竜馬は以蔵と別れて船場に戻った後、
ある男に出会った。
「どこかね、ここは」
男は黙っている。
「あんたは耳がないのかね。」
竜馬は人懐っこく笑って見せた。
「ここはどこか、ときいている」
「坂本の旦那、でしたね」
「。。。。。。。。。。。」
今度は竜馬が黙る番だった。
なぜ、名前を知っているのか。
「なぜ、俺の名前を知っている」
旅に出てから龍馬ははじめて油断ならない人物に出会ったような気がした。
「知るも、しらねぇも旦那自身がおっしゃったはずじゃござんせんか」
「どこで俺は申したかな」
「大阪の高麗橋のたもとで」
竜馬は遠い目をした。辻斬りの岡田以蔵との一件を、この男は見ていたのか。
「いったいおまんは何もんじゃ」
「あっしですかね。おぼえといておくんなさい。籐兵衛とともうしやす。」
「妙な名だな。家業は何している」
「泥棒」
闇の中で藤兵衛は低く笑い、
「でござんすがね。けちな賊じゃねえつもりだ。若い頃から諸国の仲間では少し知られた男のつもりでいる」
「おどろいたな。泥棒か」
「だ、旦那、お声がたかい」
「あ、そうだった」
と竜馬は声を低め、
「しかし驚いたぞ。俺は田舎者だからついぞ知らなんだが、
世間の泥棒というのは御前のように稼業と名前をふれあるいて行くものか」
「冗談じゃねぇ、物売りじゃあるまいし、どこの世界に泥棒のくせして自分の稼業と名を触れ歩くバカがいるものですかい。
あっしは旦那が気に入ったんだよ。ちょっと打ち解けてみる気になったんだ。」
そして藤兵衛がいうには
以蔵の話は父親が亡くなったというのは嘘じゃないが、お金が無くなり辻斬りというのは下手な嘘だという。
どうやら丁字風呂にいってそこにいる女たちと遊びたいからだということだった。
「ほんとうか」
「うそじゃねえ」
「以蔵め、そいつは面白かったろうな」
以蔵の身になって笑い出した。
竜馬は生まれつきの明るい話が好きな男だから、足が累増の陰気な話がやりきれなかったのだが、
いまの藤兵衛の話で救われたような気がした。妙な性分である、
腹が立つよりも自分までが風呂酒を飲んで陽気に騒いでいるような気分になってくる。