黒船の到来4 | 日本で唯一の実践ビジネススクール

日本で唯一の実践ビジネススクール

フリーターで働いた10代から20代の生活を経験し今の若者に何か、起業するためのヒントを与えることができればとアパユアーズを全国展開年商60億円の起業に育てる。
「年商1億円の起業」を目指せと
ヒューマンアカデミー事業を設立してます。

藤堂

 

ときいただけで血の気が湧くのは竜馬だけではない。

 

むかし元和元年の大坂夏の陣の時、

 

河内八尾で大阪方の土佐勢が東軍の藤堂勢と衝突し、

 

「関ヶ原のうらみぞ」としにものぐるいで突進してさんざん打ち破った先例がある。

 

(藤堂か)

 

こどものころに植え付けられた印象というのはおそろしい。

 

竜馬には相手が講釈などに出てくる悪玉のように思えた。

 

とっさに棒を握った。

 

「な、なにをする」

 

(こうするのよ)

 

引き寄せて胸倉を掴み足払いをかけて倒し、

 

そのあとはふたりばかり棒でたたき伏せてから

 

(これはいかん)

 

と気づいた。

 

むこうから松明をもった藤堂兵がわらわらと駆けてくる。

 

(下手をすると打ち死にじゃ)

 

藩の名が出る。

 

これは竜馬にはつらい。

 

逃げた。

 

足の続く限り浦賀街道を南に向かってかけた。

 

浦賀に着いたのは翌々日の未明である。

 

 

 

ペリーの艦隊が浦賀に来た真相はずっとのちになって

 

竜馬はイギリス人グラバーから聞いたものだが

 

もとはといえば鯨が目当てだったらしい。

 

かれらは新漁場をもとめて冒険的な航海をしたが、

 

やがて太平洋、とくにその北部にくじらがおびただしく群棲していることを知った。

 

ところが港がない。母港を遠く離れて太平洋で活躍するには貯炭所がいる。

 

当時の船は蒸気船とはいえ積み込んでいる石炭だけでは一週間も走ればからになってしまう。

 

結局寄港地を日本に求めた。

 

かれらはこの国がかたく鎖国して港を開かないことを知っていたから、

 

艦隊の威容をみせることによって強引に開国を迫ったのである。

 

(あの船、一隻でも良い。おれのものにならぬものか)

 

無邪気なものだ。子供がおもちゃを欲しがる心境だった。

 

(一隻で大名じゃ)

 

 

 

「もし、ここでなにをされておる」

 

「黒船を見ている」

 

といった。

 

「だまらっしゃい。われわれは彦根井伊家の者でこの台場を警備している。

 

貴殿の藩名、お名前を伺いたい」

 

竜馬は黙っている。

 

「この男不審である。番所へひったてい」

 

「待った」

 

何か一工夫思いついたらしく立ち上がって一同の顔を見回した。

 

 

 

引用著書
「竜馬がゆく」
司馬遼太郎