A主監のお話の続きです。
自分が「きいてんのか?」が口癖になったのはここ5.6年なんだけど、その意味は「腹で聞いてんのか?」という意味。
よく、納得いきませんと言う人がいるけど納得できるかどうかより腑に落ちたかどうかが大切なんだよ。
先は見えないけど腑に落ちたら行動すること
後になってその事柄について納得することができるもんだよ。
自分は25,6歳の時に不動産をやってフレンチレストランや下着販売やホテル経営などいろいろしたんだよ。
年商が1年で25億、3年で100億になっちゃったもんだから、
小学生がお金を持っている感じで遊びに行った先でぱっとホテルを買って帰っちゃうような感じだったよ。
あの頃は本当に何も考えていなかったからあの頃の自分を知っている奴らにはひどい事をしたと思っているよ。
今は、いろいろと考えられるようになったからなぁ。
牛に鳥になれと言ってたからなぁ。
その人の気質や後天的なものが絡み合って才能が開花しているのに、本当は○○で生きなきゃいけない人に○○じゃない!と言って責めてたから。
主観的な悪人は客観的な善人で
客観的な悪人は主観的な善人でもあるんだよ。
まぁ、愛されようとするよりも愛することが大切だなぁ。
あとは答えを見つけようとしない答えを見つけた事かなぁ。
自分の頭の中で「あーでもない。こーっでもない」って自分の頭の中で妄想するのは答えとは言わないんだよ。
それはただの妄想だから。
仲間とは意見を言い合って良いんだよ。ビジョンについて話をする。理念については自分が答えを出すのではなく相手を知るために話をしてもらうってことなんだよ。
欲というのは谷に欠けると書く。
車が欲しいとか美味しいワインが飲みたいっていうのは思考の世界の妄想だから欲とは言わないんだけど、
欲とはどう考えても難しいのに欲しいと願う事なんだよ。
自分の捉え方でいろいろ変わると思うよ、
例えば
相手が自分に何かを言ってると思ったらむかつくけど、
自分の何かが相手にそう言わせると思ったらまた違う捉え方になるしなぁ。』
と、とても勉強になる哲学な事を語ってくださいました。
なかでもマナビバスタッフのわたしがとてもなるほど!と思ったことがあります。
それはA主監が「人間の判断は後味できめろ」と言っていたことでした。
どんなに褒めてくれてその時は嬉しくても、離れた後の後味の悪さが残ったら自分にとってその人は違う。
でも、どんなに喧嘩になったとしても後味が良かったらその人は自分にとって良い人なんだよ。
という事でした。