~北へ~(367)69日目② 秋田県護国神社 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら


お腹も満腹。日本海を見ながら快適な運転が続きます。



そして訪れたのは、秋田縣護國神社です。

     

明治二年(1869)秋田藩主佐竹義堯が戊辰戦争に殉じた官軍戦没者425柱を
高清水丘に祀ったのが起源であります。



明治二十六年(1893)に焼失しますが、明治三十二年(1899)に
秋田市千秋公園(久保田城址)に再建され、秋田県出身の軍人
・軍属を合祀して秋田招魂社と称しました。

        

昭和十四年(1939)、内務大臣指定護国神社として秋田縣護國神社に
改称し、翌年、旧秋田城址である現在地に遷座しました。
大東亜戦争(WW2太平洋戦線)後の一時期、「軍国主義施設」と
して廃止されるのを防ぐ目的で、鎮座地名に因んで高清水宮と称し、
伊弉諾尊・伊弉冉尊を合祀してこちらが主祭神ということにしました。

 
 神門

  

敗戦後は県に関係した軍人、軍属の霊を合祀しており、現在の
ご祭神は、38,000余柱となります。


 拝殿



平成二年(1990)七月九日、即位の礼に反対する過激派により
当社社殿にしかけられた2つの時限爆弾が爆発し社殿は全焼。
本殿内に安置されていた神体および霊璽簿は無傷でありました。
社殿は平成四年九月に再建されました。


 拝殿ない

      
    本殿





 殉国秋田県人之碑
明治天皇御製
 かぎりなき世にのこさむと國の為 たふれし人の名をぞとどむる
昭和天皇御製
 國のため命ささげし人々のことを思へば胸せまりくる

  
 さざれ石

      
   秋田招魂社址の碑           忠魂碑


   
     秋田県護国神社 御朱印


全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。








                               つづく








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