北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
旨いラーメンで、満足して訪れた先は、「上野国総社神社」です。


正式名称「總社神社」は、崇神天皇皇子の豊城入彦命が軍神として
経津主命を祀ったことに始まり、安閑天皇の時には上毛野小熊が
社殿を改築して「蒼海明神」と称し、天平十年(738)に上野国549社を
合祀し「総社明神」と称しました。

ご祭神は、
主祭神
磐筒男命 (いわつつのおのみこと)
磐筒女命 (いわつつのめのみこと)
経津主命 (ふつぬしのみこと)
宇迦御魂命 (うかのみたまのみこと)
須佐之男命 (すさのおのみこと)
相殿神
正一位 抜鉾大明神 - 一之宮貫前神社
正一位 赤城大明神 - 赤城神社
正一位 伊香保大明神 - 伊香保神社
正一位 岩根大明神 - 甲波宿禰神社
正一位 若伊香保大明神 - 若伊香保神社
正一位 榛名大明神 - 榛名神社
正一位 小祝大明神 - 小祝神社
従一位 火雷大明神 - 火雷神社
従一位 倭文大明神 - 倭文神社
従一位 浅間大明神 - 浅間神社
配祀神
上野国549社 で、ございます。


上野国総社神社略記
古代律令制下 国司は任国内の 神社にて領幣したが この神名を 読みあげることから発し国司政治 の衰退とともに その諸神の勧請 とかわり 国内の諸神を国府近く の一か所に合祀し総社とした。平安 時代末期の創建と考えられる。
上野国十四郡諸社五百四十九柱の 神々を迎祀し やがてその神名帳 一巻がご神体となった。
本殿は慶長年間(十七世紀はじ め)の造営であるが 桃山時代の 様式をのこし昭和三十八年に群馬 県指定の重要文化財となり保護 されている。
拝殿は天保十四年(一八四三)に再建 された豪華な建造物である。
なお総社神社のご宝物文化財 としては御神体である上野国神 名帳をはじめ子持勾玉 神鏡雲板 天正十四丙戌二月一日銘 銅製円板 弥勒座像の縣仏 天正十三年六月 二日附 垪伯耆守の奉書した北条 氏康の掟書 天正十八年五月附 前田筑前守利家 浅野弾正少 弼浅野長政の禁制等が蔵され ている。-案内板より






拝殿前の狛犬

拝殿・天保十四年(1843)再建


本殿・間口三間 奥行二間の三間社流造(慶長年間の造営)






九十九社


社殿裏の「祠」や「道祖神」



境内にたつ蒼海城の縄張り図


上野総社神社 御朱印
つづく