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2016年09月19日(月)

キック新団体・ムエタイベースの戦闘に期待/石原氏こそが伏魔殿の主/顧みられない3階級制覇の偉業

テーマ:ブログ

 
「舟木昭太郎のトークとオークションの午後」パート3は、シュートボクシング創始者シーザー武志会長を迎える「CAESAR'S DAY!」(シーザーの日)

「舟木昭太郎トーク&オークションの午後」PART3は、シュートボクシング協会シーザー武志会長の全面協力を得て、10月22日(土)午後1時~3時30分、渋谷区富ヶ谷「麗郷(レイキョウ)富ケ谷店」で”シーザーの日”開催の運びとなりました。限定50名、先着順ですので、お早めに、シュートボクシング協会並びに㈱アッパーにお申し込みください。

シュートボクシングは昨年2015年、創立30周年を迎えました。「創業は易く守成は難し」の言葉通り団体が生まれては消えゆくなかで、シーザー武志会長率いるシュートボクシングは続いています。花も嵐も踏み越えての30年、共に語れば、歴史が見える。皆様の参加をお待ち申し上げます。

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[豊洲]盛り土せず地下空間
~移転もままならず壮大な浪費~
~石原都知事の時代 何を残した~
[拳闘]偉業を顧みられない選手が不憫
~3階級制覇も珍しくなくて~
~国民的ヒーローだった具志堅さん~
[発展]蹴る!殴る!斬る!
~キックボクシング新団体~
~原始的な戦いこそ魅力ある~

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[豊洲]盛り土せず地下空間

移転もままならず壮大な浪費

築地市場の豊洲新市場への移転は見通しがつかなくなってきた。これほど杜撰な工事もあるまい。800億を上回る巨費を投じて地盤改良して、いざ建物が出来たと思いきや、何でも食品を扱う主要施設の地下が空洞になっていた、というのだ。空間には水深20㌢の黴臭い水が溜まっているらしい。

どうしてこういうことに至ったのか。どうやら石原都知事の在任中の08年、知事のこの発言が引き金となっているようだ。「箱ですね、コンクリートの。それを埋め込む事で、その上に、市場としてのインフラを支える。その方がずっと安く早く終わる」ビデオが証言する。


石原都知事の時代 何を残した

元々東京ガスの工場跡地で、有害物資が含まれるから、これは容易に片付く問題ではない。安全な土壌にするには、出来上がった建物を壊して、一から盛り土するか、あるいはコンクリートで固めるしか方法はあるまい。いまさら廃墟にはできないだろう。いずれにしろまた、金はかかる。いやはや壮大なる浪費。

石原都政は1999年~2012年まで続いた。一体この期間に石原都知事は都政に何を残したのか。週に3日の登庁、01年のガラパゴス視察では、ファーストクラスを利用した、旅はデラックスなものだったという。

宿泊施設が整った豪華なクルーズ船で4泊5日の視察は〆て1500万円也!舛添都知事の高額な海外出張に道筋をつけたのは、石原さんに他ならない。「(東京都庁は)伏魔殿だ!」とテレビで吐き捨てていたが、石原さんよ、他人事ではない。あなたがその伏魔殿の主だったのだ。


[拳闘]偉業を顧みられない選手が不憫

3階級制覇も珍しくなくて

長谷川穂積(真正)が、ウーゴ・ルイス(メキシコ)とのWBCスーパーバンタム級世界戦で、ルイスを9回TKOでくだして、5年ぶりに王座に返り咲いた。

長谷川は35歳9か月の日本最年長の王座奪取だ。同時にバンタム、フェザーに次いで、スーパーバンタムと3階級も制した。日本選手では、八重樫東、井岡一翔、亀の田興毅に次いで4人目。3階級制覇も希少価値ではなくなった。

1980年代前までは2階級制覇も至難だったのに、いまはいとも簡単に出来てしまう印象だ。これだけボクシング界が盛んなのに、人気は低空飛行、さっぱり盛り上がらぬ。テレビ局の視聴率は軒並み低い。


国民的ヒーローだった具志堅さん

8月31日の田口&河野のダブル世界戦は(テレ東)5%、9月4日の井上×ベッチバボーンの試合(フジテレビ)も10%に届かい。いずれもゴールデンタイムだから寂しい。

かつてこんなことがあった。具志堅用高さんが、引退して間もない頃で、世界戦の取材で三重県四日市市に同行した。あれは近鉄線だったと思うが、到着駅が近づいたので、我々二人は、車両を移動していた。

そしたら婦人会と思しき一団に出会った。さあ、大変、具志堅さんが捉まってしまった。おばさんがたは、カメラを持ち出し、私と1枚、私も孫のために、と我も我もと記念写真をせがみ、収拾がつかなくなってしまった。果物やお菓子を差し出す者もいた。

焦った私は、今度の駅で降りるのですみません、と強引に彼の手を引っ張った。ところが次の車両も御婦人方の団体車両で、ここでももみくちゃになり、危機一髪、辛うじて四日市駅で下車出来た。かように具志堅さんは、国民的英雄であった。

果たして3階級王者たちは、どうであろうか。ボクシングのヒーローが、国民的ヒーローであった時代、もうあんな万華鏡のような時代は、ボクシング界に二度と来ないのだろうか。三階級制覇も、山中の11連続防衛も霞むこの頃。偉業を成し遂げた選手が不憫だ。


[発展]蹴る!殴る!斬る!

キックボクシング新団体

ブシロード(木谷高明社長)という企業(ゲームソフト)がプロレス(2012年、新日本プロレスを子会社化)に続きキックボクシング運営に乗り出すそうだ。

小野寺力氏(RKIX会長)が主宰してきた「KNOCKOUT]を発展・解消する形で新たブシロードが、新団体を立ち上げるという。「蹴る、殴る、斬る」が売り。斬るは、言わずとしれる”肘打ち”のこと。

これはキックの原点、肘打ちを高らかに謳うもので、好感が持てる。最近は危険だからという理由で、肘打ちを禁止技にしている団体が多い。K-1、クラッシュなどだ。首を取っての膝げり攻撃も禁じている。

それぞれ団体によっては、現代風にアレンジ、提供しているが、それはそれでいいが、やはり私の見たいのはムエタイをベースにした原始的な戦闘だ。


原始的な戦いこそ魅力ある

危険なファイトだからこそ、そこに究極の攻防が繰り広げられ、見るものをはらはらドキドキさせる。格闘技は血の匂いが立つものであらねばならない。従ってブシロードの狙いは的を得る。

小野寺力君(42)のような若い世代が、強力なバックアップを得て、新たなステージでキックボクシングを切り開いていく。亡きキックの創始者野口修氏も喜んでいることだろう。私も小野寺君にエールを送る。

 

 

拙宅の台所に咲くスミレのような花。
葉を1枚ちぎって土の上に置くと芽が出てご覧のような花木に育ちます。

魔法の花といっても過言ではありません。


DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部 絶賛発売中!!
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2016年09月12日(月)

広島・黒田の無私の精神は哲学に通ず/障害者の戦いに畏敬の念/わが心のキックボクサー⑬ニシカワジム

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「舟木昭太郎のトークとオークションの午後」パート3は、シュートボクシング創始者シーザー武志会長を迎える「CAESAR'S DAY!」(シーザーの日)

「舟木昭太郎トーク&オークションの午後」PART3は、シュートボクシング協会シーザー武志会長の全面協力を得て、10月22日(土)午後1時~3時30分、渋谷区富ヶ谷「麗郷(レイキョウ)富ケ谷店」で”シーザーの日”開催の運びとなりました。

限定50名、先着順ですので、お早めに、シュートボクシング協会並びに㈱アッパーにお申し込みください。

シュートボクシングは昨年2015年、創立30周年を迎えました。「創業は易く守成は難し」の言葉通り団体が生まれては消えゆくなかで、シーザー武志会長率いるシュートボクシングは続いています。花も嵐も踏み越えての30年、共に語れば、歴史が見える。皆様の参加をお待ち申し上げます。

 

↓9月19日(月・祝)後楽園ホールで開催される

 『SHOOT BOXING 2016 act.4』のポスター

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[随感]市民球団が優勝した
~黒田の無私の精神~
[パラリンピック]障害者の戦いを見よ
~健常者は何もしていない~
[軍事]中国、北朝鮮が日本の軍拡に寄与
~核戦争も現実味を帯びてきた~
特別連載 「わが心のキックボクサー」⑬ニシカワジム
~藤原選手の最後の相手足立~
~パーヤップ×向山の死闘~

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[随感]市民球団が優勝した

黒田の無私の精神

広島カープが四半世紀振りにセ・リーグを制した。所謂市民に根差した球団が、大企業をスポンサーに持つ企業に勝った事に意義がある。

私は日本のプロ野球を見る事はほとんどない。ましてや贔屓の球団があるわけでもないのに、優勝が決まった試合だけは見た。黒田投手の歓喜の瞬間を見たかった。

先発黒田が投げて2点取られ、どうかなとテレビを離れていたら、広島の勢いはいまは違う。忽ち逆転した。普段テレビを見ないから、巨人も広島も知らない若手の選手が沢山いた。

ストッパーがきっちり抑え、ドラマチックな瞬間がやってきた。果たして黒田投手はどんな振る舞いをするんだろう、と注視していたら、歓喜の輪の中でストイックな男は新井と抱き合って泣いていた。

これなんだ、黒田が大リーグの20億の誘いを蹴り広島に戻ってきたのは、この感激を古巣の後輩たちと共に味わいたかったからなのだ、と私は勝手に解釈し柄にもなくもらい泣きした。

大リーグで5年連続の2桁勝利、それもドジャースとヤンキースという屈指の名門チームで、本来ならカープにいるような選手ではない。

人生金が全てじゃないというように、野球人生の最後をカープに託した願いが、これなんだ!黒田の思考回路は、まさに哲学に通ず、無私の精神そのものだ。

その無私の心がカープ若手の精神的支えとなり優勝に繋がったと思える。今年はオバマ大統領が広島にやって来た、そして25年ぶりの優勝、県民は勿論、被爆された方々も心底喜んでいることだろう。


[パラリンピック]障害者の戦いを見よ

健常者は何もしていない

障害者の五輪であるパラリンピックが、ブラジルリオで開催中だ。今年からNHKも本腰を入れて放送しているから、それを目にすることも多くなった。貴方も、目を凝らして見るがいい、なぜか命の泉湧く。

見るたびにアスリートたちの躍動に圧倒されてしまう。片足や片腕をなくしてもあるいは、五体不満足でも、なお些かも闘志を失わず、戦闘に参加する。その勇気に私は畏敬の念を抱くのである。

健常者の我に、君たちは恵まれた体をしながら何もしてないね、と彼らは叱責しているかのような気がする。そうだ、そうだ、歩けるのに歩かない贅沢。故に我駅の階段を歩む。

古代ペルシャにこんな諺(ことわざ)がある。「足のない人を見るまで、私は(履く)靴がないことを嘆いていました。」 障害者の祭典、パラリンピックは健常者にとっても、考えさせられる好い機会である。


[軍事]中国、北朝鮮が日本の軍拡に寄与

核戦争も現実味を帯びてきた

北朝鮮が高度の核実験を成功させて、人類を滅亡に導く核戦争が現実味を帯びてきた。いまの体制は、なにをやりだすか予想もできないので、遊ぶがごとく核のボタンを押すかもしれない。

国威高揚には核を保持することが手っ取り早い。安保理事国の五か国も、すべて保有しているし、インドとパキスタンもカシミールで衝突しているが、共に核保有国だ。それが現実で抑止力になり小競り合いで終わっている。

北朝鮮の核に晒される韓国でも、核を持つべしとの世論が巻き起こるかもしれない。そして日本も。それは時代に逆行すのだが、軍拡には好都合の環境になってしまった。

結局、尖閣に出没する中国、核開発の北朝鮮が日本の軍備拡張に寄与する。皮肉なもんだ。だからして中国の日本への軍備強化非難は当たらないのだ。


特別連載 「わが心のキックボクサー」⑬ニシカワジム

藤原選手の最後の相手足立

ニシカワジムは、目黒ジムの沢村忠と創成期のキックボクシング界をリードした西川純が1980年代葛飾区小岩に開いた。所属選手には、足立秀夫と向山鉄也がいた。彼ら二人は、歴史に名を留める戦いをしているので、冒頭に挙げた。

ジムはバブルで儲けたM建設の本社ビルの中にあった。この頃、既にTBSもキックボクシングの放映を止めて、野口系列ジムは行き場を探していた。

こうした時期に不動産で儲けた「朋昌」(石川勝将代表)が、キックを旗揚げ、日豊企画を窓口に日本キックボクシング連盟を発足させた。これに合流したのが目黒ジムを始めとする日本系で、ニシカワジムもいた。

何故ニシカワジムなのかというと、連盟に加盟する前の昭和58年、1000万トーナメントの藤原敏男選手の相手をつとめたのが足立選手なのだ。藤原生涯最後の試合である。

試合は藤原選手が3回KOで勝った。その直後リング上から観客に呼びかけた。「私は今日限りで引退しまします。長い間御声援ありがとうございました。」


パーヤップ×向山の死闘

向山鉄也も忘れてはならない。昭和61年11月24日(マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟主催)後楽園ホールでの 対パーヤップ・プレムチャイ(タイ)との試合は彼の生涯最高の試合だ。

ときのラジャムナン・ウェルター級Cパーヤップに、同級日本王者向山は堂々の真向勝負。ノーモーションから畳みかける強烈なタイ人の左ミドルキックに、脇腹から背中にかけて紫色に変色しながら 耐えた。

4回には右フックでダウンをタイ王者から取った。これがタイ王者の怒りに火を付けた。逆襲の修羅場、向山は何とかこらえて判定に持ち込んだ。

昭和54年に目黒ジムからデビューして10戦したころは5勝5敗と凡庸な選手だった向山が、新しい戦場では花を咲かせた。

ニシカワジムには、他にライト級王者甲斐栄二、フライ級王者赤土公彦もいた。ニシカワジムが最も光輝いた時代である。


露地栽培に秋野菜のキャベツ、ブロッコリーの苗を植える。

夏の名残の百日紅(さるすべり)が公園に咲き誇る。


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2016年09月05日(月)

シュートボクシング創始者シーザー武志を迎える 舟木昭太郎トークとオークションの午後パート3/他

テーマ:ブログ


「舟木昭太郎のトークとオークションの午後」パート3は、シュートボクシング創始者シーザー武志会長を迎える「CAESAR'S DAY!」(シーザーの日)

「舟木昭太郎トーク&オークションの午後」PART3は、シュートボクシング協会シーザー武志会長の全面協力を得て、10月22日(土)午後1時~3時30分、渋谷区富ヶ谷「麗郷(レイキョウ)富ケ谷店」で”シーザーの日”開催の運びとなりました。

限定50名、先着順ですので、お早めに、シュートボクシング協会並びに㈱アッパーにお申し込みください。

シュートボクシングは昨年2015年、創立30周年を迎えました。「創業は易く守成は難し」の言葉通り団体が生まれては消えゆくなかで、シーザー武志会長率いるシュートボクシングは続いています。花も嵐も踏み越えての30年、共に語れば、歴史が見える。皆様の参加をお待ち申し上げます。

 

↓9月19日(月・祝)後楽園ホールで開催される

 『SHOOT BOXING 2016 act.4』のポスター

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[随感]台風被害&豊洲新市場考
~己の身を守る心がけ~
~築地市場の移転延期~
~豊洲新市場は問題山積~
[習慣]今どきの子供は
~玄関で靴を揃える子たち~
[長寿]”パーおじさん”のこと
~羨ましき男の一生!~

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[随感]台風被害&豊洲新市場考

己の身を守る心がけ

岩手県岩泉町の高齢者グループホーム「楽(ら)ん楽(ら)ん」が先の台風10号による浸水被害でお年寄り9人が死亡した。誠に痛ましい悲惨な事故だ。最後に見たこの世の姿とは、押し寄せる浸水とは、哀れなではないか。

 

避難勧告を出す基準を超えていたが、町では対応に追われて出す機会を逸した、という。町長は「兎に角あっという間だったので」と、懸命に弁明している。

 

さもあろう、自分の非は誰でも認めたくない。天災だから仕方ないと開き直りにも聞こえる。これでは同じ間違いを起こす危険性あり。自然災害には、だからこそ日頃の備えが求められるのだ。ましてや高齢者の施設とあれば、尚更だ。

 

近くに川がある所、背後に山や崖が迫る所は、避難勧告が出ようが出まいが、独自の判断が何より重要、そのマニュアルを高齢者ホームが有していたら、犠牲は最小限度で済んだかも。

 

台風、地震の心構えは、自治体任せではダメです。企業も個人も、己の身は己で守る、自己防衛の精神が大事だ。海水温度の上昇で所謂ゲリラ洪水が頻発している。お互いに心がけたいものです。


築地市場の移転延期

小池都知事が、築地市場の移転を延期したのは正鵠を得る。地下水の水質調査もまだ答えが出ない内に、何を拙速に動くのか。人命に関わる重大な問題ではないのか。移転先の豊洲新市場は元々東京ガスのあったとこで、土壌汚染が懸念されていた。

 

このままでは、選手村や競技場への交通網の建設が遅れ、五輪に間に合わなくなるは、と煽り立てるは、小池都政に対する揺さぶりに脅しに見える。人命が先か移転が先か。


豊洲新市場は問題山積

何故こんなわけアリの場所に、移転先を決めたのか私には納得いかない。しかも豊洲新市場の建物の建設費が、当初予算では990億だったのが、2752億と膨張。

 

全体予算でも3926億(2011年)から、4年間で5884億(2015年3月)まで膨らんでいるとの報道を目にして吃驚した。(産経ニュース)幾ら資材が高騰したからと言って、どんぶり勘定だ。

 

業者からは、狭くて使い勝手が悪いと悪評も芬々なのに、反比例して建設費の膨らみは目を覆うばかり。五輪もしたり、当初の予算7500億円が、2兆円に達するらしい。アホな。五輪返上論も浮上しそうだ。

 

都議のドン、自民党前幹事長内田茂役員企業が、競技会場を次々に受注していると、文春が報じる。事実なら無視できない。五輪を絶好の稼ぎ時と、ハチのように群がる薄汚い政治家ども。徹底的に追及すべきだ。

 

小池知事には腰砕けにならないことを願うのみ。そうした出鱈目な事業費にどこまで切り込めるか、あなたの真価が問われる


[習慣]今どきの子供は

玄関で靴を揃える子たち

先般浅草花川戸にあるシュートボクシングのジムを訪ねた折に、子供たちの稽古風景を見せてもらった。シーザー会長が傍らにいたので、許しを得て子供たちに以下の質問をしてみた。

 

「君たちが"ただいま"と家に帰り、靴を揃える人はいる?いたら手を挙げて。」と質問した。予想に反して4割の子供がハイと答えた。思わず、エライ!と私は褒めた。

 

次に「誰に言われてそうしたの?」と訊けば、「お母さん」と元気に応えた者、そうかといえば「誰にも言われないけど、靴を揃えれば気持ち良いから」という中学生と思しき子もいた。なんと素晴らしい! 私の予想を超えた子供たちの発言に少々面食らった。捨てたもんじゃない、今どきの子供。「遣っていない人も、今日から始めてみよう」と結んだ。大人も見習たい。

 

私の実家は商家で、父が若くして亡くなって母が一人で店をきりもりしていたので、子供たちの躾はおなざりだった。玄関は靴や下駄、はたまた長靴が散乱していたが、それが当り前と過ごしてきた。

 

結婚して妻が、息子を躾けているのを見て、私も見習った。確かに玄関に履物が綺麗に並ぶと、帰宅した時に気持ちいいものだ。以来、我が家の習慣になった。「はじめは人が習慣をつくり、それから習慣が人をつくる」(イギリスの詩人J・ドライデン)

 

今どきの子供たちは、と蔑視するなかれ。帰宅して上がり框(かまち)に腰を落とし靴を揃える、今日の終わりは明日の始まり、少年の心は既に明日に向かって生起するのだ!靴を揃えるは人間形成の第1歩だ、と私は感じている。

 

【訂正とお詫び】

前週「シュートボクシング30年」に表現中下記の間違いがありました。お詫びして訂正いたします。

①"7階"の広々とした部屋→"3階" 

②文章後段の、"私も団体設立を進めたと彼は証言するが"→"私(舟木)も異種格闘技戦を勧めたと彼は証言するが"です。
(9/5訂正済)

[長寿]”パーおじさん”のこと

羨ましき男の一生!

パーおじさんは、80才を過ぎて結婚して、二児をもうけて、122才の時二人目の妻との間に一児をもうけた。1635年、152才と9ヶ月で亡くなった。

 

1635年から逆算するとパーおじさんは、1483年生まれということになる。英国史上最長寿の人物である。これには歴とした証人がいる。

 

高名なウィリアム・ハーベイ博士(解剖学者)が、検視した。それによって、最高齢の長寿としてお墨付きを与えた。

 

名前はトーマス・パー。実はこのお人がスコッチ・ウイスキー「Oldparr」の商品名の由来なのである。(「ウォールデン森の生活」ヘンリー・D・ソロー著、今泉吉晴訳=小学館)より。

 

オールド・パーのHPを開くと「15世紀から17世紀にかけて、152歳9か月の長寿を全うし、英国史上最長寿、といわれた伝説の人物トーマス・パー」とある。 何とも羨ましい男の一生である。

 

このエピソードをOldparrをこよなく愛したあの田中角栄元総理や格闘技界の天皇黒崎健時先生、果たして知っていたかどうか。ご存命の黒崎先生にはOldparrにあやかって長生きして欲しいものである。

 

 

露地栽培のパプリカ、元気良く育ちほんのり赤みが射してきた。


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2016年08月30日(火)

シュートボクシング30周年・創始者シーザー武志という男/他

テーマ:ブログ

9月19日に開催されるシュートボクシング大会ポスター

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[随感]北朝鮮よ、火遊びでは済まされない
 ~尖閣諸島を脅かす中国もだ~
[歴史]シュートボクシング30年
 ~創始者シーザー武志という男~
 ~出発点はキックボクシング~
 ~旧UWFとの出会いがヒント~
 ~次の一手に注目~
[季節]夏も終わりに近づいて
 ~夏の終わりはしんみり~

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[随感]北朝鮮よ、火遊びでは済まされない

尖閣諸島を脅かす中国もだ

北朝鮮の火遊びにも困ったものだ。アメリカが相手にしてくれないので、子供みたいに次々に嫌がらせをしている。そのとばっちりをモロに受けているのが日本だ。
テポドンに、潜水艦からのミサイル発射は、射程がその都度伸びて、何でもアメリカ西海岸は攻撃圏内とか。勿論、我国はいつでも攻撃できるとの示威だ。火遊びが、取り返しのつかないことになることも、北朝鮮は頭の隅に置いておくべきだ。

中国もしたり、尖閣諸島への侵犯行為も挑発で済まされない、偶発的な戦闘の可能性もある。もっとも、中国は島を占領してしまえば、我物と思っているのかもしれない。
韓国による竹島が最たる例、奪われたものを武力で取り返すことは困難、特に先の大戦で日本は韓国に後ろめたい気持ちがあるから、猶更声高に物言いず、これを良いことに韓国は竹島を我が物にした。

イギリスのサッチャー首相は、アルゼンチンに奪われたフォークランド島を、電撃作戦で奪還した。これなどイギリスの不退転の決意がそうさせた、稀れな例。日本はここまで出来まい。結局「力は正義なり」


[歴史]シュートボクシング30年

創始者シーザー武志という男

浅草花川戸は隅田川を背にした町である。川に沿って公園が細長く伸びている。遊覧船の船着き場もある。蒸し暑い日でも、川風が涼しく癒してくれる。川を挟み目前には東京スカイツリーがドーンと聳える。

仲見世から足をのばせば、ほんの4,5分。シュートボクシングの聖地は、こんな景観の中にある。ビルの3フロアを駆使したシュートボクシング本部とジムは、機能的だ。

会長は言わずも知れる創始者シーザー武志氏(61)だ。会長室に通されたが「子供たちが稽古中なので、見ますか」というので、稽古場に降りた。

折しも子供たちの稽古の最中で、指導しているのは宍戸大樹先生、元シュートのチャンプ。先だって引退式を行った。子供たちの身に着ける胴着はと目を凝らすと、それはドラゴンボールと瓜二つだ。

「子供たちにどんな胴着がいい?と訊いたら、ドラゴンボールのようなもの、というので。」シーザー会長は、満更でもない笑顔を私に見せた。上意下達が当たり前の武道の世界で、微笑ましい逸話だ。

「いつもはもっと大勢いますよ」(シーザー氏)小学生らしい10人程が、ワンツーを絶え間なく繰り出していた。彼らがシュートボクシングの明日を担うのだ。頼もしそうに見つめる総帥の目は柔和だ。

会長室は、スカイツリーがまるで額縁の中に嵌め込んだように、窓から手を出せば届きそうだ。3階の広々とした部屋には、あの頭山満翁(戦前の右翼の巨頭)の掛け軸あり、キンさんギンさんの100歳の手形があり、室内を眺め回して飽きない。


出発点はキックボクシング

ジムにお邪魔するのは、かれこれ14~5年ぶりになるから道に迷った、と話したら、彼は、意に介さず「舟木さんとのお付き合いは45年になりますよ。ゴングに書いてもらった記事に感激したことを今でも覚えています。」何だかシリアスになった。

彼の出発点はキックボクシングだった。駆け出しの頃は、大阪西尾ジムに所属していた。村田友文、本名を名乗っていた。色白の痩身の若者で、根ばっこく相手に仕掛け続けるファイトに、私は心惹かれるものがあった。彼はどこか違うぞ、そんな印象を抱いた。あの頃、僕も貴方も若かった。

高校時代彼は泣く子も黙る、大阪の総番長を務めたいたとは、後で知った。高校を中退してのキックボクシング入り、喧嘩だけでは物足りなかったのかも知れない。或は試合は喧嘩より面白かった、のか?忽ち頭角を現した。

その後上京して、大和ジムに籍を置いた。TBS系は目黒ジムが主力で、沢村、富山、樫尾、亀谷など錚々たるスタア選手がいた。新興のジムながらキックの晩年、王座決定戦で不知火隼人をKO、日本ウェルター級王座に就いた。しかしやがてキックも陰りが見えて、TBSも放映を止めた。


旧UWFとの出会いがヒント

そんな頃、山口県の同郷、プロレスラー佐山聡選手(初代タイガーマスク)に会う。佐山選手の紹介で、旧UWFカール・ゴッチ氏や前田日明、高田延彦選手等に出会う。彼らが新たに興す団体は過激なプロレスを標榜しており、旗揚げ(1984年)に当たり、本物の蹴り(キックボクシング)を追求していた。

その指導者として彼に白羽の矢が立った。この接点がシュートボクシング創設へのヒントになったことは言うまでもない。私も異種格闘技戦を勧めたと彼は証言するが、私の記憶からは欠落している。

いずれにせよ、旧UWF勢を指導する中で、パンチに蹴りに、投げ技を組み合わせるシュートボクシングは生まれたのだろう。換言すればハイブリット格闘技だ。

前田選手、佐山選手に出来るのだからと、シーザー自身も1985年9月、意を決して立ち技総合格闘「SHOOTBOXING」を興した。蹴る、殴る、投げる、極めるの要素に、スパッツを穿いたスタイルは、格闘技界に波紋を投げかけた。

但しこの新たな格闘技には、既存のボクシングやキックボクシング、プロレス団体は冷ややかであった。「いつまで持つか」。そんな中、シーザーは、プレーイングマネジャーとして奮闘、屋台骨を牽引した。ホーク級王座にも就いた。

幾多の困難を乗り越え昨年両国国技館で30周年の記念大会S-cupを盛大に開催した。格闘技団体が生まれては消える中で、30年を超える団体はボクシングを除き稀である。「創業は易く守成は難し」だ。先ずもって、彼の手腕に敬服する。


次の一手に注目

遮二無二突進した30年が経った。時代は少子高齢化で興行は、益々難しくなった。しかし、地元浅草「花やしき」をホームリンクに、若手の試合を今後定期的に開催していくことに意欲を示す。

シーザー会長の強みは何といっても、その多彩な人脈にある。政治家から実業家、はたまた芸能人、アスリートまで。結婚式の仲人は友人の歌手吉幾三と山本譲二だった。酔った二人の掛け合いも楽しかった。

「Beeタワーが取り壊され、跡地にスタジアム構想がありまして、そこをシュートボクシングの常設会場にするべくオーナーと話し合っています」(会長談)。シーザー武志会長の次なる一手が注目される所だ。

ジュリアス・シーザーは、エジプトに侵攻した際、馬上兵士に向かってこう言った。「諸君!エジプト4000年が我々を見ている!」襟を正せ、そして進もうという訳だ。

差し詰め、シーザー武志会長なれば「諸君!シュートボクシング30年の歴史が見ている!」か。歴史を創った男、シーザー武志会長の今後を括目したい。旧友の成功は我ことのように嬉しいものだ。

因みに、そのシュートボクシングの試合が 9月19日(月・祝)後楽園ホールで5時30分から開催される。どうぞご観戦を!


[季節]夏も終わりに近づいて

夏の終わりはしんみり

リオ五輪も終わり、夏の高校野球も終わり連日の台風に、急に秋を感じる。露地栽培のトマトもキュウリも収穫が済んで、片づけに追われる。雨上がりの空は澄み切って、畑に残された竿にはちらほらとんぼが飛来する。

秋空を一人占めたる湖水哉 昭太郎

蝉の鳴き声も流石に数が少なくなった。夏の終わりの絶叫が続く。咲き誇ったむくげも、さるすべりも盛りを過ぎた。代わって背だけを思いきり伸ばしたコスモスが、おとぎ話をするかのように、ゆらゆら風に遊ぶ。

九月も祝日が二日もあり、三連休もある。実のりの秋は旅行の季節でもある。秋分の日、線香をたむけに田舎(福島)に帰省しようかな、と柄にもなくしんみりする。


会長室でシュートボクシングの未来を語るシーザー会長


DSC_0429 少年たちの稽古を見つめる会長とその横は宍戸先生

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2016年08月23日(火)

リオ五輪閉幕/吉田沙保里よ堂々胸を張れ!/ わが心のキックボクサー⑫協同ジム/他

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[随感]リオ五輪閉幕
 ~困難に立ち向かったリオ組織委員会~
 ~開催も危ぶまれた~
[五輪]400㍍リレーは世紀のアップセットだ
 ~日本式改善がもたらした銀メダル~
[五輪]吉田沙保里よ、堂々胸を張れ!
 ~吉田、汝を貶める事なかれ~
 ~後進の指導をする使命~
【特別連載】わが心のキックボクサー⑫協同ジム
 ~鉄腕・錦を擁してTBSに迫った~
 ~多彩な選手でリングを飾った~

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随感]リオ五輪閉幕

 
困難に立ち向かったリオ組織委員会

 

遠足の日を待ちわびる少年の心と似て、いざその日が来てしまうと、あっけなく過ぎてしまう。リオ五輪も、矢のように過ぎた17日間だった。
日本にとっては実りのあるオリンピックだった。史上最多41個のメダル総数はいうまでもないが、日本では日陰の花のようなカヌーと競歩でともに銅メダル、バトミントン女子ダブルスでは、金メダルと目を見張らせた。今後これらは競技人口が増えるだろう。4年後に力強い味方だ。


五輪旗の引き渡し式では、雨の中、バッハIOC会長から小池東京知事に五輪旗が渡され、大きく軽やかに5度6度と振った。4年後2020年、東京五輪は待ったなしだ。消去法でいけば都知事は、小池百合子女史で正解だったかな。雨の中、和服姿が凛としていた。見栄えがした。
 

 
開催も危ぶまれた

 
リオ五輪は、デモや競技施設の遅れ、はたまた大会直前にはルセフ大統領の弾劾裁判など次々に問題が噴出、大会の開催も危ぶまれた。  

 

選手村宿舎に一部不具合があったり、プールの水が緑色になったり多少はトラブルがあったが、私が心配したようなテロや突貫工事での競技場の建物が崩れる、といったこともなく大会が終了した。目出度し。  

 

ブラジル五輪組織委員会は見事困難に挑戦して、立派に成し遂げた。競技は、時間に正確で「時間にルーズなブラジル人」を想像していた外国関係者を驚かせたという報道もある。ブラジル観が変わった?  

 

巨大イベントを成功させたことで、ブラジル国民は有形無形の誇りと自信を持ったことだろう。サッカーが国技みたいな国だから、自国開催でブラジル代表が金メダルだったのはご同慶の至り。  

 

PK戦になり、最後ネイマールがキッチリ決めたときは、我事の如く胸を撫で下ろした。さあ、次は東京だぜ、用意はいいか。
 

 
[五輪]400㍍リレーは世紀のアップセットだ


日本式改善がもたらした銀メダル

 

日本のメダルラッシュに沸いリオ五輪だけれども、私の一番印象に残るにはやはり、男子400㍍リレー決勝だったね。  

 

日本も驚いたが、外国人からしても、信じられない出来事だったと思う。小国が大国を下したと世界を驚愕させた日露戦争みたいなもので、世紀のアップセット(番狂わせ)だよ、あれは。  

 

ノーマークの日本選手が、アメリカを抜き去って、突然2位に躍り出たのだから、それは吃驚だ。100年経ても勝てないと思っていた相手を抑え、あの最速の男ボルトに食い下がったケンブリッジの走りには、鳥肌が立った。  

 

報道などによれば、予選を全体の2位、37秒68で通過したが、この数字ではメダルに届かない、と選手たちは判断、バトンパスの位置を微調整したという。この結果2秒97短縮、バトンパスの技術で銀を手にした。何とも日本人らしい、緻密な作戦だ。  

 

なにやら、トヨタのコストダウン「改善」を思わせる。絶えず「改善」。小国が大国に勝つために、我々の先達は、戦争であれ、経済であれ散々腐心してきた。リオの400㍍リレーは、日本人の改善の叡智がもたらした銀メダルではないのか。
 

 
[五輪]吉田沙保里よ、堂々胸を張れ!

吉田、汝を貶める事なかれ

 

レスリングの吉田沙保里は、決勝で負け4連覇を逃した。「取り返しのつかないことをした」と号泣、何とも痛々しかった。記録は破られるためにある。吉田よ、汝を貶(おとし)める事なかれ。汝は16年間女子レスリングを牽引してきた。その功績は燦然だ。堂々胸を張れ!

 

人は衰えるものだ。秋山政司さん(日本ライト級19度防衛=報知新聞記者、故人)が私にこんなことを漏らした。「ボクサーというものは、いつでも自分が一番良いときのことしか頭にないんだよ。あと1㌢、避けていれば奴のパンチを喰わなかった、と悔やむんだ。それが分っていても、出来なくなるのが衰えというやつなんだが。」
 

 
後進の指導をする使命

 

ヘレン・マルーリス(米)との53㌔級決勝戦。見ていて、どうも吉田の動きが緩慢で、いつもの切れがない。先手先手と攻められて、切り返しの反撃がない。 なるほど、秋山さんが言ってたのは、これなんだ。脳が指令を出しても、身体が素早く作動しない、これこそが吉田の衰えなのだ、と感じていたら、ずるずると敗戦の道を辿った。  

 

盛者必衰。吉田沙保里も33才、4年後を狙うには些か体力的にも限界だ。引退して更新の指導に当たって貰いたい。  

 

女子レスリングの五輪種目を見据え、世界に先駆けて選手育成に取り組んだアドバンテージも、そろそろ効力がなくなり、外国勢の進出、活躍も顕著だ。吉田には女子レスリング王国を死守する使命がある。

 


【特別連載】わが心のキックボクサー⑫協同ジム

鉄腕・錦を擁してTBSに迫った

 

68年(S42年)、日本テレビがTBSに負けじとキックボクシングの放映に踏み切った69年1月の約1年前に協同ジム創設された。協同プロモーションが興行を仕切った。  

 

ジムは水道橋の後楽園近くの旧田辺ボクシングジムが居抜で使用できた。経営の親会社は、主に外人タレント&ミュージシャンを招聘する業界最王手キョードー東京(嵐田三郎社長)。  

 

先行する野口-TBSラインに、協同-NTVはガチで勝負を挑んだから東京12チャンネル(現テレ東)、NET(現テレ朝)も色めき立って、間もなく参戦に踏み切った。キックボクシング戦国時代の夜明けだ。  

 

68年9月(後楽園ホール)が旗揚げ興行で、メーンは嵐五郎(現在、極真館の盧山初男館長)で、タイのクンスック・カチャーピチットと対戦した。嵐は同局の命運をになったが、ほどなくキック界から姿を消した。  

 

興行本部長が元大山道場(後の極真空手)出の神村栄一氏だったから、この人脈でその後も岩見二郎や曽我康行、大沢昇(12CHがキックを放映さてると、黒崎師範の関係で移籍)など、大山道場勢が加わった。

 


多彩な選手でリングを飾った

 

キックボクシングには、蹴り技をもった実戦空手が最も相応しく、即戦力となれると踏んだのである。69年1月に同局の放映がスタートすると、潤沢な予算に物を言わせて、3度のラジャダムナン遠征を敢行するなど、次第に耳目を集めた。  

 

中でも「電光回し蹴り」「鉄腕」のセンセーショナルな呼び名で、破天荒なファイトをみせた、錦利弘(協同)は、TBSの看板選手沢村忠の向うを張って人気を集めた。  

 

個性豊かな選手も集った。TBSにはない華やかさで次第にリングを飾るようになっていった。千葉元、椎奈孝、近藤一、船田真治、福島三四郎、風間健、異色の外人選手レイモンド・エドラーもいた。コロンビア大学出のインテリだった。  

 

この顔ぶれに、杉並ジムの江口和明、鶴田幸成に中京ジム片山源太、山田ジムフライング・ジャガー、増沢潔らが拮抗した。  

 

私はNTVキックを取材するのが楽しかった。協同ジムのトレーナーはダド・マリノ(比国)のマネージャー、サム一ノ瀬を兄に持つレジ一ノ瀬だった。大らかな人で、日本語が苦手な日系ハワイ人は、まだフリーの駆け出しライターを丁重にもてなしてくれた。  

 

71年6月、全日本キックボクシング・コミッション(石原慎太郎コミッショナー)は設立され、NTV×12CH系の統一王者を決めるトーナメントが始まった。この戦いで猛威を振るったのは、12CH系藤原敏男が所属目白ジムの猛威に、次々に協同の人気選手が陥落して行った。  

 

最大注目の錦利弘も、ウェルター級予選で同系列の増沢によもやのKO敗、同年11月の決定戦でも敗れてNTVは看板選手を失った。それでも同局は76年1月まで放映をつづけた。放映が中止されると、協同ジムも閉鎖されたが、実況は、あの若き日の徳光和夫アナがいた。いまや司会の巨人!  

 

私は69年から本格的なキックボクシングの取材に励み、これにのめり込んだ。キックを通して、ボクシング、プロレスと格闘技全般に興味を持った。その延長線上に、ゴング(日本スポーツ出版社)に仕事を得た。第二の青春遥かなり。

 

 

大雨の後に青空あり

 
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2016年08月15日(月)

美しい柔道・大野将平が見せた武道の心/ ボクシングも4年に1度統一戦を/【特別連載】⑪城東ジム

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[随感]美しい柔道  ~大野将平が見せた武道の心~
 ~トレセン効果が出た~
[五輪]重圧に負けなくなった日本選手
 ~世界に1つだけのメダル~
[王座]F原田が二階級を制した時代
 ~ボクシングも4年に1度統一戦を~
[南進]中国の海洋侵略
 ~日本の覚悟を見せる時だ~
【特別連載】わが心のキックボクサー⑪城東ジム
 ~下町の太陽・玉城良光を生む~
 ~不倒王の異名~
 ~膝蹴りで内臓破裂~

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[随感]美しい柔道

大野将平が見せた武道の心
「礼に始まり、礼に終わる」は武道の心得だが、柔道級73kg級金メダリストの大野将平はまさしくそれを実践してくれた。

勝者大野の敗者オルジョフを敬う態度に、すがすがしいものを感じた。勝ち誇るでもなく、淡々とした姿は、あの東京五輪で神永を下したヘーシンクを思い起こさせた。

彼の目指すのは「美しい柔道」、これぞ武道の神髄。只、勝てばよいという外国勢の荒っぽい試合を見るにつけ、これは日本古来の柔道じゃないと感じていた私は、彼の言葉に我が意を得たりだ。

かつて黒崎健時会長がいった。「武道の精神が残るのは剣道だけだ。勝っても、粛々とお辞儀して別れる。いまやブドウ(武道)は山梨にあるだけだよ。」ジョークを交えて語った。会長が孫に剣道を習わせたことはいうまでもない。


トレセン効果が出た
それにしても五輪も折り返しの8日目(14日現在)金7、銀3、銅14個計24の数字は予想外の上出来、やはりトレセン効果が大きい、と私は推察するのだが。

平成20年1月に都内赤羽に開所した「味の素ナショナルトレーニングセンター」(以下トレセン) の存在だ。これにより「競技者が同一拠点において集中的・継続的に強化活動が可能」(トレセンについて、より)となり五輪強化選手は、設備が整った施設で練習に没頭できる。

8年を経てその効果のほどが顕著に表れたといえる。何もしなければ、何も生まれない。投資せよ、さらば与えられん!国家プロジェクトとして、取り組んだ成果だ。4年後の東京五輪は、ジュニアクラスが見事に花開くであろう。


[五輪]重圧に負けなくなった日本選手

世界に1つだけのメダル
ここ一番のプレッシャーに弱いとの定評があった日本選手が、リオではまるで別人種のように逞しかった。その最たる例は、体操個人総合の内村航平、奇跡の大逆転で金をもぎ取った。

水泳の平泳ぎ200mの金メダル、金藤理絵は優勝候補のプレッシャーを背負っても、跳ね返して見事大願成就。コーチは言った「人間が変わった」と。やる気を起こさせたコーチが偉い。

ロンドン大会では惨敗した柔道は、男子は全階級がメダルに絡む躍進だ。金3個、井上康生監督面目躍如、選手は指揮官によって変わる。会社も経営者で変わる。ダメな会社は、経営者を変えてみな。

戦争がその最たるものだ。旅順攻略、指揮官を変えたら活路を開いた。「一頭の羊に率いられた百頭のライオンは、一頭のライオンに率いられた百頭の羊の群れに敗けれるものである。」 けだし名言だ。但し重いクラスでの「柔よく剛を制す」の柔道を東京五輪では見たい。100㎏超級リネール(仏)あれは、立っているだけで金メダルを獲った、原沢久喜選手も犠牲者だ。ああいう男をぶん投げるのだ。真の柔道王国到来は、それから。

世界に1つだけのメダルに、嗚咽する勝者は美しい。女性であれ男性であれ。顧みてボクシング、WBA、WBC、IBF、WBOと4団体のチャンピオンが「我こそ世界一」叫ぶ虚しさ。面倒だから4年に1度、真の世界一を決める戦いを敢行してはどうか。


[王座]F原田が二階級を制した時代

ボクシングも4年に1度統一戦を
ファイテング原田さんが活躍した頃は、ボクシングも一団体で文字通り世界で一人だけの世界王者だった。重みが違う。

階級は8階級しかなく(現在17階級)、そこで原田は、フライとバンタム二階級を制した(1960年代)。バンタム王者は”黄金のバンタム”と謳われるエデル・ジョフレ(ブラジル)。この相手に勝った。

ジョフレは生涯2度しか負けていない。その二敗が原田に敗れたものだ。原田に敗けれてその後3年間休養して、再起。何と引退するまで25連勝した。

驚くべきはWBCフェザー級をホセ・レグラから奪取して1回防衛したこと。生涯戦績72勝50KO2敗4分け。こんな伝説の男に勝った原田も凄い。ボクシングが五輪のように輝いていた時代だ。


[南進]中国の海洋侵略

日本の覚悟を見せる時だ
中国の南進は止まることを知らない。南沙(スプラトリー)諸島の浅瀬は見る間に埋め立て、既に軍事拠点化している。7月に常設仲裁裁裁判所で、南シナ海での一連の行為は、違法と断定されたにもかかわらずだ。蛙の面に小便とはこのことだ。

当然東シナ海の尖閣諸島もその視野に入る。6日には接続水域(領海の外側)に中国海警船舶6隻、その周辺には230隻の漁船が群れになって航行、尖閣諸島は中国の島ぞとデモンストレーションだ。領海侵犯は日常茶飯事、それでも日本は「穏便」にと、ひたすら「忍」の姿勢。

これを好いことに中国は増長して、我が物顔だ。気が付いた時には、尖閣諸島に漁民が上陸して五星紅旗を掲げているかも知れない。「実効支配」の先兵だ。もうそろそろ日本政府も、好い子、ぶりっ子をやめ「日本の覚悟」の程を見せる必要があるのではないか。

ボーイスカウトの万国共通の標語にこんな言葉がある。「常に備えよ」


【特別連載】わが心のキックボクサー⑪城東ジム

下町の太陽・玉城良光を生む
ジムは下町は葛飾区金町にあった。私(舟木)は、昭和46年、全日本の統一王座決定戦を前にした城東ジムを訪ねている。

城東ジムは町工場が密集した一角に自宅兼ジムがあり、折しも玉城選手が黙々とサンドバックを叩いていた。薄暗いジムに玉城選手の唸り声が木霊していたのが印象に残る。決戦を直前にした玉城選手の出来具合を取材した。

会長の鈴木実さんは、日本拳法空手道山田辰雄門下、スパルタ特訓で鳴る人だった。不倒王・玉城選手は昼は鉄工所で働き仕事が終えると練習に励んだ。元々は柔道を習っていた。沖縄佃江村出身。ウチナンチューは泣き言をいわない。

不倒王の異名
負けず嫌いだったことが持ち前の闘志に火をつけた。ライト級初代王座を争ったのが後にラジャダムナン・ライト級王者となる藤原敏男選手。71年11月5日、玉城選手は必死に食い下がったが、小差判定負け。

続く72年6月21日に再度藤原選手の王座に挑んだが同じように判定で敗れた。その後藤原選手が王座を返上すると、リベンジは出来なくなってしまったが、玉城選手は2代目全日本ライト級王者として、あるいはWKA同王者として全日本の屋台骨を背負って行った。

玉城選手の凄さは驚異的なスタミナと恐れを知らぬ突進ファイトにあった。玉城と戦ったセンサク・ムンスリン(タイ)後年私に言った。「タマシロ、あれは化け物だよ、俺の膝蹴りやパンチをいくら食っても前進してくるんだから」結局玉城は壮絶なKO敗だったが、試合後が大変だった。


膝蹴りで内臓破裂
腹に受けたセンサクの膝げりで内臓を破裂していたが、我慢して戦っていた。で、試合後金町に帰る電車の中、御茶ノ水駅に差し掛かった時に、激痛が走った。たまらず悶絶、救急車で病院に運ばれた。緊急を要する重症だった。玉城の我慢・忍耐を語るエピソードとして今に伝わる。

72年12月の日本系との交流マッチでは、肘打ちの名手・飛馬拳二(横須賀中央)を4回KOに降し全「全日本に玉城あり」をアピールした。因みに飛馬は、4階級制覇者でポスト沢村の一番手、富山勝治(目黒)と3度戦って3度勝っている強豪だった。

引退後は綾瀬駅前にムエタイを見ながら飲食ができる、レストラン・シアター「タイ料理オーエンジャイ」を経営するなど実業家の側面も見せた。いまも健在、葛飾柴又で「オーエンジャイ&東京北星ジム」を主宰する。玉城良光、生涯戦績105戦76勝(63KO)16敗13引分け。

城東ジムには鹿児島出身、フライ級で活躍した松下浩がいたが、彼の「浩」は、その軽快な動きに惚れた俳優・川口浩が与えたもの。ミドル級王者になった安島貴志もいた。安島は城東ジムから渡辺ジムに移籍、長い選手生命を送った。

沖縄県出身のキックボクサーといえば、日本系の亀谷長保(目黒)が有名(全国ネットのTBSで知れ渡る)だが、玉城良光の功績も計り知れなく甲乙付けがたい。”不倒王”玉城の名は永遠だ。


連日の猛暑に露地栽培のトマトも熟成。

 

畑のヒマワリは強烈な太陽にも負けじ!




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2016年08月08日(月)

天皇のお気持ち表明、政府は早急に検討に入るべき/リオ五輪デリマさんは最も最終走者に相応しい/他

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[随感]天皇のお気持ち表明
 ~明快な「生前退位」~
[開幕]リオ五輪の素朴な演出に好感
 ~地球温暖化を世界に警告した!~
 ~東京もリオの開会式を見習え~
[競技]三宅宏実の銅メダルにはらはら
 ~48㎏級、金メダルはタイ人だ!~
[蝉]何故か鳴声が少なくなった
 ~大地に無数の蝉の穴~
 ~あの故郷の夏の日~
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[随感]天皇のお気持ち表明 
   
明快な「生前退位」 
 
「天皇のお気持ち表明」は、天皇陛下の率直な気持ちを国民に吐露された。「生前退位」を強くにじませたものと、私は受け止めた。陛下の揺るぎない意思として、政府は早急に検討に入るべきだろう。
 
欧州などでは、王位継承は簡単な声明文を読むだけで事足りるが、日本の場合天皇陛下は象徴であるが故に、憲法に抵触する恐れがあるから、それができない。隔靴掻痒(かっかそうよう)とはこのことだ。言いたくても言えない。
 
摂政も望まないというから、陛下の願いは明快である。御希望に沿った形になるのが国民の大多数の願いであろうと思う。憲法改正、皇室典範に絡む問題であろうが、是非、クリアして天皇陛下を楽な立場にして差し上げたいものである。 
 
     
[開幕]リオ五輪の素朴な演出に好感 
 
地球温暖化を世界に警告した! 

開幕の演出を手掛けたのは、ブラジル人映画監督フェルナンド・メイレレナさん。スラムの子供たちを扱った「シティ・オブ・ゴッド」で数々の賞を受けている著名な監督だそうである。
 
社会派たる所以(ゆえん)は開幕式典の随所に出ていた。入場行進を終えた選手たち筒の中に種を植えたら、それが木となり五輪のマークに変身した。自然と人類の共存だ。
 
地球の温度が何度上昇すると、世界は甚大な浸水に見舞われることも掲示した。兎角、華美な演出で、開催国の国の成り立ちを北京もロンドンも莫大な費用を費やしたが、リオは財政難の折、真に簡素なものだった。 
  
   
東京もリオの開会式を見習え 

最終聖火ランナーもてっきりサッカーのペレだと思ったら、アテネ大会(2004年)の男子マラソンで終盤までトップを独走しながら、沿道からとびだした男に襲われ銅メダルに終わった、あのバンデルレイ・デリマさんだった。
  
考えれば、最も相応しい人だ。地味な教科書を読むような経緯は過ぎて、最後は度肝を抜く演出が待っていた。聖火台への点灯は、煌くような太陽のオブジッェが現れた。貯めていた演出家のエネルギーが、ここぞと爆発した瞬間だ。それが聖火だ!
 
環境に配慮した小さい炎が燃え盛る。青い地球を照らす、それが太陽だ!心憎いまでの演出で、地球温暖化へのメッセージを送った。4年後、東京がモデルとするのは、まさしくリオの開会式演出、これだ。
 
華美を排して、明確な開催理念を発信すればそれで好い。それに見合う演出家は果たしているのか?私には見当たらないが。 
 
 
[競技]三宅宏実の銅メダルにはらはら 
   
48㎏級、金メダルはタイ人だ! 
 
女子ウェイトリフティング48㎏級は三宅宏実が、3位に入った。スナッチ(バーベルを一気に頭上まで持ち上げる)とジャーク(バーベルを胸のところで一旦止めてから頭上に持ち上げる)で共に、3回目の成功は、はらはらする奇跡に近い銅メダルだった。ロンドン銀メダルに続く快挙だ。
 
ぐいと持ち上げるときの表情を見て、踏ん張る瞬間、もしや目の玉が飛び出すのじゃないかと心配した。他人より重いものを持ち上げる、単純な運動だが、単純なものほど奥が深い。
 
48㎏で金メダルを獲得したのは、タイ国ソピタ・タナサンだった。タイ国は私の第二の故郷だから、応援したのは当然だ。ほとんど1回目でクリアして、余裕のある優勝だった。タイでは国中が熱狂していることだろう。
 
彼女のような女丈夫(じょじょうふ)がタイの国から生まれたことに驚きを隠しきれない。どういう環境で育ち、どんなトレーニングをしてきたのか、私は大いに興味がある。今度、タイの友人にとくと伺ってみよう。 
 
     
[蝉]何故か鳴声が少なくなった 
 
大地に無数の蝉の穴 

早朝太極拳を行う公園の隅の地べたには、蝉の這い出た穴が無数にある。例年より遥かに多い。だが鳴声はというと、そうでもない。
 
不審に思っていると、ヒヨドリが孵化して間もない、飛ぶのもまだおぼつかない蝉を地上で追い回す光景が見られた。
 
哀れ蝉よ、土中に7年、やっとこの世に出てみれば、ヒヨドリの餌食である。弱肉強食とはいえ何とも無常なものだ。(本格的に夏日になり、蝉の声も騒がしくなった。どうやら牡が少ないというのは杞憂であった、と後で判明)。 
 
  
あの故郷の夏の日 

ヒヨドリが生まれたての蝉の味を覚え、狩りをやるから、鳴く蝉も減少したというわけだ。いや他にも理由があるかもしれない。牡蝉の出生率が低下したとか。
 
夏はやはり降るように蝉の声が聞こえないと、夏らしくない。少年の頃、夏休み。氷の旗を靡かせアイスキャンデー売りのオジサンが自転車でやって来る。チリンチリン、オジサンは懸命に鐘を鳴らして、来訪を告げる。クマゼミの、あの夏の日。
 
入道雲とクマゼミの天を切り裂くような鳴き声。夕方になれば切なく木霊する蜩(ひぐらし)の声、懐かしい、故郷の夏風景!週末はお盆、久しく両親、兄弟の墓参りもしていない。故郷は遠くにありて、都会の青空を仰ぐ…。
 
 
※告知※
特別連載「わが心のキックボクサー」は今週はお休みです。次週から再開いたします。
 
 
渋谷区幡ヶ谷六号坂商店街の盆踊り風景。

 

 
都会のど真ん中、わが露地栽培で獲れたスイカ、キュウリ、ナス、トマト。 
 
  

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2016年08月02日(火)

大集結のキックレジェンドに感謝「第1回キックボクシング・デー」/ムエタイ・トヨタカップ/他

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[随感]都知事に小池百合子女史
 ~増田も鳥越候補も蹴散らされた~
 ~公約都政の透明化は~
[イベント]キックボクシング・デー始末記
 ~OB達が旧交を温めたひと時~
 ~瀬戸会長、竹山さん、ジョーさん~
[ムエタイ]トヨタがスポンサーの試合
 ~日本からタイへ生中継~
 ~ここでもレジェンドの藤原敏男さん~
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[随感]都知事に小池百合子女史 
   
増田も鳥越候補も蹴散らされた 
 
東京都知事に女性初の小池百合子氏が決まった。
自公の推薦を受けなかったことが、逆に幅広い支持を集めたのだろう。崖から飛び降りた!女が腹を括り勝負した!なりふり構わず、都庁に突進した悲壮感が、都民の心を揺さぶった。いつの世も民衆は半官びいき。
 
「都政の安定」を掲げる自公推薦増田寛也も、野党統一候補の鳥越俊太郎も、鎧袖一触蹴散らされた。増田は東京五輪の不透明な金の流れと膨らむ費用を自公推薦では改善出来ず、と鼻っから信用されなかった。岩手県知事クラスの器なのだ。
 
鳥越は76歳の高齢と健康不安、それに女性スキャンダルで、4年後の東京五輪まで持たないだろうと、都民は断定した。政策も具体性に乏しく力強いメッセージはなかった。結局評論家の域を出ず、名声だけでは選挙は勝てないことを証明した。
 
高須クニック院長などの「鳥越候補は認知症の疑い」なるダメ押しの言葉が、ネット上で駆け巡り、投票日が迫れば迫るほど悪材料が噴出、それを払拭できず。最後まで草莽の民の決起は得られず無残な敗北となった。野党統一の選挙戦略は子供だましのレベル。 
 
     
公約都政の透明化は 

私は小池百合子は嫌いな政治家、時の権力者に阿諛追従、すり寄って渡り歩き権力を手中にしてきた、その姿を思い出すだけでも、身の毛がよだつのだ。
 
小池新都知事が真っ先に知事の報酬半減を表明したが、それよりも莫大に膨れ上がった東京五輪の事業費にどれだけ大ナタを振るえるのかだ。
  
政治と金にメスを入れると、高々とアドバルーンを揚げて、都議会のドンU氏と東京五輪のドンM氏と、果たして真向勝負できるのか、けだし見ものだ。あなたに投票した290万都民がいることを忘れないで欲しい。
 
選挙のキャッチフレーズは「東京大改革」「都政の透明化」である。それを遂行することは当然のことだ。小池新都知は、事利権追及チームを立ち上げるらしいから、それは支援しなくてはならない。ぶれないで実行してもらいたいものだ。
 
これらを遣り切れば名実ともに歴史に残る名東京知事となろう。それが本当にできるのか、お手並み拝見。よもやスキャンダルで、途中交代などなきように。2度在ることは3度在るというからね。 
 
  
[イベント]キックボクシング・デー始末記 
 
OB達が旧交を温めたひと時 

7/30「第1回キックボクシング・デー」は盛大に無時終了致しました。参加(約60人)してくださった皆様に心より御礼申し上げます。
 
一つ陳謝しなければならいのは、入場式が出来なかったことです。紅白のカンカン帽も幹事用に揃え、準備万端でした。
 
錚々たるキックボクシングOB達の入場シーンを私もワクワクして、構想を立てたのですが、当日の行き違いがあり叶いませんでした。次回には是非お目にかけたいと存じます。失敗は最高の教師である。
 
今回ほど焦ったことがありませんでした。反省点です。初めの一歩の狂いが最後まで尾を引きましたが、怖い1歩の間違い。それを救ってくれたのは、竹下舞子さんの歌唱でした。お父さんが元キックボクサーという縁で、歌って頂きました。
 
美人で、伸びやかな歌声は心に沁み通るものでした。私の好きな平原綾香の歌うカンパネラを思わせる素晴らしいものでした。改めて御礼申し上げます。因みに公演が控えております。是非どうぞ!

★竹下舞子 バースデースペシャルライブ★ 
2016.8.10[Wed]@目黒BLUES ALLEY JAPAN
OPEN18:00、START19:30 
[ご予約専用TEL]03-5740-6041 
 
  
瀬戸会長、竹山さん、ジョーさん 

藤原敏男さんには今回も、松葉杖の不自由な身でサインやら写真に快く応じてくださいまして、本当に御礼の言葉もございません。60人近い参加者があったのは、紛れもない藤原さんの名声があればこそです。
 
初参加の元仙台青葉ジム瀬戸会長、岸浪さん、岩佐さん仙台から足をお運びくださいまして恐縮です。竹山晴友さん、土屋ジョーさん、颯爽とした姿を見せてくれました。
 
OBたちの健在な今を見ることは、無上な喜びで、同じリングで戦った仲間同士が旧交を温めるシーンは、心が休まる好い光景でした。これこそが私が求めていたもの、キックボクシング・デーの存在意義だ、と改めて得心した次第。
 
梅雨明けの入道雲と、ミンミン蝉のかしましい鳴き声に包まれた「第1回キックボクシング・デー」は男たちの熱い語らいで、盛大な中に幕を閉じました。また逢う日まで。皆さん、恙(つつが)なく! 
 
  
[ムエタイ]トヨタがスポンサーの試合 
 
日本からタイへ生中継 

29日、ディファ有明では、ムエタイオープン・トヨタカップが開催され、主催者ペチンデーボクシング・プロモーション、ビラット会長より招待を受けたので、家内と共に出かけた。一足先に藤原敏男さんがリングサイドに居た。
 
私を案内してくれたのは往年の名選手シリモンコン氏、10数年振りの再会だったがよく憶えていてくれた。しばしリングサイドで藤原さんを交え、通訳を中に挟み会話をすることができた。
 
シリモンコンと藤原さんは、76年3月8日バンコク・ラジャダムナン・スタジアムで戦い、僅差で藤原さんが負けた。いわば宿敵。好敵手同士、お互いを讃え合っていた。 
 
 
ここでもレジェンドの藤原敏男さん 

当日の試合はトヨタが全面的にスポンサードしており、タイ7Chで3時から6時まで3時間に亘生中継された。藤原さんは、外国人初のラジャダムナン・ライト級王者であると、司会者が紹介した。
 
驚いたことに彼の姿を見つけると駆け寄りタイ国大使高官や関係者、レフェリーまで「カップ、カップ、君を知っているよ」と誇らしげに声をかけて来た。藤原さんは、紛れもなくザ・レジェンドです!
 
結局トーナメントを勝ち上がり優勝したのはペットモラコット選手で、賞金30万バーツ(約100万)を手中にした。世界のトヨタがスポンサーのムエタイの試合、なんとも羨ましいものだった。
 
 
集合したレジェンド!
前列左より、サミー中村、瀬戸幸一、後列左より増沢潔、藤原敏男、竹下親子(歌手・舞子さん)バズーカ岸浪、岩佐正夫、佐藤正信の各氏。

  
極真空手の怪物からキックでは日本初の総理大臣杯を手にした竹山晴友さんの熱い挨拶!

  
土屋ジョーさんも新参。びしりとネクタイを締めて先輩に敬意を表す。

  
代表幹事竹井さんが、声をからしてオークション!

  
横井社長(右辺)と愉快な慶応OBたち。真ん中が歌手五木ひろしさんの義父市田さん。

  
スペシャルゲストMC藤原敏男さんは松葉杖で、気持ちよくイベントを盛り上げてくれた。

  
ディファ有明で左より私、藤原、シリモンコン、タイ大使高官の皆さん。

  
トヨタ・カップは日本からタイに実況ライブ中継された。
 
 
(キックボクシング・デー写真協力:藤本和樹氏) 
   
   

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2016年07月25日(月)

残酷過ぎた世界戦 和気は5回にストップすべき/わが心のキックボクサー⑩山田ジム

テーマ:ブログ

<ご案内&御申込御礼>
7月30日(土)PM1時から渋谷区富ヶ谷「麗郷(れいきょう)富ヶ谷店」で開催の「第1回キックボクシング・デー」は、7月20日申し込みが定員50名に達しました。ここに御礼申し上げます。
 
当日は入場式などの演出がありますので、できるだけ御早めにお越しください。尚、ベルトをお持ちの方はなるべく御持参ください。
 
オークション品(パンフ、ポスター等)のある方は、御持参ください。尚、麗郷までの道順はチラシに載っております。不明な点は、アッパー(03-3469-0620)までお電話ください。
 
参加者の皆様には、心からお越しをお待ち申し上げております。
 
「第1回キックボクシング・デー」
代表幹事:竹井克彦
主催:株式会社アッパー


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[随感]トランプ、ドーピング、ポケモンGO
 ~すべては異常現象~
 ~結局IOCは腰が砕けた~
 ~ポケモンGOは危険な遊び~
[拳闘]残酷過ぎた世界戦
 ~和気は5回にストップすべき~
 ~リオスに似たグスマン~
[老後]私の老後の過ごし方
 ~老後は暇なんてとんでもない~
 ~清忙は養を成す~
【特別連載】わが心のキックボクサー⑩山田ジム
 ~山田ジムはムエタイの先駆け~
 ~増沢、フライングを生む~
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[随感]トランプ、ドーピング、ポケモンGO 
   
すべては異常現象 
 
アメリカ共和党の大統領候補はドナルド・トランプに正式に決まった。彼の演説はアメリカ至上主義、専らアメリカの利益優先、言うことは勇ましく面白く大衆受けはしようが、実際それでお国が成り立つか。共和党の人材不足もここに極まれりだ。トランプは大統領にはなれないと思うけど。 
 
     
結局IOCは腰が砕けた 

ロシアの国家ぐるみのドーピング違反は悪質極まりなくこれは十分な犯罪で、この際IOCは徹底的に膿を出し切るべきだ。ロシア全選手のリオ出場停止処分は勿論のことだ。4年前のソチ冬季五輪から行われていた、と世界反ドーピング機関(WADA)は結論づけている。共産国は、だから信用置けない。
 
IOCはWADAの報告を受けて断固ロシアを出場停止処分にすると思ったら、各競技団体に可否を委ねた。最後は腰砕け、ロシアは最初からこういう結論を見通していた節がある。これだから何年掛かっても五輪の改革はできない。違法薬物もやった者勝ちか。とんだ茶番!
 
  
ポケモンGOは危険な遊び 

スマホゲーム「ポケモンGO」は世界で異常な現象を巻き起こしている。日本でも22日に無料アプリの配信が始まり、海外ににも負けず劣らずの興奮状態だ。
  
これ本当に危険な遊びだ。道路を歩きながらポケモン探し、或いは自転車に乗ってスマホを操っている者もいる。本人は夢中だから、前方から車が来て、慌てて避ける、なんていうのはしょっちゅうだ。柱に衝突したり、そのうちに死人も出よう。危ない危ない。
  
歩道でも歩行の妨げになる。いやだねえ~。オジサンは、駅の通路や階段でスマホ片手に、ノロノロ歩くOLをよく見かけ、いつもイライラするので、これにポケモンGOが加わるのだから、また脳梗塞を起こしそうだ。観光地や繁華街でのポケモン探しは他人に邪魔にならないよう願いたいものだ。 
 
  
[拳闘]残酷過ぎた世界戦 
 
和気は5回にストップすべき 

IBFスーパーバンタム級王座決定戦、ジョナサン・グスマン(ドミニカ)×和気慎吾は、見るに堪えぬ残酷な世界戦だった。21戦21KOのグスマンの強打に、和気は2、3、5回とダウンを重ねた。
 
2回の偶然のバッティングで右頬が割れ出血したことは和気には不運だったが、やはり力の差は歴然で、2回に二度、中盤までに四度ダウン。誰が見ても勝敗の帰趨は明らかだった。
 
私は5回の終了時にレフェリーが試合をストップするか、セコンドがタオルを投入すべきだと感じていた。
 
選手には明日もある。あの頬骨亀裂骨折は傷が深く例え縫い合わせて、治っても縫目が固くなるからパンチを食ったら、忽ちまた開くだろう。多量の出血と戦局では無謀な戦であった。
 
それが11回2分過ぎにKOされるまで耐え忍んだことで、解説氏は「がんばりましたよ」と和気を褒めた。褒めれば良いというものではない。
 
大切なのは、的確な状況説明と視聴者に分かりやすい解説なのに、それもなく解説どころか、オーバーな独り言が多いのは嘆かわしい。
 
かつてTBSの解説者は郡司信夫氏に白井義男氏と具志堅用高氏もいた。重厚な布陣で、テレビのボクシング放送をリードしてきた。
 
そこにはボクシングは、神聖にして侵さべからずのスタッフの精神が脈々息づいていた。なのに同局はいつの間にかボクシング番組から崇高な精神は失われてしまった。昔の光いま何処。
  
  
リオスに似たグスマン 

グスマンは、具志堅が初防衛と5度目の防衛戦で戦ったハイメ・リオス(パナマ)に酷似するボクサー、ただリオスは軟体動物のように全身を動かし的を絞らせず、具志堅が苦戦した相手だった。
 
スキル(技術)の上ではリオスはグスマンを遥かに勝る。但し、強打という点ではグスマンが上だが、彼は、一流のチャンプではない。連続KO記録はあまり当てにはならない。
 
それが証拠には、中盤以降スタミナを消耗してもたつき、何度もキャンバスに尻餅をついていた。明らかにスタミナロス。攻めがラフ、ストレートが鋭利な相手には、脆さを露呈するだろう。
 
WBAフライ級戦、井岡一翔は、前半キービン・ララ(ニカラグア)を攻めあぐんだが、流石後半に入ると相手の動きを読み、スピード豊かなコンビネーションで、11回に仕留めた。井岡がここぞで的確なショートパンチを纏める。やはり非凡、卓越。
 
ララは往年のアルレドンドに似た選手で、空を掃く如きドスンパンチ。井岡には、遣り難いタイプだった。ゲスト長谷川穂積の解説は、端的にして判りやすくほどよいものだった。 
 
  
[老後]私の老後の過ごし方 
 
老後は暇なんてとんでもない 

平成14年8月に日本スポーツ出版社を退職して、休む間もなくアッパーを設立して、いつの間にか14年の歳月が流れた。もうそろそろフィードアウトする頃だと、最近は仕事の量を減らして好きなことをやっている。
 
ところが、仕事が減った分、時間がたっぷりあるかといえば、その逆で特に午前中は分刻みの動きで老後はゆっくりとなんて悠長なことはいっていられない。
 
通常4時45分の起床だが、夏場はサマータイムというやつで、4時20分には起きる。最初にやることは、二階に駆け上がり、仏壇と神棚に水を上げる。二番目は洗浄機から昨夜の夕食時の食器を取り出すこと。それから朝食の食器をセッティング。
 
ここまで約15分、その後、一階に降りて、仕事場のパソコンの前に座りメールをチェックして、5時5分には家を出る。近くの畑に寄り水遣り、5時30分には大山公園でストレッチ、太極拳を公園の片隅で愛好者と、それが済むと6時25分からラジオ体操。
 
7時前、再び畑に寄り、キュウリやナス、トマトを収穫。この季節油断していると、キュウリはお化けのように大きく成長するから困る。今年は例年になく次々にキュウリができる。
 
やはりたっぷりの飼料と、脇芽を細かく除去したせいかもしれない。余ったものは仲間に配ったり、ピクルスにしたりする。毎日キュウリ三昧。
 
7時10分ラジオ体操から帰宅すると、上半身タオルマッサージ、髭剃り、と一気にペースを上げる。洗い終わった洗濯物があれば、これを干すのも私の役目。終わるとやっと朝食だ。
 
パン(トースト)1枚、ジャムは、仏産のサン・ダルフォーのブルーベリー、焼いたハム、目玉焼き、畑で採れたミニトマト2個、バナナ半身、キウイにトマトジュース、ミルクコーヒーが朝の定番。
 
歯磨きは2本のブラシ、普通タイプと極細の仕上げ歯ブラシで入念にする。最後にクリニカで口をぐじゅぐじゅして終わる。このあと、ベロ出し、30回、舌を上部にタッチする運動も30回、ベロ回し20回で終了。これで早朝のメニューは完了。
 
 
 
清忙は養を成す 

習慣は第二の天性という、流れるように消化してなんら重荷ではない。その後もまだある。浴槽の掃除、毎日必ず私がやる。すべて完了するのが9時台、やっとパソコンの前に座れる。「清忙は養を成す。過閑は養にあらず」(言志四録=佐藤一斎)
 
11時になってうとうとして仕事が捗らない。そんな時は4~50分横になる。「I'M SO OLD I'M SO FREE」と老後は暇な時間がたっぷりあるやに想像していたら、とんでもない。やることが沢山ある。読みたい本も星の数ほどある。時間はないぞ!
ちなみにゴルフはやめた。暇がない。
  
すべては己の率先垂範、身体が自然に動く。「人生は後半戦の方が面白い」と誰かが言ったが、まさにその通り。午後は友人と会ったり、仕事の打ち合わせで新宿や神保町に出る。夕方畑に水遣り。「この幸せを味わいたかったら、早くあなたも老人になることだ」
 
夜は10時半には就寝する。早寝早起きの快感は、早朝の空気と風の囁きに勝るものなし。元気があれば何でもできる。その通り、食事もお酒も旨い。一日があっという間に過ぎ去る。今日の終わりは明日の始まり。
 
「ほとんどの人間が、この世の時間は使い放題といわんばかりに人生を送っている。情熱を封じ込め、夢を先送りしている。ところが本当は、人生はつかぬ間の贈り物であって、一寸先は闇なんだ。自分に残された時間があとどの位なのか、知っている者は誰一人いない」(賢者のプレゼント=ロビン・シャーマンより)  
  
  
【特別連載】わが心のキックボクサー⑩山田ジム 
 
山田ジムはムエタイの先駆け 

我が国初の本格的ムエタイジム。会長はタイ大使館職員山田正さん。ジムは目黒区恵比寿駅近くにあった。トレーナーは、TBSキックに参戦していたバイヨーク・ボーコーソ、通称トムさん。
 
ジムが設立されたのは昭和44年初春、つまり同年4月のNET(現テレビ朝日)がキック放映に併せて急きょ設立され、同ジムはタイ選手窓口として重要な位置にあった。
 
私も練習生としてジム創設には些か貢献した。当時私は、目黒駅前のパブ・オーシャンでバイトをしていて、店にタイ人がよく来た。その中に寡黙なトムさんがいて、ある日ジムを手伝ってくれと頼まれ、通ううちに何とはなしに練習生になった。
 
当時はまだ流行らなかった肘打ちや膝げりをトムコーチは徹底てきに仕込んでいた。その甲斐あって、山田ジムは、フライ級三浦進吾、J・ライト級フライング・ジャガー、ウェルター級増沢潔の3人の初代王者を生んだ。 
 
 
増沢、フライングを生む 

NETはキック放映をやめたのを機に、全日本系協同プロの傘下に入り、日テレと東京12の統一初代王者決定戦でも、J・ライトでフライング、ウェルターで増沢がチャンプに輝き山田ジムは、日テレ系として気を吐いた。
 
全日本系では黒崎健時会長のスパルタ指導で、目白ジムは向かうところ敵なしだった。これに激しく闘志を燃やしたのが山田ジム。ムエタイの誇りで、打倒目白に立ち上がる。
  
藤原敏男と階級が同じという点で、佐藤正信、土谷亮が真っ向勝負を挑んだ。とっておきの肘打ちを連発して、藤原を大いに苦しめた。
 
特に土谷は、肘で藤原選手の顔面を切りあわやTKOの局面を作ったが、逆にそれが藤原選手の怒りに火をつけて逆襲に遭う。両選手共遂にその牙城を攻略することはできなかった。佐藤判定、土谷3回KO敗。
 
佐藤は藤原選手が5度目の防衛後同タイトルを返上すると、その後難なく王座に就いた。山田ジムは、ムエタイジムの先駆けとして、キック史に残した功績は計り知れない。OBとして晴れがましい。
 
 
西原商店街夏祭りの子供たちの阿波踊り。

 
ひょっとこ連の颯爽とした阿波踊りは人気を博した。いよいよ夏本番!(23日)

  
ボランティアで今年もたこ焼ならぬたこ揚げを手伝う(24日) 
  
   

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2016年07月18日(月)

幻の日本キック旗揚興行は日本初の異種格闘技戦/【特別連載】わが心のキックボクサー⑨西尾ジム/他

テーマ:ブログ

第1回キックボクシング・デーの詳細はこちら
<イベント申込は7/20日締め切り!>
7月30日13時からの「第1回キックボクシング・デー」(in 渋谷区富ヶ谷 ”麗郷 富ヶ谷店”)は、20日をもって締め切りとさせて頂きます。参加ご希望の方は、早めにお願い致します。

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[随感]防ぎようがないトラックテロ
 ~世界は益々物騒になった~
[季節]ミンミン蝉の初音
 ~梅雨明けはまだ?~
[歴史]キックボクシング旗揚げの切符
 ~重大なことが判明~
 ~何事も疑ってかかれ~
【特別連載】わが心のキックボクサー⑨西尾ジム
 ~キック旗揚げに貢献した西尾ジム~
 ~人気者ロッキー藤丸を生む~
 ~シュートボクシングと西尾ジム~
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[随感]防ぎようがないトラックテロ 
   
世界は益々物騒になった 
 
バングラデシュのテロも生々しいのに、今度はフランスのニースで花火見物客に大型トラックで突っ込み多くの死傷者が出た。これもISのテロだという。トルコではクーデター騒動、アメリカでは、黒人による警察官射殺が続く、リベンジはリベンジを呼ぶ、世界は出口の見えない混迷の闇に突入した。
 
特にニースでの惨事は防ぎようがないから困る。これからの季節は各地で、夏祭りが開催されるので、念には念の警備が求められよう。用心に越したことはない。馬鹿な輩(やから)がいるから、マネしないとも限らない。 
 
     
[季節]ミンミン蝉の初音 
 
梅雨明けはまだ? 

17日、ミンミン蝉の啼き声を聞いた。まだ梅雨も明けぬというに、一匹だけの叫びは何となく寂寥感漂う。お目当ての雌もいないというに。その後
ミンミン蝉の声は聞かれない。孤独しか。
 
今週末の23,24日は地元西原商店街の夏祭りで、たこ焼ならず、たこ揚げ(油で揚げる)のボランティア。もうかれこれ10年以上も続ける。
 
今年は代々木上原商店街の盆踊りと重なってしまった。従来は31日(日)だったが、都知事選挙ということで、繰り上げになった。毎年家内と楽しみにしていた行事だったから、残念。
 
いよいよ夏本番だ、海の日、九州地方~東海地方に梅雨明け宣言が出た。関東もまじかだ。日本の夏、オジサンの夏だ! 
 
  
[歴史]キックボクシング旗揚げの切符 
 
重大なことが判明 

弊社「アッパー格闘技博覧会」のトップページに超レアなチケットが展示されている。昭和41年4月11日、大阪府立体育会館に於ける日本キックボクシング協会の旗揚げ興行の記念すべきチケットである。
 
このチケットが貴重なものである、といったのは、実現すれば、ムエタイと空手の我が国初の異種格闘技であったからである。山田侃(ひろし)、錦織利明はともに日本拳法空手道(山田辰雄師範)門弟。
 
侃は辰雄師範の御子息であり、錦織はのちに日本テレビキックで、旋風を巻き起こすことになる錦利弘(本名・錦織利弘)なのだ。何故か、弘を明に一字変えている。あの錦がである。まかり間違えば、沢村にとって変わりTBSのエースになっていたかもしれない。
 
ところが、ラークレイ(タイ)とメインで対戦する手はずになっていた山田侃は、欠場、テーパリット(タイ)との対戦が予定されていた錦織も姿を見せなかった。結局、ラークレイとメインで戦ったのは沢村忠だった。
 
日本拳法空手道の高弟・小沼保氏はかつて私に漏らしたことがある。「選手が集まらないで困った野口さんは、連日のように道場にきて、選手を出してくれと必死でした。根負けした山田先生はタイ式が皆目分からず、承諾して実際タイ式の練習を見たらとてもうちの選手の技量じゃ勝てないない、と試合直前に断ったのです。」 
 
 
何事も疑ってかかれ 

従ってこのチケットは幻で価値が高い。恐らく5万円はくだらないと思われる。私も永年この事実に気が付かなかったのは不覚。
 
ある日、チケットをしげしげ見ているとると、可笑しいことに気づいた。旗揚げ戦に山田も錦織も出ていないぞと、よくよく調べてみるやっぱり出場していない。
 
民俗学者宮本常一は父親から「他人が見落としたものをよく見て歩きなさい」と言われたという。宮本は全国を歩き膨大な記録を残した。著書に「宮本常一著作集(51巻+別集2巻=未来社)
 
皆さんも、何事も一度は疑ってみてください。思わぬ発見の始まりになるかもしれない。それが歴史発掘、ミステリーな遭遇に繋がる。
  
  
【特別連載】わが心のキックボクサー⑨西尾ジム(文/村上桂) 
 
キック旗揚げに貢献した西尾ジム 

昭和40年代から50年代にかけて、日本系キックで唯一の大阪の ジムとして数々の名選手を生み出したのが西尾ジムであった。人気 者ロッキー藤丸の所属ジムとして記憶している方も多いであろう。
 
会長は西尾日出(にしお・ひでる)氏。昭和41年4月11日に野口修社長が大阪府立体育会館でキックの旗揚げ興行を行った際に、大阪で興行の実務を担ったのがこの西尾氏であった。それまで西尾氏は大阪野口ジムを大阪で主宰し、世界ランカーの染谷彰久を育てるなど野口社長同様ボクシング界でそれなりに実績を残した。
 
その後はキックに可能性を見いだしたのであろう、西尾ジムを開設した。ただし、当初は岡村プロモーションが窓口となっていた東京12チャンネル系に所属した。その辺りの経緯は不明だが、何年か後に日本系に移っている。 
 
 
人気者ロッキー藤丸を生む 

日本チャンピオンを獲得した選手は、ロッキー藤丸、ポパイ貞男、矢田勝士の3人。ロッキー藤丸(本名:藤崎修一)は昭和48年1月に丹野義彦(目黒)に判定勝ちしライト級王座を獲得。同王座は 同年4月に飛馬拳二に奪われたが、翌49年1月に飛馬から奪還。
 
同年12月に飛馬に判定勝ちし初防衛した後、翌50年1月に伊原信一に判定負けで王座陥落。その後階級をウエルターに上げてからも飛馬拳二や田畑隆に挑戦したが、ウエルター級を制することはで きなかった。
 
飛馬拳二は月刊『ゴング』のインタビューで、ロッキー藤丸は良きライバルだったと認めている。この2人で何度もタイトルを賭けて戦っているのだから当然であろう。
 
しかし、タイトルうんぬんよりも、ロッキーはトリッキーな試合内容で人気を博し観客を沸かせたことが特筆されよう。沢村忠。富山勝治に次いで150戦からのキャリアの持ち主であることを強調しておきたい。そのロッキー藤丸は大阪の地でいまひっそりと暮らしている。
 
ポパイ貞男(本名:佐藤貞男)は昭和50年1月にリュー千景から フライ級王座を奪取した。同年8月の初防衛でリューの双子の兄、ミッキー鈴木に奪われてしまうが、ポパイは西尾ジムが大阪野口ジムを名乗っていた時代からの選手。つまり元ボクサーだった。
 
矢田 勝士は昭和51年7月に伊原信一を判定で下しライト級王座に就く。兄弟子ロッキーが奪われたベルトを奪還した形になった。
 
チャンピオンにはなれなかったが、元プロボクシング東洋、日本ミ ドル級チャンピオンの権藤正雄も所属していた。ヘビー級のキックボクサーとして池野興信、斉藤天心らと対戦し重量級の迫力を見せた。
  
  
シュートボクシングと西尾ジム 

また、タイトル獲得はならなかったが2度バンタム級の王座に挑戦した中村正悟もいた。シーザー武志こと村田友文、黒沢久男、品田伊久夫(後年の力忠勝。西尾ジムではトレーナー専任)など後にシュートボクシングの中心人物となる面々も、当時は西尾ジムからリングに上がっていた。当然ながら後年の姿は想像もつかなかった。
 
今から思えば、昭和41年の旗揚げにこぎつけるまで紆余曲折あったことは容易に想像できる。当事者である野口社長、西尾会長のみが語れる真実は数多くあろう。しかしお二人とも鬼籍に入られた
今、当時の状況を聞いておけば良かったと後悔しきりである。(文中一部敬称略)
 
 
問題のキックボクシング旗揚げの貴重なチケット!

  
ラジオ体操の帰途、日頃太極拳でお世話になっているご婦人方を畑に案内。

  
拙宅に今年もカサブランカが咲いた。
  
  

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