北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
真田井戸の次は、上田城唯一の現存遺構「西川手櫓(西櫓)」です。


本丸西櫓
本丸には7棟の櫓がありました。いずれも元和8年(1622)真田信之の松代転出後に上田城主となった仙石忠政が行った、寛永3年(1626)からの上田城復興工事の際に建てられました。
現在、本丸の東西虎口には隅櫓が3棟ありますが、南櫓・北櫓の2棟は、明治維新後、他所へ移築されていたものを現在地に再移築したものです。西櫓のみが寛永期の建築当初の部材を残し、外観もほぼそのままの姿を残す西櫓は全国的にも貴重な建物であり、昭和34年には南櫓・北櫓とともに長野県宝に指定されました。
櫓の構造は桁行(けたゆき)5間(けん)(約9m)梁間(はりま)4間(約7.2m)の二重櫓で、主要材は松と栂(つが)です。屋根は入母屋造(いりもやづくり)で本瓦葺き、外壁は下見板張(したみいたば)りで一部を白漆喰(しろしっくい)の塗籠(ぬりごめ)としています。
窓は「武者窓」という形式で、突き上げ戸が取り付けられており、棒で突き上げてすばやく開けられるようになっています。
1階の狭間(さま)(矢・弾丸を放つための窓)は、いずれも下方の敵を狙いやすいように低い位置に開けられています。南・北面では左から縦長の矢狭間が一つと、正方形に近い鉄砲狭間三つが並んでいます。また西面では、左側に矢狭間が一つ、その右に鉄砲狭間が並んで配置されています。-説明板より

虎口側から見た西川手櫓(西櫓)


本丸西虎口
本丸には東西2箇所、二の丸には3箇所の虎口がありました。虎口とは、城内への敵の侵入を防ぐために城の門に枡形(ますがた)を造って曲げるようにした出入口のことです。平成3年に実施した本丸西虎口の発掘調査では、櫓門の礎石及び石垣の根石等が検出されました。このことにより、本丸東虎口と同様、西虎口にも櫓門1棟があったことが分かりました。また石垣の天端(てんば)には、櫓門下層最前列の冠木と、最後列の敷桁を載せるための切り欠きが残っています。-案内板より


本丸東櫓の基石 本丸には四隅に櫓が立っていました。


戊辰役上田藩従軍紀念碑 本丸土塁から見下ろす内堀

本丸側から見た「隅欠」


コスプレ軍団(おそらく「おもてなし隊」)が本丸に。


日本100名城スタンプ 眞田神社 御朱印
上田城(27)
本丸北側に鎮座します「上田招魂社」に参拝して、この地を離れました。





全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。
本日の旅泊地・横川SA

第6日目終了
本日の走行距離 105km
つづく