ブログ画像一覧を見る
このブログをフォローする
怒っているようでもその人自身の「怒り」という言葉だけで片づけようとするのは、情動の多様性を無視。
それは、不当なことに対する正当な抗議、悲しみや共感の表現、癒しを求める想いなのかもしれない。
歴史や社会の諸要因の中で形成されてきたものかもしれない。
個人のみの問題にするのはやめにしたい。
野中恒宏