中部・北陸・瀬戸内 編(256)姫路城(三国堀、搦手 喜斉門) | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

         [中部・北陸・瀬戸内 編(255)のつづき]

=第37日目⑱=





三国堀(形式・捨て堀)越しに見る天守群(現存)


この三国堀は、秀吉公時代には「捨て堀(溜め池)」ではなく、
天守群が建つ右手の姫山と、西の丸と言われる左手の鷺山の谷に
あたる部分に堀があり、三国堀と繋がっておりました。

池田輝政が奥の方の堀を埋め、石垣を埋めたV字型の跡




菱の門を出て三の丸に戻り、搦手(東側)へ。


三の丸東側の内堀

 
東側から見た帯郭櫓(腹切丸)と大天守

  
搦手・喜斉門跡


喜斉門から見た大天守東面


                             つづく