡単な手段だと思います。


多かれ少なかれ私達は不満や不安で一杯なのです。


不安を取り除く事が出来るのであれば

不満を満たす事が出来るのであれば

それだけでも人間を誘導するきっかけになります。


それ故に今の時代宗教やイデオロギーは

多くの人間を集める事が容易なのです。


皆が何かに悩んでいる、

皆が今の生活に満足していない。


だからこそそれを満たしてくれる物を

私達は無意識に探しているのでしょうね。


そんな時に優しい言葉を掛けてくる人間が居れば

好感を持つ事もあるでしょうし、

その人間に誘われればその誘いに乗る事もあるでしょう。


極端な話が、将来の生活に不安を持っている人間が

今の財産をどうにかして増やしたいと考えている時に


「元本割れはしませんよ。利息が年利30%付きます」


と誘われればその言葉を信じてお金を出してしまうかもしれません。


慢性の病気に悩まされていたり日常生活の不運を改善したいと

思っているような時に


「この宗教を信じれば病気も治れば幸せになれますよ」

と誘われればついその気になって

宗教を始めてしまう人間も居るでしょう。


そんな人間の小さな心の隙間に入り込む。。

それが悪魔の手口だとイエスは言っていました。


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私は以前から主張しているように無宗教の人間です。


でもこれだけ自分の心が荒んでいる中でも

人として何が大切なのかという事だけは理解しているつもりです。


ただ、自分という存在が小さすぎて

それを実践する事が出来ないで居るだけ。

そして勿論神という存在も信じています。


私にとって見れば神という存在は人格を持った存在ではなくて

宇宙の絶対真理のようなものです。


その真理に従って生きるというのが

恐らくは人間本来あるべき姿ではないかと想像しています。


そして歴史の中で現れた聖人たちは

恐らくはそんな神の真理を淡々と語った人間達だと思います。


彼らは神ではなくて私達と同じ人間なのです


ただ、1つ私達と異なっているのは

彼らは人間が生きていくための真理が一体なんであるかを理解していて

尚且つそれを実践して見せたという事。


その精神性の高さ、意識の高さが

私達凡人の目から見れば神々しく見えたのだと思います。



そして私の一番のお気に入りは

ご存知の通りイエスです。


何故に私がイエスがお気に入りかといえば

勿論1つには、偽善ではない本当の愛を

訴え続けていた人間であるという事です。


悪や心無い人間に対しては時には厳しく反応し、

その一方本物の弱者や弱き物

そして精神を高めたいと願う人間達を

本来人としてあるべき道へと導き、一方自らは悪と正面切って戦っていた。


最後は貼り付けられ殺害されるに至りましたが

誤った宗教であったユダヤ教を徹底批判して


圧力を掛けられようが迫害されようが

最後の最後までその自らの意志を変える事もなかった。


そんなイエスに本当の聖者の姿を感じているからです。


そしてイエスはユダヤ教と戦ったという点で

私達の先人でもあるわけです。


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私の主張ではキリスト教というものは

捻じ曲げられていると思います。


イエスは存在してと思いますが、

それを神格化するための様々な捏造が

聖書には存在しているようです。


イエスは恐らくは普通に人間であり

神の子としてこの世に生まれてきたわけではない。


他の人間よりも意識が高くて

それ故に神聖化される事もあったでしょうが

恐らくは奇跡なども実際には起こしては居ない。


そして恐らくは自らを神の子だなどとは

主張しても居ないと思います。


キリストを崇拝したユダヤ人の中には

ユダヤの神エホバの存在を打ち消すためにも

それを否定していたイエスに大いなる力を与えたいと考えた人間達が居たのでしょうね。


イエスは彼の死後聖書の編纂者達により

何時しか神の子と祭り上げられるようになったのだと思います。


(宗教という物が歴史上どのように取り扱われてきたかを知れば

その可能性はおのずと解ります。


宗教は時には国民を管理するための

規範として使用されていたものなのですから

ある意味法律の一種でもあったわけです。)


でも勿論当初はそこに悪意は無かったと思います。


ユダヤ人の中に根強く浸透していた選民思想

ユダヤの血を引き、エホバの神を信仰する144000人だけが

神に救われるなどというそんな身勝手な神への信仰を止めさせて


神はそんな俗物的な存在ではないと訴えるイエスの主張を広めて

パリサイ派のユダヤ人にユダヤ教の誤りを教えるためにも


イエスは只の人間ではなくてもっと力を持った存在。。

旧約聖書のモーゼのような存在でなければいけなかったのだと思います。


でも恐らくはイエス自身は宗教をしていたわけではないと想像しています。


単に宇宙の真理に照らして

人間はこのように有るべきだ

と主張していたのだと思いますが

それに賛同する人間達が彼を教祖化していった。


生きている間は兎も角

イエスの死後その主張は神の教えキリストの教えとして

何時しか宗教とされてしまったのだと思います。


恐らくはそこで一つ目の歪みが生じたのです。


イエスの訴えは宗教となってしまったからです。


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その後イエスの教えは宗教として

時には国家の教えとして浸透していく事になります。


勿論キリスト教の聖書の教えは

素晴らしい物では有りますが

現実問題そこには無理が一杯あります。


それがイエスの教えだけを編纂した物ではなく

後日手を加えられた物であるという点もその一つ。


更に言えば、心の教えは文章で100%伝える事が出来る物ではないのです。


解釈に拠っては派閥も生まれる。


現に世界にはキリスト教の会派がいくつも存在していて

それらがお互いに争っています。


そして同じような聖人の教えである仏教やイスラム教も、

宗教として経典が出来て教えが集約された事で

キリスト教同様の分裂がおきました。


更に世界では宗教同士や会派同士の争いが常に存在していて、

宗教の存在自体が人々の争いの元となっているのが現実でもあります。


とりわけ世界レベルで言えばキリスト教

日本で言えば日蓮の教えが争いの種になっているとも言えます。


勿論人がそれだけ惹きつけられるということは

そこには何らかの真理があるのだと思います。


しかし教えが宗教となり経典となった時点で

そこには歪みが生じ易いのも事実。


何故に神の教えを実践しているのであれば

そこに混乱や争いが生じるのか?


それ自体が矛盾していて真理からかけ離れているのです。


そんな事になってしまっている理由はひとつだけ、

信仰している教えの全てが正しくはなく

そこには偽が混じっているからです。


そしてその偽を混ぜてきた人間達は

宗教を利用しては人々を管理してきた時代の権力者であり


アシュケナージユダヤ人のような

危険な存在だったのではないかと想像しています。



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世界には多くの宗教があって

そこには決まって人格を持った神が登場しています。


その神は自らの教えをその口を持って示して見せて

人々に人間の有るべき姿を訴えています。


宗教ごとに人格神が存在すれば

神はそれと同じ数だけ存在する事になります。


そしてそれだけ人間同士の争いも増えると言う事に

繋がると思います。


それが現実の宗教の姿。


その多くが誤った神を信仰していると言っても

過言ではないのです。




ところで最近はそんな宗教団体が

集約されまとまって行く気配もあるようです。


その状況を作り上げたのは勿論ユダヤ・メーソンです。


彼らは全ての宗教の神の存在を認める事で

多くの宗教組織の理解をも得ているようです。


何で彼らが全ての宗教の神を認めるのか?


それは彼らが信仰している神が

全ての人格神の頂点に立っているという自覚があるからです。


人格神は神ではない

彼らはその事を一番良く理解しているのです。


自らを神と語る人格神は全てが偽善へと通じている。


そしてその究極の神を信仰している人間達こそが

ユダヤ教徒という仮面をかぶった人間達の信仰する神。


人はそれを悪魔と呼びます。


それはそのままユダヤ教のエホバとも通じる神。


神といっても人を真理へと導く神ではなくて

人間を結果的には堕落・破滅へと導くとんでもない存在です。


そして彼らはキリスト教やイスラム教そして仏教も

そんな神の教えへと今誘導している最中だと思います。


現にキリスト教やイスラム教はいつの間にか

ユダヤ教と同じ神を信仰している事にさせられてしまって居ます。


旧約聖書を聖典の一部として信仰している時点で

その信仰する神はユダヤの神となっているのです。

そしてローマ教皇はそれを公認してしまったわけです。



ユダヤ教徒を自称する人間達は

何時しかキリスト教の黙示録なる偽の章を作り上げ

聖書にもぐりこませ、


今ではその通りの世界を作り上げては

世界中のキリスト教徒に黙示録の到来を

予感させては人々を誘導している。


それに踊らされた人間達が

宗教関係者中心に今の世の中を狂わせている

それが今の世界の現実だと思います。


私は宗教を信仰している人間を批判する気は有りません。


宗教を信仰しようと思い立った時点で

何かを良くしようと言う意識がそこには存在しているから。。。


本来であれば私達一般人よりも遥かに神の真理に

近いところに居る人間だからです。


でもその神の真理に近いところに実は大きな分岐点がある。

その分岐点を誤ると結果的に180%違う方向へと進んで行ってしまう事になる。


宗教にはそんな危険性が在るのだと思います。


そして宗教を利用している人間達はその事を知っていて

増してユダヤ・メーソン達は自分達の神の居場所へと

そんな人間達を誘導しようとてぐすね引いて待っている。。。


何故皆がだまされるのか?


悪魔というのは常に悪い事をしているわけではないからです。


とても素晴らしい事を訴えては人々を魅了しながら

最終的には人々を不幸へと誘導する存在であるという事

理解して欲しいのです。


宗教をしている多くの人間達は

そろそろその分岐点で自らの進む道を決断したように思えます。


だからこそ今の世の中

はっきりと悪の姿が目立つようになったのかもしれません。


悪魔に心を売った人間達が増えている。



こうなると私達一般人が信じる事が出来るのは

自分の心だけと言う事になりそうです。



キリスト教徒に断言します。

残念ながらイエスはやってきません。

救世主の再臨はないのです。


イエスが居るとしたらやはり私達の心の中にだけです。


自分をイエスであると言っているような人間を

決して信じてはいけません。

そんな人間に助けを求めてもいけません。


助けを求めるから騙される。

そこに付け込む心の隙間があるからです。


信じる者が救われるというのは

宗教を利用する人間にとって都合の良い方便にすぎないのです。


天は自ら助くるものを助く


これこそがイエスの言いたかった真実だと思います。


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P.S.


アシュケナージユダヤ人の一番の嘘は

何かといえばキリストを白人であったかのように

描写する事です。


イエスは中東の人間ですし

アーリアやアッシリアでもなくヘブライ人。


彼は中東の人間のような肌か

アジア人に近い肌をしていたはずです。


ユダヤの得意技は真実に偽を混ぜる事で

全体を変貌させてしまう事。。


真実が多く混じればこそ

人はそれを信用しますし惹き付けられもします。


でもそこに偽が混ざる事で真実も歪められるのです。


その最たるものがキリスト教だと俺は思っています。



長い文章を最後まで読んでくれて

ありがとうございます。



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