■誕生日の音楽映像/ヴォルフガング・ヴィントガッセン、テノール
ドイツのテノール歌手。1914/6/26~1974/9/8、戦後最大のヘルデンテノール、ヘルデンテノールとはワーグナー作曲の歌劇・楽劇における英雄的な役どころを演じるのに適した声質をもつテノールのことである。
GIFはWolfgang Windgassen /YouTubeより、ワーグナー/パルジファル第二幕アンフォルタス!あの傷!より
音楽:ワーグナー/トリスタンとイゾルデ、第二幕「愛の二重唱」
トリスタンはヴォルフガング・ヴィントガッセン、イゾルデはビルギット・ニルソン、この二人は当時世界最高のワーグナーの組み合わせと言われた。1967年大阪国際フェスティバルにて、この第10回のフェスティバルは、「バイロイト・ ワーグナー・フェスティバル」と呼ばれ、バイロイト音楽祭の過去2度しか存在しない海外公演前例のひとつとして知られており、出演アーティストにはワーグナーの孫で演出家のヴォルフガング・ワーグナーを初め、ワーグナー歌手として名高いソプラノ歌手ビルギット・ニルソンとテノール歌手ヴォルフガング・ヴィントガッセン、当時40代前半のピエール・ブーレーズ等といった豪華な顔ぶれを揃えて世界中の注目を集めるところとなり、日本のオペラ史に輝かしい金字塔を打ち立てた。
音楽:レオン・イェッセル/シュヴァルツヴァルトの娘、第一幕のO sancta Caecilia
Bärbele役はジャネット・ペリー(スブレット)、Blasius Römer役はヴォルフガング・ヴィントガッセン、1973年テレビ番組にて、全番組は以下にて1時間39分、スブレットは柔らかくしなやかな声で、B♭-3やC-3までの高音域が充実し、中音域もよく出せるソプラノを指す。フランス語で「女中」や「愛想がよく抜け目のない少女」を意味している。ヴィントガッセンはこのTV放映の翌年に心臓発作により急死している。
音楽:ワーグナー/ローエングリン、第三幕第三場
ローエングリンはヴィントガッセン(テノール)、エルザはエリザベート・グリュンマー(ソプラノ)、オルトルートはイザベル・ストラウス(メゾソプラノ)、ハインリヒはクルト・ベーメ(バス)、フリードリヒはエルネスト・ブラン(バリトン)、1965年
フランスのオート=サヴォワ県アヌマッスに生まれる。父フリッツ(Fritz Windgassen)もテノール歌手として高名な人物で、母もソプラノ歌手という声楽一家に育つ。シュトゥットガルト音楽演劇大学でアルフォンス・フィッシャーとマリア・ランフォツのレッスンを受けた後、1939年にプフォルツハイム歌劇場でプッチーニの歌劇『蝶々夫人』のピンカートン役を歌ってデビューを果たす。
第二次世界大戦中、兵役についていたヴィントガッセンは、復員後の1945年、シュトゥットガルト州立歌劇場(ヴュルテンベルク州立歌劇場)に歌手として就職、死に至るまでこの歌劇場をホームグラウンドとして活動する事になる。当初はイタリア・オペラのレパートリーを中心に歌っていたが、1950年にはリヒャルト・ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』の第1夜『ワルキューレ』のジークムント役を歌い、さらに1951年のバイロイト音楽祭の再開に際し『パルジファル』のタイトル・ロールに抜擢される。1953年からは『ローエングリン』と『指環』のジークフリート役もバイロイトで披露、大成功をおさめた。
彼の名を一躍有名にしたのは、同じく世界有数のドラマティック・ソプラノとして知られたビルギット・ニルソンとのコンビによる『トリスタンとイゾルデ』であり、これはカール・ベームの指揮とともにバイロイトの歴史に名を残すこととなった。
ヴィントガッセンは1970年までバイロイトへの出演を続ける一方、1958年から録音が始められたジョン・カルショー(John Culshaw)プロデュース、ゲオルク・ショルティ指揮の『指環』でもジークフリートを歌い、ウィーン国立歌劇場やメトロポリタン歌劇場などの世界有数の一流歌劇場にも客演した。1967年にはビルギット・ニルソンとともに初来日、ピエール・ブーレーズ指揮、ヴィーラント・ワーグナー演出で『トリスタンとイゾルデ』のタイトルロールを演じている。
1970年にはホームグラウンド、シュトゥットガルト州立歌劇場の監督に就任、演出の分野に進出してムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』などの作品を手がけたが、1974年に心臓発作で急逝した。その少し前に、ベーム指揮の映画版『こうもり』のオルロフスキーという意外な役に挑み、これが残された最後の姿となった。-ウィキより-
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