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モナカ寅次郎



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私のミッションは「つなげる」こと。厳密にいえば、すべてはすでにつながっているので、その「つながり」に目覚めるお手伝いをすること、あるいは、「つながり」を深めていくお手伝いをすることです。


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2017-02-24 04:26:27

遊び心のスイッチを入れて自分のカルチャーを創ってみよう

テーマ:☆【人生】
もうかれこれ17年間オーストラリアで生活していますが、最近はオーストラリアにいても日本にいたときの感覚とほとんど変わらない気持ちで生活しています。それは、和食が食べたければ和食レストランに行けるし、日本の食材もすぐに手に入るし、街を歩けば日本車がいっぱい走っているし、テレビをつけてもそこには日本のアニメが流れていたり、インターネットをつければ、日本の情報もすぐにリアルタイムでキャッチできるからです。

さらには、オーストラリア人であっても、日本文化を心から愛し、それを自分たちのソウルマインドとボディーを通じて、オーストラリアで再生産しようとする方が大勢いらっしゃるからです。例えば、日本の和太鼓にインスパイアされて自ら和太鼓ステージで披露する方もいらっしゃいますし、日本の格闘技にインスパイアされて、格闘技を習う方も格闘技を指導する方もいらっしゃいますし、また、日本のアニメーションにインスパイアされてアニメーションの道に進みそこで成功されてる方も大勢いらっしゃいます。

このように、日本文化は、時間や空間や文化や人を超えて様々な形で広がっているわけです。

もちろん日本文化だけでなく、イタリア文化やフランス文化やその他のアジアの文化もオーストラリアでは体験することができます。しかし、日本文化ほど大きな広がりを見せている文化は他にはないのではないでしょうか。もちろん、私が日本人だからそう感じると言う側面がある事は否めないでしょう。しかし、小学校段階から外国語を教えることが必須とされているこちらの公立学校において、日本語が1番人気であると言う事は単に日本との経済関係を重視する政策からだけでなく、日本文化が広く浸透していると言うことも大きな要因ではないかと思うのです。

では、なぜ日本文化はこれほどまでに海外に広がっているんでしょうか。

私は、そのことを考えるために、これまで日本文化がどのようにして生み出されてきたのかという点に着目したいと思います。端的に言えば、日本文化は初めから海外に広げようと言う動機を持って生み出されたものではないと言うことです。言い方を変えれば、日本文化は日本国内、自分の住んでいる地域、自分の周囲の人々、自分の家族、そして自分自身、と言うように、小さな領域に集中して結果生み出されたのではないかと思います。

どんな現実も文化芸能も、まずは出発点となる自分を磨くことなしには、それを人様に見せると言うことにはならないと思います。そして、自分磨きといっても、自分がやること成すこと全てに対して磨いていこうと言うことではなく、自分の興味関心があること、自分がしたいこと、自分ができることに焦点を当て、その領域を磨くことが重要ではなかったかと言うことです。言い方を変えれば、自分の最優先事項にどれだけ集中できたかが、その文化をより深いものにできるかどうかの分かれ目だったのではないかと思うわけです。

寿司にしても、格闘技にしても、落語にしても、自分個人レベルで、その技や技能を磨くことなしには、いずれも発展することはなかったでしょう。

そして、その自分で磨いた技能、他者に披露することで、そこから得られるフィードバックを元にして、さらに自分を磨くと言うサイクルを永遠と繰り返してきたからこそ、文化や芸能は発展してきたのではないかと思うわけです。もし、自分の技能を磨かずに、ただ相手にアウトプットすることだけに集中してきたとしたら、そのアウトプットの内容は発展することなく、いつまでも同じところぐるぐる回っていたことでしょう。

そうではなくて、自分の最優先事項、言い方を変えれば自分の影響の領域に焦点を当てることで、自分の可能性の領域が拡大してきたと言うことではないかと思います。スティーブンRコビー氏が言うように、私たちは赤ちゃんの頃から自分ができることを繰り返し繰り返し行ってきたことで、その領域が拡大し、スプーンを持てるようになり、歩けるようになり、走れるようになってきたのだと思います。つまり自分の影響の領域に集中すればするほど、自分の可能性もどんどん拡大してくるというわけです。

今日、日本文化がこれほど世界に広がっているのは、日本文化を担ってきた人たちも自分の影響の領域に集中してきた結果ではなかったかと思います。

そして第二に、日本の文化が世界にこれほど広がっている要因として、私は日本人の持つ遊び心が大きく影響しているんじゃないかと思います。例えば、手のひらサイズに握ったご飯の上に、生魚を細かく切ってそれを載せるというのは、遊び心の1つじゃないかと思うわけです。さらに、他の寿司と組み合わせて、色とりどりの寿司を並べると言うのも遊び心の1つの形ではないかと思います。

また、日本のお笑い文化も遊び心の最たるものではないかと感じます。例えば、落語は江戸時代に生まれたと言われますが、皆さんもご存じのように、江戸時代と言うのは、士農工商の身分制度が確立しており、誰もが自分の可能性を最大限に発揮できる時代とは言い難かったかと思います。そして、今以上に女性にも制限がかかっていた時代ではなかったかと思います。しかし、そうした様々な制限があった時代であっても、いや、そういった時代であったからこそ、人々の心の中に遊び心が芽生え、それが、落語やその他の日本の芸能を生み出す土壌になったのではないかと思います。

遊び心と言うのは自由です。他人の目や、社会的常識や、社会理想主義から自由です。そういった遊び心を十分に発揮する存在は、やはり子供たちだと思います。日々、子供たちは様々な行動とりますが、それは私のような大人からは想像もつかないレベルのことが結構多いのです。

例えば、日本語の授業の時間に折り紙を教えたりすることもありますが、子供たちは、折り紙を使って、私が教えた以上のことをやったりすることがよくあります。

でも、遊び心は子供だけが持っているであって、大人は持っていないと思ってる人がいるかもしれません。しかし、実は私たち大人も遊び心を持っています。もう既に失っていたと思う子供が自分の中に人はいるのです。人間の細胞は、常に新陳代謝を繰り返し入れ替わっています。しかし脳細胞だけは、入れ替わりずに、存在し続け、日々発展しているそうです。もし、脳細胞も全て新陳代謝で新しいものに入れ替わっていたとしたら、私たちは全員昔の記憶が全くなくなってしまうでしょう。私たちが昔の記憶を持っていると言う事は、脳細胞が子供の頃から頭の中に存在し続けていると言う証ではないでしょうか。だから、私たちは子供の頃に抱いていた遊び心今でも確実に持っているわけです。

私は、そうした遊び心を最大限に発揮すると、1つの文化が生まれのではないかと思います。

そして、第3に、日本の文化が海外にこれほど広がっている理由としては、日本の文化が世界の人々が共通して抱いている願いや願望を満たすと言う側面があるのではないかと思います。よく日本文化は独特でユニークだということが言われます。しかし、魚を食べる文化も、お笑いを好む文化も、絵画を楽しむ文化も、格闘技や戦いを好む文化も、世界中の様々な所で見られます。日本文化は、そうした世界に共通したものを、日本流に発展させたといえますが、その根底には世界の人々もいた持っていた共通項のスイッチをいれたと言う側面もあるんじゃないかと思うわけです。

言い方を変えれば、日本文化は、世界の人々が心中に持つ遊び心を活性化させる仕掛けが多くあるんじゃないかと思うんです。人々に、ある行動し向けるためには、物理的トリガーと心理的トリガーが必要であるとされています。つまり、何か目の前に物理的なトリガーがあった場合、それに興味をそそると言う心理的トリガーが合致したときに、人間はある特定の行動をするようになるというわけです。すなわち、日本文化と言う物理的なトリガーが、人々の心中に共通してある心理的トリガーを活性化させるきっかけになっているんじゃないかと思ったのです。

また、人間の行動習慣を定着させるためには、次の3つの要因が重要であるされています。私は日本文化はこの3つの要因を満たす働きをしたのではないかと思うのです。

それは、快感、アクセシビリティ、自己効用の三つです。すなわち、快感はそれをすることによって楽しい気持ちいいと言う感覚です。そして、アクセシビリティーは簡単にそれにアクセスできると言うことです。そして、自己効用と言うのは、それをすることが自分にとって何らかの役に立つと言うことです。日本文化はこの3つを多くの人々にもたらすので、それも日本文化を世界に広め習慣化させている大きな原因になっているんじゃないでしょうか。

まとめると、自分の影響の領域である最優先事項に集中し、そこで遊び心を発揮させ、それが人々の行動を習慣化させる要素を満たすと、そこに文化が生まれ、その文化は周囲に拡大していく可能性を持ち始めるんじゃないかと思うわけです。


私たちは、一人一人独自でユニークな価値観を持って生きています。すなわち、人の数だけユニークなカルチャーを生み出す可能性があるわけです。さぁあなたはどんなカルチャーを極めて行きますか。今ここで遊び心のスイッチを入れてみましょう。

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今日も読んでいただいてありがとうございました。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏



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2017-02-23 04:28:54

仕掛ければ仕掛けるほど問題が解決する!

テーマ:┃- ちょっとしたヒント・提案

人生には様々な仕掛けが施されています。例えば、毎朝私がやってくる公園では、子供たちや大人が思わず体を動かしたくなるように様々な仕掛けが施されていることに気がつきます。

例えば、子供たちが思わず乗ってしまいたくなるような馬の形をしたシーソー、そして思わずよじ登ってしまいたい気持ちを起こすクモの巣のようなジャングルジム、などです。

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この公園は、ブリスベン市政府が管理している公園で、明らかにその仕掛けの裏には意図があります。つまり、子供や大人の健康を増進させようとする意図です。

ここで重要なのは、確かに健康増進させることは重要ですが、私たちは日常生活の習慣にどっぷりつかってしまいがちな生き物なので、いくら政府が声高にポスターやコマーシャルなどを通じて「健康を増進しましょう」と叫んでも、なかなか人々は自分の日々の習慣の行動を変えようとしないわけです。

そこで、政府は知恵を巡らせて、人々が思わずやりたくなってしまうような仕掛けを公園に作り出したと言うわけです。

もちろん人々の中には、忙しくても、甘いもの食べていても、体を動かしたい、痩せたい、健康になりたいと言う思いは心のどこかにあるわけで、それを形にするきっかけがなかなかないというのが現状なのかもしれません。もちろん意識の高い人たちは、お金を払ってフィットネスに行ったりしますが、多くの人たちは、なかなかそうした時間やお金を健康に投資することをしようとしないようです。しかし、身近な公園に無料で出来るようなフィットネスの設備があると、思わずそれを使いたくなってみたいと言う心理が働くようで、この公園のフィットネスの設備は、毎日多くの人たちに利用されています。

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このように、人の習慣的な行動を無理矢理変える事はできないわけですが、人々の心の中にある興味関心を仕掛けによって新たな行動に結びつけるという取り組みは、最近至る所で行われているようです。

例えば、ビジネスや商売の領域では、お客さんが思わず買いたくなる行動を起こすような、様々な仕組みが施されています。「本日限定」とか、「1個買えばもう一個はただ」などはその例かもしれません。

しかし、最近注目されているのは、商売の領域ではなく、公共の領域で、個人の興味関心を公益に結びつけるような様々な仕組みです。

例えば、ゴミ箱の上にバスケットボールのネットを設置して、人々が思わずゴミをそのネットに向かって投げ入れ、その結果多くのごみを収集できるようになったという仕組みです。また、同じゴミの例ですが、ゴミ箱にゴミを入れると、その瞬間に長い落下音が聞こえてきて、まるで深い深い井戸にゴミが落下していくような感覚を楽しめると言う仕組みです。一見馬鹿げてるように聞こえるかもしれませんが、この音を聞くために多くの人々がゴミをそのゴミ箱に入れるようになったようです。これらは大人のちょっとした遊び心をゴミ捨てと言う行動に結びつけた仕掛けです。

また後片付けが苦手な子供に何とか後片付けをしてもらうために、「お腹を空かせた牛」と言う大きな袋上のぬいぐるみもあるようです。つまり、親が、子供に対して、「この牛さんがお腹が空いてるみたいだよ。いっぱいおもちゃを食べたいんだって」と言うと、子供たちは面白がって、この牛にどんどんどんどんおもちゃを食べさせると言う仕組みです。これは子供たちの動物に餌をやりたいと言う気持ちを、後片付けと言う行動に結びつけた仕掛けです。

また、男子トイレの中央にダーツの的のような絵をかくと、多くの利用者は、その的をめがけて様をたすようになったようです。その結果、トイレの周辺が以前よりも綺麗になったそうです。これも、大人の遊び心をトイレを清潔に使うという目的に結びつけた仕組みです。

このように誰も損をしない「公益性」をもち、人々を惹きつける「誘引性」をもち、仕掛ける目的と行動する目的が異なる「二重性」の特徴持った仕掛けが、社会的に注目され始めているわけです。

私はこのことを学んだ時、これは教育にもっともっと応用したいと思いました。つまり、教育の場合も、子供たちに無理矢理何かを教える事はできませんが、子供たちが自然と何かを学びたいと言う仕掛けを作り出すことによって、学習の効果を増大させる事は可能だと思うからです。子供たちはとても敏感な存在なので、大人がわざとらしく子供たちの学習動機を増やそうとすると、それを見抜いて、シラけたりする子供もいます。したがって、相手にいかに気づかれずに、自然にある行動を促す仕掛けができるかが教育に求められているわけです。

今、私の勤務する学校に、日本から17名の子供たちがやってきています。これは、子供たちに日本語能力能力の増進するきっかけを与えたり、異文化理解のきっかけを与えたりするという目的がありますが、子供たちの中には、新しい人たちと交流したいと言う強い欲求がありますので、この学校訪問プロジェクトは、その両者を結びつける仕掛けであるとも言えるわけです。

子供たちの中にはもともと他者といっぱいコミニケーションしたい、遊びたいと言う感覚が強くあるわけです。その感覚を最大限に増大させるために、様々な仕掛けを施していきたいと思います。

そして、その近くの中で、子供たちが、どんなにポジティブだと思える体験をしても、どんなにネガティブだと思える体験をしても、最終的に行き着くところは愛であるので、様々な「愛の仕組み」を提供してきたいと思っています。人生の中における、最大の仕掛けは愛に気づかせる仕掛けだと思っています。

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今日も読んでいただいて、ありがとうございました。

オーストラリアより、愛と感謝を込めて。
野中恒宏


【参考文献】

仕掛学仕掛学
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2017-02-22 04:41:24

思考していた以上のことが現実化するとき

テーマ:┃- 夢・目標実現の方法
私たちは日々いろいろなことを考えながら生きています。そして、考えるからにはそれを現実のものとして体験したいと言う思いを多くの方が持っていると思います。あるいは、考えてることをが現実には起きてほしくないと思ったりします。しかし、考えた事は必ずしも現実のものにならず、むしろ考えてることと反対のことや、考えていたことのほんの1部しか実現しないことがあります。あるいは、実現しないで欲しいと思うことが現実になったりします。

今回は、思考と現実の関係について考えてみたいと思います。

まずはマハトマガンジー氏の残した言葉について触れてみたいと思います。

「人間は、自分がそうであると思った存在にしばしばなるものである」

この言葉には説得力があります。例えば、私たちは自分は人前で話すと上がってしまって頭の中が真っ白になってしまう、と思っていると、実際に人前で話す時うまくいかなかったりすることがあります。あるいは、自分は異性にモテないから異性と話しても無視されるだろう、と思って行動していると、実際にそれが現実になり、異性とコミニケーションを楽しむことができないかもしれません。また、自分は貧乏だから、この後もお金がたまらないだろうと思っていると、実際にお金が増えたりする事はないと言っていいでしょう。また、身体に関しても、自分が日々思い悩んだり、人を羨んだり、様々なネガティブな感情抱き続けていると、その人の表情にもそうした苦悩が刻まれて、表情自体に光がなくなってくることもよく指摘されているところです。

このように、人間は自分が考えたとおりになると言う側面があります。しかし、これは人間の思考と現実の関係を全て表したものあるとは言えないと思います。

それは、私たち人間はしばしば考えた以上のことができる瞬間というのもあるからです。例えば、火事場のなんとか力、と言われるように、いざ、緊急に何かを成し遂げなければならない時、私たちは自分が思っていた以上のことができたりします。あるいは、いろいろ思い悩むことをやめて、無心で何かに立ち向かうとき、自分の思う以上の結果が出てきたりします。また、自分が解決できない問題に出くわした時も、一晩寝ると、朝起きたときにその解決策を思いついたりもします。

このように、人間には、自分の思ったことが現実化してしまう側面と、自分の思っていた以上のことが実現することがあります。この違いはなんなのでしょうか。

第一に、人間が自分の思っていたこと以上のことができるという事は、自分の中にある思考から自由になったとき、あるいは、思考をストップさせたときということが言えるかもしれません。私たちの日常生活の思考は、良いか悪いか、快楽が痛みか、やりたいかやりたくないかの二元論で支配されてることが多いようです。そして、過去のことを考えたり未来のことを考えたり、焦点が今ここにない時があります。

しかし、こうした二元的な思考から自由になり、今ここに焦点を向けると、それまで頭の中に充満していた思考がストップし、自分の思った以上のことができたりするわけです。こうした精神状態は、フローと呼ばれる状態です。フローと言うのは、様々な障壁がなくなり、その行動自体が目的化して、自分の行動が流れるように進む状態のことです。この状態になると、人間はそれまで自分が思っていた以上のことができるようになるようです。

いってみれば、人間は意識から離れ、無意識の世界にアクセスできたときに、自分が考えていた以上の力を発揮することができるようです。つまり、私たちの無意識の世界には、自分たちが想像してる以上のポテンシャルが込められており、そこにアクセスできれば、自分が考えてる以上のことができるようになると言うわけです。

第二に、自分の考えていた以上のことが出来るようになるためには、意識的に取り組む必要もあるということです。もちろん、ある時ふと自分の思考がストップし、自分の無意識の世界にアクセスして、自分の考えていた以上のことができることがあるという事は先程のべました。しかし、いつまでも自分の思考がストップすることを待っていても、なかなかその状態は訪れないかもしれません。例えば、考えるのをやめよう、と思っても、考えないことを考えたりすると言う状態に陥ってしまったことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

考えていた以上のことを成し遂げるためには、それまでと違ったレベルの思考しなければいけないと言うこともあるわけです。それまで考えていたこととは異なるレベルの思考するためには、それまでと異なったレベルの高レベルの質問を自分に投げかける必要があると思います。

例えば、自分の感情が極端にポジティブな状態、あるいは極端にネガティブな状態に振り切ってしまっているときは、「この出来事のネガティブな側面は何か、ポジティブな側面は何か」というような、自分の心の状態をニュートラルにするための質問をする人があると思います。あるいは、極端に自己限定する思考をしてる場合は、その自分を限定している思考を解き放つ質問を自分にする人があると思います。例えば、自分がある人のある才能を羨んで自分にはその才能がないと思ったときには、自分の中にどのような独自の形で、その才能が備わっているかということを明確にしていくのです。

そして、自分の立てた目標が達成できないと言う状態が長く続いていると言う事は、それまで考えていた思考方法とは異なるレベルの思考を自分にはしなければいけないと言うことです。

例えば、自分の目標は何か。そして、その目標をいつどのように達成したいかという質問するのです。さらに、その目標達成することが、自分の最優先事項やミッションにどのように役に立つのかということを明確にするわけです。

そして、その目標と現実の自分の間のギャップは何かという質問するわけです。その際に重要な事は、自分の目標と今の自分のギャップは完全にかけ離れたものであると認識しないと言うことです。先ほども述べたように、自分にないと思っていた特徴は、実は自分の気がつかなかった別の形で自分に備わって何らかの形ですでに現実化し始めているわけです。それを発見した上で、その自分にすでに備わっている特徴を自分の目標とする形にするためにはどうしたらいいか、という質問するわけです。

例えば、自分は成功していないと思っていたとしても、自分の人生の7つの領域をつぶさに観察する時、お金の領域では成功していないかもしれませんが、家庭や人間関係の領域で何億にも匹敵する、あるいはお金には変えられない財産を持っていることに気がつくはずです。その場合は、その自分の持っている大きな財産を、実際にキャッシュにするにはどうしたら良いか、という質問をするわけです。

そして次に、自分の目標とすることを実現するための課題は何か、ということをどんどん書き出していくわけです。このとき、いたずらに時間かけると、様々な限定した思考、二元論的な思考が乗り込んできて、なかなか前に進めない時があります。そういうときにお勧めなのが、時間を設定して、その時間の中で課題を書き出してくれることです。実際には3分以内が良いとされています。

そして、課題をいっぱい書きだしたら、今度はその課題を絞り込んでいく必要があります。絞り込んでいく際の基準は、自分の目標実現により大きなインパクトを与えるものは何か、という質問しながら絞っていくわけです。そうすると最終的に、2つか3つの最重要課題が見つかることでしょう。

そして次に、その最優先課題が見つかった後で、解決策をどんどん書き出していくのです。先ほども言ったように、時間を決めて、限定的な思考が入り込まないようにして、どんどん書き出してことが重要です。この場合にもう一つ重要な事は、解決策を書くときに、先ほど挙げた、課題ごとの解決策を書く必要はないと言うことです。つまり、同じ目標を実現するためにできた課題ですから、解決策も、その目標に向かって生み出されようとしている解決策です。という事は、1つの課題の中に限定される解決策が出てくると言う事は考えにくいわけです。ある解決策は、同時に2つの課題を解決してしまうこともあるからです。とにかく課題の枠にとらわれずに、どんどん解決策を書き出してことです。

そして次に、先程の課題の絞り込みと同じように、解決策を、絞り込んできます。その際にも、自分の目標達成により多くのインパクト与えるものはどれか、と言う視点から絞り込んでいきます。すると、自分の解決策が絞り込まれて、より明確に住む方向が見えてくることに気がつくでしょう。

しかし、この段階で満足してしまってはダメです。少なくない人はこの段階で満足してしまって、何も行動にうつさずに、まだ日常生活に戻ってしまうということがよくあるようです。ここから行動に移すためには、いつまでに、どのように、何をするか、と言う数値化できる、あるいは、客観的に観察できる行動レベルまで解決策を具体化してことが重要です。

しかし、そうした具体的な行動レベルまで解決策を具体化しても、そこでおしまいにしてはなかなか行動にはつながらないことがあります。それを避けるためにも、実際にあなたが普段利用しているスマホや手帳に、具体的に行動のリストを書き出してきます。そしてスマホや手帳のカレンダーに、いつまでに何をするかということも具体的に書き込んできます。スマホを使っていらっしゃる方は、to do listを使って、そのリストを現実化する期日が近づいてきたときにアラームを鳴らすなどの工夫をすることもお勧めです。

このように自分の思考、具体的なプロセスを通じて改善していこうとすることによって、それまで自分が考えていた以上のことができるになってきます。そして、上記に述べたようなプロセスを何度も何度も定期的に繰り返すことによって、それまでとは異なった思考のレベルの現実が展開していくことに気がつくでしょう。

何かの参考になれば幸いです。

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今日も読んでいただいて、ありがとうございました。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏





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2017-02-21 04:37:59

人生という映画の監督の声に耳を傾ければ全てうまくいく

テーマ:┃- 愛
私たちは毎日の日常生活の中で、ある行動を行ったり、ある行動しなかったりして、「あの時もっとこうすればよかったなぁ」とか、「あの時あんなことしなければよかったなぁ」と言うような思いを抱いたことはありませんか。

誰でも人生の中で、1度や2度は後悔したことがあると思います。私などは、日常生活の中で後悔をよく体験します。

そして、自分のしたこと、しなかったことを振り返るのですが、そこで、いつも発見するのが、後悔の声と言うのは、自分の本当の声ではないと言うことです。自分の本当の声と言うのは、常にニュートラルであり、愛と感謝に満ちています。

何のことを言ってるのかわからない読者の方もいらっしゃると思いますので、ちょっとだけお時間いただいて説明させていただきます。

私たちは、毎日の生活の中で、様々な感情を体験し、その都度自分の頭の中にいろいろな声が充満します。しかし、それらの声は、いずれもバランスを欠いたものであり、自分の体験してきたことの一面しか見ていないわけです。例えば自分の体験してきたことに、ポジティブな意味合いのみを見出しているときは、嬉しかったり、ハッピーになったりします。一方で、自分の体験してきたことに、ネガティブな意味合いのみを見出しているときは、悲しかったり腹が立ったりするわけです。しかし、私たちの体験してる事は、1つの例外もなくポジティブな側面とネガティブな側面があります。その両側面を発見した時、私たちの心はニュートラルになり、そこからバランスのとれた真の感謝を体験するのです。それは人生にもたらされた、自分の気がつかなかった事実であり、その秩序をもたらしていた人知を超える愛に対する感謝なのです。

「心がニュートラルになったら、そこに愛と感謝と言うことも芽生えないんじゃないか」という声も聞こえてきそうですが、実際は本当に100%心の中でバランスを体験すると、そこで体験するのは愛と感謝以外にはありえないのです。愛と感謝と言うのは、感情ではなく、真に心がバランスを取れたときに体験する深遠な状態のことです。

実は、私たちが気がつこうと気が付くまいと、私たちが体験している事は全て愛の体験なのです。それに気がつかない時に、心の振り子がポジティブにふれたり、ネガティブにふれたりするわけです。

わかりやすく表現すれば、私たちの人生はいって見れば映画なのです。そして、自分がその映画の監督であり、主演であるわけです。

そして、私たちは本来そのシナリオに沿って演じるわけですが、時々私たちはそのシナリオに書かれてあることを忘れてしまい、自分勝手に自己流に演技をしてしまうわけです。

シナリオの中では、様々な形のドラマが展開します。それはそこで演じている俳優に怒りをもたらすドラマかもしれませんし、悲しみをもたらす芝居かもしれません。しかし、シナリオがどのような形のドラマを展開しても、その根底に流れるメッセージは常に愛なのです。

しかし、そのメッセージに気がつかずに、そのシナリオに書かれてある本来のことを忘れてしまい演じてしまうと、映画監督の意図から離れた、別のものになってしまうわけです。

映画監督でもあるあなたは、そのシナリオに書かれてある本当のメッセージを知っているので、それを演じる俳優が、そこに書かれてあるメッセージと違う芝居をすると、ストップをかけます。または、役者がシナリオ通りに演じていても、それを勘違いしてメッセージを理解しないで演じていると、監督はストップをかけます。そして、そのシナリオに書かれてある本来のメッセージを演じるように、様々なフィードバックを与えるわけです。

そうです、自分の人生と言う映画の主演でもあり、監督であるあなたは、本来あなたの映画が愛に満ちていることを知っているんですが、主演であるあなたは、そのことを忘れてしまうので、監督であるあなたがその本来のメッセージに気がつくように様々な働きかけをするのです。

監督からもたらされるフィードバックの1つは、感情です。あなたの中に感情が芽生えたときは、それは心がニュートラルな状態ではなく、本来の認識から離れていることを示してくれています。そして、それでも自分の心のバランスに気がついてないときは、監督は、別の形のフィードバックをもたらします。それは、身体に病と言う形のフィードバックを投げかける場合もあるでしょうし、対人関係のトラブルと言う形もあるでしょうし、その他のトラブルと言う形のフィードバックもあるでしょう。

「先ほど、人生でもたらされるバランスは、人知を超えたものからもたらされていると言いましたが、私の中にはそんな人知を超えた存在がいるとは考えられません」という声も聞こえてきそうです。

私もそういう風に考えることがありますが、でも、冷静に考えてみると、人知を超えた存在と自分と区別する境界線と言うのも、実は見当たりません。そう考えると、自分自身と、崇高な存在を区分けする、境界線を論じる必要は無いのではないかと思えてきました。

むしろ、崇高な存在につながる自分のなかの監督の声に耳を傾け、それに沿って生きることこそが、自分と言う人生の中で、最高の表現ができることにつながってくるのではないでしょうか。

「そうすると、私たちはいつもシナリオに沿って演じるように仕向けられており、自分の中に自由なんてないのか」という声も聞こえてきそうです。

しかし、人生のシナリオというのはとても柔軟にできています。あらかじめ書かれてあるシナリオを、私たちは一字一句間違いないように演じる必要は無いわけです。シナリオは、監督とあなたの合意の中で、どのような形に変形させることもできます。しかし、どのような形に変形させたとしても、その中で流れている根底のメッセージはいつも愛なのです。

完璧に間違いなく演じる俳優も人間もこの世界には存在しません。むしろ、愛のメッセージに気がつかずに、感情的になったり、失敗だと思われる体験をすることも普通なのです。その感情的な体験や、失敗だと思われる体験をするからこそ、私たちは自分という監督の声に耳を傾け、真の愛を体験し表現することができるのです。

監督のメッセージに気がつき、そこに実は愛があったのだということに気がつくと、私たちの人生の中で失敗だと思われていた体験も、実は失敗ではなく、より深い秩序の中では、当然あるべくして起こったということがわかります。そうすると、私たちの心は大きな愛に包まれ、感謝でしかそれに応えることができない状態になります。

そうした体験を手助けしてくれる存在が監督であり、その声は、私たちに直感と言う形で渡されているといえます。

しかし、人によっては、その監督の声が聞こえず、1ヵ月、1年、10年、数十年、あるいは、一生監督の声に気がつかないということもあり得ます。

だからこそ、私たちは忙しく騒々しい日を生活をいったんオフにして、冷静に自分の心の中を、深く掘り下げてみる時間を確保する必要があるのです。そして、そのように自分の内面を深く掘り下げる時間と言うのは、様々な形で存在しています。それは、森林浴かもしれませんし、動物と触れ合う時間かもしませんし、瞑想の時間かもしれませんし、日記を書く時間かもしれませんし、読書をする時間かもしれませんし、芸術活動に取り組むことかもしれませんし、スポーツに取り組むことかもしれませんし、ジョギングやウォーキングをすることかもしれませんし、demartiniメソッドにあるような質問を投げかけることかもしれませんし、それは人によって様々な形をとります。

そして、そうした自分を冷静に見つめる機会を獲得し、そこから私たちは人生の監督の声に耳を傾けることができ、その結果、真の愛に気がつくことができるわけです。

何かの参考になれば幸いです。

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今日も読んでいただいて、ありがとうございました。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏









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2017-02-20 04:30:58

やりたくないことをやり続けるほど、人生で与えられた時間は長くない

テーマ:┃- 夢・目標実現の方法
私くらいの年齢になってくると、健康上の関心が以前よりもどんどん高くなってきて、健康の大切さを身に染みると同時に、人生で与えられた時間の短さについても考えさせることが多くなってきます。

そして、人生の中で与えられた時間をより充実した時間として過ごすためにはどうしたらいいかということをよく考えるようになります。

そうすると、気がつくのが、日々の時間の中で私はやりたいことやってる時間とやりたくないことやってる時間の2つがあることに気がつきます。

人生で与えられた時間は、やりたくないことをやり続けるほど長くはない、ということを思い出す時、できるだけやりたいことを多くやりたいと言う気持ちになってきます。

したがって、人生でやりたいことを多くすることこそが、人生で与えられた限られた時間をより充実した人生にすると言う事なんだと思います。

その際に私たちができる事は、自分のやりたくないことをやりたいと思っている他の人に任せること、あるいは、それができないなら、自分のやりたくないことが自分のやりたいことにどのようなメリットを与えるのかということをできるだけ多く発見し、やりたくないことをやりたいことにしてしまうという選択肢です。

そのようにして、できるだけ自分のやりたいことで日々の時間を満たすようにします。そうすると、それは自分の時間を充実した人生に変える第一歩になるのだと思います。

しかし、それだけでは必ずしも人生の充実度を上げることを保証することにはなりません。

ウォーレンバフェット氏は、人生で実現したいことがあるなら、今ここでスタートしなければならないし、今ここで実現させなければならないと言うような趣旨のことを言っています。

アーノルド・シュワルツェネガー氏は、政治に興味を抱いてた時に、一歩一歩少しずつ政治家に上り詰めのではなく、いきなり、州知事になると言う夢を抱きそれを実現させました。彼は夢を実現させたければ、いきなりトップを目指せ、と言うような趣旨のことを言っています。

つまり、人生の中でいくら自分が好きなことを繰り返し繰り返しやっていたとしても、その内容が、いつか実現すればいいやレベルの考え方だと、自分のやりたいことの中にもその充実度が薄まってきますし、未来の夢の実現度も低くなってくるということです。そうではなくて、今ここですでに実現しているというビジョンを持ちながら、一歩一歩前に進もうと言うことではなく、いきなりトップの位置にいる自分として行動することが重要だということです。

「そんなこと言ったって、自分となりたい自分の間に大きなギャップがある事は事実だし、いきなりトップになった自分をイメージすることできないし、その通りに行動するなんてできないよ」という方もいらっしゃるでしょう。

しかし、先程の言葉に戻りますが、人生で与えられた時間は私たちがやりたくないことをやり続けるほど長くないかもしれませんし、いつ今の人生が終わってしまうか誰にもわからないのが現実です。

それに、種子がないところに花は咲かないわけですし、男と女がいなければ赤ちゃんは生まれないわけですし、既存のアイディアがなければ、新しいアイデア生まれないわけですし、すべての新しいことが生まれる際には、そのもとになる原型が様々な形で既に備わっているわけです。現実の生活の中に現れていない事は、将来にも現れる事は無いのです。したがって、あなたが仮に今の自分となりたい自分の間にギャップを感じたとしても、すでにあなたの中にはなりたい自分につながる種子があるわけです。その種子に気がつかずに、闇雲になりたい自分を目指しても、種子は種子のまま腐ってしまうかもしれません。そうではなくて、種子がいかに効率的に効果的に育って、芽をだし、花となるのかを考えた方が賢明だということです。

そのためには、P (plan), D (do), C (check), A (adjust)と言う、計画、実行、評価、調整と言う4つのサイクルを回し続けることが重要です。この考え方は、ビジネスなどで応用されているので、よく知られている方法であり、「またか」と思われたかもしれませんが、これを意識的に実行できているかできていないかによって、毎日の生活の質は格段に違ってきますし、夢の実現の加速度も格段に違ってきますし、先程言ったなりたい自分の種をより効果的に効率的に花にする速度も違ってくると思います。

実際には、このサイクルをノートに書き出したり、スマホに毎日書き込んだりして、「見える化」しながら、自分の行動の質を日々上げていくわけです。

そうすることで、何度も何度も同じミスを繰り返すことも少なくなってきますし、新しいアイディアムも出てきますし、必要な課題もよりクリアに見えてきます。

その中で、このサイクルを回すために、自分のやりたくないこともやらなければならないと言うことに気がつくと思います。その場合には、先ほども言ったように、そのやりたくないことをやりたいと思っている他の人に任せるか、あるいはやりたくないことが自分のやりたいことにどのようなメリットもたらすのかを明確にして、やりたくないことをやりたいことにしてしまうという選択肢があると思います。

また、自分1人でこのサイクルを増そうとすると、壁にぶち当たることにも気がつきます。その時は、他の人に協力を仰いだり、他の人に指導してもらったりすることが重要です。

さらには、既存の価値観や、社会理想主義、常識、後悔、感情などが目の前に立ち塞がり、このサイクルの回転を鈍らせることもあるかもしれません。そういう時は、既存の枠組みを打ち破って、自分の価値観やミッションや将来の夢に焦点を当てて、軌道修正することが重要です。

そのように、ダイナミックに、この計画、実行、検証、調整と言うサイクルを回し続けることによって、人生の質が向上し、人生で与えられた時間が充実した人生と変容していくわけです。

人生では、やりたくないことをやり続けることほど時間は長くはないと思います。しかし、自分のやりたいことをに集中し、その内容を最大限に充実させ続ければ、人生で与えられた時間は拡大し、その時間は、自分の寿命を超えて、次の世代まで拡大されるかもしれません。

今ここでやりたいことをまずやってみてください。

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今日も読んでいただいて、ありがとうございました。

オーストラリアより、愛と感謝を込めて。
野中恒宏



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2017-02-19 04:35:42

幸せになりたければ幸せを追い求めるな、お金が欲しければお金を追い求めるな

テーマ:┃- お金
「幸せになりたい」、「お金が欲しい」は、多くの現代人にとって共通した願いだと思います。だからといって、毎日呪文のように幸せになりたいということを唱えていても、あるいは毎日お金が欲しいと唱えていても、その目標達成する事はないでしょう。

では、幸せになりたければ、あるいはお金が欲しければ、何に焦点を当てればいいでしょうか。

ヘンリーフォードは、以下のような言葉を残しています。

「富と言うものは、幸福と同じように、直接それを追い求めていてはそれを得ることができない。富というのは、価値あるサービスを提供することによってもたらされる副産物なのだ」

そうです。お金が欲しければ、あるいは幸せになりたければ、何か価値を提供しなければならないと言うわけです。別の言い方をすれば、これまでになかった価値を創造しなければならないと言うことです。

アルバートアインシュタインも、以下のような言葉を残しています。

「成功者になるな。価値ある人間になれ」

つまり、いくら成功したいと思っても、成功のみを追い求めていけば、成功することはできず、一方で、価値にフォーカスし、価値を創造することにフォーカスすれば成功できる、と述べているわけです。

「いやー、自分にはそんな価値があると思えないし、他人に価値を創造するなんてできないよ」という言葉が聞こえてきそうですが、これは誤解です。

自分は価値あるものを提供できないとか、価値を創造できないと思っても、実は価値というのはもともと私たち一人ひとりに備わっているものなので、それを創造することが可能なわけです。

ナポレオンヒルは、以下のような言葉を残しています。

「価値というものは、有益なサービスを提供しようと力を致す能力によって確立されるものだ。」

つまり、自分に価値がないと思ったとしても、その価値を表に表現するためには、他者に有益なサービスを提供しようと言う取り組みをすることによって、価値が次第に確立されてくると言うわけです。自分には価値がないと思って諦めてでは、いつまでたっても自分の価値は確立されないわけです。

この言葉は非常にパワフルだと思います。自分に価値がないと思っていたとしても、価値を作り出すことにフォーカスして、それに取り組めば取り組むほど、自分の価値が確立されてくると言うことだからです。

それはまるでフィットネスのようなものです。例えば、筋肉を使えば使うほど、筋肉は形成され、より強固なものになってきます。また、この考え方は学習にも相当すると思います。例えば、外国語を勉強するときに、外国語に触れたり外国語を使わなければ、その力を発揮することができませんが、外国語に触れたり外国語を使う機会を増やせば増やすほど、外国語を伸ばし外国語の力を確立する可能性は高まるわけです。

では、自分の価値を確立させるために、何をするか。まず第一歩は、自分の価値を知ることだと思います。それは、人によって指紋のように独特なものだと思います。それは一見世間一般に役に立たないものに価値を置いていると言う事かもしれませんが、世間体を一旦脇に置いて、自分にとって本当に価値あるものは何かを明確にすることが重要だと思います。自分の価値が分からなければ、自分の価値を提供しすることができないからです。

しかし、私たちは自分の価値を探し出すために、自分の外側を追い求める必要はありません。すでに、私たちの現実の道を生活が自分の価値を物語っていてくれてるからです。例えば、私たちが日々の生活の中で、どのようなことで自分のプライベートな空間を満たしているか、どのようなことにお金を使っているか、どのようなことにエネルギーを使っているか、どのようなことに多くの時間を使っているか、ということを考えてみると、おのずから日々自分がどのようなことに価値を置いているかが見えてくると思います。

私の場合ですと、1日の圧倒的な時間を、教えることのために費やしています。そこに、私は多くの投資をしますし、時間もかけますし、自分の教室や書斎には、教える能力を伸ばすための学習の機会が満載しています。また、私が日々使用するコンピューターやiPhone の中にも、教える力を伸ばしために必須のアプリや情報が満載です。先日、立川こしら師匠の落語会に行ったのも、自分の教える力を伸ばしための一環です。

こうした日々の自分の価値を、私は様々な生徒に提供してるわけです。しかし、ただ単に教えることをしてるだけでは、生徒の中に価値を創造することができません。生徒の中に、価値を創造するためには、私たち教師は生徒の価値観を知る必要もあるのです。言い方を変えれば、目の前の生徒と学習活動を展開することが、生徒の価値をいかに最大限に発揮させることにつながるのかということを自分も生徒も認識しなければいけないのです。そのように、学習活動がお互いの価値にリンクした時、そして、学習活動がお互いの価値を最大限に伸ばすきっかけになるという意識があれば、新しい価値を創造するための第一歩が踏み出せるはずです。

例えば、私は学習活動にあまり乗り気のない生徒を個人的に呼び出して、面と向かって話すことがあります。その時は私は一切お説教はしません。その生徒にとって、私の場合ですと、日本語を学習することがその生徒の価値や将来の夢にどのようなメリットをもたらすのかということをとことん掘り下げるのです。そうすると、どんな夢を持ってる生徒であっても、日本語学習とその生徒の価値や夢とリンクする瞬間があり、その時にぱっと明かりがついたように、生徒の表情が変わるのが分かります。そうすると、その生徒は次の時間から、日本語をそれまで以上に学ぶようになったりします。それは、生徒の中に、自分にとって固有の新しい価値を発見することができたからだと思います。もちろん、一回の話し合いだけでは、効果が薄い生徒もいますので、その場合は複数回の話し合いを重ねなければいけませんが。

これは何も教師と生徒の関係に限らないと思います。それは、ビジネスの世界において、自分と同僚や上司、自分とお客さんとの間にも応用できる考え方だと思います。あるいは、自分と愛する人との関係にも応用できると思います。つまり、自分と他者のお互いの価値を知ることによって、お互いの価値にとって、目の前の課題をこなすこと、目の前の作業することがどのようなメリットがあるのかということを明確にすると、その副産物として、成功、富、幸せなどを生み出す一歩が踏み出せるんだと思います。

しかし、現実はそう簡単でない場合があります。いや、お互いの価値がリンクされたからといって、必ずしも自動的にそこから新しい価値が生まれない場合もあるでしょう。それがほとんどかもしれません。そこで重要になってくるのはが、以下のPDCAのサイクルです。

P (plan): 計画
D (do): 実行
C (check): 検証
A (adjust):調整

このサイクルを繰り返すことによって、次第に行動の中身が研ぎ澄まされ、そこから新たな価値がより効果的に生まれやすくなってくると思います。例えば、自分のお客さんや、愛する人に何かを提供しようと思って計画をしますが、その際にはさき程述べた相手の価値観に対する理解を利用します。相手の価値観に基づかないものをいくら提供しても、その効果はあまりないからです。しかし、相手の価値観を知っていれば、より効果的な計画や実行ができるというわけです。

しかし、人間というのは日々変わり続ける存在であり、様々な要因によって、その人がそれまで持っていた価値が変わることがあります。したがって、その人の価値に基づいて、計画実行したことでも、必ずしもうまくいかないことがあります。だからこそ、次のステップである検証のプロセスが必要になってくるわけです。その検証のプロセスの中で、何がまずかったのか、何が良かったのか、の両面を明確にすることによって、また新たな計画を立て実行するための、調整をすることができるようになってくるわけです。

そして、その結果、相手に以前よりも質の高い行動の提供ができるになってくるわけです。その中で、新しい価値というのは生み出されるものだと思います。

何事も、創造すると言うことをするためには、2つの一見異なったもの同士を統合させる必要があります。したがって、2つの異なった価値観を統合することによって、新たにに価値を生み出すことができるわけです。しかし、その異なった価値は自動的に創造される事はありません。先ほども述べたように、その2つの価値観を統合させるためのメリットを探すこと、そしてそれを計画、実行、検証、調整のサイクルの中で研ぎすませて、その統合の質を上げていくことによって、より質の高い価値を見出することができるわけです。

成功したければ、価値を生み出せ。
幸せになりたければ、価値を生み出せ。
お金が欲しければ、価値を生み出せ。

何かの参考になれば、幸いです。

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今日も読んでいただいて、ありがとうございました。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏





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2017-02-18 04:37:28

人を笑わせること、人に教えること

テーマ:┃-コミュニケーション
昨日、立川こしら師匠の落語を堪能させていただく機会に恵まれた。オーストラリアで、落語を楽しむ機会など、まず無いわけであるが、昨日はラッキーにも、日本の伝統芸能の1つである落語を楽しむことができた。生で落語を見るのは、生まれて初めてあった。

師匠は、海外にいる日本の伝統文化に飢えている日本人の方々に落語を楽しんでいただきたいと言う思いもあり、今回のオーストラリアでの公演を企画されたと言う。

確かに、長く海外に住んでる人間にとって、こんにちはインターネットを使って、ある程度日本の社会や情報に触れる事はできるが、生の本物の伝統文化に触れる機会は希少であると言わざるを得ない。つまり、昨日の落語の公演は、こうした海外邦人のニーズを見事に満たしたものであった。

人間の行動を促す原動力の1つは、欠乏感であると言われている。つまり、人間は欠乏感を埋めるために、行動を起こす側面があるわけだ。日本のお笑いに飢えている日本人たちは、まさにそこが欠乏感になっており、それを昨日は満たすことができたと言うわけだ。いや、満たすどころか、欠乏感が満たされてそれ以上に溢れ出てくるものがあったと思う。

師匠が登場してから、しばらくは、会場のお客さんとのやりとりをして、場が和んだ。確かに、その中でも多くの爆笑が巻き起こったが、いざ落語の本題が始まると、その空間は明らかに全く違う空間へと変わっていった。

師匠の、体、心、魂からほとばしる名人芸は、その場を、ブリスベンとは感じさせない日本の落語の空間へと変えてしまった。いわば、時間も空間も超越して、そこに「新しい日本」と言う空間を創り上げてしまったといってもいいだろう。

講演の後の懇親会で、師匠に直接お伺いしてわかったことであるが、落語の話をしてる最中は、その役にのめり込む事はしないと言う。師匠の話の最中の熱演からすると考えられない位であるが、実際は、演じている自分を冷静に客観的に見つめているもう1人の自分がいると言う。

実は、そこに師匠の、そして落語家の素晴らしいところがあると思った。つまり、観客は、舞台の上の噺家さんの様子に熱中するが、舞台の上の噺家さんはその自分の演技と、お客さんの反応などを客観的に観察していると言うのだ。それがあるからこそ、自分の演技と、お客さんの反応を見事にシンクロさせて、そこに、それまでとは違う空間を創り上げるのだ。

師匠によると、実際に普通、俳優さんが、落語家になろうとしてもあまりうまくいかないと言う。それは、役者と言うのは、自分の演技にのめり込んでしまう傾向があるからだと言う。つまり、落語家は、一つの話の中で、1人2役、三役、あるいはそれ以上の人間の人格の演技を演じ分けなければならない。落語家は、それらの一人ひとりの別々の人格を、冷静に見つめるもう1人の自分がいるわけだが、多くの役者と言うのは1つの役にのめり込んでしまう傾向があるため、落語家のように、一つ一つのキャラクターを演じ分けることも難しいし、それらのキャラクターを冷静に見つめてお客さんの反応を見ながら、演じていくということが難しいと言われた。もちろん、それは役者にもよるだろう。やはり、優れた役者と言うのは、舞台の上で演じる自分とお客さんの様子を同時に観察する、「離見の見」があると言う話を以前感動プロデューサーの平野さんから聞いたことがある。つまり、優れた噺家や役者と言うのは、この演じる自分や観客を冷静に観察する、「離見の見」があると言う点で共通しているのかもしれない。

その話を聞いた、私と同じく日本語教師をされている女性が、それはまさしく教師と同じだと言う鋭い指摘をされた。つまり、私たち教師も、目の前の生徒たちを授業の内容に引き込むために、様々なパフォーマンスをすると言うこと。そして、目の前の特定の生徒に意識を集中してるように見えても、次の瞬間には別のところでおしゃべりをしている生徒に対して意識を向けたり、そうしたさまざまなマルチタスキングなことをする自分を見つめるもう1人の自分がいると言うことだ。

実際に、こしら師匠は、あらかじめ決められた内容をそのままお客さんに話したり、あるいは、決められた古典落語を一字一句まちがいなく機械的に話したりすると言う事は絶対にないと言う。はじめに、場内の観客とのやり取りの中で、観客の傾向を把握し、それに基づいて自分の中の引き出しから、話を選んで展開すると言うのだ。こしら師匠の中には100以上の演題が常に備わっており、それをいつでも外に出せると言うのだ。私たち教師も、実際に、カリキュラムや教科書や、教えたい内容は事前にあるが(100以上あるかはわからないが:苦笑)、それをそのまま機械的に目の前に提供する事はまずないと言っていいだろう。もし、事前に考えたことをそのまま生徒の前に出したとしても、目の前の生徒たちは一人ひとり異なった人格や価値観を持つ人間であり、あるいは、クラスによって全く違う傾向持つので、予め考えたことを機械的に表現すると言う事はまず効果的ではないと言うことである。そこで、目の前の生徒たちの反応を見ながら、自分の中にある引き出しから、最善の内容や方法を展開するというわけだ。つまり、師匠と同様に私たち教師も、あらかじめ考えたことを機械的に表現すると言う事はまず効果的ではないと言うことである。そこで、目の前の生徒たちの反応を見ながら、自分の中にある引き出しから、最善の内容や方法を展開するというわけだ。つまり、落語家は落語の話、教師は教える事を通して、自分と目の前の人間を冷静に観察しながら、目の前の人間たちの様子を的確に判断して、最善の内容や方法を使いながら、その空間を別の次元へと誘っていくという点で共通しているんではないかと思った。

もちろん、噺家さんによっては、事前に決めた内容を一字一句間違えないように正確に話をされる方もいらっしゃると言う。しかし、一方で、今回の師匠のように、話に応用聞かせて発展させていくタイプの噺家さんもいらっしゃると言うことだ。これは教師も同じで、事前に考えた内容をそのまま教える教師と、それを発展させる教師と2つのタイプがいるわけだ。

したがって、師匠によると、落語家は一般的に物事を正確に記憶して、それをアウトプットするのが得意な人たちと言われているようであるが、実際は、話を一字一句正確に記憶してそれをその再現することができるタイプと、話を発展させる2つのタイプがいるので、落語家がすべて、あらゆることに記憶の名人であるとは言えないと言うわけだ(噺家さんの中にはかけ算九九ができない方もいらっしゃるという)。話をすると言う共通の土台の上に立って、それを自分の得意な形で展開していくと言うわけだ。人によっては、古典落語を正確に再現したり、人によってはこしら師匠のように応用させた形で発展させていくこともあったりするわけだ。

それでも、やはり真打ちレベルにもなると、100以上の落語の演題を記憶しなければいけないわけであるが、それは、「好きこそ物の上手なれ」ということで、実際に落語を心から愛しているということがあるからこそ、覚えられるのだということも指摘していただいた。なるほど、教師も教えることを心から愛していれば、教えるためのネタをいくつでも覚える事は実際に可能である。

また、意外であったが、落語と言うのは、本来多くの人たちが思ってるほど、落ちにはこだわらないということである。落語の中には、「冗談をいうな!」という形で終わる落語もあり、オチは実は落語の核ではないと言う事を指摘していただいた。むしろ、落語は話の内容そのもの楽しんでもらうことがその本来の目的であるということだった。それを聞いて、私はなるほどと思った。教えることも全くその通りである。よく、多くの親御さんや、教員が一般に、教育について、これを学んだんだから、これができるはずだとか、これを教えたんだからこれを生徒は身に付けるはずだ、という何か美味しいオチを期待したりするが、実際は、一人ひとりの生徒は実に様々であり、いくら教えても、いくら学んでも、そのオチに行きつかないことがあるわけだ。無理矢理、生徒たちにオチをつけようとしても、それは不自然であると言わざるを得ない。むしろ、授業の内容そのもの自体を楽しませることが、重要であると思う。その結果、生徒はその内容が将来的に身に付いたり、あるいは、その授業の内容を将来自分で学び直すきっかけが与えられたりすると言うわけだ。馬を水辺に連れて事はできても、それを無理矢理飲ませる事は教師にはできないのだ。

昨晩は、多くの笑いの中で、噺家と教師の多くの共通点を発見して、実に密度の濃い時間を過ごすことができた。

昨日のこのブリスベンでの日本文化体験は、私にとって、教師として、人間として、人生をより充実して楽しいものにするためにに、大きな肥やしとなった。こしら師匠、ありがとうございました。

では、最後になぞかけを。

オーストラリアにやってきた立川こしら師匠とかけて、オーストラリアの日本語教師と解きます。

その心は、

どちらも日本とオーストラリアの間に橋をかける親善大使です。

お後がよろしいようで。。。。


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今日も読んでいただいて、ありがとうございました。

オーストラリアより、愛と感謝を込めて。
野中恒宏




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2017-02-17 04:35:06

健康の常識を疑ってみる

テーマ:┃- 健康・長寿・病・老い
日本でもオーストラリアでも健康への関心は高く、連日のようにテレビや雑誌やインターネットを通じて、様々な健康に関する情報が飛び交っています。その中で、健康に良い食品が次々と紹介され、また健康に良いとされる運動の方法も日々目新しいものが紹介されています。
 
しかし、そうした情報の全てが必ずしも全ての人の健康にとって有益となるとは限らないのです。
 
例えば、アメリカでは、以前学校で、健康食品のピラミッドと言うものが学校で教えられていました。その中で、ピラミッドの土台となる部分、すなわち、食生活の基本となるものに、シリアルや、パンなどが掲げられていました。
 
しかし、今日では、シリアルやパンは、必ずしも全ての人の健康の土台とはならないということが明らかになっています。特に、グルテンが含まれているシリアルやパンは、様々な健康上の問題を引き起こすと指摘されています。
 
このピラミッドが教えられていた当時は、健康よりも、企業の市場原理に基づく意識が大きく働いていたと言えるでしょう。
 
そこで、最近はグルテンフリーと言う印のある食べ物がお店でよく見かけられるようになっています。ここオーストラリアでも、以前はグルテンフリーと言う表示がなかったシリアルも、今日では多くのシリアルにグルテンフリーと言う表示がつくようになっています。
 
しかし、グルテンフリーと言う表示がついていたとしても、それが必ずしも、全ての人の健康に有益であるとは言い切れないわけです。
 
ここでご紹介したい視点として、人類の進化の視点をあげたいと思います。進化論を発表したチャールズダーウィンは、私たち人類は進化し、今日の社会を築きあげたが、その進化の道のりである過去から現在の中で培われてきたことを忘れてはならない、と言う趣旨のことを述べています。つまり、今日、多くの人が指摘しているからといって、その情報が必ずしも健康に有益だと限らず、むしろ、進化の中で、人類が体験してきた自然にもっと注意を向けるべきだという考えがこの根底にあるようです。つまり、進化したからといって、その進化した現代社会の中で提供されているものが、必ずしも人類の進化に貢献してきたものではなかったと言うことです。
 
例えば、ジョギングですが、これは今日多くの人が毎日のように行っていますが、これを進化の観点から考えると、必ずしも、すべての人間の健康に行けたとは限らないと言うわけです。進化の観点で見ると、人類はその歴史の中で、毎日の活動の基本を歩くことにおき、そこで大陸から別の大陸に渡ったり、多くの距離を移動することによって、その真価を発展させてきました。もちろん、人類は狩猟のために、走って獲物をとらえたりすることもありましたが、毎日のように長距離走ると言う習慣はなかったと言われています。
 
人類の進化の歴史をひもとくと、1カ所に定住して他の場所へ動かなかった大昔の類人猿は滅び、より良い環境を求めて長距離を移動した種は、その後も生き延び、現代人へとつながっていったそうです。長距離を移動する際に、移動する手段としては、走ることよりも、歩くことに重点が置かれていたと言うわけです。
 
また、現代の食習慣ですが、現代人の多くが、1日3回食事をするのが普通だと思っていますが、江戸時代には、1日に2回食事をとることが普通だったと言われています。つまり、人類は進化の中で、お腹をすかせ、その必要に応じて最低限の食事をしてきた側面があり、また、その進化の中で発展してきた胃腸の仕組みを見ても、1日に3回の食事をとる事は、実は、胃腸に過剰な負担をかけているということが今日指摘されています。
 
現代社会では、お腹が空くこと、すなわちそれはよくないことだ、と言う認識が広がっています。もちろん、健康を害するレベルで飢えるのは、問題があるでしょうが、人類の進化の観点から見ると、お腹が空いて、そしてその後に何かものを食べるという観点は、ごく自然なものと言えるわけです。
 
したがって、目の前にグルテンフリーの食品が並べられていても、グルテンフリーかどうかを気にするよりも、そもそも今自分は今何かを食べる必要があるのか、ほんとに自分は空腹なのか、という視点を持つことも重要になってくるようです。
 
さらに、今日の健康の情報として、次第に多くの人々が、心と体のつながりについてしてきています。つまり、心の状態が体に影響与え、身体の状態も心に影響与えると言う考え方です。さらに言えば、もっとポジティブな思考持つことによって、体も健康になると言う考え方です。もちろんこの考え方は全面的に否定するものではありませんが、彼に自分に対して過剰なポジティブな感情持つと、それも病気を引き起こす原因と指摘されています。例えば、自己愛が極端に強いと、それは、糖尿病などを引き起こすきっかけにもなりかねないと言う指摘があるのです。健康考える上で、ポジティブかネガティブかと言う二元論の観点で考えるのではなく、やはり、バランスの観点で考える必要があるようです。
 
人類の歴史を見てみると、多くの戦いが繰り返されてきました。戦いをすると言う事は、相手に対して怒りの感情持つと言うことであり、そこには感情のバランスはありません。しかし、古今東西を問わず、戦いの後に、多くの国々では、敵の死を悼んだり、丁重に葬ったり、尊敬の意すら表す習慣が見られます。これは、儀式や、宗教的な習慣の中でよく見られることですが、その根本には、戦でバランスを崩した認識を、バランスに引き戻す働きがあったのではないかと思います。
 
人類の進化の観点で見ると、人類には、狩猟や戦いによってバランスを崩して感情的になった側面もありますが、一方で自然や他者と融合するバランスの観点もあったと言う視点を私たちは見逃してはいけないと思います。人類は、戦争と平和のバランスのとれた認識を元にして、次のレベルへと進化してきたのだと思います。
 
以上述べてきたことを、簡単に言えば、自然に帰ろうと言うことになるかもしれませんが、この情報過多な現代社会においては、なかなか本物の自然を見つける事は難しいようです。全てとは言いませんが、多くの企業では、一見自然に見せかけていても、よく見てみると、その食品の中に、過重な砂糖が加えられて、甘い味が加えられていることもあるみたいです。
 
やはり、現代人は、もう一度進化の過程に立ち戻り、何が人類の進化に貢献してきたかという観点を持ちながら、自分の健康生活を見つめ直す必要性があるのかもしれません。
 
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今日も読んでいただいて、ありがとうございました。
 
オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏
 
 
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2017-02-16 04:43:55

創造性を発揮したければ、こうすればいい!

テーマ:┃-コミュニケーション
現代社会は、目まぐるしく動いており、その変化の度合いは日増しに速くなっていると言われています。特に、テクノロジーの進化はめまぐるしく、以前は考えられなかったようなことを私たちは体験しています。インターネットでの交信、ITP細胞の発見、ヒックス粒子の発見、など挙げたらキリがないでしょう。また、ビジネスの世界でも、これまでのやり方が通用しなくなり、創造性を発揮して新しいことに取り組まない企業は、停滞し、倒産している会社も多くなってきています。

さらには、地球全体の環境で見た場合、地球温暖化、大気汚染、水質汚濁、動植物の絶滅の危機、人口増加、また、国同士、国と特定の集団との対立などを見ても、私たちは創造性を発揮して問題を解決しないと、人類の存亡に関わる事態に接していると言わざるを得ません。

また、個人の付き合いにおいても、いつまでもずっと同じアプローチやコミニケーションの仕方をしていると、相手に飽きられたり、自分が飽きたり、自分たちが抱えている問題を解決できなかったり、さらにその問題が深刻化したりすることがあります。したがって、既存のありきたりのコミニュケーションの方法から抜け出して、新しい創造的なコミニケーションのあり方が求められているといえます。

つまり、私たちが個人レベルで生きる時も、集団レベル、地球レベルで生きる時も、創造性を発揮することは必須のスキルだと言わざるを得ない時代になっています。

では、創造性を発揮するにはどうしたらいいでしょうか。

残念ながら、すべての学校とは言いませんが、既存の多くの学校教育の中では、子供たちの創造性を発揮させることは難しいと言わざるを得ないようです。世界中の多くの学校では、既存のカリキュラムがあり、その内容を決まったやり方で教えることが主流になっているところも少なくないようです。

しかし、私は学校教育に全く希望がないかと言うと、そんなこともないと思います。先頃、私たちの学校は、日本の学校とインターネットを通じてコミニケーションを始めました。そして、来週から日本の学校の生徒たちが私たちの学校を訪問し、2週間ほど子供たちと毎日を共にすることになりました。

創造性には、いろいろな定義がありますが、その一つに、2つの異なったものを統合すると、新しいものが生まれるということが言われます。私は、オーストラリアの生徒と、日本の生徒と言う異なった言語文化環境から来た人間同士が一緒に時間と空間を共有することによって、そこに何か新しいものが生まれると期待しています。

しかし、同じ空間に2つの文化から来た人間がいれば、自動的に創造性が発揮されるとも思っていません。なぜなら、創造性と言うのは、個人と、その環境の両方がうまく統合されたときに発揮される側面もあるからです。

例えば、ある特定の個人がいくら創造的なアイディアを頭に持っていたとしても、それがシェアがされなければ、それは創造性を発揮することにはなりません。また、いくら自分が想像できたと思ったとしても、周りの人々が考えてることやしてること、あるいは、歴史上に行われていたこと、社会の事、宇宙のことなどを知らないと、それは創造性ではなく、独りよがりの思い込みということにもなりかねないからです。

また、いくら自分が創造的なアイディアを持っていても、周囲の環境が、それを押さえ込むような、抑圧するような環境であると、なかなかそれを発揮しづらいと思います。

したがって、学校においても、ビジネスにおいても、その中の人々が創造性を発揮させるためには、まず個人レベルで、内向的な性格と外交的な性格を躊躇なく発揮することが重要になってきます。創造性のプロセスの中には、まずいろいろなことを学ぶ準備期間があります。そして、それを自分の内面でどんどん発展させていく力が必要です。つまり、創造性を発揮するためには、まずは内向的なプロセスが必要になってくるわけです。そして、その後に、何かひらめきのような瞬間があり、それを発揮させていくプロセスへと続くわけです。つまり、内向的なプロセスを経て後で、外交的に、それを外へと発揮させていくプロセスも伴ってくるわけです。このように、創造性を発揮するためには、内向性と外向性の両方を愛し、それを発揮させる必要があるということです。

そして、そのようにして生まれ出ようとしている創造性を、さらに効果的に外に出させるような環境を人々は設定する必要があるでしょう。

Googleの会社では、頻繁に会議が開かれるようです。それは定期的に開かれる会議もありますし、必要に応じて気軽にすぐそこにある椅子に座って行われるミーティングまで様々なレベルであるようです。

その際には、個人が自分の創造的なアイディアを自由にシェアできるように、気軽に座れるような椅子やソファーがいたるところにあったりするようです。あるいはその場で会議ができなくてもクラウドを利用して自由に自分の創造的なアイディアをシェアする環境があるようです。あるいは企業文化として、たとえ相手が上司であっても、自分の考えを自由に述べられる文化もあるようです。

そして、実際の会議では、論理的な思考よりも、直感的な思考が求められる実践をしているようです。例えば、大きなテーブルの上に、自分たちが最近インスパイアされた新聞記事や、写真や、キーワードなどをバラバラにちりばめたりするそうです。そして、それらを自由な発想で結びつける中で、創造的なビジネスプランを発揮させていくそうです。つまり、Googleでは、複数の全く異なるものを統合させると言う創造性の核となる性質を、具体的に発揮させるための手段がとられていると言うことです。

よく、企画会議などで、大量のデータが掲示され、その分析に明け暮れる会社が多いようですが、Googleでは、論理的思考能力はそれを説明するときに重要になってくるのであって、創造性を発揮させるためには論理的思考はむしろ縮小化して、あるいは脇に置いて、直感的な思考に重点を置くということが徹底されてるようです。

では、教育現場では、どのようにコミニケーションを発達させるか。Googleのように、自分たちが面白いと思ってること、インスパイヤされていること、などをテーブルの上に広げて、それについてディスカッションするのもいいかもしれません。

しかし、それをしないまでも、自由にコミニケーションをすること自体が、子供たちにとって、大きな創造性を発揮させる場ともなり得るわけです。

もちろん、私は授業中に生徒に話を聞いてもらう時間をしっかりとるようにしています。しかし一方で、子供たちは教師が一方的に喋ってるだけでは飽きてしまいます。それに、教師が一方的に喋っているときは、子供たちは自分の学習能力を伸ばすことができません。特に外国語学習のような場合は、インプットと同時にアウトプットもしていかないと、そのコミニケーション能力は伸びないわけです。したがって、私は、子供たちに自由に発言させる機会も与えています。

子供たちの発想は実に自由で、限られた日本語のボキャブラリーの中で、あるいは限られた文の構造の中で、子供たちは思いもよらないことを表現しようとします。例えば、黒板消しみたいなものを示して、「これはなんですか」と聞くと、子供たちの中には、「これは電話です」と言って、自分の母親に電話をするような素振りを示す生徒もいます。私は子供たちのこうした冗談であっても、それを頭から否定せずに、その創造性を評価しています。なぜなら、ユーモアはコミニケーションに欠かせない一つの要素だからです。

しかし、そのユーモアも度が過ぎると、コミニケーションを停滞させるきっかけにもなり得るので、ある程度のけじめはもちろんつけています。

このように、創造性は個人レベルだけでなく、環境のレベルでも最大限に発揮できるように、私たちは排除しなければいけないと思います。

さらに言えば、創造性は、これまでの既存の社会の価値観を抜け出し、そこでの個人の成長、集団の成長を見守る、自分に対する愛、他者に対する愛、集団に対する愛が土台となっていると言えるのかもしれません。

何かの参考になれば幸いです。

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今日も読んでいただいて、ありがとうございました。

オーストラリアより、愛と感謝を込めて。
野中恒宏
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2017-02-15 04:39:54

理想のパートナーを見つける時の落とし穴

テーマ:┃-コミュニケーション
私たちは、人生の中で様々な形でパートナーを必要としています。例えば私の日々の授業の中では、会話の練習をする時などに、パートナーを見つけて練習してもらったりしています。あるいはビジネスの世界においても、ビジネスパートナーと言うのは個人レベル、組織レベルでも重要な考え方でしょう。そして、恋愛の文脈においても、パートナーの存在はもちろん重要なことです。

いかなる形のパートナーであっても、パートナーをいかに見つけるかということが重要な点になってくると思います。

そこで、多くの人が取る方法は、可能な限り共通点を見出そうと言うことです。つまり、相手との共通点が多ければ多いほど、お互いに良いパートナーになれる可能性が高まるという考え方がその背景にあると思います。

しかし、そこにいくつかの落とし穴があります。いくら共通項を多く発見したと思っても、それが必ずしも良いパートナーであることを証明するものではないと言うことです。

第一に、相手が仮に何かが大好きで、自分もそれが大好きだと思ったとしても、それは本当に相手がそのことを好きかどうかはわからないと言うことです。ひょっとしてそれは、相手に気にいられるために、わざと好きでもないことを好きだと言ってる可能性がありますし、人の目や世間体を気にして、あえてあまり好きでもないのに好きだと言っているかもしれません。

人間が、あることを好きかどうかを示す指標としては、行動に注目する必要があると思います。特に日常の習慣となっている行動の中に、その人の本当に好きなことが現れやすいからです。本当に好きなことであれば、毎日習慣のように、そのことを頻繁にしているはずです。

第二に、パートナーを見つける際に陥りやすい落とし穴としては、相手が心から何に興味を持っているかが明らかになった場合に、自分も心から同じことに興味があると思ったとしても、必ずしもそれは相手が自分にピッタリの相手だとは限らないということです。

どういうことかというと、例えば、相手が映画が好きだとしても、それは必ずしもあなたと一緒に見に行きたいかということにはならないわけです。確かに、何が好きだと言えば映画でしょう。同じジャンルの、同じ監督の映画がお互いに好きかもしれません。しかし、どのように映画を楽しみたいかという点に関しては、必ずしも一致するとは限らないわけです。ひょっとしたら、その人は映画を自分1人で楽しみたいと思っている人かもしれませんし、あるいは映画館ではなく、自分の自室でインターネットや、DVDで見るのが好きな人かもしれません。

このように、相手が何が好きであるかということが明らかになっても、どのようにそのことを楽しみたいかということに関しては必ずしも一致しない可能性があるということです。

私たちは、相手との関係性を構築する際に、相手が何が好きかということに焦点を当てがちですが、一方で、それをどのように楽しみたいかと言うことに関してはあまり考えたりしない傾向があるのではないでしょうか。やはり、相手とより良い関係を構築していくためには、相手が何が好きかの優先順位を明確にすると同時に、相手がどのようにそのことを楽しむかという優先順位を明確にすることも重要だと思います。

第3に、パートナーを見つける際に陥りやすい事は、相手との共通点が多ければ多いほど関係が良くなるという考え方です。

これまで述べてきたように、相手が人の目を気にしないで、自分の本当に好きなことをあなたに打ち明け、あなたもそれが本当に心から好きだとしても、あるいは、相手が何をどのように楽しむことを重視してるのかということが明確になったとしても、それが必ずしも2人の関係性を確約するものにはならないと言うことです。もちろん、共通点が多ければ多いほど、会話も弾むでしょうし、楽しい時間を過ごせる可能性も高まるでしょう。しかし、長いスパンでの関係性を構築しようとする場合、私たちは、一人一人は違った優先順位を持って生きていると言う事実に向き合わざるをえません。長い間付き合っていると、必ずお互いの違う点が目につくようになります。

つまり、共通点を見出す事は、短い期間の関係性を楽しむ際には、有効な考え方でしょうが、長い期間の関係性を構築していきたい場合には、あまり有効な手段とは言えないと思います。

ポイントは、お互いに異なった価値観を、いかにリンクできるかだと思います。具体的に言えば、相手の優先順位の高いことで自分があまり好きでないことであっても、それが自分の優先順位の高いことにどのようなメリットをもたらすのかということをできるだけ多く発見していくことです。

一方で、相手にとっても、自分の優先順位の高いことが、相手の優先順位の高いことにどのようなメリットもたらすのかということをできるだけ多く発見してもらうことも重要だと思います。

そして、お互いの価値観を結びつける場合に、重要なのは、先ほども来てきたように、その人が何が好きかということだけでなく、その人がそれをどのように楽しむかということに関しても、お互いの価値観を結びつける必要があるということです。先程の例で言えば、もしあなたのパートナーが映画を1人で楽しむことを本当に望んでいるのであれば、その楽しみ方が自分の最優先事項にどのようなメリットをもたらすのかということをできるだけ多く発見することが重要になってくると思います。

このように、お互いに何が好きか、それをどのように楽しみたいかと言う2つの優先順位をお互いにリンクさせる事は、恋愛においても、学習においても、ビジネスにおいても、重要な視点になってくると思います。

何かの参考になれば幸いです。

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今日も読んでいただいて、ありがとうございました。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏



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