余韻
今日はちょっと冷え込んでいますね。
ここ数年、出現してなかった口唇ヘルペスがヤバい感じになって来た。
急に寒くなると出るんだけど、これも免疫力の低下が原因らしいね。
こいつが出ると、約1~2週間痛いし、見た目もあまりよろしくない。
歌を歌うにも、ちょっと気になるもんね。
急いで、ビタミンB群補給してるけど、やはり疲れと、自分のミスが犯した心労が起因してるんだろうな。
いい事にも、嫌な事にも余韻がある。
余韻はあった方がいいのか、無い方がいいのか。
切り替えて、次に進むという意味では、とっとと消化して気持ちを引き締めればいい。
だけど、「余韻」が残るという意味では、自分にとっての大事なメッセージだし、しばし、良く考えてみたらいい場合もあるよね。
浜田ケンジさんのLIVEが、僕にとっても終わった後からも押し寄せて来ます。
他の持ち歌も全部聴きたいもんね。
こういう余韻を与えてくれる歌うたいが、さほど知られてなく、まあ、この先もどんなに僕が「凄い、凄い」と言っても来ない人は来ないんだろうけど、着実に黒を白に替えて行くだろうね。
ドカンと大きな事を望むより、そっちのが奇跡に早いと思うんだよね。
「ドリル」という言葉というか、単語があるけど、僕も機械メーカー時代には大変お世話になった工具であります。
開ける穴によって、回転数も変わって来るし、先端の研ぎ方の角度も間違えれば穴は開かない。
色んな条件を満たし、一削り毎に「チョロッ」と削る繰り返しが、穴を貫通させる「奇跡」を成し遂げるわけです。
そういう意味においても、小学校の時に大嫌いだった「ドリル」の語源があるようです。
ちゃんとやってたら、もう少し人生も変わっていたかもしれないが(笑)
なので、一削りでも着実に削る事が出来るなら、どんどん繰り返せば良い事で、ドリル眺めて能書き垂れても、穴は一行に開かないものなんでしょうね。
一人でも、それを糧にしたお客さんが来るという事は、条件を満たし、削れてる証拠なんですね。
切粉の山が出来れば、それは確信に繋がるんだけど、いちいちモーターを止めていたら、不安にもなるかと思います。
卓上ボール盤であっても、NCフライスであっても、マシニングセンターであっても、同じ事。
削れてもないのに、マシニングセンターを望んでるわけです。
今年も、企画はあと二本ほどですが、前年比に対して10パーセントほど企画数が減ってしまいました。
でも、どのイベントも本当に納得の行くものが出来たし、延べ動員数は相当なものになります。
ちゃんと記録していれば、何気ない感情に振り回される事なく、結果を確信出来るわけです。
そうしながら、生産性を上げる工夫をすればいいんじゃないかと思います。
猫じゃないんだから。