避難所の様子 | 震災後の海おんなのブログ

震災後の海おんなのブログ

震災からの記録です。

ほぼ毎日、新しく上がった遺体を見に行く、という日々が続いた。

詳しくは見に行くのが半日、残りの半日以上はガソリンを詰めるためにスタンドに並ぶというのが日課のようになっていた。

ガソリンは大抵10リッター2000円ほどで、20リッター入れてもらえると、うれしくてうれしくて言われた金額をそのまま支払った。

今思えば・・・どうなんだろう・・・

でもそれしか交通手段がなかったのでほんとにうれしくて、ガソリンスタンドが開くという情報を聞くと、夜からガソリンスタンドに並び、エンジンを切り、毛布に包まり夜を越し、朝が来ると前に何台並んでいるかをチェックした。

そして、豆腐一人一丁までというお店にみんなで並び、多く買い、炊き出しの場所に持っていった。

炊き出しの場所には津波に流されずに残った家の、米、味噌、いろいろな食べ物がすべて集められ、そこでみんなで食べるようにしていたが、1週間も過ぎ、備蓄していた食糧も少なくなり、ご飯だったのが、おかゆになっていた。

ほとんどあきらめかけていた時、親戚から電話が入り、「じいちゃんに似ている人がいる」と言われた。親戚では、妹夫婦2人ともいなく、よく周りを見てみると、家族がそろっている人はまれで、父親、母親、子供、職場や学校でいなくなった人が多かった。

半信半疑で行って袋を開けてみたら、おじいちゃんだった。と思う。

くるしそうに顔をしかめていたしほっぺたがえぐれて無くなっていた。そして全裸だった。

紙を見ると、溺死(短時間によるもの)と書いてあった。

裸なのは、お風呂に入っていたわけでは無く、引き波と押す波に交互に揉まれて自然に脱げたらしい。どれくらいの強さで服が脱げるのか、ピンとこなかった。

ふやけていて、顔も違うし、ずーっとみんなで顔を見ていたがよくわからなかった。持ち物で判断する人もいるし、その日着ていた服で判断した人もいたのだろう。でも、ほとんど手術をしたことが無く、歯も、歯医者に通っていたが、その歯医者は壊れ、先生は死んでしまった。

結局、DNA鑑定をお願いした。手続きをしているとき、後ろのほうで騒がしかったので、見てみると、東京に行っていた娘さんが家族を探しているという。家族5人ともいないという。探すのを手伝ってほしいという。そして写真を受け取り、ひとりひとり探した。写真では笑っているけどどんな顔になっているのだろう、この女の子は東京にあこがれ行ったが、今どのような気持ちなのだろう。そんなことをなんとなく考えていたが、答えは出ず、ただ、ただ死体と写真を交互に見た。


☆今日の私☆

アンドロイド携帯を買った。お店にはそれしかなかったので。でもdocomoやソフトバンクはまた繋がらなくなるかもしれない、と不安だった。

タッチパット・・・曲者である。指の太い私には練習が必要かも。