雪が舞う忘れられない日がある。
1歳と0歳の息子を連れて初めて一人で他市の児童館に行った日
帝王切開後の体は弱りきっていて、慢性的な睡眠不足で。
マンションに閉じこもっての育児は、
1週間、家族以外の誰とも会わないって普通で。
人生の中で一番弱ってた時 どこにも行くところがなくて
慣れない道を必死で運転して
恐る恐る開けた扉
「どこにお住まいですか」
「草津市です」
「A市民じゃないとつかってもらえないんです。ごめんなさいね」
胸の奥がキューンって
学区とか、市町村の違いとか、
生まれて初めて必死で子育てしている私には関係なくて
ああ、ここにも私の居場所はないんだなって
行政の仕組みに絶望した。本当に弱ってた。
長男が3歳になる直前、のんちゃんと育児サークルを立ち上げた。
自分の居場所を作るために。
~地震に備える~
熊本震災での、草津にいる自分の無力感
もちろん行政の支援の入らない最初の3日間を
生きていくための物を買いそろえる等というのも大事だけれど、
私が活動している理由は、起こった後のため。
その災害に(精神的に)耐えうる地域
その災害に強いコミュニティを作りたい。
災害が起こることは避けられないとしても、
そこからどれだけ早く立ち直れるかは
地域の力にかかっている
私達がどれだけ豊かな人間関係を築けているかに
かかっていると思うから。
私が防災おにぎり委員会代表として
危機管理課 岩佐さんについていくのは
目の前にある小さな困りごとを訴えたときに
職員として真摯に対応してくれた人だから。
26年5月
消防署での防災訓練を初めて危機管理課とコラボでやろう
という話になった時
「2歳の子は集中力5分しか持たないです。
長時間話を聞かされてもママのストレスにしかならない。
5分でわかる防災にしてください」
そして
岩佐さんが考えたのが
小道具(笑)
と
カエル(笑)
当時の行政職員(男性!)としては画期的!!!
市役所の職員(男性!)さんが
2歳の子を目の前にして、
目線の高さまで腰を下ろしてしゃべってくれるだけで
私たちは母親は安心できる。
ぐずっている子どもをあやしてくれるだけで、
ここは安全な地域なんだと安心できる。
ここで子育てしていていいんだと。
人が人を支えるってそんな小さなことの積み重ね。
子育てを応援するって大きな制度を作らなくても、
職員さんが子どもと同じ目線で話しかけてくれるだけでよかったりする。
目の前の小さな困りごとも解決できないのに
大きな災害で助け合えるわけがない
だから目の前の小さな困りごとに対して
見て見ぬふりをしてほしくない
しっかりアンテナをはっておいてほしいと思う
岩佐さんがさらに考えて生まれたのが
毎月17日はぼうさいおにぎりデー
「おにぎりをツールにすれば
小さい子供もママも参加できる 堀江ちゃん、これでいこ♪」
どうしたらママの本音を引き出せるかな?
どうしたら、その地域で安心感を感じてもらえるかな
どんな地域の仕組みや機会があれば人と人とがつながるのかな
私の頭の中はいつもそのことでいっぱい。
結婚を理由に女性が仕事をあきらめなければいけないことが
まだまだ普通の日本だとしても、
仕事を辞めて知らない土地に引っ越して
子どもを産み育てる女性たちが
孤独にならない環境を作ることは
私にもできる
孤立した状態で子供を育てること。
「想定外」「自分のキャパシティを越える負担」「非日常」
災害と重なる部分が私には多いように感じる。
実際、とてもしんどかった。
どんな困難が降りかかってきても、
仲間と一緒に、乗り越えられる地域を作りたい
防災に傍観者はいらない
今日1月17日
12時20分~50分
草津市役所で行われる「追悼防災コンサート」
傍観者じゃない市役所職員と
私たち市民で踏み出す大きな一歩になりますように