壮大な政治ショーが終わって/【特別連載】わが心のキックボクサー②/他 | 舟木昭太郎の日々つれづれ

壮大な政治ショーが終わって/【特別連載】わが心のキックボクサー②/他


 
第1回キックボクシング・デーの詳細はこちら
 
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[随感]サミット&オバマ大統領
 ~壮大な政治ショーが終わって~
 ~オバマ大統領の黙祷に感じたこと~
[大リーグ]ダル、マー君、マエケン
 ~圧倒的な存在感ダルビッシュ~
[花]ワスレナグサとは
 ~花の名に秘められた悲しい物語~
[イベント]7・30「キックボクシング・デー」
 ~その日会場は小劇場となる~
【特別連載】わが心のキックボクサー②
 ~称えよ、せんばジム戸高会長!~
 ~せんばに稲毛忠治あり!~
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[随感]サミット&オバマ大統領 
   
壮大な政治ショーが終わって 
 
安倍総理、作・演出・構成の壮大なG7サミットのドラマは何事もなく終わり、最後は米国オバマ大統領の広島訪問というクライマックスで政治ショーは完結した。めでたし、めでたし。
 
伊勢神宮参拝もあった。玉砂利を踏むG7首脳たちに伊勢神宮はどう写ったであろうか。賢島からの英虞湾の風景はさぞ印象に残ったであろう。
 
印象深かったのはやはりオバマ大統領、スレンンダーな長身の体躯は、何処に立っても絵になった。初めて私は気が付いたのだけど、大統領の移動には同じ物を二つ用意するんだね。 
 
     
オバマ大統領の黙祷に感じたこと 

岩国基地からの大統領専用ヘリコプターも二機だったし、広島に着いてからの平和公園へのキャデラックも同じものが二台、ところでどちらに乗るのかは、テレビのリポーターですら分からなかった。まるで007の映画のシーンを見るようで、アメリカの遣ること為すことは凄い。
 
平和公園に到着するや、先ず原爆資料館に入っていったのは予期しなかった。献花の後は、やや長い黙祷で、大統領の後ろ姿にこそ暗黙のメッセージがあるような気がする。
 
回りくどい演説だったけれど、これは謝罪じゃないんだよ、というアメリカ国内向けの苦肉の策だったように思う。核廃絶謳ったけど、割と地味だったのは、背後にこんな事情があったからだ、と私は臆断した。
 
いまなお、原爆投下は正しかったという国民が半数近くいるお国、大統領が広島へ来ること自体が危険な冒険だったと、私は理解するね。演説を終えて、被爆者代表と語り合い、且つ抱擁したシーンは恩讐を超えた瞬間だったね。被爆者の寛容と寛濶さに心揺さぶられた。
 
安倍総理の誤算は、消費税延期の理由としたかった、リーマンショック以来の経済危機との主張しは、賛同を得ず虚しさだけが残った。でサミットの一連のデモンストレーションに費やしたお金は、600億だと!
 
テロの危険を孕むサミットだから、大目に見るとしても、たった三日のサミットのために建築したプレスセンターは、約30億、終わればあっさり取り壊したという。
 
どこぞの体育館を利用したり、経費節約法はあったはずだ。現にドイツはそうした。だから同国は財政が健全だ。見栄もほどほどに。為政者は国の財政が破綻していることをいつも心の隅に置いて政治(まつりごと)を行うべきだ。 
 
  
[大リーグ]ダル、マー君、マエケン 
 
圧倒的な存在感ダルビッシュ 

1年9か月振りにマウンドに上がったレンジャーズのダルビッシュ有は、パイレーツを相手に5回3安打1失点で勝ち投手。肘の手術の不安を払拭した見事な投球内容だった。
 
身体つきも一回り大きくなったように見受けられた。威風堂々としたマウンド姿に、圧倒的な存在感を私は感じた。平均150㌔を超すストレートが軸となり、変化球も活きる。MAX158㌔も!目指せサイ・ヤング!
 
田中もようやく安定した投球外手で、3勝目を挙げた。ヤンキースのエースとして、彼の活躍がとにもかくにもチーム浮上の命運を背負っている。
マエケンは、ここ二、三戦振るわなかったが29日(現地28日)のメッツ戦で快投して4勝目を挙げた。
 
大リーグの日本人投手は、レドソックスの上原もいて実に頼もしい。球場も絵のように素晴らしく、応援も洗練されていて、テレビを見ても癒される。大リーグをBSで観戦するは、私の老後の楽しみの一つになった。 
 
  
[花]ワスレナグサとは 
 
花の名に秘められた悲しい物語 

先般書き記したように、花の名前を間違えたことで痛く反省した私は「散歩の樹木図鑑354種」を購入したり、図書館で「散歩でよくみる花図鑑」を借りたりと早速知識の狩猟に取り組み始めた。
 
これほどの探求心、旺盛な知識欲が中・高時代にあったなら社会に出て、苦労せずに済んだものをと、今になって悔いる私なのです。
 
花図鑑を捲ったら「ワスレナグサ」のページで目が留まった。心ひく名前はなんぞ理由がありそうだと思ったら案の定、素敵なストーリーが秘められていて、私は詠嘆した。
 
花の名の由来はこうだ。中世ドイツの騎士が恋人のためにこの花を摘もうとして、川に落ち流された。騎士は、溺れながら咄嗟に花を投げ出して叫んだ。「私を忘れないで!」(vergissmein nicht)これが語源。「散歩でよく見る花図鑑」家の光協会=写真・文:亀田龍吉より。
 
何とも悲しくも美しい名前の由来ではないか。花言葉は、私を忘れないで。別名、フォーゲット・ミー・ノート。欧州原産の帰化植物で、中心部が黄色い美しい青色の花である。嗚呼、知ることは人生を豊かにするものよ。 
 
  
[イベント]7・30「キックボクシング・デー」 
 
その日会場は小劇場となる 

「第1回キックボクシング・デー」の骨格が7・30に向かって徐々に固まりつつある。当日は仙台から元仙台青葉ジム瀬戸幸一会長が、全日本二代目バズーカ岸浪氏ら4人で参加してくれることになった。
 
増沢潔さんとのトークが楽しみである。また瀬戸会長は仙台興行の折のパンフやチケットなど、オークションに出展する品を多数持参するというから、マニアにとっては垂涎だ。
 
元会長と選手には、とっておきのサプライズも企画している。宴会あり、トークあり、オークションありで2時間30分をOBにもファンにもたっぷりエンジョイしてもらう趣向だ。 
 
  
【特別連載】わが心のキックボクサー② 
 
称えよ、せんばジム戸高会長! 

人に歴史あり。千葉ジム戸高今朝明会長はキックボクシングの生き証人である。創成期から今日までキックと共に歩んできた。「キック馬鹿だねえ、つまり。アッハハ!」と笑いながら、キックボクシングとの関わりを語った。
 
「キックが旗揚げするというので、タイからタイ式ボクサー(ムエタイ)の選手たちが来日して、野口さんが盛んに最強の格闘技だ、空手なんか問題にしないと吹聴していた。それで我々は当時空手の道場を品川でやっていたもんだから、これを聞いて目黒の野口ジムへ殴り込みを掛けたわけよ、空手を舐めんなとね。6人で品川から目黒まで、走ってよ、カッカしてね」
 
かくてムエタイ戦士と空手の決闘となった。レフェリー役は野口恭さん(野口ジム会長)がやった。「その結果は6人共、あっという間にKOされて、これは凄いやと、脱帽して野口修社長にキックへの参加を申し入れたわけです」
 
昭和41年4月に旗揚げしたキックボクシングだが鳴かず飛ばずで、「42年4月26日、新宿体育館で、3階級の東洋タイトル戦を行い野口さんは勝負に出わけです。で、うちの菊池功が初代東洋ライト級王者に就いた。ミドルが沢村忠さんで、ヘビーが藤本勲さんだった。藤本と木下尊義は凄惨な頭突き戦で、流血の試合だったよ」
 
ジムの前身は国際ジム(ヒロ井上会長)だったが、その後戸高会長がジムを引き継ぎ、ジム名も千葉(せんば)に変えて快進撃が始まる。一躍千葉ジムが注目を集めたのは稲毛忠治の出現だった。
  
  
せんばに稲毛忠治あり! 

49年1月、後楽園ホールで乗富悦司(目黒)を下し日本ウェルター級王座に就くと、さらに51年1月、ポスト沢村の富山勝治を撃破、東洋同級王座も手中にした。
 
稲毛は、富山とは1勝1敗1分けと五分。長髪、もっさりした動きから一瞬の間に相手を叩きのめすファイトは、差し詰め”キックの眠狂四郎”だった。
 
フライ級王者にテクニシャンの佐々木小次郎もいた。小気味よいファイトは、いつも好感がもてた。フェザー級王者には佐藤元巳もいた。日本ムエタイ連盟時代の話は知らないので省く。
 
キックにのめり込んだ男、戸高今朝明会長はジムを引き継いで 半世紀、その情熱は些かも衰えずジムでスパーリング対抗戦を開催して、地元のファンを熱狂させている。
 
見上げたものである。キックボクシングが連綿と息衝いているのは、戸高会長のような一途な情熱家がいるからだ。これぞ肥後もっこす、戸高今朝明の人生の歩み方に乾杯!「7・30キックボクシング・デー」には是非参加して話を聞かせて頂きたい。
 
◎千葉(せんば)ジム:千葉市稲毛区小仲台7-7-12 TEL043-252-3446

 
咲いた咲いた、クジャクサボテン!
 

白いアジサイも雨に咲いた

  
  

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