現在・過去・未来への祈り(2)~鎮魂 | 占い師TOMOMIの『未来は今を待っている』

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『墓場まで持っていく』という言葉がございますね。真実を、

秘密を自分の胸の中に閉じ込めたまま、死んでゆくという

一つの覚悟でございますね。そこには、事情は様々でも

「言えない何か」というものが存在するということですね。

「言えない」ということで「苦しみ」のニオイがそこにはします。

 

 

墓場まで持っていかねばならぬほどの秘密を抱えるような

人というのは、そう多くはないとは思います。それに「言わない

ままでいる」という苦しさに耐えられる人というのも、また

多くはないように思えます。どんな秘密でも、誰かに

漏らすことができるというのは、心を楽にしてくれるのでは

ないでしょうか?だからこそ、本当に「墓場まで持っていく」

などということができる人は…ちょっと怖いですね。

 

 

私のような「戦争を知らない世代」でも、終戦記念日などと

いうと「戦争で命を落とされた方々の魂が安らかであります

ように」という祈りの気持ちになりますね。私の祖母の弟は

戦地の病院で亡くなっています。母の話では、ある日祖母が

母に「今、○○(祖母の弟の名前)が死んだよ」と言ったそう

です。戦死の通知も何も来ていないのに。祖母の話では

弟が枕元に立って「姉さん、さようなら」と、挨拶に来たので

死んだことがわかったと言うのです。

 

 

戦争で亡くなった方のことを考えた時、戦争で命を落とした、

戦争で殺されたというように思う人が大半なのではないかと

思うのです。誰か特定の「敵国の兵士」という個人に殺された

というより「戦争」というザックリとしたものを「加害者」として

捉え、日本の国の為に戦ってくれた日本の兵隊さんは、その

「被害者」という感情です。

 

 

私だって、祖母の弟が戦地でどのようなことをしていたのかは

一切知りません。わかっているのは「戦地の病院で亡くなった」

ということだけです。そのことは私の中では「祖母の弟は戦争で

命を落とした」ということになっています。身内に限らず、戦争で

命を落とした人はみな、「戦争で命を奪われて可哀想に…」と

「全員が戦争の被害者」という思いで、その奪われた命に対して

祈っていると思うのです。

 

 

ですが、戦争で命を落としたのは自国の兵隊さん達だけでは

ないですよね?当然ながら「敵国の兵隊さん達」も大勢亡くなって

います。それは…日本の兵隊さんが殺したということです

よね?でも、終戦記念日などに戦争で命を落とした人達の

ことを祈る時、そのような事実は人々の心から抜け落ちて

しまっているように思われるのです。

 

 

例えばですが、交通事故の被害に遭うというのは大変辛い

ことです。こちら側は交通ルールをキチンと守り、何の落ち度も

なかったというのに、相手の不注意で怪我をさせられた、命を

奪われたなどということも起こり得ることです。しかしながら、

飲酒もしていない、無免許でもない、スピード違反もしていない、

変なクスリもやっていない、にも関わらず運転操作を誤り、交通

事故を起こし、不倖にも相手の命が失われてしまったという

場合、その「人の命を奪った」という苦しみはいかばかりの

ものでありましょうか?そして、そのような過去は…誰かに

軽々しく話せるようなものではないのではないでしょうか?

人に話せないということは、更なる苦しみを増すのではない

でしょうか?

 

 

「兵隊さん」とは言ってもプロの兵士という感じではなかった

のだと思うのですよ。普通のお兄さんやお父さんが、戦争が

始まって、赤紙で召集されて「兵隊さん」にされただけという人が

大半だったのではないでしょうか?そういう「普通の人達」が

戦争で命を落としたにせよ、生き延びたにせよ、「戦争」という

非常事態の中で「敵兵の命を奪った」ということに対する

罪の意識は、とてもとても拭い去ることができるようなもの

ではないと思われるのです。

 

 

「戦争」という経験を語り継ぐ時、爆弾を落とされたとか、

一緒に戦った仲間が戦地で戦死したなどということの

辛さは語れても、自分達が敵に対してしたことについては

口をつぐむのではないでしょうか?それは、正しく「墓場

まで持っていく」知られたくない事実なのではないので

しょうか?できれば忘れてしまいたい記憶なのではないの

でしょうか?そう思うことは当然なのではないでしょうか?

 

 

「国を守る為」とか「家族を守る為」などと、どうにか

自分の心と無理やり折り合いをつけて戦地に行かざるを

得なかった多くの兵隊さん達に、戦時下でも敵兵を

殺せば、それは「殺人」という罪だと…言えるだろうか?

日本の兵隊さんに罪がないのなら、日本兵を殺した

敵国の兵隊さんにも罪はないということになるけれど、

それは受け入れられるのだろうか?

 

 

私達が終戦記念日に平和を祈る時、「戦争で命を落として

可哀想に…」という意識だけではなく、口をつぐんだ兵隊さん

達の「過去を知られたくない」という抵抗感と、それ故に重い

重い罪の意識を、それこそを「戦後を生きる人間」が皆で

祈り、鎮めていく…それができないといつまでたっても

「戦争の傷」というものは癒せないのではないかと思うのです。

 

 

「あなたに罪はない。そして、敵国の兵士にも罪はない。

だから、安心してお眠り下さい。もう二度と戦争はしません。」

 

 

殺し、殺され、傷つけ、傷つけられ、勝った国も負けた国も

共に痛手を負った、その「戦争」というものを丸ごと「戦争を

経験した世代」と「戦争を知らない世代」が、敵も味方も

もうその罪の意識から解放されて下さいと、大きな心で

祈れる時、鎮魂の祈りで、祈る人達も救われる、心の平和を

教えられるのではないでしょうか?

 

 

原爆の被害を考えた時、「敵国の兵士にも罪はない」ということ

など、とても受け入れられることではないという人もいるかも

しれません。そういう人は別に無理をする必要はないと思うの

です。それぞれが、自分にできる祈りを見つければいいのでは

ないでしょうか?たとえ「知られたくない過去」をそっとして

おいて欲しいと思っている戦争経験者の魂も、誰かの祈りで

心が軽くなれば…それでいいのではないでしょうか。平和には

そういうことも必要なのではないかと思うのです。

 

 

 

 

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