雲辺寺の日常 | 雲辺寺のブログ

皆様いかがお過ごしでしょうか。

どうも雲辺寺でございます。


本日は雲辺寺の日常についてお送りいたします。


本日は

ある地区のお地蔵さまを拝みに参りました。

平日にも関わらず、

お地蔵さまの縁日ということで、

多くの方々がお集まりになり、

その地区の安寧を願いました。


お勤めをなされている皆様方を見て、

神仏に対して感謝をすること

それが

目に見えても見えなくても

私たちが神仏を感じて、

お勤めをすることが大切であると感じました。


例えば、仏像やお位牌、お墓などの

形あるものに対しては手を合わせることは

比較的行いやすいことであると思います。


しかし、

形あるもの、目で見ることができるものも

大切でありますが、

形のないもの、目で見ることができないものにも

感謝をすること

そして

そこに様々な想いを馳せて

お勤めをするべきなのだと考えております。


お四国も同じだと思います。


納経所で御朱印をいただくことは

皆様方がお経をお納めした証であります。


それを納経帳として形にすることは

重要なことだと思いますが

御朱印をいただくことが、

1番大切なことではないのではないでしょうか。


形となって現れるわけではありませんが、

ご本尊、お大師様、諸仏諸菩薩とご縁を結び、

自分自身がお勤めをして

自分から仏様に思いを送り、

仏様からお陰を受けていることを感じること

お参りをするにあたって

それこそが

1番重要であると思います。


上記のことは

何度か申し上げたことがあると思います。


ある札所の件ですが、

礼拝所が建設されました。


お参りや御朱印を受け付けてもらえない

お遍路さんに対しての救済措置としては

正しい判断であると考えております。


その中で、

皆様に今一度

お考えいただきたいことがあります。


形としては現れませんが、

仏様にお参りがなさりたいのか


形になりますが、

札所の御朱印を受けたいのか

どちらが重要であるのかということです。


もちろん

その両方を満たすことが

本義であるのは間違いありません。


また

一部の方々や団体さまに

ご迷惑をおかけしているのは

紛れも無い事実ですし、

こちら側の不徳の致すところです。


しかし、

世の中にはどれだけ長い間

解決のために力を尽くしても

どうにもならないことはあると思います。


札所にとっては

それが今の問題なのだと思います。


お参りや御朱印を拒否されたお方や

御朱印をもらいたく無いというお方で

御朱印がいただきたいというお方は

ご迷惑、

そしてお手数をおかけいたしますが

礼拝所にて御朱印をお受けくださいませ。


お参りをなされるか、なされないかは

お参りのお方の自由であると

考えております。


中には

早くお参りできるからと

何の事情もなく

礼拝所のみの参拝で終えられるお方も

いらっしゃるかもしれません。


しかし、

事情がおありのお方も

そうで無いお方も

札所でお参りをせずに

礼拝所にてお参りをして

朱印をいただくことが

果たして

88ヶ所をお参りしたと言えるのか…

疑問に感じております。


お寺や仏様に罪はありません。


納経所に立ち寄り御朱印をいただかなくても

お参りすることはできると思います。


やはり

その場所、

その札所、

そしてその場にいらっしゃる仏様に

お参りをするということが

重要であると思います。


御朱印をいただいて

札所にお参りをしないより


お参りをして

御朱印をいただかない方が


本来のお参りに近いのでは無いか

そのように考えます。


いらぬことを

申し上げたかも知れません。


しかし、

お参りをなされる皆様方には

どのような思いを抱かれたとしても

考えていただきたいことなのです。


本日はこの辺りで、

失礼いたします。


合掌