~北へ~(222)29日目⑦ めし・函館乃木神社 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら



「土方歳三最期の地(若松緑地公園)」から次なる地へ移動です。


海に出ました。

 

「土方歳三」の文字発見。

 

土方先生のデカい写真があるが、「土方啄木浪漫館」の文字。誰だ?

 

昼前ですが腹もすいたので「ラーメンの王道」の看板に釣られIN

    
  ラーメンの王道 北浜商店 総本店 (土方啄木浪漫館の近く)

函館なので勝手に「塩」と決めつけて注文。
着丼と同時に良い香りがする。期待感上昇し、スープを一口。
んっ、化調が多くイマイチ。麺は、黄色かかった所謂札幌麺。
不味くはないが「味噌」に合う麺ではないか。
お高めなお値段と商品が釣り合っていない店でした。


 特製塩ラーメン+トッピングチャーシュー


北海道ラーメン一発目だったのにガックリ。
気を取り直して「乃木神社 函館分社」に向かいます。



 ご祭神は、
乃木希典 命
乃木静子 命       で、ございます。

      
 社号標(乃木甲造 揮毫)(左)
 乃木神社函館分社由来記 (右)
當乃木神社は大正元年12月21日社団法人函館教育会長三坂亥吉氏が区立寶尋常高等小学校に於て乃木大将百日祭を執行いたるに端を発し翌2年同会の主唱にて乃木会が生れ同3年小熊幸一郎氏が函館区亀田村字柏野の土地3千坪を乃木会に寄付し乃木神社創建の議起り大正5年9月13日には本殿竣工し平成函館八幡宮に御霊代を奉還して例祭に之をお迎えして祭典を執行うを毎年の例とするに至ったが昭和20年の終戦時小熊氏寄付の右土地を乃木会が登記していなかった為小熊氏に返ったので豫て乃木神社崇敬の年篤き池田宇一郎夫妻は将来永遠に此の地に乃木神社を奉祭致したいとの存念にて同年9月之を譲受けたが終戦後の混乱の為祭祀は中絶の止む無きに至ったが、昭和29年9月12日函館八幡宮より御霊代を奉還鎮祭したが池田氏の邸内社の如き形にて有志と共に祭祀せられ来り、昭和38年10月池田宇一郎氏逝去に際し池田トキ氏を始め遺族一同連署の下に従来神社として守護せられてきた乃木町39番地並びに30番地の境内地5百坪余本殿約5坪鳥居壱基社号標壱基等を東京乃木神社へ寄付を申し出て来たので東京乃木神社に於て慎重審議の結果受領と決定翌39年10月2日東京都知事より飛地境内神社として認承せられるに至り 此の時従来乃木希典壱柱であったのをご婦人静子命を合祀2柱とすることを神社本庁より承認せられた。
  昭和50年6月15日
   御鎮座60年記念佳辰
    乃木神社宮司 高山晋選書     -説明碑より




 平成28年6月13日 御鎮座百年を契機に「函館乃木神社」として新たに歩みを進めることになりました。-東京の乃木神社(本社)Webより


 参道


 拝殿

       
            社号額と拝殿ない

      
  本殿



         
           函館乃木神社 御朱印


露帝国の侵略から日本国を守り、世界の一流国にした陸の英雄
「乃木閣下」に感謝の参拝。次なる地を目指します。










                              つづく