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宮崎縣護國神社に続いて、お隣に鎮座します「宮崎神宮」へ。


ご祭神は、
主祭神
神日本磐余彦尊(ヤマト・イワレヒコ)=(神武天皇)
配祀
鸕鷀草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)(神武天皇の御父神)
玉依姫命(タマヨリビメ)(神武天皇の御母神)
で、ございます。


宮崎神宮略記
当神宮は神武天皇神日本磐余彦尊を主祭神とし、相殿には鸕鶿草葺不合尊(御父君)と玉依姫命(御母君)が奉斎されている。天皇は四十五歳の御時、天下統治に応しい地を求めて日向国を御出発、数々の苦難の末に大和地方を平定され、第一代の天皇として即位された。後に皇子神八井耳命の御子(健磐龍命)により、天皇の御神霊が当地皇居高千穂宮の霊地に鎮祭され今日に至っている。
古来より神武天皇宮或は神武天皇廟と称されて歴代領主の尊崇篤く、明治維新に際し神武創業の昔に復えるという事で、特に注目、重視された。明治十八年、官幣大社に昇格、社名も同十一年、宮崎神社から宮崎宮と改称され、大正二年に現在の宮崎神宮となった。その間の明治三十一年、神武天皇御降誕大祭会総裁公爵二条基弘、会長伯爵島津忠亮、幹事長男爵高木兼寛が発足し、社殿の造影境内地拡張等の大工事が進められた。特に明治天皇には御内幣金を下賜あらせられ、これを契機に全国的規模の募金活動が展開された。同四十年に竣工。遷座奉告祭が斎行され、更に同年十一月、嘉仁親王殿下大正天皇のご参拝を給わった。以後皇族方の御参拝が続いた。殊に昭和天皇には皇太子裕仁天皇親王殿下の御時、大正九年を始めとして六度の御参拝を給わった。又皇太后陛下には大正十二年、久邇宮良子女王殿下として御成婚御奉告を始めとして陛下とともに二度の御参拝を給わっている。 -案内板より

【神武天皇ご誕生】
神武天皇は初代天皇にご即位するまでは、神日本磐余彦天皇、ご幼名を狭野命と申し上げました。天照大御神から五代目の御孫(右系図参照)にあたります。鵜 草葺不合尊(鵜戸神宮ご祭神)の第四皇子で、母は玉依姫命(たまよりひめ)と申します。お生まれは宮崎県西諸県郡高原町にしもろかたぐんたかはるちょう)大字狭野(と言われ、この地には狭野神社(旧宮崎神宮別宮)が鎮座しています。
天皇は生まれつきご聡明で武に富みご性格も確りした方でしたので、御年十五歳の時皇太子に即(つ)かれ、宮崎で政治(まつりごと)をお取りになりました。しかし、当時は未だ全国統一がなされた時代ではなく、皇威(こうい)が全国に輝くというわけではありませんでした。
-宮崎神宮公式Webより

【神武ご東遷】
そこで天皇は皇威を広めようと仰(おっしゃ)って、四十五歳の時に、都を中央に遷(うつ)すべく、宮崎をご出発になりました。先ず宮崎から陸路北へ進まれ湯の宮でお泊り御湯を召され、次に甘漬(あまつけ)や都農(つのう)では武運長久(ぶうんちょうきゅう)のお祀(まつ)りをされ、更に北に向かい美々津の港から船出されたと伝えられています。
皇軍の向かうところ風雲自ら静謐(せいひつ)となり、海路速吸門(はやすいなと)(豊予海峡)も無事に、菟狭(うさ)、岡水門(おかのみなと)、埃宮(えのみや)にお寄りになり、翌年三月には更に高嶋宮に到り、三年を行館(かりみや)に座して軍備を整えられました。
それから浪速(なにわ)の河内国草香邑(かわちのくにくさかのむら)に上陸されたのですが、生駒山(いこまやま)の要害(ようがい)に拠る賊酋長髄彦(ぞくしゅうながすねひこ)は天皇の軍を遮りなかなか降伏しなかったことから、遂に道を改め、海路紀伊国へ熊野路から攻め入られたのです。
此の間、皇兄五瀬命(いつせのみこと)は戦傷の結果遂に薨去(こうきょ)され、また熊野灘では海上暴風の為めに皇兄三毛入野命(みけいりぬのみこと)と稲飯命(いなひのみこと)のご遭難を始め幾多の将兵を失われるなど、苦戦艱難(かんなん)をなめさせられました。
-宮崎神宮公式Webより

【苦難を経て大我へ】
熊野に上陸すると天皇は、険しい山々を踏破され、高倉下(たかくらじ)や八咫烏(やたがらす)の忠勤によって遂に大和を平定遊ばされたのです。丁度日向をご出発になられて七年目の正月朔日(ついたち)、畝傍(うねび)の橿原(かしはら)に宮殿を建てられ「八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(な)さむ」とおっしゃって、 第一代の天皇にご即位(そくい)遊ばされました。 ここに我が国の建国はめでたく成就されたのです。
そして即位後四年(BC六五七)には 畤(まつりのにわ)を鳥見(とみ)の山中(やまのなか)に立てられ、皇祖天神(みおやのあまつかみ)を祀られ大孝(おやにしたがうこと)を申(の)べられました。
-宮崎神宮公式Webより

社殿(明治四十年造替)は、伊勢神宮の神明造の影響が顕著で、
国の登録有形文化財として登録されています。


宮崎神宮 御朱印
元宮 皇宮神社の場所等を教えて頂き出発しました。
つづく
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