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2016年07月25日(月)

残酷過ぎた世界戦 和気は5回にストップすべき/わが心のキックボクサー⑩山田ジム

テーマ:ブログ

<ご案内&御申込御礼>
7月30日(土)PM1時から渋谷区富ヶ谷「麗郷(れいきょう)富ヶ谷店」で開催の「第1回キックボクシング・デー」は、7月20日申し込みが定員50名に達しました。ここに御礼申し上げます。
 
当日は入場式などの演出がありますので、できるだけ御早めにお越しください。尚、ベルトをお持ちの方はなるべく御持参ください。
 
オークション品(パンフ、ポスター等)のある方は、御持参ください。尚、麗郷までの道順はチラシに載っております。不明な点は、アッパー(03-3469-0620)までお電話ください。
 
参加者の皆様には、心からお越しをお待ち申し上げております。
 
「第1回キックボクシング・デー」
代表幹事:竹井克彦
主催:株式会社アッパー

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[随感]防ぎようがないトラックテロ
 ~世界は益々物騒になった~
[季節]ミンミン蝉の初音
 ~梅雨明けはまだ?~
[歴史]キックボクシング旗揚げの切符
 ~重大なことが判明~
 ~何事も疑ってかかれ~
【特別連載】わが心のキックボクサー⑨西尾ジム
 ~キック旗揚げに貢献した西尾ジム~
 ~人気者ロッキー藤丸を生む~
 ~シュートボクシングと西尾ジム~
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[随感]トランプ、ドーピング、ポケモンGO
 ~すべては異常現象~
 ~結局IOCは腰が砕けた~
 ~ポケモンGOは危険な遊び~
[拳闘]残酷過ぎた世界戦
 ~和気は5回にストップすべき~
 ~リオスに似たグスマン~
[老後]私の老後の過ごし方
 ~老後は暇なんてとんでもない~
 ~清忙は養を成す~
【特別連載】わが心のキックボクサー⑩山田ジム
 ~山田ジムはムエタイの先駆け~
 ~増沢、フライングを生む~
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すべては異常現象 
 
アメリカ共和党の大統領候補はドナルド・トランプに正式に決まった。彼の演説はアメリカ至上主義、専らアメリカの利益優先、言うことは勇ましく面白く大衆受けはしようが、実際それでお国が成り立つか。共和党の人材不足もここに極まれりだ。トランプは大統領にはなれないと思うけど。 
 
     
結局IOCは腰が砕けた 

ロシアの国家ぐるみのドーピング違反は悪質極まりなくこれは十分な犯罪で、この際IOCは徹底的に膿を出し切るべきだ。ロシア全選手のリオ出場停止処分は勿論のことだ。4年前のソチ冬季五輪から行われていた、と世界反ドーピング機関(WADA)は結論づけている。共産国は、だから信用置けない。
 
IOCはWADAの報告を受けて断固ロシアを出場停止処分にすると思ったら、各競技団体に可否を委ねた。最後は腰砕け、ロシアは最初からこういう結論を見通していた節がある。これだから何年掛かっても五輪の改革はできない。違法薬物もやった者勝ちか。とんだ茶番!
 
  
ポケモンGOは危険な遊び 

スマホゲーム「ポケモンGO」は世界で異常な現象を巻き起こしている。日本でも22日に無料アプリの配信が始まり、海外ににも負けず劣らずの興奮状態だ。
  
これ本当に危険な遊びだ。道路を歩きながらポケモン探し、或いは自転車に乗ってスマホを操っている者もいる。本人は夢中だから、前方から車が来て、慌てて避ける、なんていうのはしょっちゅうだ。柱に衝突したり、そのうちに死人も出よう。危ない危ない。
  
歩道でも歩行の妨げになる。いやだねえ~。オジサンは、駅の通路や階段でスマホ片手に、ノロノロ歩くOLをよく見かけ、いつもイライラするので、これにポケモンGOが加わるのだから、また脳梗塞を起こしそうだ。観光地や繁華街でのポケモン探しは他人に邪魔にならないよう願いたいものだ。 
 
  
[拳闘]残酷過ぎた世界戦 
 
和気は5回にストップすべき 

IBFスーパーバンタム級王座決定戦、ジョナサン・グスマン(ドミニカ)×和気慎吾は、見るに堪えぬ残酷な世界戦だった。21戦21KOのグスマンの強打に、和気は2、3、5回とダウンを重ねた。
 
2回の偶然のバッティングで右頬が割れ出血したことは和気には不運だったが、やはり力の差は歴然で、2回に二度、中盤までに四度ダウン。誰が見ても勝敗の帰趨は明らかだった。
 
私は5回の終了時にレフェリーが試合をストップするか、セコンドがタオルを投入すべきだと感じていた。
 
選手には明日もある。あの頬骨亀裂骨折は傷が深く例え縫い合わせて、治っても縫目が固くなるからパンチを食ったら、忽ちまた開くだろう。多量の出血と戦局では無謀な戦であった。
 
それが11回2分過ぎにKOされるまで耐え忍んだことで、解説氏は「がんばりましたよ」と和気を褒めた。褒めれば良いというものではない。
 
大切なのは、的確な状況説明と視聴者に分かりやすい解説なのに、それもなく解説どころか、オーバーな独り言が多いのは嘆かわしい。
 
かつてTBSの解説者は郡司信夫氏に白井義男氏と具志堅用高氏もいた。重厚な布陣で、テレビのボクシング放送をリードしてきた。
 
そこにはボクシングは、神聖にして侵さべからずのスタッフの精神が脈々息づいていた。なのに同局はいつの間にかボクシング番組から崇高な精神は失われてしまった。昔の光いま何処。
  
  
リオスに似たグスマン 

グスマンは、具志堅が初防衛と5度目の防衛戦で戦ったハイメ・リオス(パナマ)に酷似するボクサー、ただリオスは軟体動物のように全身を動かし的を絞らせず、具志堅が苦戦した相手だった。
 
スキル(技術)の上ではリオスはグスマンを遥かに勝る。但し、強打という点ではグスマンが上だが、彼は、一流のチャンプではない。連続KO記録はあまり当てにはならない。
 
それが証拠には、中盤以降スタミナを消耗してもたつき、何度もキャンバスに尻餅をついていた。明らかにスタミナロス。攻めがラフ、ストレートが鋭利な相手には、脆さを露呈するだろう。
 
WBAフライ級戦、井岡一翔は、前半キービン・ララ(ニカラグア)を攻めあぐんだが、流石後半に入ると相手の動きを読み、スピード豊かなコンビネーションで、11回に仕留めた。井岡がここぞで的確なショートパンチを纏める。やはり非凡、卓越。
 
ララは往年のアルレドンドに似た選手で、空を掃く如きドスンパンチ。井岡には、遣り難いタイプだった。ゲスト長谷川穂積の解説は、端的にして判りやすくほどよいものだった。 
 
  
[老後]私の老後の過ごし方 
 
老後は暇なんてとんでもない 

平成14年8月に日本スポーツ出版社を退職して、休む間もなくアッパーを設立して、いつの間にか14年の歳月が流れた。もうそろそろフィードアウトする頃だと、最近は仕事の量を減らして好きなことをやっている。
 
ところが、仕事が減った分、時間がたっぷりあるかといえば、その逆で特に午前中は分刻みの動きで老後はゆっくりとなんて悠長なことはいっていられない。
 
通常4時45分の起床だが、夏場はサマータイムというやつで、4時20分には起きる。最初にやることは、二階に駆け上がり、仏壇と神棚に水を上げる。二番目は洗浄機から昨夜の夕食時の食器を取り出すこと。それから朝食の食器をセッティング。
 
ここまで約15分、その後、一階に降りて、仕事場のパソコンの前に座りメールをチェックして、5時5分には家を出る。近くの畑に寄り水遣り、5時30分には大山公園でストレッチ、太極拳を公園の片隅で愛好者と、それが済むと6時25分からラジオ体操。
 
7時前、再び畑に寄り、キュウリやナス、トマトを収穫。この季節油断していると、キュウリはお化けのように大きく成長するから困る。今年は例年になく次々にキュウリができる。
 
やはりたっぷりの飼料と、脇芽を細かく除去したせいかもしれない。余ったものは仲間に配ったり、ピクルスにしたりする。毎日キュウリ三昧。
 
7時10分ラジオ体操から帰宅すると、上半身タオルマッサージ、髭剃り、と一気にペースを上げる。洗い終わった洗濯物があれば、これを干すのも私の役目。終わるとやっと朝食だ。
 
パン(トースト)1枚、ジャムは、仏産のサン・ダルフォーのブルーベリー、焼いたハム、目玉焼き、畑で採れたミニトマト2個、バナナ半身、キウイにトマトジュース、ミルクコーヒーが朝の定番。
 
歯磨きは2本のブラシ、普通タイプと極細の仕上げ歯ブラシで入念にする。最後にクリニカで口をぐじゅぐじゅして終わる。このあと、ベロ出し、30回、舌を上部にタッチする運動も30回、ベロ回し20回で終了。これで早朝のメニューは完了。
 
 
 
清忙は養を成す 

習慣は第二の天性という、流れるように消化してなんら重荷ではない。その後もまだある。浴槽の掃除、毎日必ず私がやる。すべて完了するのが9時台、やっとパソコンの前に座れる。「清忙は養を成す。過閑は養にあらず」(言志四録=佐藤一斎)
 
11時になってうとうとして仕事が捗らない。そんな時は4~50分横になる。「I'M SO OLD I'M SO FREE」と老後は暇な時間がたっぷりあるやに想像していたら、とんでもない。やることが沢山ある。読みたい本も星の数ほどある。時間はないぞ!
ちなみにゴルフはやめた。暇がない。
  
すべては己の率先垂範、身体が自然に動く。「人生は後半戦の方が面白い」と誰かが言ったが、まさにその通り。午後は友人と会ったり、仕事の打ち合わせで新宿や神保町に出る。夕方畑に水遣り。「この幸せを味わいたかったら、早くあなたも老人になることだ」
 
夜は10時半には就寝する。早寝早起きの快感は、早朝の空気と風の囁きに勝るものなし。元気があれば何でもできる。その通り、食事もお酒も旨い。一日があっという間に過ぎ去る。今日の終わりは明日の始まり。
 
「ほとんどの人間が、この世の時間は使い放題といわんばかりに人生を送っている。情熱を封じ込め、夢を先送りしている。ところが本当は、人生はつかぬ間の贈り物であって、一寸先は闇なんだ。自分に残された時間があとどの位なのか、知っている者は誰一人いない」(賢者のプレゼント=ロビン・シャーマンより)  
  
  
【特別連載】わが心のキックボクサー⑩山田ジム 
 
山田ジムはムエタイの先駆け 

我が国初の本格的ムエタイジム。会長はタイ大使館職員山田正さん。ジムは目黒区恵比寿駅近くにあった。トレーナーは、TBSキックに参戦していたバイヨーク・ボーコーソ、通称トムさん。
 
ジムが設立されたのは昭和44年初春、つまり同年4月のNET(現テレビ朝日)がキック放映に併せて急きょ設立され、同ジムはタイ選手窓口として重要な位置にあった。
 
私も練習生としてジム創設には些か貢献した。当時私は、目黒駅前のパブ・オーシャンでバイトをしていて、店にタイ人がよく来た。その中に寡黙なトムさんがいて、ある日ジムを手伝ってくれと頼まれ、通ううちに何とはなしに練習生になった。
 
当時はまだ流行らなかった肘打ちや膝げりをトムコーチは徹底てきに仕込んでいた。その甲斐あって、山田ジムは、フライ級三浦進吾、J・ライト級フライング・ジャガー、ウェルター級増沢潔の3人の初代王者を生んだ。 
 
 
増沢、フライングを生む 

NETはキック放映をやめたのを機に、全日本系協同プロの傘下に入り、日テレと東京12の統一初代王者決定戦でも、J・ライトでフライング、ウェルターで増沢がチャンプに輝き山田ジムは、日テレ系として気を吐いた。
 
全日本系では黒崎健時会長のスパルタ指導で、目白ジムは向かうところ敵なしだった。これに激しく闘志を燃やしたのが山田ジム。ムエタイの誇りで、打倒目白に立ち上がる。
  
藤原敏男と階級が同じという点で、佐藤正信、土谷亮が真っ向勝負を挑んだ。とっておきの肘打ちを連発して、藤原を大いに苦しめた。
 
特に土谷は、肘で藤原選手の顔面を切りあわやTKOの局面を作ったが、逆にそれが藤原選手の怒りに火をつけて逆襲に遭う。両選手共遂にその牙城を攻略することはできなかった。佐藤判定、土谷3回KO敗。
 
佐藤は藤原選手が5度目の防衛後同タイトルを返上すると、その後難なく王座に就いた。山田ジムは、ムエタイジムの先駆けとして、キック史に残した功績は計り知れない。OBとして晴れがましい。
 
 
西原商店街夏祭りの子供たちの阿波踊り。

 
ひょっとこ連の颯爽とした阿波踊りは人気を博した。いよいよ夏本番!(23日)

  
ボランティアで今年もたこ焼ならぬたこ揚げを手伝う(24日) 
  
   

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2016年07月18日(月)

幻の日本キック旗揚興行は日本初の異種格闘技戦/【特別連載】わが心のキックボクサー⑨西尾ジム/他

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第1回キックボクシング・デーの詳細はこちら
<イベント申込は7/20日締め切り!>
7月30日13時からの「第1回キックボクシング・デー」(in 渋谷区富ヶ谷 ”麗郷 富ヶ谷店”)は、20日をもって締め切りとさせて頂きます。参加ご希望の方は、早めにお願い致します。

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[随感]防ぎようがないトラックテロ
 ~世界は益々物騒になった~
[季節]ミンミン蝉の初音
 ~梅雨明けはまだ?~
[歴史]キックボクシング旗揚げの切符
 ~重大なことが判明~
 ~何事も疑ってかかれ~
【特別連載】わが心のキックボクサー⑨西尾ジム
 ~キック旗揚げに貢献した西尾ジム~
 ~人気者ロッキー藤丸を生む~
 ~シュートボクシングと西尾ジム~
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[随感]防ぎようがないトラックテロ 
   
世界は益々物騒になった 
 
バングラデシュのテロも生々しいのに、今度はフランスのニースで花火見物客に大型トラックで突っ込み多くの死傷者が出た。これもISのテロだという。トルコではクーデター騒動、アメリカでは、黒人による警察官射殺が続く、リベンジはリベンジを呼ぶ、世界は出口の見えない混迷の闇に突入した。
 
特にニースでの惨事は防ぎようがないから困る。これからの季節は各地で、夏祭りが開催されるので、念には念の警備が求められよう。用心に越したことはない。馬鹿な輩(やから)がいるから、マネしないとも限らない。 
 
     
[季節]ミンミン蝉の初音 
 
梅雨明けはまだ? 

17日、ミンミン蝉の啼き声を聞いた。まだ梅雨も明けぬというに、一匹だけの叫びは何となく寂寥感漂う。お目当ての雌もいないというに。その後
ミンミン蝉の声は聞かれない。孤独しか。
 
今週末の23,24日は地元西原商店街の夏祭りで、たこ焼ならず、たこ揚げ(油で揚げる)のボランティア。もうかれこれ10年以上も続ける。
 
今年は代々木上原商店街の盆踊りと重なってしまった。従来は31日(日)だったが、都知事選挙ということで、繰り上げになった。毎年家内と楽しみにしていた行事だったから、残念。
 
いよいよ夏本番だ、海の日、九州地方~東海地方に梅雨明け宣言が出た。関東もまじかだ。日本の夏、オジサンの夏だ! 
 
  
[歴史]キックボクシング旗揚げの切符 
 
重大なことが判明 

弊社「アッパー格闘技博覧会」のトップページに超レアなチケットが展示されている。昭和41年4月11日、大阪府立体育会館に於ける日本キックボクシング協会の旗揚げ興行の記念すべきチケットである。
 
このチケットが貴重なものである、といったのは、実現すれば、ムエタイと空手の我が国初の異種格闘技であったからである。山田侃(ひろし)、錦織利明はともに日本拳法空手道(山田辰雄師範)門弟。
 
侃は辰雄師範の御子息であり、錦織はのちに日本テレビキックで、旋風を巻き起こすことになる錦利弘(本名・錦織利弘)なのだ。何故か、弘を明に一字変えている。あの錦がである。まかり間違えば、沢村にとって変わりTBSのエースになっていたかもしれない。
 
ところが、ラークレイ(タイ)とメインで対戦する手はずになっていた山田侃は、欠場、テーパリット(タイ)との対戦が予定されていた錦織も姿を見せなかった。結局、ラークレイとメインで戦ったのは沢村忠だった。
 
日本拳法空手道の高弟・小沼保氏はかつて私に漏らしたことがある。「選手が集まらないで困った野口さんは、連日のように道場にきて、選手を出してくれと必死でした。根負けした山田先生はタイ式が皆目分からず、承諾して実際タイ式の練習を見たらとてもうちの選手の技量じゃ勝てないない、と試合直前に断ったのです。」 
 
 
何事も疑ってかかれ 

従ってこのチケットは幻で価値が高い。恐らく5万円はくだらないと思われる。私も永年この事実に気が付かなかったのは不覚。
 
ある日、チケットをしげしげ見ているとると、可笑しいことに気づいた。旗揚げ戦に山田も錦織も出ていないぞと、よくよく調べてみるやっぱり出場していない。
 
民俗学者宮本常一は父親から「他人が見落としたものをよく見て歩きなさい」と言われたという。宮本は全国を歩き膨大な記録を残した。著書に「宮本常一著作集(51巻+別集2巻=未来社)
 
皆さんも、何事も一度は疑ってみてください。思わぬ発見の始まりになるかもしれない。それが歴史発掘、ミステリーな遭遇に繋がる。
  
  
【特別連載】わが心のキックボクサー⑨西尾ジム(文/村上桂) 
 
キック旗揚げに貢献した西尾ジム 

昭和40年代から50年代にかけて、日本系キックで唯一の大阪の ジムとして数々の名選手を生み出したのが西尾ジムであった。人気 者ロッキー藤丸の所属ジムとして記憶している方も多いであろう。
 
会長は西尾日出(にしお・ひでる)氏。昭和41年4月11日に野口修社長が大阪府立体育会館でキックの旗揚げ興行を行った際に、大阪で興行の実務を担ったのがこの西尾氏であった。それまで西尾氏は大阪野口ジムを大阪で主宰し、世界ランカーの染谷彰久を育てるなど野口社長同様ボクシング界でそれなりに実績を残した。
 
その後はキックに可能性を見いだしたのであろう、西尾ジムを開設した。ただし、当初は岡村プロモーションが窓口となっていた東京12チャンネル系に所属した。その辺りの経緯は不明だが、何年か後に日本系に移っている。 
 
 
人気者ロッキー藤丸を生む 

日本チャンピオンを獲得した選手は、ロッキー藤丸、ポパイ貞男、矢田勝士の3人。ロッキー藤丸(本名:藤崎修一)は昭和48年1月に丹野義彦(目黒)に判定勝ちしライト級王座を獲得。同王座は 同年4月に飛馬拳二に奪われたが、翌49年1月に飛馬から奪還。
 
同年12月に飛馬に判定勝ちし初防衛した後、翌50年1月に伊原信一に判定負けで王座陥落。その後階級をウエルターに上げてからも飛馬拳二や田畑隆に挑戦したが、ウエルター級を制することはで きなかった。
 
飛馬拳二は月刊『ゴング』のインタビューで、ロッキー藤丸は良きライバルだったと認めている。この2人で何度もタイトルを賭けて戦っているのだから当然であろう。
 
しかし、タイトルうんぬんよりも、ロッキーはトリッキーな試合内容で人気を博し観客を沸かせたことが特筆されよう。沢村忠。富山勝治に次いで150戦からのキャリアの持ち主であることを強調しておきたい。そのロッキー藤丸は大阪の地でいまひっそりと暮らしている。
 
ポパイ貞男(本名:佐藤貞男)は昭和50年1月にリュー千景から フライ級王座を奪取した。同年8月の初防衛でリューの双子の兄、ミッキー鈴木に奪われてしまうが、ポパイは西尾ジムが大阪野口ジムを名乗っていた時代からの選手。つまり元ボクサーだった。
 
矢田 勝士は昭和51年7月に伊原信一を判定で下しライト級王座に就く。兄弟子ロッキーが奪われたベルトを奪還した形になった。
 
チャンピオンにはなれなかったが、元プロボクシング東洋、日本ミ ドル級チャンピオンの権藤正雄も所属していた。ヘビー級のキックボクサーとして池野興信、斉藤天心らと対戦し重量級の迫力を見せた。
  
  
シュートボクシングと西尾ジム 

また、タイトル獲得はならなかったが2度バンタム級の王座に挑戦した中村正悟もいた。シーザー武志こと村田友文、黒沢久男、品田伊久夫(後年の力忠勝。西尾ジムではトレーナー専任)など後にシュートボクシングの中心人物となる面々も、当時は西尾ジムからリングに上がっていた。当然ながら後年の姿は想像もつかなかった。
 
今から思えば、昭和41年の旗揚げにこぎつけるまで紆余曲折あったことは容易に想像できる。当事者である野口社長、西尾会長のみが語れる真実は数多くあろう。しかしお二人とも鬼籍に入られた
今、当時の状況を聞いておけば良かったと後悔しきりである。(文中一部敬称略)
 
 
問題のキックボクシング旗揚げの貴重なチケット!

  
ラジオ体操の帰途、日頃太極拳でお世話になっているご婦人方を畑に案内。

  
拙宅に今年もカサブランカが咲いた。
  
  

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2016年07月11日(月)

名勝負を描く天才猪木の掌で踊ったウィリーとホーガン/【特別連載】わが心のキックボクサー⑧渡辺ジム

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第1回キックボクシング・デーの詳細はこちら
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[随感]参議院選挙あれこれ
 ~改憲派が勝ったわけ~
 ~次は都知事選、先ず投票を!~
[差別]黒人は虫けら同然に殺される
 ~米国は今も続く西部開拓史の野蛮~
[格闘技]猪木の掌で踊ったウィリー
 ~動画配信で私が語りたかったこと~
 ~猪木はプロ中のプロ!~
【特別連載】わが心のキックボクサー ⑧渡辺ジム
 ~渡辺信久会長一筋の道~
 ~キックに携わり半世紀~
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[随感]参議院選挙あれこれ 
 
   
改憲派が勝ったわけ 
 
参議院選挙の結果は大方の予想通り自民・公明の改憲派が勝利した。さて選挙が終わって、勝てば官軍とばかり民意の総意と表して、今度は堂々と憲法改正を掲げよう。自民の選挙で都合の悪いことは語らずの戦略は、功を奏した訳だ。国民よ、覚悟せよ!
 
野党連合軍は、一人区でそれなりの成果はあげたものの、最初から迫力に欠けていた。局地戦はやれども、本丸を奪取して新たな政権を打ち立てようとの本気度が感じられず、それだったら自民党のままでいい、と国民は変化を嫌った。
 
アベノミクスは失敗だけど、精彩のない野党より元気のある与党。こんな論法か。民進党が伸び悩むのは、3年間のお粗末な政権運営にもある。有権者の信頼を失ったまま、再生の気力なし。 
     
次は都知事選、先ず投票を! 

次は都知事選挙、タレントも出馬の意向を示して、百家鳴争だけれども、人気投票に終わらせたくない。日本の首都に相応しい人は誰なのか、甘言に踊らされる事なくしっかりと人物を見定めようではないか。
 
先の参議院選挙の投票率は54.7%、これで国の有様、政治が決まる。半数近い国民が権利を放棄しているのだ。これじゃ、いつまでたっても国は良くならないぜ。陰でこそこそいうよりは先ず投票を! 
 
  
[差別]黒人は虫けら同然に殺される 
 
米国は今も続く西部開拓史の野蛮 

アメリカは、人も羨む自由と民主主義の国なのだろうか。5と6日に相次いで起こった警察官による黒人射殺事件は問答無用の殺戮だ。映像に映る光景は無抵抗の黒人を押さえつけ、射殺した。なんと悍(おぞ)ましい。
 
怒った黒人は今度は仕返しだ。ダラス州とルイジアナ州ではデモを警備する白人警察官を黒人が狙撃した。5人が死んだ。目には目をだ。今年に入り警察の発砲で死んだ500人のうち4人に1人が黒人だという。差別は歴然だ。
 
勿論白人以外の黄色人種、ヒスパニックも対象になる。俺はこんな国に住むのは御免だね。「私には夢がある」と言ったのは、人種差別と戦って銃弾に倒れたキング牧師だ。あれから、ちっともアメリカは変わっていない。
 
銃による死者が年間3万人!黒人を虫けらのように扱う国、それが自由を唱えるアメリカの現実、原住民を銃で蹴散らし建国した西部開拓史の精神脈々。そもそも野蛮な国である。その国が世界の盟主だ。民主主義とは銃でしか成り立たないか。 
 
  
[格闘技]猪木の掌で踊ったウィリー 
 
動画配信で私が語りたかったこと 

先般、闘道館の動画配信に出演した。映像に我が身を晒し浅はかな格闘技論をはしたなくも展開してしまった。勿論、泉館長と司会進行のドージョーチャクリキ甘井代表に助けられ、何とか収録が済んだ。マイクの前に出るのは、久方ぶりなので、ほんま冷や汗ものだった。
 
冒頭、アリ×猪木から始めたのですが、要はアリ側がもっと猪木を信用して、試合をプロデュースさせていたらあのような退屈な15ラウンドにならなかった、と私は力説したかったのだ。
 
当時アリは現役のボクシング世界王者で神様のような存在、猪木といえどもアンタッチャブルだったから、あのような拙い試合になり、歯がゆかったのは猪木本人じゃないか。猪木の作・構成・演出であれば、壮大な叙事詩になったものを、と私は悔やむのだ。
 
一方、ウィリーとの異種格闘技戦は、私の最も心に残る戦いで、極真空手対プロレスの対立構図も分かり易く、キラーインスティンクトに満ちた、ものものしい雰囲気が私を虜にした。異種格闘技戦でこれに勝るものなし。
 
当時、昼夜もわかず黒崎師範と行動を共にしていた私は、ウィリーをいかにプロ仕様に変貌させるか、先生のその苦労が手に取るように分かった。
 
「猪木はプロだよ、アマチュアのウィリーじゃ赤子の手をひねるより楽だよ、何が熊殺しだ、いまのままじゃ猫も殺せない」。黒崎師範は口癖のようにいっていた。かくて1か月マンションの一室に閉じ込めウィリーを徹底にしごき、リングに乗せたのだ。 
 
 
猪木はプロ中のプロ! 

人前でおどおどしていたあのウィリーが、試合当日は殺気漂うファイターに変貌していたのには正直驚いた。殺人鬼に脱皮していたのだ。鳥肌が立つような戦慄の試合が終わり、私はそっと尋ねた。「先生、試合の結果はどうですか?」と。しばらく時間を置いて黒崎師範は「やっぱり猪木だね」と一言発した。
 
あれは多分、猪木がウィリーを生かし切ってくれたという安堵の気持ちと、黒崎師範一流の猪木賛辞だと私は解釈した。いささかもウィリーの褒め言葉はなかった。まあ、藤原敏男も大沢昇も先生が褒めたのをめったに聞いたことはないが。強者は強者を知る。
 
ウィリーは、猪木の掌(てのひら)に乗っていただけなのかも知れない。あたかも孫悟空がお釈迦さまの掌にあったように。試合は猪木の腕しぎ逆十字固めがウィリーの腕を捉えたまま、縺れながらリング下に落ちた。
 
両軍セコンドが乱入、大混乱となり、4回4分両者リングアウトの引き分け。後味の悪いエンディングとなったが、私には消化不良の結末でなかった。中身たるや格闘技戦の魅力溢れるエッセンスがここかしこにあり、私は大いに満足した。
 
それにしても私の目の前で炸裂した、2回のあのウイリーの膝げり、猪木のアバラ骨を砕いたような鈍い音は、あれはまさしく黒崎師範が追い求めたプロ仕様のものではなかったか。あの一撃だけで、極真とウィリーの名は不滅のものとなった。
 
私は瞬間、猪木はこれで万事休す、だと思った。猪木も刃物で刺されたかのように、手で脇腹を押さえた。あの猪木が見せた苦痛の表情は、炸裂音共に私の記憶に鮮烈に残る。
 
猪木はあばら骨にひび、ウィリーは靭帯損傷と、共に深手を負った。もし猪木がウィリーの腕を折っていたら、もし極真空手と寛水流の大乱闘になっていたら、思いを巡らせるとあの一戦は、スリリングで、ミステリアスであったからこそ永遠に語り継がれるのだ。
 
「たった一度きりの出来事が、人生を甘美なものにする」
(エミリー・ディキソン)
 
考えてみればホーガンさえも猪木の掌に身を委ねた。だからこそあの奇想天外の舌だし失神事件も生まれたのだ。猪木こそ真っ白なキャンバスに、一気に名勝負を描く類稀なプロレス・アーティストなのだ。彼のプロレス哲学には美学があった。 
 
 
【特別連載】わが心のキックボクサー ⑧渡辺ジム 
 
渡辺信久会長一筋の道 

キックボクシング界で、現在キックの始まりからこの業界に携わる関係者は二人しかいない。藤本ジム藤本勲会長と、今回登場の渡辺ジム渡辺信久会長である。
 
キックが野口修社長の手になり旗揚げされたのが昭和41年4月、渡辺会長は当時ボクシングの東邦ジム(佐々木民雄会長)でプロボクサー(ライト級5勝2敗)をしていたが、網膜剥離を患い選手生命を絶たれていた。佐々木会長は野口ジムの一門ということで、旗揚げに当たり野口修社長は佐々木会長に選手の派遣を要請していた。兎に角、選手が不足していた。
 
そこで葛飾ジムというキック専門のジムを発足させた。ボクシングとの二枚看板は受け入れられないからだ。渡辺はマネジャー兼トレーナーとして、ボクサーを即席のキックボクサーとして、産声を上げたばかりのキックに選手を送り出す。
 
その後、協同ジムの旗揚げで選手募集に応募、採用され、バンコク遠征にも網膜剥離を隠して参戦、敗れた。網膜剥離も露見して、協同ジムのトレーナーに転身した。
 
幸い協同ジムが無名の渡辺に引退式をやってくれて、慰労金として100万円を出してくれた。この金を元に昭和47年晴れて現在葛飾区新小岩の地に渡辺ジムを構えた。 
 
 
キックに携わり半世紀 

日本ナックモエ連盟を創設したり、日本キックボクシング連盟も興したが、各ジムの連合体で上手くいかず、脱退して独自で日本キックボクシング連盟を継続、今日に至る。
 
葛飾ジムでキックに携わってから半世紀、渡辺の歩んだ道は文字通り日本キック界の歴史である。
育てたチャンピオン14人、酒寄晃(バンタム=故人)、沢の太志(ウェルター)、彼は日本人として唯一人、猪狩元秀(弘栄)に土をつけた男だ。
 
小池忍(バンタム)も渡辺明(バンタム)もいた。最近では、小野瀬邦英(ウェルター)、伊藤威(バンタム)を輩出した。錚々たるチャンピオン山脈。
 
渡辺の率いる日本キックボクシング連盟は独立独歩、スポンサーに阿(おもね)ることもなく年5回格闘技の殿堂後楽園ホールで興行を続ける。
 
「大変です、しかし借金はない。後楽園で興行を打てなくなった潔く辞めるよ。」一週間に一度は行くという散髪で綺麗にショートカットされた頭に渡辺会長は手をやった。
 
3年ほど前から興行全般を小野瀬邦英氏に任せているという。「小野瀬が一人前のプロモーターに育ってくれるといいのだが」渡辺の後継者、小野瀬に期待を寄せる。
 
エンセン井上、山本キッドも先生と言って仰ぐこの名伯楽。来年元旦には古希(70)を迎える。ブレナイ、媚びないでキックボクシングの灯を守り続ける渡辺信久の一筋の道に、改めて敬意を表するものである。
 
「あなたが無上の喜びを求めているなら、ずっとそこであなたを待っていた一つの道を歩まなければならない。あなたが送るべき人生は、すなわちあなたが今送っている人生なのだ」(ジョセフ・キャンベル)
 
次の後楽園ホールでの興行は10月2日(日)、不屈のキックボクシングを観戦あれ!
 
 
闘道館の動画配信に出演した。
左よりチャクリキ甘井代表、私、闘道館泉館長。

 
日本キックボクシング連盟渡辺信久会長。

 
適度の雨と猛暑で露地栽培の野菜は化け物のように育つ。

 
さるすべりの白い花、ピンクもすきだけど白も清楚でいい。 
 
 

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2016年07月05日(火)

豪華絢爛7/30はキック界のレジェンドが続々参戦!!【特別連載】わが心のキックボクサー⑦東京ジム

テーマ:ブログ

※残席僅か!会場は、代々木八幡「七福」から台湾料理の「麗郷・富ヶ谷店」に変更になりました。
※詳しくは、チラシをご覧ください。

第1回キックボクシング・デーの詳細はこちら
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[随感]バングラデシュのテロ事件
 ~コーランの教えに反する殺戮~
 ~イスラムは戦争を好まぬ~
[アラブ]ミステリアスなアラブを知る
 ~アラブを知ることは世界を知ることだ~
 ~戒律に厳しいスンニ派の大国~
 ~エジプトの人口の1割がキリスト教!~
[イベント]盛大な真昼の宴になりそうです
 ~土屋ジョー、小野瀬邦英、両氏の参加!~
[風邪]甘く見てはいけない夏の風邪
 ~夏風邪にベッドに沈んだ~
 ~翌日は代々木八幡の七夕祭り見物だったが~
【特別連載】わが心のキックボクサー⑦東京ジム(文/村上 桂)
 ~名門目黒の牙城を崩した下町ジム~
 ~突然のジム廃業に選手は迷う~
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[随感]バングラデシュのテロ事件 
   
コーランの教えに反する殺戮 
 
バングラデシュのレストラン人質テロ事件は悪魔の仕業としか言いようがない。日本人7人を含む20人が犠牲になった。誠に残虐なただの殺戮にすぎず、犠牲になった方々にはお悔やみの言葉もない。
 
犠牲になった日本人7人は、JICA(国際協力機構)関連のプロジェクトで、バングラデシュのインフラ整備に携わっていた人たちだ。お国の発展に寄与する人々を無差別に殺した。それがイスラムの教えとは思わないが。
 
イスラム武装集団はことを起こすたびに「神(アッラー)は偉大なり」を唱えて、さも人殺しは神のお告げだとばかりに正当化しているが、私の知る限りコーラン(イスラムの教え)は、決して好戦的ではない。
 
「力強いとは、相手を倒すことではない。それは、怒っても当然というときにも心を自制する力を持っていることである」(マホメット)
 
また、コーランには、つぎのような言葉もある。「汝らに戦いを挑むものがあれば、アッラーの道において堂々とこれを迎え撃つがよい。だがこちらから不義を仕掛けてはならぬぞ。アッラーは不義をなすものをお好きにならぬ」(コーラン第3章) 
 
     
イスラムは戦争を好まぬ 

イスラムは、アラビア語で「平和」を意味する「サラーム」から来ている。イスラム自体は「神に全てを委ねる」の意。「コーラン」は、生活の規範に近いものだという。
 
だからして、決してイスラムは好戦的な教えを唱っているわけではないのである。さぞや内外のイスラム教徒は、肩身の重い辛い思いをしていることであろう。
 
ISとISに感化された過激派集団は、自爆テロなどで、世界各地で罪もない人を今日も殺す、果てしない負の連鎖が続く…自爆テロで多くの前途ある若者も死にゆく、何とも割り切れないものがある。 
 
  
[アラブ]ミステリアスなアラブを知る 
 
アラブを知ることは世界を知ることだ 

ここに一冊の本がある。「池上彰が読む『イスラム』世界」(KADOKAWA)この本から引用させていただき、アラブの不思議に迫ってみた。
 
アラブとはアラブ語を話す民が暮らす国を指す総称だという。で、イラン人は、アラブ人ではない?ペルシャ人ですと、てっきりアラブ人だと信じていました、無知でした。あのペルシャ帝国の子孫ですよ、誇り高き民族なのです。
 
ですから彼らは、田舎者のアラブ人と一緒にはしないでくれという。イランとは「アーリア人の国」、訳せば「高貴なる者」。他国の民を下に見ています。シーア派の国です。 
 
  
戒律に厳しいスンニ派の大国 

対する大国サウジアラビアは、預言者ムハムマドが生まれたメッカがある国で、メッカとメディナ2つのイスラムの聖地を抱えている。スンニ派の大国で、戒律の厳しく「コーラン」を一字一句信じて、ひたすら神を思う国。
 
しかるに飲酒はもちろん、音楽踊り、映画などの娯楽も一切禁止、特に女性には厳格な規制がある。女性は外で働くこともできず、家族以外の男性に姿を見せていけない。
 
外出するときには、全身を隠す黒いマント「アバヤ」をまとい、顔はベール「ニカブ」で覆い、男性に付き添われていかなければならない。
 
この国は原則として、観光客も受け入れない。つい最近まで世界一の産油国だった同国も、将来を見据えて、原発を2032年までに16基設置する計画があるという。おとぎの国も、とんだ様変わりだ。 

 
エジプトの人口の1割がキリスト教! 

シーア派とは「アリーの党派」(アリーはムハンマドの従兄)という意味、スンニ派は、慣習や伝統を守る、という意味でスンニ派はイスラムの教徒の85%を占める多数派。総じてこの2派は仲が悪い。
 
最後にピラミッドの国エジプト。多数の国民はイスラムなのに、ここに何と人口の一割のキリスト教徒がいるというのも驚かされる。
 
「コプト」とはエジプトを意味するギリシャ語で、原始キリスト教から派生したエジプト独特のキリスト教であり、イスラム教が入る前から存在しているにも関わらず、イスラムの激しい迫害に遭っているという。これも現実。
 
ざっと紹介しただけでも我々が知らないアラブの世界がある。開けゴマ、空飛ぶ絨毯…子供のころ親しんだ世界が、テロに苦しんでいるのは忍びない。もっと知ろう、もっと親しもうアラブ諸国! 
 
   
[イベント]盛大な真昼の宴になりそうです 

土屋ジョー、小野瀬邦英、両氏の参加! 

7月30日(土)の「第1回キックボクシング・デー」の集い(場所・渋谷区富ヶ谷の台湾料理の「麗郷富ヶ谷店」で開催)は、お蔭さまで20日の締め切りを待たずに満員御礼となりそうです。遺り僅かです。
 
想像した以上の元キックボクサーが集まりました。メインゲストの藤原敏男さんに始まり、増沢潔、バズーカ岸浪、ミッキー&アトム兄弟、元木浩二、金沢市三、伊藤威、小野瀬邦英、菅原忠幸、土屋ジョーの各OBが参加しくれます。
 
まだこれに加わるOBも名前が挙がっております。素晴らしい記念の宴にするべく企画準備中です。
どうぞ期待して御来場願いたいと存じます。
 
 
[風邪]甘く見てはいけない夏の風邪 
   
夏風邪にベッドに沈んだ 
 
とんだ夏風邪にやられて、このブログも今週はダメかなと思いつつも必死で綴っている。1カ月月ほど前から、喉がいがらっぽかったり、鼻水は止まらなかったり、おかしいとは思っていた。
 
それが3日土曜日にとうとう爆発した。友人の病気見舞いに春日部に向かう間、どうにも咳が止まらず、幸い車内は午前中で空いていたため助かったが、夏風邪恐るべしだ。
 
春日部で友人と会っている間も咳が止まらず、久しぶりに会って、話したいこと聞きたいことが山ほどあったのに、早々に引き上げてきた。当日は梅雨の合間の猛暑で、帰りがけ新宿のタイ料理の食材店に寄ったら、限界でやっと帰宅した。
 
それでも家内がトムヤムクンを料理するのを手伝ってなんとか作り終えたら、食欲がさっぱりわかず、どうも味が足りないと思いきや、畑で栽培しているパクチーを冷蔵庫に入れて忘れていた。 
 
     
翌日は代々木八幡の七夕祭り見物だったが 

日曜4日は、竹井さんに誘われて代々木八幡の七夕祭りに出かけた。当日も猛暑で頭くらくら、早々に引き上げよとしたら、元キックボクサーの元木浩二さんと、竹井さんが目に止まった。
 
特等席に陣取って、歌やものまねを見ながら、本木さんから次々に提供される御酒を加減しながら飲んだ。途中、大和武さん(元ボクサー&タレント)がお見えになり、座がにぎわった。
 
その夜はほとんど食事も摂らず、早々に就寝。太極拳&ラジオ体操は3日間休み、こんなことはいままでにないことだ。夏風邪、甘く見てはいけません。 
 
  
特別連載「わが心のキックボクサー」⑦東京ジム(文/村上 桂) 
 
名門目黒の牙城を崩した下町ジム 

昭和40年代、日本系キックのチャンピオンは大半が目黒ジム所属 であったが、その牙城を崩すべく何人かのチャンピオンを生んだのが下町は江東区木場にあった東京ジムである。
 
第一号チャンピオンは美代川正志。昭和46年7月に樫尾茂にTKO勝ちし日本フライ級王座を獲得。この王座は翌47年1月の初防衛戦で永山功(目黒)に奪われたものの、同年9月に同じ東京ジム の三浦正治が奪還した。その後、三浦は2度の防衛に成功した。
 
引き続き、渡貢二が昭和48年6月に王座決定戦で浜野和生(目黒)を判定に下し日本ミドル級王者に、2ヶ月後の8月には岩松幸一が中林茂美(目黒)にKO勝ちして日本フェザー級王座を獲得し、三浦と合わせて同時に3人ものチャンピオンを擁することになった。 
 
  
突然のジム廃業に選手は迷う 

しかし、何人ものチャンピオンを輩出するなど奮闘していた東京ジムであったが、昭和49年の春に突然活動を停止してしまった、その理由は「儲からないから」という現実的なもの。当時は毎週テレ ビ放映があり、エース沢村忠が健在で、第二のエース富山勝治が着々とメインイベンターの地位を築いていた時期であった。
 
それでも一部の選手、関係者を除いては華々しいスポットライトの陰で恵まれない思いをした方々が居たことは記録に留めておきたい。 
活躍の場を失った三浦正治は目黒ジムに、渡貢二は横須賀中央ジム にそれぞれ移籍し選手生活を続けた。岩松幸一は昭和49年1月亀谷長保(目黒)に敗れ初防衛に失敗するとそのまま引退した。
意外にも、ボクシングの世界的名選手だった高山勝義のキック転向第一戦の相手を務めた栗原善太、黒沢春義、双子の前田兄弟など、地味ながらも印象に残る選手が多かった。
 
また、須田康徳の師匠で ある玉村哲勇(初代市原ジム会長)も東京ジム所属として何戦かリングに上っている。同じ日本系でも横須賀中央ジムや西尾ジムなどは定期的に興行を打っていたのに対し、この東京ジムはどういうわけか自主興行はせず、皆他のジムが興行で一息ついていたのに対し、東京ジムはそれが出来なかった、あるいはしなかったのが廃業の遠因だったのかもしれない。(文中敬称略)
 
 
七夕祭で。左より元木さん、中央帽子を被っているのが大和武士さんです。

 
AKBの物まねのお嬢さんがた、子供たちの人気を集めていた。

  
  

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2016年06月28日(火)

イギリスのEU離脱/五輪にゴルフや野球は必要か【特別連載】わが心のキックボクサー⑥横須賀中央ジム

テーマ:ブログ

※会場は、代々木八幡「七福」から台湾料理の「麗郷・富ヶ谷店」に変更になりました。
※詳しくは、チラシをご覧ください。

第1回キックボクシング・デーの詳細はこちら
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[随感]イギリスのEU離脱
 ~壮大な実験の果てに~
 ~理想と現実のギャップ~
[種目]東京五輪の追加種目
 ~肥大化するオリンピック考~
 ~空手界の五輪への取り組み方~
 ~ゴルフや野球は必要か~
【特別連載】わが心のキックボクサー⑥横須賀中央ジム(文/村上 桂)
 ~4階級を制覇した飛馬拳二~
 ~ヘビー級にジョンソンあり~
 ~名伯楽芹沢会長~
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[随感]イギリスのEU離脱 
   
壮大な実験の果てに 
 
国民投票の結果イギリスがEU(欧州連合)から離脱が決まった。リスクを冒してまで、国民の51%が離脱を選んだ理由は果たして何か、そこの基本的なところが大新聞などでは、全く伝わってこないのがもどかしくて、その理由を探し求めたらネット上に在った。
 
谷本真由美さん、アカウント名@May_Roma(英国在住=情報通信コンサルタント&著述家業)の「イギリスが世界恐慌を起こしてもEUを離脱した理由」がそれで、実に分かり易い。彼女の言によると、離脱は大量に流入する東欧からの移民に主な原因があるという。私なりに解釈して、引用させて貰った。
 
EU加盟国は審査なしで、自由に往来でき、しかも移住も、いかなる自由も権利も保障される。このためイギリスには1年に18万人もの移住者が流れ込み、中でもルーマニアやブルガリアからは年に5万人も押し寄せ、大きな社会問題になっている。独、仏は言葉の壁があり行きたがらない、と。
 
彼らは総じて月収が4~5万円で、(英国の平均は月収25万)高い収入を求めてイギリスにやってくる。そうした外国人に、手厚い生活保障、例えば教育費や医療費は無料とあって、国の財政を圧迫していて、彼らのために、公共の住宅は幾ら建設しても足りず、教室は鮨詰状態と。
 
言葉が分からないので、授業は進まず、病院に行けば、外国人で溢れ、自国民は満足な医療も受けられない現状があるから、年寄りの60%が残留に反対したのかも知れない。てなわけで、誇り高きユニオンジャックの堪忍袋の緒も切れたというわけだ。 
 
     
理想と現実のギャップ 

何故外国人のために我々は犠牲にならなくてはいけないのだ、という率直な不満。もう一つトルコが加盟することに重大な懸念を持つのだそうだ。テロ流入への恐怖だと。
 
このままEUにとどまればイギリスは崩壊する。いまこそ大英帝国のプライドを取り戻す時ぞ、今回の離脱はそうした憤りの爆発とみられるのだ。
 
EUは一つ、崇高な理想を掲げ1993年11月1日に創設された欧州連合も、イギリスの離脱によって、重大な岐路を迎えた。もしもAU(アジア連合)なるものが出来て、入国審査なし、移住も自由になり近隣国諸国からどっと我が日本に、移住者が殺到したら、あなたはどうする?
 
それでも、単一市場、自由往来のメリットをあなたは選ぶ?多分、閑静な住宅街に喫緊の課題である保育園が建設されるのを「子供の声が煩(うるさ)い」と反対する国民だから、それはどだい無理だと思うけど。
 
「創業は易し、されど継続は難し」だ。退くも地獄、留まるも地獄、イギリスは重い選択をした。いやはや、勉強になりました谷本さん。 
   
    
[種目]東京五輪の追加種目 
 
肥大化するオリンピック考 

2020年の東京五輪の追加種目として、国際オリンピック委員会(IOC)は野球、ソフト、空手、スポーツクライミングなど5競技18種目の承認して、8月の総会に一括提案することを決めた、というニュースは開催国日本への大盤振る舞いだ。
 
御同慶の至りだが、野球は参加国も少ない上に、日本のプロ野球も大リーグも8月と申せばシーズン真只中、到底主力選手の参加は覚束ない。そこで金メダルに輝いても、果たしてどれほどの価値があるというものか。
 
ソフトボールにしても、参加チームはたかだか8ヵ国(北京)に過ぎない。空手が本決まりとなれば、待望久しい夢舞台となるが、国内的には全空連(全日本空手道連盟=笹川暁会長)に加盟、若しくは友好団体でなければ、参加はできない。
 
   
空手界の五輪への取り組み方 

詰まりは体協(日本体育協会)に加盟していない団体は五輪に参加資格がない。体協加盟は、一競技一団体が原則、空手は「全空連」だけが加盟団体とあって、東京五輪への参加を見据え逸早く大組織の極真会館(松井館長)と正道会館(石井館長)は同組織と友好団体となった。
 
機を見るに敏、大手が動いたから我々もと弱小道場も、その尻に付いた。五輪へと草木も靡くか、それも否定はしないが、「千万人と雖も我往かん、俺は断じてフルコンタクト(直接打撃)を守る、五輪なんか関係ない」と咆哮する道場主がいてもいいのだが、そんな気骨ある声も聞かない。梶原先生が天国で嘆いているかも。
 
ただし、これからも「同じルールのもとわが団体も五輪に参加したい」と希望があれば、五輪は国家事業であるからして、門戸を広く開放して置いて欲しいものだ。そもそも生い立ちからして、全空連は各流派の集合体でスタートした。
 
新たに空手団体が加わっても、何ら難しことではなかろう。壮大な五輪予選をやれば、それこそ空手人気もヒートする。一石二鳥じゃないのか。オールニッポンで世界を迎え撃て。体協の標語は「みんなでスポーツを!」なのだからして。 
  
   
ゴルフや野球は必要か 

それにしても、ゴルフなどオリンピックの種目にする必要があるのか。マスターズや全英、全米といったメジャーを上回るとは、考えられない。無駄な競技だ。ましてやサーフインやスポーツクライミングだと、オジサンは首をかしげるのだ。
 
五輪の種目を縮小しようという掛け声は聞こえるけれど、その実、足算はあっても、引算がないから競技種目がどんどん膨れ上がる。もう雪達磨式だ。
 
近い将来はゲートボールや輪投げ、ペタングなどお年寄りの競技も加わる可能性もある。面倒だから、キックボクシングもムエタイも入れてしまえ! 
 
  
【特別連載】わが心のキックボクサー⑥横須賀中央ジム(文/村上 桂) 
 
4階級を制覇した飛馬拳二 

日本系キックのリングに、ユニークな選手たちを常に送り出していたのが横須賀中央ジムだろう。エースは飛馬拳二(ひま・けんじ)で、フェザーから始まってライト、ウェルター、ミドルまで4階級の日本タイトルを制覇した。
 
特筆すべきは富山勝治と3度戦い、3度とも判定勝ちを収めたことで、沢村忠も「ウチの系列で一番肝っ玉の据わっているのは飛馬だ」と認めたほど。しかし、ファイトスタイルに派手さのないことで、強さの割にアピール度に欠けたのは不運であった。またウェルター級時代に同じ階級の稲毛忠治(千葉)と対戦する機会がなかったのも残念であった。
  
飛馬氏のエピソードを一つ。どこでの試合かは忘れたが、ある地方興行の時、宿舎で昼食となった。各選手や関係者は食べ終わってそのまま席を立ったが、横須賀中央の選手は飛馬氏に言われて食器を 片付けたのには感心した。
 
私の記憶違いでなければ、飛馬氏のご両親は学校の先生だとのこと。キックのような荒っぽい競技をやって いても私生活までそれで良い訳はない。飛馬氏のその行動にはつくづく感心させられたのを今でも記憶している。 
  
  
ヘビー級にジョンソンあり 

また、同ジムには日本ヘビー級チャンピオンに長く君臨したジミー・ジョンソンも所属していた。池野興信や斉藤天心らと何度も好勝負を繰り広げたのは、当時を知るファンならご承知のとおり。
 
2㍍近い長身とあっては、日本人キックボクサーはちょっと やそっとでは攻略できず、何年かに渡ってジミー・ジョンソンの天 下が続いたものであった。当時は横須賀のキャンプに勤務していた が、その後はハワイに転属したことまでは分かっている。今はどうしているのだろうか。ちなみにジミーの奥さんは日本人である。
 
この2人以外にリュー千景(日本フライ級)、太賀純(日本ミドル級)らのチャンピオンを輩出している。特に太賀純はラズべガスヒルトンのリングで、富山勝治を破ったサミー・モントゴメリーを KOで下し、さらなる飛躍が期待されたものの、その試合後脳内出血 が判明してそのまま引退を余儀なくされたのは泣くに泣けなかっただろう。
 
  
名伯楽芹沢会長 

リュー千景は体格には恵まれなかったものの、タイ人顔けのテクニックでファンを唸らせた。後にボクシングに転向したが、ミッキー鈴木と双子のキックボクサーとしても有名であった。
 
これ以外にも晩年とはいえ亀谷長保に2連勝した金沢一夫、沢村忠の数少ない日本人の対戦相手である梅木清光をはじめ、野本健二、小野寺仁といった面々がリングをにぎわせた。
 
彼らを擁し一時代を 築いた芹沢武会長はまだご存命だと聞く。正確な年齢は分からないが、おそらく90才前後ではないだろうか。一度お目にかかり、昔話に花を咲かせたいものである。
  
  
私の愛するノウゼンカズラ!

  
公園に甘い香りを振りまくクチナシ。
 
 
    

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2016年06月21日(火)

イチローの大記録”ローズの記録を抜いた”はおかしい/【特別連載】わが心のキックボクサー⑤杉並ジム

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※会場は、代々木八幡「七福」から台湾料理の「麗郷・富ヶ谷店」に変更になりました。
※詳しくは、チラシをご覧ください。

第1回キックボクシング・デーの詳細はこちら
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[随感]イチローの大記録騒ぎに一言
 ~P・ローズの記録を抜いたはおかしい~
 ~舛添都知事のサドンデス~
[雑草]ヘクソカズラとはなんぞや
 ~野草・雑草に魅せられて~
 ~夢二と月見草~
【特別連載】わが心のキックボクサー⑤杉並ジム
 ~錦、江口、鶴田等を生んだ名門~
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[随感]イチローの大記録騒ぎに一言 
   
P・ローズの記録を抜いたはおかしい 
 
大リーグ、マーリンズのイチロー(42)が15日(日本時間16日)日米通算安打数が4257本(日本1278本、米国2979本)に達した。先ずはお目出度い。途方もない大偉業である。これは誰もが認めることだ。
 
だけれども、「大リーグ記録を持つピート・ローズの4256本を記録を抜いた!」の各紙のはしゃぎ振りは一体全体何だ。ピート・ローズの記録を抜いた!は間違いだ。ローズは大リーグ一筋の記録だ。しかるに大リーグは、ローズの4256安打だけを最多安打記録として認定している。
 
ローズ氏が不愉快に思うのもよくわかる。大リーグと日本プロ野球とでは、同列に並べること自体が間違いで、歴史も環境も、また試合数も、グラウンドも、ボールの大きささえも違う。それを同列にしての今回の比較、おかしいと思わなのか。
 
比較とは、均等均一のものを較べることだ。明らかに異なるものを混ぜ合わせ、合計で上回るから、勝った抜いたでは、国民性が疑われよう。今後「ピート・ローズを抜いた!」の表現は止めた方がよい。 
 
     
舛添都知事のサドンデス 

舛添東京都知事も、抵抗したけど結局ギブアップした。飽くなき立身出世の野望の果ては、無残なるサドンデス。
 
東大法学部を首席で出て、最終目標は総理大臣だったとか、さぞ断腸の思いだろう。政治のことは夢のまた夢か。あなたが、残した唯一つの遺産、それはSEKOI(セコイ)です。今や世界の共通語です。OMOTENASHI(オモテナシ)の次はSEKOI、う~ん、落差ここに極まれりか。
 
それにしても、こうしたダーティーな都知事を製造しておいて、他人事のように振る舞う自民党都連と公明党は、破廉恥だ。当然、次の都知事選挙に両党は、候補者を擁立する資格は無い。 
 
  
[雑草]ヘクソカズラとはなんぞや 
 
野草・雑草に魅せられて 

最近些か野趣味に陥り、野草・雑草の本を漁っている。これが面白い。例えば「ヘ(屁)クソ(糞)カズラ(葛)」は、つる植物で、空き地や、グランドのフェィンスなどに巻き付きついて、盛夏の頃になると、可愛いらしい花を咲かすのに、名前は何とも痛ましい。
 
彼等自身、こんな汚い名前をつけられているとは心外だろう。葉や茎が凄く臭さいからなのだろうが、屁糞とは、惨(むごい)、偉い植物学者が命名した歴っとした学名なのだろうが、せめて「ヘカズラ」くらいにしたらよかったのにと憐れむのだ。
 
「ドクダミ」は繁殖力が強くて、至る所に見受けられ、この植物も強烈な臭いを放つ嫌われ者。ただ、ドクダミ茶の名で売られているように煎じて飲めば「十薬」といわれ利尿、便通、腫物などに効くと古来より愛用されてきた。
 
だのに嫌われ者の筆頭格なのだ。白い花は可憐なのに誰も振り向きはしない。ただ、千利休が茶花に用いたとの言い伝いもある。だとしたら、利休は死せる野草を活かしてしまう、茶道恐るべし。 
 
  
夢二と月見草 

「オオマツヨイグサ」(大待宵草)は、一般には宵待草や月見草の名で親しまれ、竹下夢二の絵に出てくる鮮やかな黄色い花、「待てど暮せど来ぬ人を、宵待ち草のやるせなさ、今宵も月も出ぬそうな」と夢二が詠い、太宰治が「富士には、月見草がよく似合う」と書いた。
 
北アメリカ原産らしい。荒れ地に夏の夕方咲いて、翌朝には萎(しぼ)んでしまうことで、淡い恋にも譬えられる。野草・雑草と一言で片づけるには惜しい。
 
「ツユクサ」は私の好きな花だ。青紫の可愛い小さな花は、早朝に咲き僅か数時間の命で萎む事から「朝露」を連想させる。品種改良して、花屋で売ってもらいたい花である。別名、蛍草。蛍を籠で飼うときにこの草を入れるからという。
 
ツユクサは朝摘んで家庭に一輪挿しはいかが。何気なくテーブルに飾れば、朝の食卓に凛とし心和むはず。「花の事、座敷のよきほどに、からからとあるべし」
 
愛せよ、野草、恋せよ雑草!(資料/雑草にも名前がある=文春新書・草野双人著、街で見かける雑草や野草の暮らしがわかる本=秀和システム・岩槻秀明著、写真/みんなの図鑑&季節の花300) 
 
  
【特別連載】わが心のキックボクサー⑤杉並ジム 
 
錦、江口、鶴田等を生んだ名門 

実践カラテ「日本拳法空手道」が前身、創始者は山田辰雄氏で、大山空手と並び称された。城東ジム(鈴木實会長)もこの流れを汲み玉城良光を生んだ。
 
NET(テレビ朝日)がキックボクシングを放送(年 月)するに当たり、プロモーターは大山空手とこの日本拳法空手道に声をかけた。そこで誕生したのが極真ジムと、杉並ジム。
 
杉並ジムは、山田辰雄の子息侃(ひろし)氏が継承して、たちまち剛腕で鳴る錦利弘、江口和明、鶴田幸成等の人気選手を輩出した。
 
日本テレビがキックの放送を開始したときに、文字通り金看板となったのは、鉄腕・錦利弘(協同)で、NETキックが消滅した後、江口、鶴田も日テレに合流した。
 
江口は頭髪を7/3に分けたお洒落な選手で、試合ぶりもきびきびして人気があった。NETバンタム級王者、全日本では同クラスに船田、大沢がいて頂点には登れなかった。彼はアニメの制作会社に勤めていたと思うが、イラストがプロはだしだったのを覚えている。
 
鶴田は色白の端正なルックスで女性ファンが多かった。ライト級とあって、全日本のタイトル争いには、玉城、藤原選手がいて突破出来なかった。トーナメントでは、J・ウエルター級に出たのかな、後で調べるつもり。
 
江口と同様、日本拳法空手道で鍛えたパンチは強力だった。鶴田、鹿児島県、江口、佐賀県と共に九州出身である。彼らはその後どうゆう人生行路をだったのだろうか。会いたいものだ。
 
  
茎や葉が嫌な臭いを発することから「ヘクソカズラ」と命名されたが、盛夏のころ可憐な花を咲かす。

  
オオマツヨイグサは、一般的には月見草の名で呼ばれる。

  
ツユクサは短い命の野草、何だか愛おしい。
 
  

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2016年06月13日(月)

舛添知事、死中に活を求むるなら清貧に徹せよ【特別連載】わが心のキックボクサー④東洋パブリックジム

テーマ:ブログ

※会場は、代々木八幡「七福」から台湾料理の「麗郷・富ヶ谷店」に変更になりました。
※詳しくは、チラシをご覧ください。

第1回キックボクシング・デーの詳細はこちら
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[随感]舛添東京都知事&M・アり追悼
 ~舛添都知事を続投させよ~
 ~テレ東とモハメド・アリ~
[愛犬]溺愛するということ
 ~愛犬家に捧げるの記~
 ~犬が嫌いだった具志堅さん~
 ~「犬の力」を論ず~
【特別連載】わが心のキックボクサー④
 ~東洋パブリックジム・富山と死闘を演じた花形選手あり~
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[随感]舛添東京都知事&M・アり追悼 
 
  
舛添都知事を続投させよ 
 
何処まで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ、舛添都知事のことである。政治資金の公私混同などで、議会は空転が続き、舛添都知事は、いずれ降参しようが彼の弁明は空虚だが、本人は給料を全額返上して、職を全うしたいと申す。
 
だったら遣らせたらいい。遣るのはいいけど針のムシロだ。出張はエコノミークラスで、ホテルは3万円まで、所謂交際費はなし、公用車は中古のミニバン。清貧に徹す。現実、これでもやりますか。死中に活を求める、なるほど、遣り通せれば、活路開けるぞなもし。
 
何十億もかけてまた選挙するよりマシだと思うし、選挙したからと言って、有能で潔癖な人材を得られるか保証はない。どこぞのお笑いタレントでも当選したら、それこそ目も当てられない。
 
舛添都知事が続投するなら、先ず秘書課を入れ替えて人心一新する必要あり。必ず提灯持ちがいるはずだ。どこまでも透明のラス張り、ええんやないの。議員も、右習えだよ。ところでここぞとばかり舛添都知事を畳みかける議員たちは、一点の瑕疵(かし)もないんだろうな。 
 
     
テレ東とモハメド・アリ 

先般74才で死去した元プロボクシングのチャンピオン、モハメド・アリさんの追悼式はアメリカの生まれ故郷のルイビルで盛大に行われたという。
 
日本ではテレ朝が日曜日の夜に猪木×アリ戦の特番を組んだ。私は見なかった。私が見たいのはボクシングのアリの雄姿である。
 
海外のボクシングといえば、アリのいた時分は12チャンネル(現テレビ東京)だった。だからテレ東にアリ特番を期待したのに、一向にその気配がない。
 
白石剛達さんの如きサムライ、熱血漢もいなくなったということか。あの杉浦滋男アナウンサーのこれでもかこれでもか、と熱弁を振るう情熱家も居なくなって、テレ東はごく平凡な局になってしまった。 
 
  
[愛犬]溺愛するということ 
 
愛犬家に捧げるの記 

愛犬&愛猫(あいびょう)家の溺愛は飼ったことがない私には到底理解できないが、○○ちゃん、さあ行くわよ、どうしたの今日は?なんて、犬に話しかけながら散歩するおばさんを見ると、何だか変だ。ところが変なのは己だったようだ。
 
熱海に住む知り合いの元木浩二さん(元キッボクサー)などは、フェイスブクにしばしば愛犬を登場させるお人である。で、尋ねたらシェットランドシープドックを2匹を飼っていて、どちらも娘ですと返事があった。
 
名前はと聞いたら、ジェジェちゃん(6才)とチェリーちゃん(1才)ですとの答え。愛情に満ち満ちているではないか。決してメス犬はいわないのが愛情表現だ。彼には子供がいないから、家族に等しい。いや家族以上なのかも知れない。 
 
  
犬が嫌いだった具志堅さん 

具志堅用高さんなどは、現役時代は犬を怖がった。ある日、神宮絵画館前で、トレーニングの合間に、グラビア用にと散歩中の仔犬を抱いて貰ったら、それはおっかなびっくりで、やっと撮影できた。「具志堅は犬が嫌いなんですよ、舟木さん」トレーナーが、そ~っと私に囁いた。
 
なのに、昨今の彼は大の愛犬家だ。自宅で寛ぐとき傍に必ず愛犬グシケン(犬)グスマン君(グスマンはタイトルを奪った選手の名)がいて、無邪気にじゃれ合う姿をテレビで見ると、何だか微笑ましい。知人から贈られた犬が彼を虜にしたようだ。不思議なものだ、こうなるか。
 
そう、忘れていた。足の手術で入院中の藤原敏男さんも、ロッキーという名のダックスフンドを飼っていたっけ。愛嬌のある仔犬で、人懐こくて昼間の飲み会に度々連れて来ては、仲間の人気を浚う。いやはや、鉄人もメロメロ好々爺だ。
 
我が家では、愚息があれは中学生の頃だったと思うが、唐突に犬を飼いたいと言ってきた。即座に私は、誰が面倒見るんだ、と猛反対してこの話は立ち消えになったが、何に触発されたのだろうと、怪訝に思っていたら、最近謎が解けた。
 
愚息が要らない本を捨てることになり私が手伝っていると「ハラスのいた日々」(文春文庫=中野孝次著)なる文庫本が出てきた。私は著者の熱烈な読者であるから、勿体ないと立ち読みしたら、これは愛犬(ハラス=柴犬)と中野夫妻の感動の交流物語だった。
 
なるほど愚息はこの本に感化されたのだと納得して、今になって、無下に拒絶した己を反省した。一冊の本が子供の心を揺さぶった訳で、そんな感涙ものの本です。愛犬家には是非お勧めしたい一冊。 
 
  
「犬の力」を論ず 

哲学者の池田晶子さんは、「犬の力」を知っていますか?で愛犬と飼い主の関係を以下のように語っている。実に明快なので、引用させてもらった。(講談社/幸福になるための哲学池田昌子の言葉、より)
 
「犬の力」と、私は呼んでいます。人の心をかくまで深く惹きつけるその力のことです。それはすなわち、人の心を無防備にしてしまう力なのだ。
彼らの振る舞い、彼らの瞳、彼らの偽りのなさは、我々の心を完全に無防備にしてしまう。それが彼らの力なのだ。
 
我々はそれが気持ちよくて、我々は彼らを愛するのだ。彼らは我々によって愛されるのだ。犬は人間に愛を教えるために(神様によって)創られた生き物なのだ。「暮らしの哲学」。なるほど、なるほど。お主、心を改めよ! 
 

【特別連載】わが心のキックボクサー④ 
 
東洋パブリックジム・富山と死闘を演じた花形選手あり

堀口春栄会長は、ホリピーさんと言って親しまれた。日本系では目黒ジムに次ぐ一大勢力を誇っていた。かのボクサー西城正三選手が、キックボクサーに転向した時も、練習場は当ジムだった。
 
ジムは麻布一の橋辺りにあった。フライ級で活躍した山里将幸は、粘っこいファイトで終始相手を揺さぶり続け追い込み、勝利をものにするけれんみのない選手だった。リングを降りても、口数少なく私は好感が持てた。
 
バンタム級チャンピオン小池太郎、ウェルター級ランカー梶田晴男らもいた。元カーレーサーの竹田道房という人気選手もいて、試合がある日は、会場に黄色い声が飛んだ。ルックスもよく異色の選手だったが、大物にはなれなかった。
 
東洋Pが輩出した最大の選手といえば、やはり花形満だったろう。劇画「巨人の星」から拝借したというリングネーム、前身はプロボクシング、日本J・ライト級2位、松尾典志。得意は勿論パンチで相手を倒し捲った。

白眉の一戦は何といっても富山勝治とのタイトルを賭けた試合。ダウンの応酬、逆転に次ぐ逆転は後楽園を興奮の坩堝と化して、双方精根尽き果てての戦いの末、富山の一発が留目を刺した。

フリーノックダウン制のこれ醍醐味は、最後はキック力の差が明暗を分けた。歴史に残る名勝負として記憶される。栄光の光今何処。


御近所の山法師の花、盛也。
 
 
東京警察病院に入院中の藤原敏男さんを見舞う。
写真左端は元同病院リハビリ科部長野呂田先生。
手術は無事終わり、6/19晴れて退院予定。 

  

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2016年06月06日(月)

追悼モハメド・アリ/【特別連載】わが心のキックボクサー③ 中京ジム/他

テーマ:ブログ

※会場は、代々木八幡「七福」から台湾料理の「麗郷・富ヶ谷店」に変更になりました。
※詳しくは、チラシをご覧ください。

第1回キックボクシング・デーの詳細はこちら
 
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[随感]躾の問題
 ~大和君行方不明騒動に問う~
 ~果たして親を非難できるのか~
[哀悼]モハメド・アリさんの死去
 ~永遠のスーパースターよ安らかに~
 ~世紀のショー、猪木との対戦の記憶~
[畑]殺虫剤は最小限にして
 ~畑は害虫との戦いの日々~
【特別連載】わが心のキックボクサー③
 ~中京ジム・大沢と延長6回を戦った片山源太あり~
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[随感]躾の問題 
   
大和君行方不明騒動に問う 
 

北海道七飯町の山林で行方不明となり、6日振りに自衛隊員によって保護された田野岡大和君(7才=小2)は、助かって良かったとしかいいようがないけれど、同時に親の躾(しつけ)という問題も世間に問いかけた。
 
親は息子のいたずらに業を煮やして、体罰として山林に放置した。もういいだろうとその場に戻ってみれば、大和君の姿が見えず親は焦って捜査願いを出し、大騒動になったというのがことのあらまし。
 
大和君はといえば、自衛隊の演習場内の宿泊施設に歩いて辿り着き6日間を水だけで生き延びた。自衛隊員に保護されたときは、大和君?と聞かれる、「うん」答えて平然とした容子は、稀にみる胆力の持ち主とみた。
 
生死を彷徨って、普通の子なら、忽ち堰を切ったように泣きじゃくるのに、それもせず差し出されたお握りを食べたらしい。お握りを手にした大和君のしっかりとした目つきを写す写真も頼もしい。これ稀にみる怪童也。
 
桁外れのこういう息子だから、いたずらも半端じゃなかった、と私は臆断する。そこで生半端なことでは反省しないと、親は体罰として山林に置き去りにした。確かに褒められた方法ではない。だが、待てよだ。
 
     
果たして親を非難できるのか 

お見受けしたところ父親は悪人じゃなさそうだし、我が子を何とか矯正させようとしての、愛情から出た、止むにやまれぬ体罰とするなら、父親の行為そのものは短絡的に「悪い」と責めること如何か、と思うのである。
 
「子の躾は80%以上は家庭で決まる」の理(ことわり)もある。子供の躾は難しい。教育者は断固反対するであろうが、時には体罰も必要だとオジサンは力説するのだが、間違いだろうか。
 
ところで、名前の大和も、その胆力、行動力に相応しい。真っ当に育てば、一角の人間になれると私は睨んだ。幸い「お父さんは優しいから許す。」と言ったそうな。堅い絆で結ばれた親子が事件を糧に、新たな船出を期待したい。 
 
  
[哀悼]モハメド・アリさんの死去 
 
永遠のスーパースターよ安らかに 

「蝶のように舞い、ハチのように刺す」あの20世紀のボクシング界が生んだ最大のスパースター、元ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリさんが3日、「パーキンソン病」との闘病の末、アメリカアリゾナ州の病院で死去した。享年74才。
 
64年ローマ五輪でL・ヘビー級で金メダルを獲得、プロ転向して64年2月、ソニー・リストンを7回KOで倒しヘビー級の王座に就いた。「アイアムザ・グレーテスト」の伝説の始まりだ。
 
以来ヘビー級タイトルを19度防衛、3度王座獲得と次々と歴史を塗り替えてきた。私が特に印象に残るのは、キンシャサの奇跡といわれたジョージ・フォアマンとの一戦だ。
 
32歳のアリは40戦全勝37KOの無敵王者フォアマンに挑んだ。大方の予想は「アリはKOされるだろう」だった。だが、アリは勝った!8回2分58秒、不倒王は倒れ、新たなアリ伝説がまた始まった。
 
ベトナム戦争では、「私には罪もない人々を殺すことはできない」と徴兵を拒否したためタイトルを剥奪された。アリは、人種差別とも戦う平和の伝道師でもあった。
 
76年月日本武道館でヘビー級現役チャンプとして、プロレスラーのアントニオ猪木とボクシング対プロレスの異種格闘技も行った。
 
私も記者席に座ったが、遥か右方には作家野坂昭如さんもいた。野坂さんが国歌吹奏のとき一人立ち上がらなかったのが何故か印象深かった。
  
この試合、引き分けだったが、名勝負と云う人もおれば、世紀の凡戦と云う人もいるが、私はただ退屈な3分15ラウンズだったと記憶する。 
 
  
世紀のショー、猪木との対戦の記憶 

アリを投げてはいけない、ケガさせてはいけないの、雁字搦めの暗黙のルールに縛られて猪木は試合させて貰いなかったのだから、幾ら講釈を垂れても、そりゃあ名勝負にはならない。
 
猪木がマットに寝ころび徒にキックを放つさまは、とても不甲斐なく心に宿った。いってみれば世紀のショー。同じリングに両雄が立ったことに意義があったのだろう。そのアリの名義料たるや何と18億との風聞、やっぱりアリは何もしなくてもスーパースターだった。
 
1966年アトランタ五輪では、アリさんが聖火を震える手に掲げ登場した。パーキンソン病と懸命に闘う姿がクローズアップされ感動を誘ったものである。
 
私はこの偉大なるボクサーと共に同時代を生きて、彼の数々の試合を目に出来た。幸せこの上ない。永遠のモハメド・アリよ、安らかに眠ってください。サヨナラ。 
 
  
[畑]殺虫剤は最小限にして 
 
畑は害虫との戦いの日々 

5月ゴールデンウイーク中に植えた野菜の苗も、適度な雨と高温で、育ちは例年になく良い。直播のトウモロコシもマークシートの穴から元気よく飛び出し、そよ風に揺れる。日毎、我が子の成長を見るようで、畑に足を運ぶのも浮き浮きする。
 
いち早くキュウリもナスも実が生育して、花も次々に開いて、畑はちょっとした花園に変身する。そうすると、モンシロチョウが飛んでくる。これが厄介もので、ちょんちょん野菜に尻を付けていく。その度に夥しい卵を植え付ける。
 
油断すると忽ち卵が孵化して青虫となり、葉っぱがを食い荒らす。そこで虫取り網を買って駆除に当たる。うどん粉病もキュウリには憑き物で、葉が枯れてしまう。この病気には、酢を水で割り葉の表面、裏表に隈なく塗る、これが一番だというので試みた。
 
トマトの害虫駆除には、脇にバジルやネギ、ニラを植えるといいと専門書に書いてあったのでこれもやってみて、キュウリにはパセリ、花のマリーゴールドも推奨するが、昨今マリーゴールドは、香りが臭くなくなって効き目がないように思う。
 
いずれにせよ、収穫まで毎日害虫との闘いが続くが、殺虫剤は最小限にしている。全く使わない有機栽培もあるが、手間がかかるから私には無理だ。収穫期を想像しながらの畑作業は、私の癒しの一時である。
  
 
【特別連載】わが心のキックボクサー③ 
 
中京ジム・大沢と延長6回を戦った片山源太あり 
 
中京ジムといえば、西の黒崎健時といわれた三森(みつもり)義徳会長の風貌容姿が蘇る。空手道場からキックボクシング界に進出して、あの片山源太を育て上げた。”小さな巨人”大沢昇(目白)を散々てこずらせた男である。
 
片山は大沢とは2度戦いいずれも引き分け。S46年11月の全日本王者決定戦バンタム級では、5回引き分け(公式には引き分け扱い)で、決着を付けるために、何と延長戦を6回戦った挙句末の僅差判定負けだった。
 
延長6回、まるで荒野の決闘だ。これは延長戦の明確な規約が無いためこのような惨い試合となった。本来なら特例で2人同時王者を出すべきだった。2度目の試合も判定に差が出ず、ドローで王者大沢は防衛した。
 
極真空手が生んだ最強の男といわれる大沢に二度までも苦渋を飲ませた片山は、キックボクシング史に残る名選手である。無冠の王者といってもよい。私の忘れえぬキックボクサーの一人である。
 
弟に協同ジムで活躍した小源太がいた。引退後は町工場に勤め定年退職したが、勤勉さを買われそのまま同じ職場で正社員としてで働くいている。温和な五島列島出身のファイターも齢、68才になった。じっくり酒でも酌み交わしたい。
 
他に早川新介もいた。華奢な体でフライ級ランカーとして活躍、マネジャー的役割も担っていた。その後中京ジムを受け継ぎ早川ジムを開設した。フライ級王者になった丹代進選手もいた。
 
変わったところでは、ボクシングに転向して後に世界チャンプとなる浜田剛史と対戦したバーニー武田がいる。余談ながら病床にあるという三森会長さんにも、この場を借りて往年の御礼を申し上げたい。数々の試合を見せて頂きに感謝いたします。
 
 
現役時代は大沢昇と死闘を繰り返した片山源太さん(左端)
 
  
梅雨空に咲く青紫のアジサイ。

  
畑の隅にはカサブランカも咲いて、野菜を見守る。  

   

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2016年05月31日(火)

壮大な政治ショーが終わって/【特別連載】わが心のキックボクサー②/他

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第1回キックボクシング・デーの詳細はこちら
 
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[随感]サミット&オバマ大統領
 ~壮大な政治ショーが終わって~
 ~オバマ大統領の黙祷に感じたこと~
[大リーグ]ダル、マー君、マエケン
 ~圧倒的な存在感ダルビッシュ~
[花]ワスレナグサとは
 ~花の名に秘められた悲しい物語~
[イベント]7・30「キックボクシング・デー」
 ~その日会場は小劇場となる~
【特別連載】わが心のキックボクサー②
 ~称えよ、せんばジム戸高会長!~
 ~せんばに稲毛忠治あり!~
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[随感]サミット&オバマ大統領 
   
壮大な政治ショーが終わって 
 
安倍総理、作・演出・構成の壮大なG7サミットのドラマは何事もなく終わり、最後は米国オバマ大統領の広島訪問というクライマックスで政治ショーは完結した。めでたし、めでたし。
 
伊勢神宮参拝もあった。玉砂利を踏むG7首脳たちに伊勢神宮はどう写ったであろうか。賢島からの英虞湾の風景はさぞ印象に残ったであろう。
 
印象深かったのはやはりオバマ大統領、スレンンダーな長身の体躯は、何処に立っても絵になった。初めて私は気が付いたのだけど、大統領の移動には同じ物を二つ用意するんだね。 
 
     
オバマ大統領の黙祷に感じたこと 

岩国基地からの大統領専用ヘリコプターも二機だったし、広島に着いてからの平和公園へのキャデラックも同じものが二台、ところでどちらに乗るのかは、テレビのリポーターですら分からなかった。まるで007の映画のシーンを見るようで、アメリカの遣ること為すことは凄い。
 
平和公園に到着するや、先ず原爆資料館に入っていったのは予期しなかった。献花の後は、やや長い黙祷で、大統領の後ろ姿にこそ暗黙のメッセージがあるような気がする。
 
回りくどい演説だったけれど、これは謝罪じゃないんだよ、というアメリカ国内向けの苦肉の策だったように思う。核廃絶謳ったけど、割と地味だったのは、背後にこんな事情があったからだ、と私は臆断した。
 
いまなお、原爆投下は正しかったという国民が半数近くいるお国、大統領が広島へ来ること自体が危険な冒険だったと、私は理解するね。演説を終えて、被爆者代表と語り合い、且つ抱擁したシーンは恩讐を超えた瞬間だったね。被爆者の寛容と寛濶さに心揺さぶられた。
 
安倍総理の誤算は、消費税延期の理由としたかった、リーマンショック以来の経済危機との主張しは、賛同を得ず虚しさだけが残った。でサミットの一連のデモンストレーションに費やしたお金は、600億だと!
 
テロの危険を孕むサミットだから、大目に見るとしても、たった三日のサミットのために建築したプレスセンターは、約30億、終わればあっさり取り壊したという。
 
どこぞの体育館を利用したり、経費節約法はあったはずだ。現にドイツはそうした。だから同国は財政が健全だ。見栄もほどほどに。為政者は国の財政が破綻していることをいつも心の隅に置いて政治(まつりごと)を行うべきだ。 
 
  
[大リーグ]ダル、マー君、マエケン 
 
圧倒的な存在感ダルビッシュ 

1年9か月振りにマウンドに上がったレンジャーズのダルビッシュ有は、パイレーツを相手に5回3安打1失点で勝ち投手。肘の手術の不安を払拭した見事な投球内容だった。
 
身体つきも一回り大きくなったように見受けられた。威風堂々としたマウンド姿に、圧倒的な存在感を私は感じた。平均150㌔を超すストレートが軸となり、変化球も活きる。MAX158㌔も!目指せサイ・ヤング!
 
田中もようやく安定した投球外手で、3勝目を挙げた。ヤンキースのエースとして、彼の活躍がとにもかくにもチーム浮上の命運を背負っている。
マエケンは、ここ二、三戦振るわなかったが29日(現地28日)のメッツ戦で快投して4勝目を挙げた。
 
大リーグの日本人投手は、レドソックスの上原もいて実に頼もしい。球場も絵のように素晴らしく、応援も洗練されていて、テレビを見ても癒される。大リーグをBSで観戦するは、私の老後の楽しみの一つになった。 
 
  
[花]ワスレナグサとは 
 
花の名に秘められた悲しい物語 

先般書き記したように、花の名前を間違えたことで痛く反省した私は「散歩の樹木図鑑354種」を購入したり、図書館で「散歩でよくみる花図鑑」を借りたりと早速知識の狩猟に取り組み始めた。
 
これほどの探求心、旺盛な知識欲が中・高時代にあったなら社会に出て、苦労せずに済んだものをと、今になって悔いる私なのです。
 
花図鑑を捲ったら「ワスレナグサ」のページで目が留まった。心ひく名前はなんぞ理由がありそうだと思ったら案の定、素敵なストーリーが秘められていて、私は詠嘆した。
 
花の名の由来はこうだ。中世ドイツの騎士が恋人のためにこの花を摘もうとして、川に落ち流された。騎士は、溺れながら咄嗟に花を投げ出して叫んだ。「私を忘れないで!」(vergissmein nicht)これが語源。「散歩でよく見る花図鑑」家の光協会=写真・文:亀田龍吉より。
 
何とも悲しくも美しい名前の由来ではないか。花言葉は、私を忘れないで。別名、フォーゲット・ミー・ノート。欧州原産の帰化植物で、中心部が黄色い美しい青色の花である。嗚呼、知ることは人生を豊かにするものよ。 
 
  
[イベント]7・30「キックボクシング・デー」 
 
その日会場は小劇場となる 

「第1回キックボクシング・デー」の骨格が7・30に向かって徐々に固まりつつある。当日は仙台から元仙台青葉ジム瀬戸幸一会長が、全日本二代目バズーカ岸浪氏ら4人で参加してくれることになった。
 
増沢潔さんとのトークが楽しみである。また瀬戸会長は仙台興行の折のパンフやチケットなど、オークションに出展する品を多数持参するというから、マニアにとっては垂涎だ。
 
元会長と選手には、とっておきのサプライズも企画している。宴会あり、トークあり、オークションありで2時間30分をOBにもファンにもたっぷりエンジョイしてもらう趣向だ。 
 
  
【特別連載】わが心のキックボクサー② 
 
称えよ、せんばジム戸高会長! 

人に歴史あり。千葉ジム戸高今朝明会長はキックボクシングの生き証人である。創成期から今日までキックと共に歩んできた。「キック馬鹿だねえ、つまり。アッハハ!」と笑いながら、キックボクシングとの関わりを語った。
 
「キックが旗揚げするというので、タイからタイ式ボクサー(ムエタイ)の選手たちが来日して、野口さんが盛んに最強の格闘技だ、空手なんか問題にしないと吹聴していた。それで我々は当時空手の道場を品川でやっていたもんだから、これを聞いて目黒の野口ジムへ殴り込みを掛けたわけよ、空手を舐めんなとね。6人で品川から目黒まで、走ってよ、カッカしてね」
 
かくてムエタイ戦士と空手の決闘となった。レフェリー役は野口恭さん(野口ジム会長)がやった。「その結果は6人共、あっという間にKOされて、これは凄いやと、脱帽して野口修社長にキックへの参加を申し入れたわけです」
 
昭和41年4月に旗揚げしたキックボクシングだが鳴かず飛ばずで、「42年4月26日、新宿体育館で、3階級の東洋タイトル戦を行い野口さんは勝負に出わけです。で、うちの菊池功が初代東洋ライト級王者に就いた。ミドルが沢村忠さんで、ヘビーが藤本勲さんだった。藤本と木下尊義は凄惨な頭突き戦で、流血の試合だったよ」
 
ジムの前身は国際ジム(ヒロ井上会長)だったが、その後戸高会長がジムを引き継ぎ、ジム名も千葉(せんば)に変えて快進撃が始まる。一躍千葉ジムが注目を集めたのは稲毛忠治の出現だった。
  
  
せんばに稲毛忠治あり! 

49年1月、後楽園ホールで乗富悦司(目黒)を下し日本ウェルター級王座に就くと、さらに51年1月、ポスト沢村の富山勝治を撃破、東洋同級王座も手中にした。
 
稲毛は、富山とは1勝1敗1分けと五分。長髪、もっさりした動きから一瞬の間に相手を叩きのめすファイトは、差し詰め”キックの眠狂四郎”だった。
 
フライ級王者にテクニシャンの佐々木小次郎もいた。小気味よいファイトは、いつも好感がもてた。フェザー級王者には佐藤元巳もいた。日本ムエタイ連盟時代の話は知らないので省く。
 
キックにのめり込んだ男、戸高今朝明会長はジムを引き継いで 半世紀、その情熱は些かも衰えずジムでスパーリング対抗戦を開催して、地元のファンを熱狂させている。
 
見上げたものである。キックボクシングが連綿と息衝いているのは、戸高会長のような一途な情熱家がいるからだ。これぞ肥後もっこす、戸高今朝明の人生の歩み方に乾杯!「7・30キックボクシング・デー」には是非参加して話を聞かせて頂きたい。
 
◎千葉(せんば)ジム:千葉市稲毛区小仲台7-7-12 TEL043-252-3446

 
咲いた咲いた、クジャクサボテン!
 

白いアジサイも雨に咲いた

  
  

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2016年05月23日(月)

7.30 第1回キックボクシング・デー開催/【特別連載】わが心のキックボクサー①/他

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第1回キックボクシング・デーの詳細はこちら

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[イベント告知]7.30 第1回キックボクシング・デー開催!!
 ~皆で語ろう黄金時代のキック!~
[季節]夏は来ぬ
 ~失われた自然の営み~
[花]栴檀の花に寄せて
 ~木花名、失敗から学ぶ~
 ~身近な植物の名前を知らず~
【特別連載】わが心のキックボクサー①
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[イベント告知]第1回キックボクシング・デー開催!! 
   
皆で語ろう黄金時代のキック! 
 
7月30日(土)「舟木昭太郎のトークとオークションの午後 Part2、~第1回キックボクシング・デー」の会場が決まりました。
小田急線「代々木八幡駅&千代田線代々木公園駅徒歩1分の「七福パート2店」です。居酒屋テイストで、料理はイタリアンあり、姉妹店からの出前の焼き鳥あり、しゃれた佇まいのお店です。私と妻のよく行くお店です。

収容人数は最大55人です。今回も早々に定員になることが予想されますので、締切は7月20日ですが参加御希望の方は早めに申込をお願いたします。多くのOB、ファンの方の御来場をお待ち申し上げます。案内は下記要項の通りです。
 
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「舟木昭太郎のトークとオークションの午後」Part2 案内
「第1回キックボクシング・デー
 ~黄金時代のキックを熱く語れ!~

 
主催:「舟木昭太郎と語る会」

団体の枠を超えてOB&ファンが集まり黄金期のキックを語り合います。どなたでも参加できます。トークあり、オークションあり、酒と食事ありの2時間30分、どうぞ御賞味あれ!

◆ゲストホストは伝説のキックボクサー藤原敏男さん!

開催日時----平成28年7月30日(土)
開始時間----13時~15時30分。
参加定員----55名限定、先着順。
会場--------台湾料理の名店「麗郷(レイキョウ)富ヶ谷店」

電話:03-3485-3052
住所:渋谷区富ヶ谷1-14-18池田ビル1F
アクセス:千代田線代々木公園駅(2番出口)から徒歩3分
小田急線代々木八幡駅から徒歩7分。
会費----男性5,000円/女性3,000円(領収書発行可)

<オークション品>
 ◎藤原敏男大型ポスターの直筆サイン。
 ◎サイン会&写真撮影会
 ◎サイン入りグローブ
 ◎パンフ、新聞、雑誌、DVD他
 ◎OB持ち寄りのお宝グッズ。etc...

<申込方法>
メール、LINE、FAXのいずれかで。

「7・30キックボクシング・デー参加希望」と書いて、
住所、氏名、年齢(書かなくても可)、連絡先電話番号、又はメールアドレスを明記の上、下記宛先に。

◎メール:upper@lapis.plala.or.jp
◎FAX:03-3469-0685(アッパー)
お問い合わせ:03-3469-0620 〒151-0066渋谷区西原2-2-4 ㈱アッパー
 
 
     
[季節]夏は来ぬ 
 
失われた自然の営み 

初夏の季節とは、5月~6月始めの頃をいうらしい。俳句の季語に山笑うという、新緑若葉に燃えるさまを謳った言葉はまさに今時分にぴったり。
「夏は来ぬ」の詞もメロディーも好きだが、私の好むのは五番。
 
五月やみ 蛍飛びかい
水鶏なき 卯の花咲きて
早苗植えわたす 夏は来ぬ
 
私の小さい頃は、夕方になると蛙の大合唱に混じって、畦道から水鶏(くいな)のクックッという鳴き声が聞かれたものだ。
実家の横が田圃で、前が鮫川のせせらぎだったから、六月には川面から源氏蛍が湧い出てきた。田圃にはタガメやドジョウがのんびりと泳いでいたが、人類は農薬や洗剤といった便利な物を手にして、自然の営みを破壊した。そしてあの情景は、唱歌の世界だけになった。

  
[花]栴檀の花に寄せて 
 
木花名、失敗から学ぶ 

先般この項で花の名前で「柘植」(つげ)と書きましたが、「車輪草」の間違いでした。お詫びして訂正いたします。
 
ラジオ体操の公園で、御高齢の方が「この花は車輪草というんだよ」と御婦人に教えていたのを耳にしたのです。ええ?ホントかよ?と早速パソコンで検索したら、その通りでした。一つ勉強になりました。
 
しかしネットの初夏の木花の項に「車輪草」は出ていません。どうした訳でしょうか。それにしても柘植(正確には黄揚=つげ)と車輪草は酷似しています。よくよく凝視すれば、柘植の花は、やや黄色がかっていました。 
 
 
身近な植物の名前を知らず 

以来植物名に猛烈に興味が湧き、かつ如何に草木の花の名を知らないかを痛感していて、これを機に図鑑を狩猟して、真剣に学ぶことにしました。久々に猛烈に学問意識が湧いてきました。まさに失敗から学ぶです。

という矢先、今度はラジオ体操で顔馴染みの御婦人が、ねえ、舟木さんこの木、花咲いているでしょう、これ、前から何ていう木だろうと不思議に思っていたの、調べて呉れない、と申し渡された。木にはいまは盛りと薄紫の小さな花を付けている。

早速ネットで調べた。どうやら「栴檀(せんだん)」という名の木であった。前車の轍を踏まないために、樹木の皮質や葉っぱの形、花の色、格好と入念にチェックした。今度は間違いないと確信が持てる。因みに「栴檀は双葉より芳し(かんば)し」の諺は、白檀を指すらしい。

よく歌などに、名もない路傍の花、なんて謳われるが本来、人間が誰でも氏名がある如く、どんな雑草1本でも名前があるから、途方もない探索になる。私のライフワークになりそうだ。平成の牧野富太郎(日本植物学の父)を目指すか。 
 
【特別連載】わが心のキックボクサー①
 
増沢をKOしたバズーカ岸浪を生んだジム

第1回は仙台に青葉ジム(瀬戸幸一会長)あり。
仙台は、あの戦国武将伊達政宗の居城、青葉城があった。その武骨な精神を青葉ジムは受け継ぐ。

ジム第1号のチャンプはバズーカ岸浪、強打の増沢潔(山田)番狂わせのKOに下して全日本ウェルター級二代目王者になった。喜び爆発したあのリング上の光景はいまも脳裏に残る。彼は現在宣教師として、神の教えを信者に説く毎日を送る。

ミドル級2位まで登りつめた阿部正成は猪狩元秀との選手権で、痛烈な一発を猪狩に見舞い、あわやの場面を演出した。フェザー級ランカーにヤンガー石垣もいた。そしてヤンガー舟木は、引退直前の藤原敏男選手と戦って、5回KOで敗れた。82年7月25日のこと。現在は船木高虎の名でジムを開いている。

彼らを率いた猛将は、武芸百般の瀬戸幸一会長だ。数多くの勇者達を育て上げたその手腕は、高く評価したい。東北の地から虎視眈々、キック界を睨んだ。遠き日、野望の轍(わだち)の跡は、夢の跡。仙台に青葉茂れる時節である。

7月30日のキックボクシング・デーで、瀬戸会長、バズーカ岸浪、ヤンガー舟木、阿部正成君とも久しぶりに会ってみたい。藤原敏男、増沢潔両元王者も参加する。是非参加を!


大山公園に立つ栴檀の木、薄紫の可憐な花を咲かしている。

 
7月30日「ボクシング・デー」の会場となる七福パート2店。
  
    

DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
 
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