この輝ける女性の容姿をした観音像は
生まれつき竜馬の中に入っていたに違いないが、
それを彫琢し、目鼻をつけ、衣装のひだをつけ、手足の爪まで彫り刻んだものは
竜馬のたった一人の教師である乙女姉さんだった。
だから彼女が刻んだ像は女性像になってしまったのかもしれない。
これが竜馬を監視するのである。
女性の眼で監視をするのだ、いい男になれ、と。
ときにはこの女性像にほれ込んでいるから頭を抱えて服従せざるをえない。
ところが、である。
こまったことがある。
この観音像の顔がときによってかわることだ。
原則として観音様なのだが、そのときそのときで誰かに似ている。
さすがに作り手の乙女姉さんに似ている時が一番多いのだが、
ときには福岡のお田鶴様に似ていたりする。
お田鶴様だけではない。
まったくこまりはてたことに、いまのとことこの千葉家のさな子にもすこしにているのである。
竜馬の、(こまった)はそれであった。
竜馬を監視している観音像がさなこという生き身の姿をとって意地悪をしているのだから手におえるはずがない。
ところで去年やってきたアメリカのぺりー堤督が正月の14日再び艦隊を率いて再来し、
さきに幕府に通商開港に関する国書の返答を厳しく要求し始めたため、
諸藩の沿岸警備隊は再び臨戦状態に入り竜馬も黒船が去るまでの間、
築地の藩邸に詰めっきりになった。
竜馬が桶町の道場に戻ってきたのは、幕府が下田、箱館の両港をひらくことに決定し、
ペリーに回答をした2月末になってからのことである。
ひさしぶりに道場に戻った竜馬は貞吉先生に挨拶をするために、
道場から中庭に降りた。そのときさな子とすれ違った。
(まあ)という眼をさな子はした。
すぐ顔を伏せ、横を通り過ぎようとしたが、2,3歩踏み出したところで、くるりとふりむいた。
竜馬は足を止め、
「何かご用ですか」と振り返った。
引用著書
「竜馬がゆく」
司馬遼太郎