三浦半島周遊(20)海南神社Ⅰ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


            [三浦半島周遊(19)のつづき]


後半戦は、相模国三浦総鎮守 海南神社からです。

 

鳥居をくくると、すぐ左右に境内社がございます。

 
疱瘡神社             御霊神社
ご祭神:源為朝公         ご祭神:鎌倉権五郎景政公

        

 
神池の横に祀られている水神龍神社(祠の上、銀杏の木が龍の頭に見える)

 

 
頼朝公寄進と伝わる御神木(大銀杏)と狛犬
 

海南神社の御祭神は、
藤原資盈(ふじわらのすけみつ)
資盈の后である盈渡姫
地主大神             で、ございます。


海南神社 拝殿



 

神社 御由緒
   
 当社の祭神、藤原資盈公は、藤原鎌足の後裔、九州大宰少弐広嗣の孫に当りますが、五十六代清和天皇の皇位継承の争いに関係した伴大納言善男の謀挙に荷担しなかったため、善男と不和となり、故あって九州博多を出航、貞観六年(八六四年)十一月一日、当地に着岸されました。その後資盈公は土地の者に推戴され、付近の海賊を平定したり、里人を教化して文化の基いを築きました。よって、里人の尊崇の念篤く、治績わずか二年ではあったが公の没するやそのなきがらを海に沈め、祠を花暮に建立してこれを祀りました。後、天元五年(九八二年)に現地に社殿を造営し、三浦一郡の総鎮守として崇められ明治六年六月、郷社に指定されました。
 三浦大介義明が源頼朝挙兵のとき、源平の争覇を当社に占った際、白と赤の狐が闘って白い狐が勝ったので、源氏方に荷担したと伝えられます。境内には頼朝公手植と伝えらえる大銀杏(樹齢約八百年)があります。また御手洗池に架かる神橋の擬寶珠は、三崎御船奉行向井左近将監忠勝が寛永十七年(一六四〇年)に奉納されたものであります。
 また毎年正月十五日に当社に奉納する歌舞「ちゃっきらこ」は、資盈公の妃、盈渡姫が土地の娘に教えたとの口碑があり、また歌舞島に遊んだ源頼朝公の旅の慰めにと、里女の歌に合わせて、童女達が即興的に小竹を叩いて踊ったとも伝えられており、昭和四十年五月、神奈川県の無形文化財に指定されました。




                           つづく