凸【歴女ブロガー】滋賀1日目・参 | 凸戦国修行中〜あい散歩〜

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目標は、声優として活躍し地元をPRしていくこと!
ブログには旅行記、修行記、日々の出来事を書いています♪

近江八幡から1駅で到着。  歴史と文化のまち、 安土!!!電車




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なんと信長様が迎えてくれました☆


右の桜は「織田桜」と呼ばれて、八日市市川合町から移設したもの桜

川合町は四百年前、織田信長公の領地であり、

信長公の姫君がよく大和桜の絵を描かれていたのが


この桜だといわれています。

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    信長様の前に正面に立って、

   斜め左を向くと見えるのは・・・



  万吾楼
さん(-^□^-)←クリック!



   なんと明治43年創業!!

   創業百周年、信長ゆかりの


  和菓子の老舗なのですひらめき電球



  お邪魔するなりガラスの向こう側に


並ぶ数々の魅力的なお菓子に


圧倒されて悩みまくる私・・・


歴女にはたまりません!!








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店主の髙嶋さんともご挨拶^^

私ったらどきどきしちゃって、

上手くお喋りできて


なかったかも?!



ご親切にレンタサイクルの


お店まで

案内していただいて、

いざ安土城へ!!!



あ・・・どのお菓子を


選んだかは

まだ内緒にしちゃいますにひひ









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  私の相棒となった信長Bicycleキラキラ自転車最高にcool!

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見知らぬ土地を

自転車で颯爽と走る・・・

言葉に出来ない

気持ちよさでした☆



そして到着、


安土城址



日曜日とあって、

にぎやかな感じ!

なんとなく


心強かったです♪











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特別史跡安土城




織田信長が武田勝頼を長篠の合戦で打ち破った翌年

天正4年(1576)に、安土城の築城は始まります。

それにあたり畿内、東海、北陸から


多くの人夫が徴発され、

最高の技術を持った職人たちが動員されました。

築城開始からわずか三年後の天正7年には天主が完成して信長が移り住みましたが、


その三年後天正10年に本能寺の変で


信長が暗殺されると、城は明智光秀の手に渡り、


その光秀が羽柴秀吉に敗れたすぐ後に

天主・本丸は焼失してしまいます。




それでも織田氏の添加を象徴するものとして、秀吉の


元で信長の息子信雄や三法師が入城を果たし、

信長の跡を継ぐものであることをアピールします。




しかし天正12年。


小牧長久手の戦いで信雄が敗北すると

織田氏の天下は終焉を迎え、翌年安土城は


その役目を終えて廃城となるのです。




その後江戸時代を通じて信長が城内に建てたそう見寺がその菩提を弔いながら、

現在に至るまで城跡を守り続けていくことになります。



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伝 羽柴秀吉邸跡




信長の家臣、羽柴(豊臣)秀吉が住んでいたとされる屋敷跡です。

上下2段に別れた郭(構造された平地)で構成されたお屋敷・・・

生活の様子だとか、いろんなことを考えてしまいました目

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  伝 羽柴秀吉邸跡の向かい側にあるのは


 伝 前田利家邸跡!!彼の盟友ですね♪



  右の写真は前田利家邸跡の虎口です。

 大手道に沿って帯状に気付かれた石塁を


 切って入り口を設け、その内側に


 枡状の空間を造った「内枡型」と呼ばれるもの。



 6mにも及ぶ算段の石垣、その最上段~正面へ


多聞櫓が侵入した敵を見下ろしたそうです。



  ・・・影が入って分かりずらいですね;

 でも、この空間にいるだけで迫力を感じずには


いられませんでした。



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一段一段が高くて、

すぐにひーふーいってました(;^ω^A



足元にこんな表記が。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




大手道跡の石仏



この石仏は築城の際に


大手道の石材として使われたものです。

城普請に使用する多くの石材は、

近郊の山々から採取しましたが、

石仏や墓石等も含まれていました。



出土した石仏等は、


本来は信仰の対象となっていたものですが、

築城の経緯を示すために


発見当時の状態で保存しています。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




【左】黒金門跡                       【右】天主、本丸へ!!                       

  安土城中枢部への主要な入り口の一つ。          希望が見えてきました(笑)

  この門の先では、信長様が選ばれた側近達と

  日常生活を送っていたそうな・・・

  でもお邪魔しちゃいましたよ(^∇^)

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こんな不思議なものに出会いましたΣおおーきい足跡!!




仏足石( 室町時代中期 )

元々は、大手道などの石仏と同様に築城当時、


単なる石材として集められ石垣に使われていたそうです。

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      織田信雄公四代供養塔  ⇒ ⇒ ⇒

    長谷川邸跡の奥にひっそりとあるので、

   地図を見ながら、見落とさないようにご注意を!!



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



  ↓ ↓ ↓  信長公御廟

    天主西下の二の丸跡に、秀吉が天正11年に

   信長公ゆかりの太刀、烏帽子、直垂( ひただれ )

   などを埋葬して、御廟としました。

   一周忌には盛大な法要が行われたそうです!

 

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ちょこちょこと寄り道しながら、やっと天守閣址ビックリマークビックリマークビックリマーク

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今は1.2mおきに礎石が並んでいるだけです。


でも此処に、地上6階、地下1階の天主があったんですね・・・この場所は、天主閣の地下にあたります!


立っている場所の範囲だけでも広くて(東西・南北それぞれ28m)、見渡しちゃうくらいなのに


実際の天守台の大きさは、もっともっと大きく2倍半近くあるとΣΣ




現在は石垣上部の崩壊が激しく、その規模を目で確かめることはできませんo(TωT )




残った石垣よりキラキラカメラ

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信長様は、これよりもっと高いところから素晴らしい景色を眺めていたんですよね!あぁ~

自分の城から見る景色は、どれ程の絶景なんだろう!




摠見寺跡三重塔 ・・・ 棟札に享徳3年(1454)建立の塁書があり、

              室町時代の建物で、甲賀の長寿寺から移したもの。


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ニ王堂( 楼門 ) ・・・ 元亀2年(1571)甲賀武士山中俊好建立。

門内の金剛力士像も、頭部の内側に応仁元年(1467)

因幡院朝作の改像名が残っていて、

天正年間に甲賀から移築したもの。

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摠見寺から見た、西の湖の眺めです。 安土に来たら絶対見なきゃいけない景色です右上矢印右上矢印


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二王門をくぐったら階段を下りればいいのに、何を思ったか私はUターンしてしまいました←

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せっかく道を間違ったから、大手道をパシャリOK凸戦国修行中~あい散歩~





かなりくたくたになりつつ、信長様パワーを頂いたので足取りは軽い♪♪


このあと再度信長Bicycleキラキラ自転車に跨り、次なる場所へ!!!




つづくっ☆