タイ洪水始末記/1年の半分が過ぎて/他 | 舟木昭太郎の日々つれづれ

タイ洪水始末記/1年の半分が過ぎて/他

・タイ洪水始末記
 ~大蛇のお腹からイノシシが~
 ~堤防が造れないタイの国土事情~
 ~御仏に祈るのみ~
 
・1年の半分が過ぎて
 
・箱根の紫陽花

 

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タイ洪水始末記
 
 バンコクで公私共にお世話になっている滝沢幸治さん(タイ在住)が里帰りしたので30日、新宿小田急デパート14階の「なだ万」で食事にお誘いした。バンコクで最後にお会いしてからもう3年になる。滝沢さんには聞きたいこと、話したいことが山ほどあった。
 
 タイの景気、ムエタイの現状、去年10月の洪水被害等々。話をしているうちに滝沢さんが、そういえば相田社長(私の旧友)がいま日本に来ている、という。早速携帯に電話したら、新宿に飛んできた。
 
 相田和男社長は、最初に我が国へ女子ムエタイ選手を招聘したプロモーターである。私も女子のキックボクシング旗揚げには一役かった。もうかれこれ40年以上のお付き合いになる。相田社長は、現在幅広くタイと日本で映像ビジネスを展開している。
 
 3人で喫茶店に入り2時間以上も話し込んだ。女3人寄ればかしましいが、男3人も負けてはいない。話題が尽きなかった。私が興味があったのは昨年10月の洪水に関するもので、日本では報道されていない事件が沢山あるはずだ、と睨んだ。予想通り次々に出てきた。 
 
 
~大蛇のお腹からイノシシが~
 
 つい最近の話では、バンコク市内で8㍍を越す大蛇を発見、異常にお腹が大きいので捕まえて切開してみると、何と1頭のイノシシが出てきという。その大蛇は洪水で山の方から流てきたものらしい。
 
 また洪水の折には、地下鉄の入口付近で子供がワニに腕を食い千切られている姿を目にしたり、水びたしで交通マヒになりボートが市民の唯一の交通手段となったが、その利権を巡ってマフィア同士の銃撃戦が絶えなかったという…怖い話が飛び出して私は吃驚した。
  
 普段は船賃が5バーツ(邦貨約15円)だったものが、洪水時にはその5倍に跳ね上がり、人の弱みに付け込んだマフィアは、ボロ儲けしたそうです。まあ、何処にでも悪い人間はいるものです、タイ全土が危ないわけではないので、皆さん安心してタイに行ってください。
 
 
~堤防が造れないタイの国土事情~
 
 滝沢さんのいうことには、今年も洪水が来るんじゃないかと、タイ人は噂していて、金持の中には、既に国を離れている人もいるとか。日本でも原発事故で、真っ先に逃げた政治家もいました。何処も同じです。一番怖いのは実は風評被害なんです。
 
 で、実際また昨年のような洪水に見舞われたらタイ政府はどうするんだろうか。どうもこれに対しては、為す術がなしというのが本音のようです。所謂、自然任せ、精々土嚢を用意して備える、原始的な方法です。まあ、備えあれば憂いなし、とも言うからして。
 
 タイは、大小様々な川が網の目のように国土を覆っています。その全ての川は大河チャオプラヤに注ぐのです。堤防を作り洪水から都心を守りたくても、作れば支流からの水を堰き止める事になり、行き場を失った支流からの大量の水で被害は更に拡大してしまう。この種の事情はよく知りませんでした、私も。
 
  
~御仏に祈るのみ~
 
 こうしたジレンマがあって簡単に堤防はできないようです。我々が考えるように単純なものではないようです。少し講釈が長すぎました。ごめんなさい。
 
 御承知のように、バンコクは海抜がゼロ㍍、平坦な都市なのです。それがため一旦洪水に見舞われると長期に亘り水が引かないので、赤痢など疫病が発生する。現に去年の災害でも多くの赤痢患者、死者が出たとか。
 
 現地に進出する日本企業は、去年の洪水被害からの反省で色々対策を講じているようです。いくら工場の防水態勢が完璧でも、従業員が工場まで通勤できなければ操業はできないので心配は尽きないようである。
 
 どうやら神頼みならず、仏様に祈るしか手がないようです。我愛するタイに同情します。どうか二度と去年のよな災害が襲う事がないよう、只々祈るのみです。~日本から愛を込めて。
 
 
1年の半分が過ぎて
 
 まるで光のような速さで今年も半年が過ぎてしまった。いやはや少年の頃は遠足に行く日を一日千秋の想いで待っていたというのに。この時期は雨季の真っ只中にあるというのに、幸いかな晴れた日が続いている。露地栽培の胡瓜、茄子、トマトはお蔭で生育がよい。
 
 毎日拙宅の食卓に並ぶ。自分の手で作った野菜を家族で口にする幸せを噛締める。冒頭「少年」の日の時間の流というものに付いて、何気なく触れたが、ふと伊達政宗の漢詩が浮かびました。

 馬上 少年を過ぐ
 世平にして 白髪多し
 残躯 天の赦す所
 楽しまずんば 是如何
 
馬に乗って戦場を駆け巡っているうちに、いつの間にか少年時代は過ぎ去ってしまった。
世の中が平和になったいま頭髪は白髪が目立ようになった。
天が赦してくれた老いさらばえたこの体、楽しまずして何としよう。(意訳)
 
 時は雨季、久し振りに晴れた日の夕暮時、場所は若葉が薫る縁側。老いたる政宗が、小姓が注ぐ酒を静かに飲む。晩年の寂寞漂う姿…私は勝手に老いの政宗を想像してこの詩を口ずさむのです。Facebookならさしずめ「いいね」です。
 
 因みに政宗が鬼籍に入ったのは享年70才(満68才)、死因は食道癌だったといわれています。辞世の句は「曇りなき心の月を先きだてて 浮世の闇を照らしてぞ行く」
  
 魅力あふれる戦国武将でありました。
 
 
箱根の紫陽花
 
 27日(水)は紫陽花が見頃だという箱根に家内と一泊してきた。湯本から登山電車に乗る。線路沿いの土手にさながら押しくら饅頭の如く多様な色の紫陽花が咲き乱れている。電車はスイッチバックを繰り返しながら山を登って行く。何とも悠長で旅の心を癒す。
 
 泊りは渋谷区二ノ平荘、風呂が広いし何よりも露天風呂が自然に溶け込んでいる環境が好き、食事も悪くない。夕食は懐石風でお年寄りの宿泊客が多いので味も淡泊、量も適量でいつも満足している。熱燗2本と赤ワインで大分酔ってしまった。食後は愚妻とカラオケに興じました。
 
 翌日はケーブルカーで大涌谷から、バスで桃源台に出て、海賊船に乗ったりして夕刻に帰宅した。都心から僅か1時時間余りで行ける箱根は便利な行楽地である。老夫婦にぴったりです。
   
 
大涌谷で、頂きに残雪の残る富士山を背に。

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登山電車はいたるところに紫陽花が見られる。

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露地栽培のミニトマト、今年は房も大きく育った。

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