[日本100名城・川越城と川越市護国神社(2)のつづき]
川越城本丸御殿から童歌「通りゃんせ」の舞台といわれる
「三芳野神社(城内の天神曲輪)」に。



参道

ご祭神は、
素盞烏尊(すさのおのみこと)
奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと) で、ございます。

三代将軍徳川家光の命を受け、川越藩主酒井忠勝が造営した
社殿(寛永元年/1624年)


三芳野神社 御朱印

「通りゃんせ」
童歌「とおりゃんせ」は当社の参道が舞台といわれる。
当社は川越城築城により天神曲輪に位置することになり「お城の天神さま」と呼ばれた。
城内にあることから一般の参詣ができなくなったのだが、信仰が篤いことから時間を
区切って参詣することが認められた。
しかし、この天神さまにお参りするには川越城の南大手門より入り、田郭門を通り、
富士見櫓を左手に見、さらに天神門をくぐり、東に向かう小道を進み、三芳野神社に
直進する細道をとおってお参りしなければならなかった。
また、一般の参詣客に紛れて密偵が城内に入り込むことをさけるため、帰りの参詣客は
警護の者によって厳しく調べられた。
そのことから「行きはよいよい、帰りは怖い……」と川越城内の子女の間で唄われる
ようになり、それが城下に流れ、武士や僧侶、町人たちによって江戸へ運ばれ、やがて
全国へ広まって行ったものである。
=Wikipediaより=
つづく