中部・北陸・瀬戸内 編(202)松山城 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

         [中部・北陸・瀬戸内 編(201)のつづき]

=第34日目⑤=

筋鉄門をくぐり、連立する天守、櫓や渡櫓(廊下)で囲まれ、
天守への入口(玄関)のある武者溜まり(内庭)に入ります。


筋鉄門(復元)


内庭から見た小天守(復元)


南隅櫓(左)と北隅櫓の間を結ぶ十間廊下(復元)


玄関、玄関多聞と北隅櫓(奥)いずれも復元


内庭から見た現存大天守と筋鉄門(左)

創建当初は五重であったという大天守。
寛永19年(1642年)に松平定行が三重に改築。
現在の天守は安政元年(1854年)に第12代藩主勝善が再建したもの。
松平氏による普請であったため、丸に三つ葉葵の瓦紋が付けられている。


                             つづく