沖縄 編(36)4日目⑪「沖縄師範健児之塔」「国立沖縄戦没者墓苑」「しづたまの碑」 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


            [沖縄 編(35)のつづき]


摩文仁の丘を海側に下った先には「沖縄師範健児之塔」が建っております。

 

沖縄師範健児之塔

 昭和二十年三月三十一日、第二次世界大戦の最中、沖縄師範学校全職員生徒は、
軍命により、第三十二軍司令部の直属隊「鐡血勤皇師範隊」として軍に動員された。
 然るに同年六月二十二日、南西諸島方面軍最高司令官牛島満中將が自決するに
及び師範隊は解散するに至ったが、この間、總員四百八十名中三百有餘名が守備軍
と運命を共にしたのである。
こゝに、生存者達の手によって「慰霊の塔」が建立されたのであるが、更に
太田昌秀外間守善編「沖縄健児隊」出版並びに同名映画の上映記念事業として、
廣く江湖の有志の方々の御援護の下に、この「平和の像」は建てられたのである。
若い身命を捧げて散った師友人の冥福を祈ると共に、それらの尊い殉死によって
斎された平和への祈願を永久に傳えるべく生存者達は心から祈るものである。

發起者
沖縄師範學校生存者


手を合わせ感謝、慰霊をして「国立沖縄戦没者墓苑」へ。



さすが沖縄です。汗が噴き出て滴り落ちます。

再び、「司令部壕跡」を通り、摩文仁の丘の上に上がってきました。



ここ平和祈念公園・摩文仁の丘は「霊域」と呼ばれており、国立戦没者墓苑の
ほか、各都道府県の戦没者の慰霊碑が建てられています。

 

道の左右には、各都道府県の慰霊碑が並びます。
その中に、一家全滅した家族のための慰霊碑が建っておりました。

 
「しづたまの碑」

碑文

 第二次世界大戦において沖縄は祖国防衛の決戦場となり その戦闘は熾烈を
極め一家全員戦火に斃れ祖国に殉じた戦没者はその数一千五百余柱に及んでいる
 これらの尊きみ霊の慰霊顕彰については終戦以来深く心を砕いてきたが 今回
ここに財団法人沖縄財団の寄進を得てしづたま(鎮魂)の碑を建立するとともに
毎年日を定め供養を行ないその悲壮な事実を後世に伝える

一九六九年六月
財団法人 沖縄県遺族連合会



しかし、本当に人に遭いません。



 

 

国立沖縄戦没者墓苑は、沖縄戦で亡くなられた住民や軍人などの御遺骨を
納めた国立の墓苑です。

 





全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げ、
戦没者の御霊を心から慰霊いたします。



                           つづく