北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
五稜郭を後にし、箱館戦争降伏式がおこなわれた「亀田八幡宮」に到着です。


一の鳥居 有栖川宮一品幟仁親王 揮毫の社号標

神橋を渡り、国旗に敬礼。二の鳥居をくぐります。


社伝によれば、明徳元(1390)年、河野加賀守森幸が越前敦賀(福井県〉の気比神宮から、祭神の八幡大神(応神天皇)を勧請したのが始まりという。本殿と拝殿は慶長8(1603)年に建立されたと伝えられている。 17世紀に入って亀田川河口は、このあたり一帯の中心地となり、神社・仏閣が整備された。亀田八幡宮には、延宝2(1674)年の棟札が現存している。 現在の社殿は昭和39(1954)年に造られたものである。それまであった社殿は現在でも神輿殿として残されているが、文久3(1863)年に改築された市内で最も古い木造建築である。箱館戦争時に受けたという銃弾の跡が残っている。 また、第一の鳥居は、弘化4(1874)年に松前藩最後の箱館奉行となった工藤茂五郎が奉納したものである。 函館市 -説明版より


お顔をじっと見ていると幽気を感じることが出来そうな狛犬

拝殿
ご祭神は、
誉田別命 で、ございます。

旧社殿(現神輿殿)
榎本武揚ら旧幕府軍と陸軍参謀黒田率いる新政府軍との間で、明治二年
(1869)五月十八日に行われた降伏式はこちらの旧社殿でといわれています。


碑(表)「箱館戦争降伏式之地」
榎本武揚の曾孫・榎本隆充氏の揮毫
碑(裏)
明治2年(1869)5月18日 旧幕府軍(榎本軍)が政府軍に降伏 実はその前日午前 亀田八幡宮社殿前において黒田、榎本両雄が会談し、降伏の実行を整えたのであった。誓約後、冷酒にて歓談。この日、この地こそ近代日本の幕開けであり、わが国の歴史遺産の地、証の地として永劫に輝く
南北海道史研究会会員 近江幸雄

旧社殿 社号額


旧社殿の立派な彫物(右画像、龍の上の彫物は羽の生えた龍です。珍しい。)


旧社殿(現神輿殿)に残る函館戦争時の弾痕かな?


函館薬祖神社(末社)ご祭神:少彦名神

亀田稲荷大明神(末社)ご祭神:宇迦之魂神
毎度のことですが、事前に予習をしていかないので参道横に建つ古そうな
立派な建物の事を神職に質問したところ「旧社殿(現神輿殿)である」そして、
「函館戦争時の弾痕」の事も教えて頂きました。ありがとうございました。

亀田八幡宮 御朱印
つづく