プロレスラー三沢光晴の突然死去・「週ゴン」を救った二代目タイガー | 舟木昭太郎の日々つれづれ

プロレスラー三沢光晴の突然死去・「週ゴン」を救った二代目タイガー

 プロレスラー三沢光晴さんが亡くなった。なんという残酷なことだ。

 6月13日夜、広島県立総合体育館での試合中、倒れ病院に運ばれて、まもなく死亡したという。享年46才。
 タッグマッチで、相手の選手のバックドロップをうけて、頭を打ちそのまま動かなくなったという。
 百戦錬磨の三沢選手が、受け身を取れなかったとは思えない。どこか体調が悪かったのではないか。目下の死因は「頸髄離断」(けいずいりだん)ということだが…。
 ノアの社長兼看板レスラーとして激務に追われ、心労も溜まっていたと思われる。
 
 実は私が週刊ゴングの編集長時代、創刊間もないころだ。二代目タイガーマスクに救われている。
 週刊プロレスの後発として、スタートしたが思うように部数が伸びず悪戦苦闘していたおり、二代目タイガーマスク誕生の特ダネを得た。
 竹内顧問(当時=後に社長)が全日本プロレスG馬場社長から聞き出したもので、週ゴンはこのスクープによって浮上するきっかけとなった。表紙から誌面まで三沢タイガーマスクで埋め尽くされた。生みの親、作家・梶原一騎氏、空手指導の添野義二館長、G馬場にかこまれて、晴れやかな二代目タイガーマスクの勇姿が躍った。覆面の人物が三沢光晴であることは、極秘にされた。
 
 こんな経緯があるから三沢選手の死は、格別に感慨深い。その後、馬場さんが死去すると、一枚岩だった全日本プロレスも分裂して行った。00年、三沢さんはノアを立ち上げる。人柄を慕って、力道山の遺児、百田光雄、小橋建太、田上明ら有力選手、和田京平レフェリー等が挙って集結した。
 三沢社長と選手の固い絆で、ノアはプロレス団体の中でも最も安定した団体に成長する。経営者としても三沢さんは非凡だった。低迷するプロレス界にあって、本当にかけがいのないリーダーを失った。
 
 梶原一騎(故人)の篤子夫人がかつてこんなことを私にいった。
「ノアの三沢さんて、律儀な人なのよ。毎年夏と冬は必ずお届け物があるの。プロレスラーでは珍しく几帳面な方だわ。」
 あるいはその几帳面、律儀さが命を落とす原因になったのかも知れない。体調が悪くても、ファンのためにと試合を強行した…。
 
 天国にはG馬場さんがいる。馬場&三沢で最強タッグを組んで活躍して欲しいものだ。
 どうぞ安らかに眠って下さい。

 


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