雁の寺 | キネマの天地 ~映画雑食主義~

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レンタルビデオ鑑賞日誌



(ほぼ)一日一本のペースで映画の感想を書いてます。

雁の寺 [DVD]/若尾文子,木村功,三島雅夫
¥4,725
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内容:川島雄三監督が若尾文子を主演に描いた代表作をDVD化。寺の襖絵師の妾・里子の官能的な肉体に惹かれた住職は、襖絵師の死後、彼女を囲うことに。男女の愛欲と、痴態を覗き見する少年僧の歪んだ愛憎劇が展開。原作は水上勉の直木賞受賞作。(Amazonより)


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はい!今週の若尾文子さん枠 は、1962年製作「雁の寺」です!

監督は「女は二度生まれる」 に続いて川島雄三 、原作は水上勉の直木賞受賞作です。

なお余談ですがコレ、私はてっきり「かりのてら」と読むもんだとばかり思ってたんですけどねー、

クレジットでは「がんのてら」になってるんですよね。

でもこう言っちゃ何だけど、「かり」の方が表現的には文学的で良くありませんか?

・・・と思って調べてみたら、やはり原作は「かりのてら」となっていました。

つまり映画化にあたって「がん」に変えたってことか、う~んこれは一体なんででしょ?

台詞で「かり」って聞いても「雁」に結びつきづらいって事かな?





洛北は衣笠山の麓、灯全寺派の孤峯庵は京都画壇の重鎮岸本南嶽の雁の襖絵で名高く、雁の寺ともよばれていた。ある日、喪服姿の桐原里子が山門を潜った。南嶽の妾だが、彼の死後、遺言により孤峯庵の住職慈海を訪れたのである。慈海は里子のやわ肌に戒律を忘れた。そのまま慈海の世話をうける身となった里子の眼にとまったのは、小坊主慈念だった。若狭の貧しい寺大工の倅として育った慈念は、口べらしのためこの寺に預けられ、宗門の中学校へ通っていた。同じく貧しい家庭に生れた里子は、いつしか慈念に同情をよせるようになった・・・(goo映画より)




はい、昭和初期の京都・洛北にあるとある寺を舞台にした愛欲の物語です。


日本画の大家・岸本南嶽(中村鴈治郎)の妾をしていた桐原里子(若尾文子)は、南嶽の

死により今度は衣笠山の寺院・孤峯庵の住職、慈海(三島雅夫)の世話になることに。

たちまち美しい里子の虜となってしまった慈海は、日々の御勤めにも支障が出るほど

里子の体にのめりこむ。

一方、慈海の下で修行に励む小坊主・慈念(高見国一)は、そんな慈海の乱行をつぶさに

見つめながらも、慈海の厳しい言いつけに文句ひとつ言わず従っていた・・・ってなお話。



戒律を破って快楽に耽る慈海の生臭さ、それを簡単に受け入れたばかりかまだ若い

慈念までをも誘惑する里子の業深さ、そしてそれを見つめる慈念の怒りに満ちた眼差し・・・

山門の寺院を舞台にしていながら、繰り広げられる物語はまるで俗世の縮図ですね、

修行を積んだ坊主といえども一皮向けばただのオスに過ぎないと言わんばかりに

冷徹に人間の本性を暴きだしております。



印象的なのはカメラアングルです。

肥溜めや大樹に空いた“うろ”、墓穴といった孔の中から外界を覗くような構図で撮られた

映像がたびたび登場するのですが、・・・う~んなんて言ったらいいんだろう、ちょっと適当な

言葉が浮かばないんだけど、まるで自分が奈落から人間界を見つめているような

不思議な感覚にさせられるんですよね、って少なくとも今世では奈落に落ちたことないから

この例えが合ってるのかサッパリわからんけど(^_^;)



そしてキャストもいいですねー!

慈海を演じる三島雅夫のジットリネットリとした生臭坊主ぶり、男にすがっては虜にしてしまう

里子を演じた若尾さんの業深い女っぷり。いずれもお見事でしたが、しかし何といっても

印象深いのは、慈念を演じた高見国一の苛立ちと怒りに満ちた眼差し!

あれぞまさに激情ですな、お見事でした!!\(゜□゜)/






総評。

う~ん何と言ったらいいんだろう、全くもって巧く説明できてないのが何とももどかしいですが、

とにかく面白かった! 決して激しい描写じゃないのにすごくパワフルだし、物語自体は

とても湿っぽいのに厭らしい感じは全くしないし、なんつーかね、観終わった後は

ある種の諦観にも似た気持ちにさせられましたよ。

ってわけでいつにも増して何言ってんだかサッパリわからん文章で甚だ申し訳ないんですが、

とにかくオススメです!!!!