前の自分に戻るのが怖い | 震災後の海おんなのブログ

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震災からの記録です。

タイトル通りです。


今日、私はファミレスに行きました。


震災後、初でした。再開してたのは知っていたのですが、なんとなく行く事が出来ず、そのまま過ごしていました。


やはり、なんとなくですが、高いものは注文できず、うどんを頼みました。


私の作る即席のような感じではなく、ダシの味がして、上に具もたくさんのっていました。


少しでも早くもとの生活に、と思う反面、前の贅沢な暮らしをする事に罪悪感を持ってしまいます。


震災前の私は、とても欲張りでした。雑誌に載っているものや、流行のものが欲しくて、他の人が持っているとつい自分も欲しくなったりしました。


それなのに今は、救援物資でもらった服を何日か着たり、自分で縫ったへんてこりんな服を着ていて、裸で外に出なければいいや、という毎日です。


周りの人には「変わったね~、どうしちゃったの?」とか、面と向かって、「被災したのにボランティアなんて奇特な人だね」とか言われています。


私もなぜこうしているのかが分かりません。


震災の次の日、みんなパニックでした。


でも、高台の無事だった何軒かの家の方がすぐ行動に移ってくれました。


まだ余震も続く中、畑の真ん中にダルマストーブを置き、みんなをあたらせてくれました。


そして、その上でご飯を炊いてくれました。


道路も寸断されてこれからどうなるのかもわからないのに、家が無い人を優先してくれました。


初めは味の無いおにぎりを1日1個みんなで食べました。次の日も1日1個だったけど、中に梅干が入っていました。「漬けていた樽が壊れてたから、欠片に気をつけて食べてよ」と皆に言っていました。


次の日は、畑に植えたばっかりの菜っ葉を抜いて味噌汁にして食べさせてくれました。「具が少なくてごめんよ」って。


食べていると、どうしても、どうしても涙が出てしまい、「泣く事ないよ~当たり前」とおばちゃんは笑っていました。


停電なので冷蔵庫の中の物を処分しなければならないと、エビフライやら焼き鮭、普通の生活で食べられるものを出してくれました。


倒れた仏壇の下に、お供えしていたお菓子を、「嫌だったらごめんよ」と娘にくれました。


その内、配給が来るようになり、おにぎりも一日2個~3個食べられるようになって、おばちゃんも「自衛隊の人のほうが料理がうまい」と言って、皆に作るのをやめました。


今でも、おばちゃんに会うと泣けるし、何でもしたくなります。


お礼に、と何か持っていくと、「ダメ、当たり前なんだから。今度持って来たらご飯食べさせないからね!」と受け取らず、また泣いてしまいます。


こんな人間になれるのだろうか?なれない。でも何か出来ることはないか?そう思って今生きています。


回転寿司やいろいろなお店が再開しています。でも食べようとすると、バチが当たる、ともちょっと違うような罪悪感でいっぱいになります。


だめだな・・・