新・コーヒーブレイク 無償の愛? | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

ブログのコメントの返事と

メールの返事


パソコンXP直り次第書きますので

お待ち下さいね。



又してもパソコン(XP)が動かない状態にされています。

そしてウインドーズ98を引っ張り出しての

更新となりました。


おとといは妻の誕生日そして形式上の

俺達の結婚記念日でした。


その日から昨日にかけて

攻撃が酷かったこともあり


非常に頭に来ているので

心無い創価学会と朝鮮関係者のこと

記事に出したいと思ったのですが


今日は怒りまくる前に冷静な状態で書いた記事があるので

そちらを更新します。


いつもの俺の、独断と偏見と

人によっては寝言だと言われるような記事とは

少し内容が違うのですが


今日も又ある意味、俺の寝言です。


でも今日や明日ぐらいは

心穏やかに暮らしたいなと思い

記事もそんな内容にして見ました。


そして自分も奴らに関与されにくいように

食事を抜いて暮らそうかと思っています。


俺の中では身近な工作員は悪魔認定。


そしてもしかしたら

以前コメントした

ユダヤ擁護のための人間が

しっかりと創価や朝鮮半島関係者に

紛れ込んでいる可能性も感じているのです。


そんな悪意の人間、悪魔の手下の邪悪な意識に対抗するために

時には清い気持ちになってみたいなと思います。




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聖なる日に。。。。


と言っても、勿論日本の多くの人間にとって

クリスマスは行事の一種であって

イエスの誕生日を祝う日ではありません。


でも何となくこの日が聖なる日に感じるのは

やはり長年私も皆と同様に受け続けている

洗脳効果のためなのかもしれません。


でも敢えて一年に一度ぐらいは

良い意味で洗脳に乗ってやろうと思っています。


清らかな思いを心に感じるのであれば

それがどんなきっかけであっても

それは悪ではないからです。


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イエスと言う人間の存在、

人によってその人格に対しての感じ方も違う事と思います。


クリスチャンにとっては神の子供であり崇拝の対象。

そしてユダヤ教徒にとっては憎むべき対象。


一般の日本人にしてみれば

キリスト教を広めた歴史上の人物。


もっと歴史に詳しい人には

架空の人物と考えている方もいます。


そして私にとってのイエスは一応は実在していた

志の高い模範とすべき人間です。



ただ、多くの歴史に詳しい方が

イエスの存在を疑っています。


その理由は聖書に記載されている

数多くの事象は


イエスの誕生以前から

神話や昔話として伝承されていた事が


そっくりそのまま引用されているという

事実が存在するからです。


マリアの処女懐妊。ベツレヘムの星の存在。

12の使徒の存在。

さらにはキリストが行ったと言う奇跡の存在。


全てはキリストを神聖化するための伝説であって

それは事実ではない。。。


キリスト教を絶対的な宗教として

国民を管理するための道具とするために

その時々で改ざんが加えられ


時にはユダヤ教徒によって利用されているのが

聖書というイエスの聖典の実態。



そう考えた時にイエスなる人物の存在すらが

疑われ否定されているのです。


でも私はイエスは実在した人物だと思っています。


そしてその人柄の一端は

やはり聖書の中で窺い知る事が出来ます。


と言っても彼は聖書にあるような

神の子でも預言者でもなく


一人の人間、心の清らかな人間として存在していたのだと

想像しています。


ユダヤ人として生まれながらも

ユダヤ教を否定し

旧約聖書の神とは異なる本当の神の存在を説いた。。


そして自らは人々に調和と愛を説いた人間。

それがイエスだと思っています。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



今の荒んだ世の中を見て

ここで一体何が起きているのか?

そう思い悩むような方もいるかと思います。


欲に捕われそれを追求するあまりに

他人をも害しそれに罪悪感も感じない。。。


同じ地球上で、お金も食べるものも無いために

多くの人間が死んで行っているという現実がある一方で


貪欲に金を求め飽食に走る人間もいる。


何で世界はそんな事になってしまっているのだろうか?

一体私達の心に何が起きているのだろうか?


そんな事を皆が一度は考えた事があるかと思います。



そして日本の中でも大勢の人間が

そんな現状に心痛めて

寄付行為をしたりボランティア行為をしていると思います。


でも残念ながらそんな意識を持って生きている方は

日本の中でも極僅か。


多くの人間は自分の事だけで意識が一杯です。


確かに自分が人並みに暮らしていない人間が

他人を思いやると言うのは難しい事であります。


でも人並み以上に暮らしていても

他人に思いやりを持つ事が出来ないと言うのが

今の世の中の悲しい現実でもあります。



では一体私達の心には一体何が起きているのか?

きっと何かが欠けてしまっているに違いありません。


そしてその人の心から欠けつつあるものこそが

恐らくは悪にとって一番邪魔なものであって

それこそが恐らくは調和と愛だと想像しています。


そしてそれこそがイエスも訴えていたと言われる

神の意識・法則と言われるもので、

もしかしたら人間にとって一番尊い物かもしれません。


(私の勝手な神観です)


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愛と言っても色んな形があると思います。

一番最初に思いつくのが異性との恋愛。


人を愛すると言う感情を強く実感するのは

異性に対しての感情として発現された時だと思います。


その愛が結ばれれば結婚へと移行し

そこに愛の結晶としての子供が実を結ぶ。


そしてその子供もいずれは成長して誰かを愛す。

そんな営みが人類史上、繰り返されてきたわけです。


更には家族愛。


同じ血を引く人間として

同じく空間で共に生活をしている人間として

そこには運命共同体とも言える独特の感情があると思います。


思いやりの心

助け合いの心

いたわりの心。。

それに繋がるものはやはり家族間の愛だと思います。


そんな身近な人間への敬意や感謝の気持ち

それがそのまま社会にまで反映され

隣人、友人、会社の同僚と

その意識が広がっていく。


そんな環境で暮らしている人間の心は

愛で満ちているのだと思います。


でも現実問題今の世界ではその愛は重視されません。


重視されないと言うよりも実際問題

愛と言う感情は限りなく減っているような気がします。


異性への愛、家族への愛、隣人への愛

それが減っている事を現実社会の人間関係が

そのまま示しているような気がするのです。


家族間での殺人事件がここ数年増えていますが

通常であれば自分の愛する家族をその手にかけるなどと言う

その行為自体が理解できません。


そこに家族間の愛や思いやりがあれば

起きる筈のないような事件が急増している。。

(MK-ウルトラもありますが)


理由は家族同士の人間的な繋がりが希薄になって

無機質になってきているのが

その原因の一つではないかと想像しています。


そしてそこには愛は存在しないのです。




最近は離婚が急増しています。


愛し合って結ばれ一生の伴侶として誓った人間達が

その価値観の違い、人生観の違いを理由に

次々とその絆を解いています。


価値観が違うこと、人生観が違うことは

結婚前にだって判っていたはずです。


人間誰もが違った価値観を持っている。。


でも人間同士が信頼関係を築くためには

時には相手の価値観をも尊重することが大切。


そして相手に対する思いやりだって

そこに愛情があれば湧き上がってくると思います。


でもそれが無くなっている。。。


例えば相手の事を思いやれば

浮気もやめておこうと言う気になるかもしれません。


相手の事を愛していれば一度くらい浮気をされても

許してやろうと思うかもしれません。


でも浮気に限らず離婚の原因は

恐らくは自分が一番かわいいと言う意識が

人間のどこかにあるからであって


それは自己愛に繋がるものだと思います。


そしてこの自己愛こそが今の社会を

破滅に導いている一番の元凶だと想像しています。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


誰もが自分が大切であると言う気持ちを

少なからず持っていると思います。


そして今の私達はその自己愛を

他人への愛だと勘違いしているのかもしれません。


おそらくそこにある感情は、

あくまで一番大切なのは自分であって


自分が満足感を得るために人を愛し

自分が満足感を得られないので人を愛せないと言うことに

繋がるものだと思います。


そして自分が一番大切だと言う感情は

時には人間を暴走させます。


自分が満足をするためには金が必要だ

そのためには他人の命など省みない。。


そんな意識が他人を騙したり殺傷したり

危害を加える原因にもなっていると思います。


自分可愛さで、本来なら自分同様に尊い他人に

平気で危害を加える事に違和感を感じていないわけです。


そして自己愛が強いと、

他人との関係を自分の損得で考えるようになると思います。



多くの人間がそんな感情を持って生きていれば

人の人との絆だって結局は全て損得勘定。


自分が満足するために

自己愛が満たされるために

人は人を愛している事になってしまいます。


そんな意識を持った人間がどんどんと増えれば

日本人の心も皆砂漠のような乾ききった状態になりかねません。


でもそれが今現実に都会を中心に起きているのです。

勿論それは意図的に引き起こされた状態でもありますが。。。。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


愛にはエロスアガペーの両方があると

倫理社会の教科書で学んだ事覚えています。


エロスとは肉欲に繋がるもので

若さゆえに愛と性欲を混同する時にも

強く感じる感情だとも言われています。


アガペーは無償の愛。

相手に見返りを求める事なく与えるだけの愛だと言われています。


前者は自己愛にも繋がるもので

それは人間の動物的な本能からの叫びでもあります。


後者はもっと高貴で、神の人間に対する愛に繋がる物だといいます。



そしてイエスが訴えていた愛というのはこのアガペー。

人が人に対して持つべき大切な感情だと言う事です。


全ての人間がそんな感情を他人に対して持つことが出来れば

この世界は本当の意味での平和になるのでしょうね。


そしてそれと同じ事をジョン・レノンも訴えていました。


ジョンの心情は愛と平和


言ってみればイエスもジョンもユダヤの一番嫌いなものを

世界中に向けて発信していたわけで


そんな主張をいつまでも彼らが見逃すわけが

無かったのかもしれませんね。


人々に愛が足りない。

それこそが人々を真の平和へと導くものだ。

もしもこれが事実だとしても

今の社会ではその事を叫んでも

おそらくは変人か偽善者扱いされるのがオチでしょうね。


でも出来るものならばせめて私達だけでも

それを実践できれば良いなと思います。


憎しみは争いを産み心を乱します。

でも愛は争いを排除し同時に精神も高めるものだからです。



悪魔が好むのが分割であり統治であり憎しみ、

神が望むのが調和であり愛だと言います。



宗教を信仰しているわけではない私ですが

神の存在は信じているので

無償の愛の実践、実行してみたいものです。


それを悪が嫌うというのであれば尚更の事です。


鳩山総理の如く”友愛”と叫ぶ

偽善者メーソンに対抗するためにも


私達は偽善でない”愛”を心の中で

叫んで行きませんか。


彼らが嫌いな行為を続けることは

悪への抵抗に繋がりそれ自体意味がありますし


それで自分や他人の精神を高める事が出来るなら

一石二鳥です。


そして悪意を持っていては暮らしていけないような

清い社会を日本に作り上げてやりましょう。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


メリークリスマス。


皆がクリスマスを心穏やかに過ごせますように。。。

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P.S.


俺は多くの人間から無償の愛を受けてきたという

自覚があります。


それは田舎に住む家族からであり

俺を助けてくれた被害者の方々からであり

そして妻からです。


身勝手で自己愛の塊のような俺

今こうして生きていれるのも


そんな方々からの無償の愛があったからだと思っています。



そんな方々の愛に報いるためにも

未熟な自分もそんな愛を心の中で実践して

生きていければと思っています。



では右の頬を出されたら左の頬を出すのか?

俺はそんな心の広い男ではありません。


そして皆もそんな事をする必要は無いと思います。


(そんなことしたら反日売国奴達のやりたい放題になってしまいます)


俺達はイエスや神様ではないのですから

自分の出来る範囲の事で良いのだと思います。



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