USTREAMチャンネル

宇宙わくわく共創局

Free TV Show from Ustream

このブログについて

このブログはいかなる宗教団体、カルト団体とも一切関係ありません。皆様のより充実した人生のヒントにしていただくために、私のささやかな学習体験を皆様にシェアさせていただいております。ここでの内容が反社会的、あるいは公序良俗に反することに解釈されることは管理人(私)の本意ではありません。

また、このブログのコンテンツ(記事、写真、目覚めのアニメ、目覚めの話、電子書籍など)の著作権は管理人(私)に属しますので、商業用に転用されることはご遠慮ください(例:DVD、セミナーでの使用など)。しかしながら、商業目的以外で他の方にご紹介することにつきましては、どうぞどんどんなさってください。そして、事後でもいいので、他の場でご紹介していただけたり、アニメや動画をご自分のブログに貼り付けたなどの場合は教えてくださるとうれしいです。

ありがとうございます。

モナカ寅次郎



Translate this blog in English 



オンラインコース「目標実現を加速させるプログラミング思考入門」を開始しました!

http://mezame.teachable.com/

「今年こそ夢の実現に歩き出したい」と真剣に真剣に考えていらっしゃるあなたのための講座です。プログラミング思考を学べば、あなたは夢実現のあなただけの設計図ができ、実現が加速されます。今なら期間限定で無料でコースに参加できます。ボーナス特典として、お金や才能がないと思っても夢を実現させるための情報も紹介しておりますので、お楽しみに!




ポッドキャスト、好評配信中!






iTunesより配信中(無料)です! 最新号を自動的にあなたのiPhoneやiPadに毎回お届けします! 上記の写真をクリックしてぜひご登録なさってください.


 
目覚めの漫画: 人生のど真ん中を歩きたいあなたのための43の物語/野中恒宏
¥356
Amazon.co.jp



$宇宙わくわく共創局・オーストラリア支部(目覚め課)



                       こんにちは。モナカ寅次郎です。


私のミッションは「つなげる」こと。厳密にいえば、すべてはすでにつながっているので、その「つながり」に目覚めるお手伝いをすること、あるいは、「つながり」を深めていくお手伝いをすることです。


そのために、私はさらに日々精進し学んでまいります。そして、そのささやかな学習体験をみなさんにシェアしていきたいと思います。そして、特にDrディマティーニの教えを少しでも世界に日本に広げることで、さらに「目覚め」を精力的に進めて行きたいと思っています。


$宇宙わくわく共創局・オーストラリア支部(目覚め課)

ドキドキ オンラインスクール「目覚めの学校」開校! NEW

ドキドキ ポッドキャスト配信開始!

$宇宙わくわく共創局・オーストラリア支部(目覚め課)

ドキドキこのブログにはじめてこられた方、「モナカ寅次郎って誰?」「Drディマティーニって誰?」

  という方は、どうぞこちらをクリックなさってください。



$宇宙わくわく共創局・オーストラリア支部(目覚め課)

ドキドキ過去の記事はこちらより御覧になれます。






ドキドキ題して「あなたらしく生きるために」。」このブログの内容はもちろん、あなたらしく生きるための情報をお手元にお届けします(不定期ですが)。忙しいあなたもこのメルマガに登録すれば、毎回お手元のスマホやタブレットでさまざまな人生の真実に目覚めることができます。こちらをクリック。





$宇宙わくわく共創局・オーストラリア支部(目覚め課)
ドキドキ2007年から2010までの記事はこちらにあります。



$宇宙わくわく共創局・オーストラリア支部(目覚め課)


ドキドキ自主制作アニメで、私の学びをシェアしています。バックナンバーはこちらです。

ドキドキ
「目覚めのアニメ」の姉妹版、「目覚めの漫画」もよろしく。バックナンバーはこちらです。



$宇宙わくわく共創局・オーストラリア支部(目覚め課)


ドキドキUSTREAMの私の放送局「目覚めチャンネル・宇宙わくわく共創局」です。「目覚めの話」のバックナンバーも御覧になれます。



$宇宙わくわく共創局・オーストラリア支部(目覚め課)


ドキドキDrディマティーニやエックハルト・トール関連の私の電子書籍、音声ファイルなどを無料でプレゼントいたします。こちらをクリック!



$宇宙わくわく共創局・オーストラリア支部(目覚め課)

ドキドキブログランキングを通じて少しでも多くの方々に情報を発信したいと考えています。

  以下の二つのアイコンをクリックしてくださると大感謝です。

  ↓↓↓↓↓

$宇宙わくわく共創局・オーストラリア支部(アメブロ編)-Blog ranking


  ↓↓↓↓↓

$宇宙わくわく共創局・オーストラリア支部(目覚め課)




$宇宙わくわく共創局・オーストラリア支部(目覚め課)


ドキドキ現在、ディマティーニ・メソッドの個人セッション(無料・有料とも)は、申込者多数のため、新規の方には行っておりません。申し訳ございません。 NEW



宇宙わくわく共創局・オーストラリア支部(目覚め課)


ドキドキスカイプ、mixi、FacebookTwitter、電子メールなどを通じてつながりましょう! こちらをクリック!



----------------------------------------------------------------------------------------

ドキドキ携帯の方はこちらをご利用くださいドキドキ



↓↓↓↓↓



$宇宙わくわく共創局・オーストラリア支部(アメブロ編)







 
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2017-03-25 04:10:01

自分の「ディズニーランド」を創る方法

テーマ:┃-人生の目的・ミッション
いわゆる伝統的な教授法の中では、教師は決められたカリキュラムを決められたテキストに沿って一方通行で教えれば良かったとされています。つまり、教師はカリキュラムを理解し、テキストを使えば、頭を創造的に使う必要性はあまりないと言うことを示唆しています。

実際私が日本の学校に勤務していた頃、私が勉強会に参加しようとしていたら、。ベテランの先生に「なんで先生なのにまだ勉強しなきゃいけないんだ。大学でいっぱい勉強したんだろ」ということを言われてびっくりしたことがありました。

そこには、知識というものは、一度学んだらそれを外に出すだけだ、あるいは、知識というものは未来永劫変わらず、それを生徒にインプットしつづけ際すればいいんだ、と言う教育観があったように思います。

しかし、実際には、知識も子供たちも教師もダイナミックに動いており、絶えず変化しています。この動きを無視して、自分の頭の中にある知識、教科書の中にある知識だけを頼りに子供たちに接するのは、まるで、小さい金魚鉢の中で泳ぐことに慣れた金魚が、いきなり大きな湖に解き放たれても、小さな範囲しか泳げないのと同じように感じます。

つまり、私たちは、1カ所にとどまらず、常に新しい知識を学び、創造的に発想して、ダイナミックに変化する子供たちや社会に愛情を持って「愛対していく」必要があるということだと思います。

現代社会は、政治、経済、科学、文化、社会、など様々な観点で、既存の枠組みが当てはまらず、創造的に新しい発想、新しい考え方、新しい行動、などを示していく必要があります。

では、創造性はどこから生まれてくるんでしょうか。その糸口として、私はディズニーの創始者である、ウォルトディズニーについて考察してみたいと思います。

ディズニーと言えば今でこそ世界的に知られるブランドとなっていますが、その出発点であるウォルト・ディズニーの幼少期は、それほどディズニー作品のようなファンタジーに満ちていたものではなかったようです。家庭の貧しさから、ウォルトディズニーは学校に行く前も学校に行った後も忙しく働かなければいけませんでした。また、経済難から、新しい町に引っ越さなければならないことも何度かあったようです。

しかし、その当時の貧しい生活が、後のシンデレラの映画へと結びついたと言われています。皆さんもご存じのように主人公のシンデレラは、新しい家に引き取られ、そこで継母や、義理の姉妹にひどい仕打ちを毎日のように受けることになります。この設定の原体験がウォルトディズニーの幼少期の体験にあったと言うのです。

すなわち、ウォルト・ディズニーの創造性は、別に天から降ってきたものでもなく、どこからか偶然にもたらされたものでもなく、自分の人生の中に既にあったわけです。

これはとても重要な点だと思います。私たちの中には、創造性と言うと、何か特別に恵まれた人だけにもたらされるものであるのか、あるいは、天から降ってくるものであると言うように、神秘主義的にあるいは、偶然性の中で捉える人がいるようです。しかし、実際には、創造性の源は私たちの人生や私たちの日常生活の中にあるのです。

そして、ウォルトディズニーは自分の中に芽生えた創造的な発想を形に変えることに対してもとても貪欲でした。すなわち、いくら頭の中で創造的なアイデアがひらめいても、それを形にしない限りは、創造的な発想はなかったにも等しく、やはり、形にして初めて創造性が発揮されたということが言えるのだと思います。

しかし現実には、発想を形にすることは難しいことも多くあるようです。ウォルトディズニーの中には、ディズニーランドを現実のものにさせたいと言う強い思いがありましたが、当時の会社は経済的にその余裕がありませんでした。しかし、ウォルトディズニーの中にある創造性の命を誰も積むことができませんでした。周囲の反対もありましたが、ウォルトディズニーは諦めずに、いろいろな方法を試してみました。

例えば、彼は、アメリカの有名な大手のテレビ局にスポンサーになってくれることを頼んだのです。彼は、ディズニーの名を持ってすれば道が開けると思った側面もあったようですが、実際にはすべてのテレビ局から断られる結果となりました。

しかし、ウォルトディズニーは自らの創造性を、まずはできることから形にしてみる事を始めました。彼は選りすぐりのデザイナーや画家を集め、彼の頭の中にあったディズニーランドの構想を紙に書き出し、視覚化したのです。その中には、お馴染みのディズニーのお城や、流れる川を行き来する船、敷地内を走る電車などの絵も描かれていたようです。

そして、その視覚化したものを再びテレビ局に持ち込んだところ、ABCなどのテレビ局がスポンサーとなってくれることを約束してくれて、その結果、ディズニーランドの創設に結びついたと言うのです。

ここから学べる事は、創造性を具体的な形にする際に、まずは自分のビジョンを明確に他者に示す必要があるということです。やはり、自分の中にあるビジョンを明確な形で他者と共有しない限り、その影響力の領域は広がっていく事はないと言えるのだと思います。

さらには、自分のミッションやビジョンをすぐに諦めずに持ち続けていることの大切さもこのエピソードは語っているように思います。大抵の人は、自分の頭の中に夢やビジョンを持ちますが、それを具体的な形にする過程で、一度失敗すると諦めてしまいます。しかし、ウォルトディズニーは諦めずにそれを頭の中で持ち続け、さまざまな試行錯誤をくり返して、実現にこぎつけたのです。

言い換えると、自分のミッションやビジョンに忠実に生きることができさえすれば、周囲の反対や、自分の中にある不安も克服することができるということを示している例ではないかと思うのです。

まとめると、

1、創造性は、天から降ってくるものではなく、自分の人生や日常生活の中に既に存在していると言うこと。

2、創造性は形にして初めて現実のものになると言うこと。

3、自分のミッションやビジョンに忠実に生きることで、様々な困難や不安を乗り越え創造性を形にすることが可能であると言うこと。

などのことが学べると思います。

私は、今、オーストラリアのブリスベンの公立学校で現地の子供たちに毎日日本語を教えていますが、以前はマウントアイザと言う人口20,000の小さな炭鉱の町で日本語を教えていたことがありました。今でこそ、日本語の教材はブリスベンやインターネットで容易に揃えられますが、その小さな炭坑街で日本語の教材は乏しく、教える素材は全て自分の頭の中から生み出し、形にしなければならないと言う状態でした。今考えてみると、それは自分の創造性を鍛えるためには最高の環境であったということがわかります。

当時、私は何とか効果的に日本語を教えられないものか、と考えていたところ、ある事を思いつきました。それは、以前、私のワイフの義理の母親が、当時まだ幼かった私の娘を抱きながら、歌を歌って娘をもてなしてくれていたシーンでした。彼女は、おもちゃを使ったり、本を読んだりと言う材料を使うことなく、歌声だけで娘をあやし、寝かしつけてくれたのです。そのシーンが頭に浮かんだとき、私は歌を使って日本語を教えることに結びつきました。かといって、日本語の歌のCDやテープ等はありませんでしたので、自分の歌声に耐えることにしました。しかし、全く子供たちの知らない歌を歌っても、子供たちは引くだけだと思ったので、私は世界的に有名な童謡を使って日本語の歌を作ることにしました。その結果、子供たちは、日本語会話の基礎を身につけることができたのです。今でも卒業生が時々私のところにやってきて、その当時覚えた歌を歌ってくれることがあります。私の創造性も、自分の人生の中にあったのです。

また、私は、その創造性が生み出されたのは、それが、私のミッションである日本の教育が大きな原動力になったのだと思っています。

創造性は、私たちの人生をより充実させたものにするだけではなく、私たちを助けてくれます。日を生活の中で、何か困難があった場合、実は創造性の種はその中にあるので、それを発見することで、事態が進展することもあるのです。

どうぞ、あなたも、自分の人生や日常生活の中にある創造性の芽を発見して、あなたの「ディズニーランド」を創造してください。


{58A20A89-8202-4058-BE67-69E9247F8AB5}



今日も読んでいただいて、ありがとうございました。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏

【参考文献】






AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2017-03-24 07:12:26

単線型の人生からマルチステージの人生へ

テーマ:┃-人生の目的・ミッション
気がつくと私は49歳です。子供の頃は、父親が49歳の時はすごく大人で、私はあんなに大人になることなんてできないだろうなと思っていましたが、実際に自分はその年齢になっていました。

しかし、心の中は、当時の父親が示していたような威厳というか、重さみたいなものはなく、大学生位の時と同じ心持ちであるような気がします。

つまり父親が示していた雰囲気と照らし合わせると、私の精神年齢はずっと低いように感じるのです。

しかし、そう感じるのは私だけで、当時49歳位だった父も、私と同じように心の中は若かったのではないかと思います。例えば、父は当時トヨタカローラに乗っていましたが、その車の中で聞かせてくれたCDがルパン三世だったと言うことを今でも覚えています。私は、それまで父親は石原裕次郎や演歌などしか聞かないと思っていたのですが、結構気持ちは若いんだなぁと思った記憶が今でも鮮明にあります。

つまり、私も含めて、多くの人々は相手の外見をもとに判断して、心の中も決まってしまっているんだなぁと考えがちですが、実際には心の中は昔から今日まで続く一貫したエネルギーがあるのではないでしょうか。

実際に、人間の体を構成する細胞は日々入れ替わっており、1年後にはこの別人になると言われていますが、脳細胞だけは入れ替わる事はなく、昔からの記憶を持ち続けて、どんどん神経細胞のネットワークが広がっていると言われています。

前置きが長くなりましたが、私は49歳ですが、心の中は、20代の時と全く変わりません。だから、自分の心の中の若さと、年齢が釣り合いが取れないような気がします。

世の中にも、私と同じように、年齢は世間的には高いとみられていても、心の中は若い時と同じで、年齢によって社会的に制約が加えられたり、偏見を持たれることに対して、しっくりこない感じを持ってらっしゃる方も結構いらっしゃるんじゃないかと思います。 

47歳の今でも現役のテニスプレイヤーとして活躍し続ける伊達公子さんがおっしゃったように、「年齢は数字に過ぎない」位に考えておくのがいいかもしれません。年齢とその活動範囲を結びつけて限定して考えるのは、社会理想主義の典型であり、私たちが真に自分らしく生きるためには、そうした年齢の枠組みに代表される社会理想主義の生き方から自由に生きることが重要であると思います。

実際に日本だけではなく世界的に見ても、いわゆる定年を過ぎてもそこから第二の人生を始める方が結構増えているように感じます。あるいは、生涯現役と言うことで、引退せず、自分の道を貫く方も増えているように感じます。

そこで、今日世界的にベストセラーになっているのが、「ライフシフト」という本です。この本は、人生100年時代に突入したということで、これまでの古い単線型の生き方ではなく、人生は全て様々な機会やステージからできているというマルチステージの考え方を打ち出しているのです。言い方を変えると、「学生→働く→引退→老後」という単線型の人生ではなく、「人生は様々な機会やステージが存在している」という複線型の生き方を提唱してるわけです。

これは何も根拠がなく言っているのではなくて、実際に、世界の少なくない国では、平均寿命が伸び、人々の健康に活躍できる年齢も上がってきたので、これまでの60歳定年で後は余生を残すだけと言う視点ではなくて、定年後も働ける人の急増から、人生を100年の観点から見つめ直し、そこから新たな人生を開きたいと言う大勢の人の現実の願いが背景にあると言うことです。

ここまで読んで、「定年まで働いたのに、その後も働かなければいけないの、嫌だな。私は引退したいなあ」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。そう思った方は、あえて言わせていただきますが、自分のミッションを生きていない言い方だと思います。

ミッションは生きている限り、引退と言う事はありえないのです。自分の働く場所や役職が変わっても、ミッションは消える事はありません。形を変えて存在し続けるはずです。例えば、スポーツ選手で活躍していた人は、引退後も新しい選手の指導にエネルギーを注ぎ込み、ミッションを遂行しています。それは、音楽や芸術に携わっている人も後継者を育てると言う形でミッションを続けているということで共通しているでしょう。

それに、引退する前であっても、本当に意識的に自分のミッションを生きていれば、早く引退したいとは思わないはずです。引退したいと思うという事は他人の価値観が大いに入り込んでいる証拠です。仮に、自分のやりたい仕事でなくても、そのやりたくない仕事が自分のミッションにどのような恩恵をもたらしているのかということを明確に意識することで、嫌な仕事もあなたのミッションの1部となるわけです。

「生きる理由がない人は死ぬ理由がある」という言葉があります。

実際に長い間会社で働いてきた人が、引退するとまもなく老化が進み、病気になり、なくなってしまうというケースは世界的に見られているようです。例えば、人生の目的を全て達成してしまって後はやることがないと思ってる傾向の人や、何も目標を持てない人は、定年後に心臓の疾患にかかりやすいということが指摘されているようです。

しかし、定年後であっても、自分のミッションを引き、生きる目的を明確に持って生きていらっしゃる方々は、定年後も長く生きる傾向にあるようです。もちろん個人差はありますが、たとえ定年後に病気になったとしても、毎日を充実させて生き生きと生きられるかどうかは、明確に自分のミッションを意識しているかどうかにかかっているようです。

先程の「ライフシフト」で指摘されてることの中で、有形資産と無形資産の話があります。有形資産と言うのは、いわゆる自分の貯金や収入などの経済的資産のことです。一方で、無形資産と言うのは、自分の人生をより充実させるさせるための、知識や技能や考え方や健康や友人や家族や人間関係などのネットワークを意味しているようです。さらには、その無形資産の中には年齢に関係なく絶えず学び続け、成長すること、変化することができる能力も組まれているようです。

この人生100年時代の中で、私たちはより豊かな人生を生きるために、この無形資産と有形資産を統合させながら生きることが求められていると言われているわけです。

つまり、私たちの持っている本来の財産は、無形財産と言う形で現れたり、有形財産と言う形で現れたりするわけですが、肝心なのはその根っこにある自分のミッションや最高価値をどんどん高め、様々な時代の変化の中でも、様々な新しいジャンルの知識を学び、新しい技能を身につけ、生き抜くアイデンティティーをどんどん発展させていくことではないかと思うのです。

私は教師として、そーゆー姿を生徒に見せるのも仕事の1つだと思っています。私は日々授業の中で生徒に日本語や日本文化を教えることを主な仕事としていますが、私はそれだけで教師の仕事が済むとは思っていません。やはり、教師というのは生徒に未来を示す存在でなければいけないと思います。そのためにも私は、自分のジャンルに縛られず、様々なことを学び、様々な技能を身に付け、自分のアイデンティティーをどんどん発展させていく姿を生徒たちに見せたいと思っています。

教師でありながら、アニメを作ったり、ゲームの作り方を学んだり、スペイン語を学んだり、宇宙の法則を学んだり、ビジネスについて学んだり、スピリチャルなことを学んだり、様々なジャンルの本を読んだり、いろいろなことをするのもその思いから来ています。

実際に、生徒たちは様々な価値観や能力を持っているので、教師もそれに対応して、様々な価値観や能力を自分の中に取り込んで成長する必要があるんだと思います。そして、教え方がマンネリ化しないためにも、いろんな分野から学んだことを統合することが創造的な教育方法の実践へとつながっていくんだと思います。創造と言うのは、全く異なったように思われる2つの要素を統合させることによって起きるからです。


人生は、単線型ではなく様々な機会や舞台が広がっています。それは、宇宙的に言えば、多次元宇宙、あるいは、パラレルワールドとも言えるのかもしれませんが、明日どんな機会が訪れるのか、どんな新しい人との出会いがあるのか、どんな新しいアイディアが生まれるのか、毎日ワクワクしています。

100歳の私は、今のように体が自由に動かないかもしれませんが、私のミッションや思いは様々な人々の心の中で形を変えて行動し続けると言うビジョンを私は持っています。

{B875B57E-FC78-4FB6-91B0-8FFBB6EEF337}
今日も読んでいただいて、ありがとうございました。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏










AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2017-03-23 04:10:12

「あなたが人生に何を求めるかではなく、人生があなたに何を求めているか」

テーマ:┃-人生の目的・ミッション
1995年春、私は鬱を患っていました。そして、一大決心をして職場を離れ、オーストラリアへと向かいました。それまで何度か生徒たちをホームステイに連れてきた新しい国に行けば、私の鬱も良くなるだろうと思ったのです。

しかし、実際にオーストラリアに来てからも、私の鬱状態は劇的に改善する事はありませんでした。ホームステイにいた子供がとてもやんちゃで、私は精神的にかなり疲れて日々を送ることになりましたし、できると思っていた英語もそれほど相手に伝わらないこともあり、私は元気なくとぼとぼ道を歩くことも少なくありませんでした。また、楽しみにしていた留学も、それほど楽な道ではなく、私はその課題の多さと難しさに、圧倒されそうな毎日を送っていました。

しかし、そんな環境にあっても、私は途中で投げ出して日本に帰ることなく、オーストラリアに留まり続けました。

今考えると、それは、意地とか強がりではなく、様々なものを削ぎ落として、自分の人生にとって最も大切なものを浮かび上がらせることができたからだと思っています。

私たちは生まれてから現在に至るまで様々なものに執着を寄せていきます。赤ちゃんの頃は、自分の持っているおもちゃに強い執着を寄せ、それが壊れたり、他の子に取られたりすると、一大事になります。その後、赤ちゃんから成長するにつれて、私たちは様々なものいや食物や習慣や場所などに対する執着を増やしていきます。そして、文化と言う一定のフィルターの中で、私たちは様々なことに対して無意識に執着を寄せていきます。

気がつくと、自分が生活している領域にどっぷりつかり身動きが取れなくなってしまいます。半径1メートル以上のことが見えなくなり、明日以降のことが見えなくなる位、私の視野は狭くなっていました。

そして、教師としての自分に対しても、「教師はいつも明るくポジティブできなければならない」と言う執着にかられていました。私はいつもスーツに身を固め、ネクタイはディズニーやスターウォーズや様々な派手なものばかり使っていました。

いってみれば、当時私は自分にとって本当に大切なものが見えなくなっていたと言ってもいいと思います。毎日仕事が終わると、酒を飲んだり、カラオケを歌ったり、カロリーの高いものを食べたり、映画に行ったり、様々なことに時間を費やして、家に帰るとせんべいぶとんにくるまって寝るという生活を繰り返していました。

そんなある日、私の体が動かなくなりました。頭の中では「学校に行かなきゃ」という思いがあるのですが、体が思うように動かないのです。それでも、私はいつもの倍以上の時間をかけて起き上がり、スーツやネクタイを無理矢理身に付けるようにして、文字通り体を引きずりながら、靴裏をズルズルいわせながら、道を歩き始めたのです。

そのような状態はその後も続き、学校に着く時間も、30分前、20分前、10分前、ひどい時は、始業のチャイムが鳴ってから学校に到着すると言う有様になりました。

今思うと、それは体が悲鳴をあげて、私にメッセージを送り続けていたのだと思います。さすがに鈍感な私も、自分の異変に気がつき、前に見かけたことのあるカウンセリングの看板のある建物の中に入ってきました。その後もカウンセリングに通うことになるわけですが、私はそこでの内容を全く思い出すことができません。覚えているのは、毎日飲まなければならなかった錠剤を渡されたこと、「自分の職場には他にも心が疲れきっている人がいるから、その人を紹介してもいいか」と言った時に、とても迷惑そうな顔されたことだけです。

このまま人生を続けていけば、「やめるか命をあきらめるか」のいずれかの事態になりかねないと思ったので、私は思い切って仕事を辞め、オーストラリアに来ることにしたのです。

オーストラリアに来てからは、それまでの学校の仕事、カラオケ、飲み屋、レストラン、自動販売機、友人関係、テレビ番組、雑誌、風呂などからは切り離された生活が展開しました。いってみれば、自分の生活が日本にいた頃とは考えられないくらいシンプルになったのです。しかし、シンプルになればなるほど、日本時代に当たり前だと思っていた様々なことが、恋しく思われ、落ちこんだりしたりもしたわけです。

しかし一方で、シンプルになったおかげで、自分にとって本当に大切なものが浮かび上がりました。

生活がどんなにシンプルになっても私が止めなかった事は、本を読んだりして学ぶことであり、自分の考えてることを書き出すと言うことでした。私は子供の頃から本が好きで本を読むことには何も抵抗を感じていませんでしたし、書くことに関しても、小学校低学年の頃から日記をつけたりして、全く抵抗がありませんでした。オーストラリアに来てからも、街を歩いていて本屋を見かけるとその中に入り、自分の読みたい本を探して読んだりしていましたし、電子メールを使って、日本の友人にこちらの様子を詳細に送ったりもしていました。また、こちらでもクインズランド大学で、学ぶことと書く事は日常的に繰り返していました。私は、生活がシンプルになったおかげで、自分にとって大切なこと、他の人から奪うことができない事を発見することができたのです。

そして、私にとって最も大切なもの、それは教師であると言うことでした。私が落ち込んで元気がなくなっても、時折生徒たちから送られてくる手紙やメールは大きな励みになりましたし、生徒たちと約束を交わした世界一の先生となるということも私を元気づけましたし、こちらでの生活の様子や考えたことをメールにして伝えたり教えたりすることも私に大きな元気を与えましたし、オーストラリアでも教師になりたいと言う夢は持ち続けていました。そして、大学における友人たちとの勉強会においても、人に自分の学んだことを伝えたりすることが自分に元気を与えることであるということに気がつきました。

教えること、学ぶこと、書くことと言う私にとっての人生の最優先事項を発見することができたのです。もし私が日本での生活を続けていたら、多忙な毎日の中で、私は自分を見失い、自分の最優先事項に意識的に取り組むこともなかったかもしれません。

しかし、今思うと、日本でどんなに苦しい状況の中にあっても、私は教えることをし続けましたし、放課後や週末は英会話学校に通って英語を学ぶことをし続けましたし、日記みたいな事は書き続けていたのです。

そして、今でもあの朝のことを覚えています。私の鬱状態が極限になり、息をするのも苦しくなり、文字通りうなだれて学校の校門をくぐった時でした。1人の生徒が「先生、おはよう」と言ってくれたのです。私は、その瞬間、目から涙がこぼれてきたのです。自分はもう生きる価値もないかもしれないという思いに駆られた私に対して、向けられたその挨拶は、自分の存在価値を認めてくれた証であり、私は文字通り救われたのです。私にとって、教師である事は生きることそのものであることに気がついたのです。

つまり、環境が変わっても変わらなくても継続して行っていることこそが自分にとっての最優先事項であったのです。

ビクターフランクルは、著書「夜と霧」において第二次世界大戦中の捕虜収容所の中で、様々な過酷な状況の中にあっても、少なくない人々は人間としての尊厳を保ち続けたと記しています。それは、その人にとって人生で大切な事を発見し、それを持ち続けていたからだといいます。人によっては愛する家族であったり、自分の仕事であったり、自分の仲間であったり、様々な形があったようですが、どんなに暴力を振るわれても、死の恐怖が迫っていたとしても、誰からも奪えないものが人にはあると言うことをビクターフランクルは教えてくれています。

そして、「あなたが人生に何を求めているかではなく、人生があなたに何を求めているか」に焦点を当てることによって、人生の意味はより明確になり、それが生きる力になると言うメッセージも走っています。

私の生まれた家庭環境は祖父祖母の時代から教師の家族でした。そして、日本で私は教育学部に行って教師になり、ここオーストラリアに来ても教師を続けています。もちろん、自分の意思で選んだと言う側面もありますが、ビクターフランクルの言葉を借りれば、私の人生が私に教師であることを求めていたと言う側面もあったと思います。

別の言い方をすれば、その人生から求められている事に逆らわずに、その意思に沿って生きてきたからこそ、鬱を克服し、今日を迎えられたのだと思います。

そして、私が思うのは、人生が私たちに求めている事は、自分にとっての最優先事項、ミッションと言う形でもたらされていると言うことです。

捕虜収容所とまでは言いませんが、日々めまぐるしく変化し、厳しいこともある人生において生き抜くために、私たちは人生から求められているメッセージに深く耳を傾ける必要性があるんじゃないかと思うのです。

{3B49A1E4-6320-4295-AE8A-51384F848473}

今日も読んでいただいて、ありがとうございました。

オーストラリアより、愛と感謝を込めて。
野中恒宏

【参考文献】






AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2017-03-22 04:09:50

人を羨む前に自分の中にある幸せや成功を発見してみよう

テーマ:┃-人生の目的・ミッション
世間では、「成功するためにモデリングをしなければならない」あるいは、「アズイフの法則」を使わなければいけない、などがよくいわれます。

両者とも今の自分を一旦脇に置き、成功者の真似をすると言う点では共通しています。モデリングと言うのは行動、思考、言葉などを成功者から真似るという方法です。また、アズイフの法則というのは、英語のas ifから来ています。すなわち、この表現は「まるで何々であるかのような」と言う意味を持っており、この考え方を使って、まるで幸せであるかのように演じたり、まるで成功者のように演じることを実践する方法です。

こうした方法を使えば、時間を短縮して成功や幸せを実感できると言うものです。確かに、世間的に成功してる人や、自分の尊敬してる人を真似る(学ぶ)ことによって、多くの学びや気づきはあるでしょう。ある程度の幸せを実感したり、ある程度の成功を体験することもあるかもしれません。しかし、他者を真似る場合には、その思考、感情、言葉などを真似ること以上に、重要なことがあると思います。

それは、自分と成功者、自分と幸せを分断しないと言うことです。言い方を変えれば、自分の中にある成功を発見し、自分の中にある幸せを発見することが重要だということです。

「そんなことわない。自分は成功していないし、幸せでもない」という方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、あえて言いますが、自分は成功もしていないし幸せでもないと言うのは幻想だと思います。自分が成功していないし幸せでもないと思うのは、他者の価値観を自分に注入しているからではないでしょうか。純粋に自分の価値観を基準に自分を振り返ると、自分は既に成功しており、すでに幸せであるということに気がつくはずです。

そもそも、私たちは一人ひとり独特な価値観を持って生きており、他者とは異なった優先順位を持って生きています。そう考えると、他者が成功していることと同じ形で無前提に自分も成功すると考えるのは相当に困難であると思います。人は、自分の優先順位の高いところでより成功したり、より幸せを感じる傾向があるので、むしろ、自分の優先順位の高いところで自分が何を成功しているかを見出すことが先決ではないかと思うのです。

例えば、ある人は経済的に成功しているかもしれませんが、それはその人の中で、お金の優先順位が高いから起こっている現象であり、もしあなたの優先順位の中に、お金が低い位置しかないとしたら、お金の分野で成功していないのは当然なのです。冷静に自分の人生を見つめてみると、ひょっとしたら、精神世界の領域で成功を収めて幸せを感じているかもしれませんし、人付き合いの点でとても深い友情を確立しその中で成功や幸せを実感していらっしゃるかもしれません。その価値は何億、何兆あるいはお金には変えられないほど価値あることかもしれません。

「そうはいっても、私はあの人と同じ分野、同じ領域で成功したいんだ」という人もいらっしゃるでしょう。

そういう時に焦点を当てたいのは、単にその憧れてる人の持っているスキルや言葉や考え方や行動などの表面的なレベルだけではなく、その人の本質的な部分です。人間はそもそも魂、心、体が一体となった存在なので、もし真似をしたい、学びたいと思ったら、その人の身体的な行動だけではなく、心や魂のレベルまで真似たり学んだりする必要があると思います。

しかし、体や浅いレベルでの心を真似しようとすると、「自分は何かが足りない」、「何かが欠けている」いう感覚に襲われ、いつも心の中にギャップや欠乏感を感じているため、簡単に挫折してしまうことにもなりかねません。

しかし、魂のレベルでは私たちは何も失われていません。私たちは全てを既に兼ね備えています。すなわち、自分が既に持っている成功、自分がすでに体現している幸せを自分の中に発見することが重要なのです。

「頭ではわかるが、魂のレベルで全てが失われていないってどういうこと?」

という方もいらっしゃるでしょう。

実は、私たちは、魂のレベルで理屈を超えて既に自分の中にも成功や幸せや素晴らしさがあるということを実感する体験を人生の中で何度も何度もしています。

例えば、映画を見ていて感動して涙を流した事はありませんか。あるいは、音楽を聴いていて感動して涙を流した事はありませんか。あるいは、芸術作品に触れて気がつくと目から涙がこぼれていた事はありませんか。あるいは小説や詩を読んで感動のあまり涙が吹き出したことってありませんか。あるいは、ある講演を聞いていて心の奥底がゆり動かされて目に涙がにじんだ事はありませんか。

こうした感動の涙というのは、実は自分の中にも同じ特徴があると言うことを示す体験の涙でもあります。人間は自分と全くかけ離れたものに関して何も共感しないし、感動することができません。しかし、私たちが共感したり感動したりするのは、実は自分の中にもその感動の対象と同じものがあるからなのです。

以前、あるセミナー会場で、マハトマ・ガンジーに憧れる青年がいました。しかし、その青年は自分はマハトマ・ガンジーような影響力はないと思い込んでいました。しかし、その青年は自分の心の奥底を深く深く掘り下げ、内観していた結果、自分の中にもマハトマガンジーに指摘する影響力があるということに気がついたのです。それは何も強がりやハッタリや演技や芝居ではなく、心からそれを実感したと言うことが周囲の人間にもわかりました。それは彼の目からこぼれた涙が物語っていました。

この青年が自分にはないと思っていた憧れの人の特徴を自分の中に発見するきっかけは、質の高い質問でした。つまり、「その特徴をあなたの中に見出している人は誰か」という質問を自分に投げかけ続け、深く深く自分を掘り下げていったのです。その結果、彼は自分の日常生活の中に、あるいは人生の中に実に多くの人間が自分の中に多大なる影響力を持っていると言うことを実感したのです。彼が一例として挙げたのは彼の息子でした。彼は声を詰まらせながら確信を持って、自分の息子は自分からガンジーに匹敵するようなインスパイヤリングな影響力を持っているといったのです。自分の中に、息子や他の人たちの視点を自分の視点として獲得したときに、彼は真に自分は深遠な影響力を持っているということを確信したのです。

影響力の強さと言うのは、何も数量的なものだけでは測れないと思います。やはりそのインパクトや深さも影響力を理解する上で重要な材料となると思います。その男性は自分の周囲の人間が、自分から強く深いインパクトを受けたと言うことを心から実感したのです。

私は世界的な行動学の権威であるドクターディマティーニと自分は全くかけ離れた存在だと思っていました。自分はドクターディマティーニが開催するブレイクスルーエクスペリエンスのような感動的なセミナーを開くことはできないし、他者の人生観を変えるような機会を人々に提供することなどできないと思い込んでいました。

しかし、ある時私は気が付きました。私はこれまで教師生活の中で、日本の生徒を何度もオーストラリアに連れてきたり、オーストラリアの生徒を何度も日本に連れて行ったりすることをしてきました。その体験の中で、実に多くの出会いと創造と友情と感動を生み出してきたことに気がつきました。その中では、私自身もそうですが、多くの参加者もそれまでなかった価値観に触れ、新たな視点を獲得することができたのです。中には、それをきっかけとして、またお互いの国を訪れあったり、インターネットで交流を続けたり、贈り物を送りあったり、こちらの人間と結婚する生徒まで現れました。これらは私の計画実行してきたプログラムが、多くの人の価値観に影響を与え人生に影響を与え、感動を与えた証ではないかと思いました。また、こうしたプログラムに参加する費用もブレイクスルーエクスペリエンスに匹敵する金額であることにも気がつきました。また、日々の授業も、オーストラリアの子供たちが知らない言葉や文化を共に学ぶことで、インスパイアさせたり、新しい視点を獲得させたりすると言う意味でも共通項があると思いました。そういった意味からも、私は形を変えたブレイクスルーエクスペリエンスを生徒たちや親たちやその他大勢の人たちに提供していると言うことに気がついたのです。

私はドクターでマティーニのブレイクスルーエクスペリエンスに毎年のように参加していますが、私は彼のやってることをそのまま真似してきたのではなく、彼の魂レベルでのミッションを、ずっと学び共有してたのだと思いました。ドクターディマティーニはセミナーや本と言う形で、私は授業や日本とオーストラリアの交流プロジェクトと言う形で同じ魂レベルのミッションを表現してきたのだと感じました。それを発見した時、私の目には涙があふれました。

以上は一例ですが、自分の心の中に自動的にダウンロードされてしまう過去からの枠組みや思い込みを一旦停止させ、他者の視線や常識、社会理想主義を一旦脇に置いて、ニュートラルな状態で自分をどんどん掘り下げていくと、魂レベルで、実は既に成功していて、幸せであると言うことに気がつくわけです。

ぜひ、人を羨む前に、まず自分の中にある成功や幸せを発見してみてください。

{802777CA-5CB3-40B8-8EE6-1887F32A1EB5}
今日も読んでくださってありがとうございました。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏

【参考文献】










いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2017-03-21 06:59:14

勇敢と臆病の違いは実は1ミリもないかもしれない

テーマ:┃- 愛
勇気とか勇敢と言う言葉を聞くとあなたはどのようなことを思いつきますか。

おそらくテレビのドラマや映画で主人公がかっこよく活躍する姿を思い浮かべるかもしれませんし、歴史上名を残した人たちの勇敢な行動等を思い浮かべるかもしれません。

しかし、勇気と言うのは何も有名人だけが持っている特徴ではありません。私たち一人一人が誰でも持っている特徴です。

そして、私たちは勇気を示すことによって、自分の生活の質が向上すると言うことを誰でも知っています。

例えば、誰か好きな人がいた時に、その人に告白する勇気を持つことで、その人との関係が始まったりすることもあります。もちろん、その勇気はすぐには結果として現れないこともあるでしょう。しかし、たとえ、好きな人に振られたとしても、その勇気は別の形で発揮されることになるでしょう。

あるいは会社などの組織で理不尽な目に遭っている場合、少なくない人たちは泣き寝入りをしたり、午後5時以降に飲み屋で文句を言う方向に流れるかもしれませんが、実際は、理不尽なことに泣き寝入りしないで意思を表明する勇気を持つことによって、事態が解決に向けて一歩踏み出すこともあるでしょう。

たとえば、高知のキリンビールの会社では女子社員も男子社員も勇気を振り絞って上層部に意見具申をして、それがビールの質の向上あるいは業績向上に結びついた事例もあるそうです。もちろん、意思を表明する勇気を持ったことで、かえって孤立したり、また別の問題を生み出したりすることもあるでしょう。

しかし、その勇気を示したからこそ自体は動いたのであり、一見不必要に見えるような問題であっても、それは、あなたと組織が遅かれ早かれ直面しなければいけない課題であり、それを克服することで個人も組織もさらに発展するきっかけであることは間違いないわけです。

にもかかわらず、多くの人たちは、勇気の対極にある臆病スイッチを押して、なかなか勇気を発揮することができません。

数年前にベストセラーになった「嫌われる勇気」という本の中では、私たちが真に自分らしく生きるためには嫌われる勇気を持つ必要があると言うテーマがあったと思います。つまり、私たちが本当に自分らしく生きようと思ったら人に嫌われるかどうかということに思い悩んででは、自分らしく生きる事はできないと言うわけです。

先程の告白の勇気にしても、会社や組織で意思表明する勇気にしても、それを押しとどめる大元にあるのは嫌われることへの恐怖ではないでしょうか。

しかし、私はこの臆病さと勇敢さの間にはあまり大きなギャップは無いように感じています。ひょっとしたらそのギャップは1ミリ以下かもしれません。

では、どうすればその1ミリのギャップを埋めることができるでしょうか。

まず第一に、私たちは自分にとっての最優先事項に関しては勇気を発揮できると言うことを思い出さなければいけません。私たちは、一人一人独特な優先順位を持って生きていますが、優先順位の1番高いことに関しては、他の人がなんと言おうとそれについて考えを貫いたり、行動を起こしたり、行動を継続することができます。例えば、ビデオゲームが好きな子どもにとっては、親がいくら宿題しなさいとか、部屋の掃除をしなさいとか言っても、ビデオゲームをやめることをしません。

一方で、優先事項の低いことに関しては、簡単に折れてしまいます。つまり、自分にとって優先順位の低いことに関しては、他の人の意見にすぐに左右されたり、その場の雰囲気に飲まれて、臆病風を吹かせて諦めてしまうことが簡単に起こり得るわけです。

したがって、勇気を発揮し現状を変える一歩を踏み出すためには、あなたの最優先事項や、ミッションにどのようなメリットをもたらすのかということをできるだけ明確に発見していくことが大事だと思います。目の前のことに勇気を示すことが、自分の最優先事項やミッションに多くのとても大切なメリットもたらすことがわかれば、あなたの中にその勇気を示すエネルギーがどんどん増加してくることでしょう。

そして、さらには、勇気を示すことで考えられうる「最悪の事態」を想定し、もしその最悪の事態がもたらされた場合のメリットもどんどん書き出して、明確にしてきます。そして、それが自分の中で十分なレベルに達すると、たとえ「最悪なこと」が起きたとしても、それは決して最悪なことではなく、自分にとっても、周囲にとっても最高な出来事にもなり得ると言う確信を持つことができるのです。

このように自分が勇気を示すこと、あるいは、勇気を示した結果もたらされる最悪の事態を招いたとしても、それによっても多大で深遠なメリットがもたらされることが明確になると、私たちは自然と勇気を発揮しやすくなります。

そして、そうした心の中にバランスを取り戻すプロセスを何度も何度も繰り返していると、実は人生と言うのは深いところで、愛によって動かされているということに気がつくわけです。例えば、どんなにネガティブに思える出来事だっても、その中には自分にとってとても重要なメリットがもたらされていることに気がついたり、あるいは、自分に対して、ひどい試練が渡されても、同時に、それに匹敵する支援ももたらされているということがわかるわけです。このような、宇宙の法則は、私たち一人ひとりの認識を超えたところで起きています。それを本当に実感できた時、私たちは人生の中に潜む深遠なる愛を確信することができます。

私は、「何が起きても究極は愛なのだ」という確信こそが、人生の中で勇気を示す大きな原動力になるんだと思います。

こうした愛の確信なしに、ただ闇雲に勇気を示せば良いと思っていると、どこかに不安が残り、その勇気も最大限に発揮することが難しくなってくると思います。あなたもぜひ人生の中にその愛を発見し、それに基づいて勇気を発揮して、身近なところから人生の質をより高めていっていただきたいと心から願っております。

臆病と勇気の間の1ミリ以下のギャップは愛によってカンタンに埋めることができます。

{759C2C1D-1403-4738-B553-C4A078B097C1}



今日も読んでいただいて、ありがとうございました。

オーストラリアより、愛と感謝を込めて。
野中恒宏

【参考文献】



いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2017-03-20 04:30:12

自分のオーラを初めて見た! - マインドフルに生きる選択をしてみる

テーマ:┃-心・心理学
ここブリスベンで週末に開催されていたマインド、ボディー、ソウルフェスティバルに行ってきました。その名前の通り、人間に関わる3つの領域について様々な観点からアプローチしようというのがこの催し物の狙いだったようです。

会場に入るとまずアロマセラピーのような匂いが漂っていることに気がつきました。そして歩を進めるたびに、会場には様々な匂いがあることに気が付きました。私は、こうした匂いによって、外の世界とこの会場の世界を明確に異なった空間にする役目も果たしているんだなぁと思いました。

会場に入ると、手相、マッサージ、前世占い、タロット占い、健康食、ミニ講演会、オーラ写真、アクセサリー、など様々なブースが用意されていました。

普段はスーパーマーケットの片隅にこじんまりまとまっているような小さなお店が、市民権を得て、昨日は会場いっぱいに所狭しと並んでいたのです。明らかに外界とは異なったいわゆるスピリチャルな世界がそこにはありました。

現実生活の中には、スピリチュアルなものに対して嫌悪感を抱く人が少なくありません。私も、スピリチュアルな世界を学ぶ人間として、スピリチュアル自体を否定することはしませんが、ある特定の領域に関しては、どうしても胡散臭さや、嫌悪感が伴ってしまいます。

その一つは、オーラです。私は、スピリチャルな領域ではよく使われるこのオーラと言うものに疑念を抱く人間の1人であるわけです。確かに、人間はエネルギーでできており、人間はエネルギーの領域であるとも言えるわけです。そのエネルギーの領域の強さや弱さ、などがあるとしても、しかし、そうしたことはオーラと言う概念を使わなくても、説明できると考えてしまい、どうしてもオーラと言うものを受け入れることができなかったのです。

いってみれば、私はオーラについて触れると、過去の枠組みのダウンロードが始まり、心を閉ざす傾向にあったわけです。

しかし、人生を創造的に生きるためには、心をオープンにして、自分が好む領域だけではなく、自分の好まない領域を含めて統合していくことが重要になってきます。そもそも創造とは、全く性質や価値の異なる性質を持つ要素を統合することによって起きるからです。

そこで、私は思い切って「オーラの写真」と書かれたブースに行ってみました。

すぐにお金を払って写真を撮ってもらおうと思ったのですが、やはり過去からのダウンロードが始まってしまい、まずは質問をすることにしました。

「すいません。このオーラの写真を撮ることで何がわかるんですか」

「このオーラの写真はあなたの状態を示すものです。写真の左はあなたの過去を示し、中央はあなたの現在を示し、右側あなたの未来を示すものです。この写真を見れば、あなたの過去はどんなことに焦点を立てて生きてきたかを解釈することができますし、また今現在のあなたの状態や、将来のあなたの進む際の選択肢なども解釈することができます」

「すると、私の例えば健康状態対するアドバイスなんかももらえるわけですか」

「いえ、私たちは健康についてアドバイスされる資格を持っていません。しかし、あなたの生き方の傾向を解釈をすることができ、将来の生きる上での選択肢を示すことができるのです」

丁寧に言葉を選んで、慎重に答えている様子が伝わってきました。そして、この写真は絶対的なものではなく、その時の心の状態によってオーラも変わってくるということを教わりました。

そして、私の決めかねている心の状態を見抜いたのか、その人が、「新しいことを学ぶ」ということを日本語で言ってきたのです。その人が、突然日本語を話したこともびっくりしましたが(なぜ私が日本人であることがわかったのか?)、新しいことを学ぶ必要性は感じていたので、私はそのオーラの写真を撮ってみようかなという方向に動きました。相手との共通項を見出すと言うラポールによって、うまく誘導されたなぁと思いましたが、私の好奇心を止める事は誰にもできませんでした。

そして、椅子に座り、手形の金属板の上に両手を置いて撮ってもらった写真がこれです。

{65637869-9B1B-4A5C-895B-A20AA68DCB90}

リーディングの人が真っ先におっしゃったのが、「これは素晴らしいオーラです」というものでした。これは疑心暗鬼のお客さんを安心させるための言葉だなと思いましたが、「いかんいかん、私の過去からのダウンロードが始まっている」と思ったので、私は思い切って自分の過去からのダウンロードをストップさせて、今ここに集中するようにしました。

まさしく、マインドフル瞑想と同じことです。マインドフル瞑想と言うのは、今ここで起きていることに意識を集中させる瞑想です。そこには、過去の後悔も、未来の不安もなく、ただひたすら今ここにあることに意識を向けます。具体的には、自分の呼吸に意識を向けることが一般的な方法のようです。今回は、目の前のリーディングの方の話に意識を集中することにしました。

そのために、その方の許可を取って、話の内容を全て録音することにしました。話の細かいところにこだわらず、その人が今ここで発しているエネルギーを直に感じてみたかったのです。

確かに、後で振り返ると、Angelとか妖精とかガーディアンとか、ちょっと受け入れられないような概念も飛び出していたようですが、その人が今ここで発しているエネルギーは、まぎれもなく、私のことを心から想い、なんとか良き方向に導いてあげたいと言うピュアなエネルギーでした。私は、自然と感謝の気持ちが湧いてきました。

そして、私が最も強く心に響いたのが、私のこれまでの人生は知的活動に重点を置いてきたと言うことです。私は自分の自己紹介等は一切しませんでしたが、私の人生の最優先事項は、教えることや学ぶこと、すなわち知的活動であり、そのことをズバリ指摘されたのはちょっとびっくりしました。そして、将来的にも知的活動に集中し、さらにスピリチャルな成長もすると、さらに道が開けてくると言うものでした。

まぁ、過去からのダウンロードをもとにして考えれば、人間誰しも何らかの形で知的活動を昔からしているものであり、ごく当たり障りのないことを言われたと解釈することができます。しかし、たとえ科学的に判断ができないことであっても、私の知的活動優先の人生が別の角度から確認された事は、私にとって、より明確に自分の最優先事項やミッションを確信する大きなきっかけの1つとなりました。

また、胸の辺りに赤いオーラがあるとも指摘されました。このオーラは、心臓を気遣っているということを表しているということでした。確かに、私は医者から心臓の血管の中のコレステロール値が高いと言われたことをきっかけとして、心臓に関しては心を配っています。特に、父が心臓発作で亡くなってからは、心臓に対して意識を向けることが多くなっている事は確かです。これも、人間誰しも心臓に注意を払っていると言えばいえるので、当たり障りのない指摘だったと言うことも可能ですが、これも別の角度から、私が気をつけたいことを再確認できたので、感謝の気持ちが湧いてきました。

私は、そのリーディングの女性に心から感謝し、その場を離れました。

会場を見渡してみると、次から次へと大勢のお客さんが来場し、三日間の最終日である昨日も大盛況のようでした。

こうした状況を、近代科学文明に対するアンチテーゼとか、日常生活からの脱却などと解釈することも可能ですが、私は、人々が新しいレベルで人生を楽しみたいと言う強い欲求があるように感じました。

先ほど、マインドフルネスと言う言葉を使いましたが、過去や未来に対する思い込みをストップし、今ここに100%意識を集中すると、目の前で行われている営みは、100パーセント感謝できることに気がつきます。

確かに、今回オーラのリーディングを行ってくださった人が、「ネガティブな事は言っちゃだめ、ポジティブな事しか言っちゃダメ」という言葉をおっしゃっていましたが、これも感謝することができました。確かに、人生の法則からすると、私たちの生活からネガティブなことを排除することはできませんし、私たち個人個人の持つ特徴や考え方からネガティブなことを排除することは不可能です。ネガティブなことも必要だからこそ存在しているのですし、ネガティブなことも感謝ができる対象になるわけです。しかしだからといって、「ネガティブな事は言っちゃだめ」と言うアドバイスは、受け入れられなかったかと言うと、そうではありませんでした。それは、彼女の中に、人々がポジティブに行きたいと思っている人々の現状が反映しているんだと思いました。つまり、彼女は自分の言葉を通じて、人々の一般的な認識の傾向を私に教えてくれていたのです。

そう思うと、私の意識は今ここにフォーカスされ、またニュートラルな状態に戻ることができました。

マインドフル瞑想と言うのは、1つのことに集中し、過去や未来からの雑念が入ってくると、その雑念を感じている自分を冷静に観察し、雑念を小さくし、またイマココの状態に戻るということを繰り返します。

私たちの人生もその意味でマインドフルネスと言う生き方を選択することが重要であることがわかってきます。つまり、私たちは毎日自分の最優先事項やミッションを行きたいと思ってるわけですが、そうすると、自分にとって優先事項の低いことが横から入ってきます。そうすると、その優先順位の低いことをしている自分を観察して、それを小さくする工夫をしようとします。優先順位の低いことに流されてしまうと、意識はどんどん過去や未来に流れ、今この状態から遠ざかってしまいます。しかし、優先事項のことを他の人に任せたり、優先事項の低いことをすることによって自分の最優先事項に大きなメリットをもたらすことを実感すると、意識はまた今ここに戻ることができるのです。

その意味で、人生は常にマインドフルに生きるかどうかの選択を常に迫られている過程だということができます。

私が昨日体験したオーラのリーディングも、途中何度も私は過去や未来の雑念が入ってきましたが、その自分を冷静に観察し、その雑念を小さくする工夫をして、今ここに意識を向けたおかげで、その女性に感謝することができたのです。

人生をマインドフルに生きるかどうかを選択することで、人生の質が変わってきます。過去や未来からの雑念がダウンロードされてから、それをストップして、今ここに意識を向ける工夫をすることが、私たちの人生を劇的に変えるのだと思います。

{D701D41B-6C5B-4C8F-9991-149547C3F51E}

今日も読んでいただいて、ありがとうございました。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏











いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2017-03-19 04:25:07

私たちの周囲からもたらされている未来からのメッセージに耳を傾けてみよう

テーマ:┃- 人生・日常生活の中のメッセージ
私は何度も何度もビデオテープが擦り切れるくらい繰り返し繰り返し見たドラマがあります。それは、「家栽の人」です。私は、このビデオをオーストラリアにまで持ってきて、ことあるごとに繰り返し見ているのです。

このドラマは片岡鶴太郎さんが主演で、1993年に放送されていたものなので、だいぶ昔のものです。このドラマは、ある地方都市の家庭裁判所が舞台です。この家庭裁判所に訪れる少年少女達の心の闇の中に深い洞察を示し、彼女彼らの更正を心から願う桑田判事が主人公なのです。この物語がユニークなのは、子供や親の心の闇を読み解くきっかけを、花に求めていると言うことです。

花は私たちに言葉では何も語りかけませんが、多くのメッセージを投げかけています。桑田判事はその花の発している無言のメッセージを使って少年少女の心を読みとき、光を灯していくわけです。

私が特に好きなのが、ある暴走族の男の子を扱った「夢」というエピソードです。最終的に、この男の子は自分と同じく元暴走族で今は医者となっている自分の担当医にインスパイアされて、更正の道を歩み始めていくわけですが、このお医者さんの少年時代の更正に大きな影響与えたのが桑田判事だったのです。

昔、暴走族だった時このお医者さんも、自分のことを必死に救ってくれた医師に感動し、いつしか自分も医者になりたいと思うようになります。そして、少年院の中で必死に勉強を始めるわけですが、日々の少年院生活は辛く、体はヘトヘトで、夜も消灯時間があるのでなかなか思うように勉強ができません。

少年はくじけそうになるわけですが、そこに桑田判事が訪れ、次のようなエピソードを紹介するのです。

昔、天地創造の頃、雪には色がついていませんでした。雪は、自分と風だけに色がついていないと神様に不満をぶつけました。そこで、神様は、「他の花に色を分けてもらいなさい」と言いました。しかし、雪に色を分けてくれる花はありませんでした。しかし、そんな雪に色を与えてくれた花が一つだけあったのです。それがスノードロップと言う白い花だったのです。雪はそのことに大変感謝しました。それからというもの、雪は寒い冬の間、地面の中で眠るスノードロップの球根を地面の上から温めて続けているというわけです。

そして、桑田判事はこういうのです。雪が欲しかったのは本当は色ではなく、自分の存在の証だったんじゃないでしょうか、と。そして、その男の子に「夢を捨てちゃいけないよ」と言うのです。

それからその男の子は猛勉強に猛勉強を重ねて、医者になることができたのです。そして、彼は、自分と同じように暴走族上がりの子供を必死に救おうとし、その結果救われた男の子は、自分の中にあった夢、すなわち自動車整備工になりたいと言う夢を開花させ、それに向け一歩を踏み出すと言う話だったのです。

今、こうしてこのエピソードを思い出して書き出しているだけでも、目頭が熱くなってきます。この桑田判事の深い愛情だけでなく、どんなに外見上悪く見えている子供たちの中にも、未来につながる種を発見し、それを花を開かせようとする姿勢こそが、教師である私たちに求められていることじゃないかと心の深い部分で共感するからです。今考えると、このドラマは私に教師になることを強く熱望させる大きなきっかけになっていたと確信できます。

そして、私たちの日常生活の中には、私たちが知らないだけで、実に多くのメッセージが私たちの証を知らせてくれようとしており、そこから人生の大切なメッセージがもたらされていると言う観点も、1993年の当時の私には新鮮であり、それが、目に見える見えない人生からのメッセージを読み解くきっかけにもなったのだと思います。

このドラマの中では先ほども書いたように、花が少年たちを更生させるきっかけになっていますが、実は、花と言うのは人類をも覚醒させる力を持っていたといわれています。世界的なスピリチャルリーダーである、エックハルト・トール氏によると、原始時代の狩猟に明け暮れていた人間に、進化のきっかけをもたらした三つのきっかけがあったといいます。それは、鳥、宝石、花です。それぞれの持つ素晴らしさが、人間たちに自分の認識や能力を超えた別次元の世界があるということを知らしめてくれたと言うのです。実に深い洞察だと思います。

言い方を変えると、鳥、宝石、花が私たちに未来を示していてくれたのだと思います。今日、鳥、宝石、花はありふれたものであり、そこから何もメッセージを受け取ろうと言う人は少ないかもしれません。しかし、私たちの生活の中には、未来からのメッセージを示すものが他にもたくさんあります。私にとっては、目の前の子供たちが未来からのメッセージを投げかける大切な存在です。

しかし、忙しく騒々しい現代社会において、私たちは、自分の内側ないしは周囲にある未来からのメッセージになかなか耳を傾けづらい状況にあるといえます。その代わりに、無自覚に過去の枠組みをダウンロードし続け、過去の枠組みによって強くコントロールされている人が結構いらっしゃるかもしれません。

一旦過去からのダウンロードを停止して、冷静に今ここで自分の内外から向けられているメッセージに耳を傾けると、あなたの周りにも、スノードロップ的な存在がいることに気がつくのではないでしょうか。

そして、そのスノードロップは、雪に色を与えたような優しい形をしていないかもしれません。むしろあなたに試練を与えてくるような形のスノードロップもあるでしょう。しかし、どのような形であっても、それはあなたがあなたらしく生きるためのきっかけを与えてくれているスノードロップであることに変わりがありません。

そして、そのスノードロップの愛情に気がついたとき、私たちはそのスノードロップという友情に感謝することも可能になってくるわけです。それは、寒い冬の間であっても温め続けてくれた雪のような愛情を、あなたの中に芽生えさせるきっかけにもなるのだと思います。それがあなたにとっての未来を創造する種なのかもしれません。

{9F06D9E2-0427-43FA-9FA9-0782A778F21C}

(写真の花はスノードロップではありません)

今日も読んでいただいて、ありがとうございました。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏

【参考文献】






いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2017-03-18 06:04:39

心はもともと折れないようにできている

テーマ:┃- 宇宙の法則
最近、いろいろなところで「折れない心」の重要性が説かれています。それは、日常生活の中でさまざまな試練を体験し、それに耐えられないと、心がまるで棒のようにぽきっと折れてしまって、修復不可能な状態になってしまうことを意味しているようです。

何か大きな失敗をしたと思った時、失恋をしたと感じた時、お金を失ったと思ったとき、愛する人をうしなったと思う時、人から傷つくことを言われたと思った時、裏切られたと思った時など、「心が折れる」と思える機会は様々な形で訪れているようです。

しかし、私はこうした時に「心が折れる」という言葉を聞くたびに何か違和感を覚えます。つまり、「折れる」という表現は、何か硬い固体のようなものが外からの力によってぽきっと折れると言うようなにはニュアンスがあるからです。

しかし、この宇宙を構成している全ての要素は、エネルギーからできています。それは、体であっても、心であっても、魂であっても同じことです。それは、まるで水が、固体、液体、気体と形を変えて存在しているのと同じことです。

したがって、本質的に言えば、「心が折れる」という表現は、心の本質を指しておらず、表面的な意味で心を捉えていると考えることができます。つまり、心はエネルギーからできているので、もともと折れる事は無いのです。むしろ、柔軟に様々な形になることができるのです。

しかし、実際には、日常感覚として、まるで心が折れてしまったかのように感じる瞬間というのは確かにあります。しかし、大抵そういう時というのは、何か自分の中に非現実的な期待があり、それにそぐわないことが起きたときに、大きくエネルギーを消耗してしまう時ではないでしょうか。

例えば、他人が自分の思っているように自分のことをサポートしてくれると思っていたのに、実際は自分の価値観に反するようなことをしてきたとき、

ある人はいつもいい人だと思って来たのに、その人の悪い面を見てしまった時、

自分は他者の期待に応えようと努力したが、そして、答えられると思っていたが、応えられなかった時、

自分はいつもポジティブでいようと思ったのに、次から次へとネガティブな感情を体験してしまう時、

神様がきっと自分のことを助けてくれると思っていたのに、助けてくれなかったと思う時、

日常的に使っている車やコンピューターなどの機械が、自分の期待に反して突然壊れてしまったり、期待通りに機能しない時、

何か大切なものを失ったと思った時、

ずっと取り組んできた目標が達成できなかったと思った時、

などに、私たちは「心が折れた」と思うような体験をしやすくなるのではないでしょうか。

しかし、先ほど述べたように、心はエネルギーでありそもそも折れないので、「心が折れた」ということ自体が幻想ですし、さらには、「心が折れた」と思うきっかけになった出来事が、実は幻想の認識に基づいています。

例えば、他者は他者の価値観の中で生きているのであり、自分の価値観とは異なった生き方をするのは当然であると言うことを思い出す時、他者が無前提に自分の価値観に沿った行動をとってくれると思うのは幻想です。

また、すべての人間には必ずポジティブと思える側面と、ネガティブと思える側面の両面があるので、どちらか1側面のみを期待するのは幻想だと言えるでしょう。

また、自分自身も、自分の価値観に沿って生きているので、他人の価値観に沿って生きられると思えるのも幻想です。

さらには、神様というか宇宙と呼ぶかはともかくとして、この宇宙を司る力は、常に破壊と創造のバランスの中にあり、言い換えると、チャレンジとサポートのバランスの中にあり、どちらが一方だけを期待すると言う事は幻想であるということ。

また、私たちの普段使っている機械も、私たちの期待通りにいつも100%動いてくれると思う事は幻想であります。

何か大切なものを押しなったと思っても、宇宙の構成要素はすべてエネルギーからできるので、エネルギー保存の法則から、失ったと思うものは別の形で存在し続けていると言う事を考えると、何か大切なものを失ったと考えるのも幻想です。

そして、何か自分の立てた目標が達成しないと思っても、その多くは他者の価値観に基づいて立てた目標であることが多く、本来自分の価値観に合致した形で立てた目標は、失敗のしようがないわけです(失敗したと思ってもそれを学習経験にして成功に結び付けられる。しかし、他者の価値観に合わせた目標だと失敗するとすぐに諦めてしまう可能性が高くなる)。その意味で、目標が達成しないと言うのは、無意識のうちに他者の価値観を生きると言う幻想がその根底にある可能性が高いわけです。

このように、「心が折れる」というのは、本来心は様々なものに形を変えるエネルギーからできていると言う本質の観点からしても、宇宙のバランスの法則や、価値観の原則に沿って考えても、幻想である人がわかりやすいです。

ですから、もし「心が折れてしまった」と思ったら、自分がその時に抱いている幻想を明らかにして、真実に目を向けることで、心は実は折れてもいないし、傷ついてもいなかったということがわかるわけです。全ては愛と感謝の体験なのですから。

{9EF95373-38BC-4599-9E04-193B2CDA0C58}

今日も読んでいただいてありがとうございました。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏

【参考文献】




いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2017-03-17 04:20:59

「幸運(ラック)」は「楽苦(ラック)」と共にやってくる

テーマ:┃- 宇宙の根源的な存在
1日の終わりに、「今日はついてなかっなぁ」、あるいは、「今日はついてたなぁ」と思える瞬間はありませんか。また、1日の初めに「昨日はついてなかったなぁ」、あるいは「昨日はついてだなぁ」と思える瞬間はありますか。

日常生活の中で、そうした瞬間に出くわす事は誰でもよくあることだと思います。そして、周りを見渡すと、そういう幸運がたくさん訪れている人がいると感じて、嫉妬することもあるかもしれません。

そして、幸運というのは、何もしなくても、良いことがもたらされると思ってらっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、実際は、幸運と言うのは、何もしなくてももたらされると言う事はありえないのだと思います。言い方を変えると、人生の中でもたらされる、楽しいことと、苦しいことの両方を抱きしめて統合した時に起きるのではないかと思います。いってみれば「幸運」(luck)は「楽苦」(ラック)とともにもたらされるのではないかと思います。

通常、私たちは何かうれしくないことを体験したときに、「ついてないなぁ」と思います。しかし、人生は全てバランスでできていると言うことを思い出すとき、「ついてないなぁ」と思えることであっても、実際にはその同じ瞬間に正反対のサポートももたらされており、その両者を抱きしめる時、私たちは本当の幸運を体験することができます。

例えば、授業中に、私のことを強く拒絶している生徒がいる時、同時に私のことを強く受容している生徒がいることに気がつきます。教室と言うのは、そうした宇宙のバランスを体験することのできる小宇宙的な空間であるとも言えるでしょう。

宇宙は、365日24時間、世界中の至る所で例外なく試練と支援のバランスをもたらしています。私たちは通常、試練を体験したときに「ついてないなぁ」と感じ、支援を体験したときには「ついてるなぁ」と認識します。しかし、実際は、私たちの多くが気がついていないだけで、「ついてるなぁ」と思える出来事と「ついてないなぁ」と思える出来事は同時にもたらされており、その両者を統合して抱きしめることができると、私たちはそこに人生に含まれていた大きな愛を実感することができます。 

つまり、その意味で、「ついてるなぁ」と感じる出来事も、「ついてないなぁ」と感じる出来事も幻想であり、その本質は愛の出来事であると言うことです。この愛の出来事がどのような仕組みでもたらされているのかを、数式で表すことができないのかもしれませんが、事実であることには変わりありません。私はこの愛の出来事がもたらされていると言う意味での、真の幸運が誰にでももたらされているのだと思います。

それでは、この「ついてるなぁ」と感じる「楽」の出来事と、「ついてないなぁ」と感じる「苦」の出来事が統合された、「楽苦」(ラック)の愛の状態をもう少し詳しく見てみましょう。

まず、私たちが、「ついてるなぁ」と感じたり、「ついてないなぁ」と感じている状態と言うのは、過去の枠組みをダウンロードしている状態だと思います。自分のこれまで生きてきた人生の枠組みの中で、自分が今体験している事を認識しているため、それを楽しいが苦しいかで区分けしてしまう傾向があるわけです。

そこには、多くの決めつけや、レッテル張りが存在しています。そうすると、様々な感情が湧き出てきて、目の前が曇り、未来も見えない状態になります。

しかし、一旦そうした過去からのダウンロードを保留し、冷静に自分の体験を見つめ直します。冷静に見つめ直せないときは、自分の体験の中に含まれていた正反対の側面は何かというような問いかけをして、自分の体験の真の意味を浮かび上がらせます。ポジティブだと思える体験の中に含まれていたネガティブな側面、あるいは、ネガティブだと思える体験の中に含まれていたポジティブな側面を発見するのです。そして、自分の体験していたことが、ついている体験でもなく、あるいはついていない体験でもないニュートラルな体験だとわかった時、私たちはそこに言葉や論理を超えた愛を認識することができます。

その体験が深いものであるとき、私たちは、「自分が何者であるか」そして、「自分が人生で成す事は何か」ということが見えてきます。

このような体験は、いきなり訪れるものではないと思います。それこそ、何度も何度も内面を深く深く掘り下げることによって、それこそ、まるで「幸運」のように訪れるものだと言えるのかもしれません。私は、世界的な人間行動学の権威であるドクターディマティーニのメソッドを使って、この状態に至ることができました。人によっては、瞑想を繰り返すことによってこの状態に至る方もいらっしゃると思いますし、深く自然と結びつくことによってこの感覚を得ることができるかもしれませんし、あるいは人生の中で何らかの形の深い体験や人との出会いや別れの体験をしたときにこの状態に至る方もいらっしゃるかもしれません。

そして、「自分が何者であるのか」「人生で成す事は何か」という認識に基づいて、日々もたらされる「ついていること」「ついていないこと」を見つめ直す時、そこは全て愛が幸運にももたらされていると言うことに気がつくわけです。

このように深く人生の愛を実感した状態というのは、意識は「いまここ」ですが、実は、この「いまここ」を通じて、まだ体験していない未来ともつながった状態であるとも言えるでしょう。

先ほどご紹介したドクターディマティーニは、まだサーファーだった頃、瀕死の状態を体験し、それをきっかけとして人生のメンターとなるポールブラグ氏と出会い、自分の人生を内観し、その中に含まれていた愛を発見し、深く涙します。そして、その時、自分が将来世界中を飛び回り、多くの人々をインスパイアしている姿がクリアに見えたと言うのです。これはその時、ドクターディマティーニが未来とつながったということを示しているのだと思います。

ドクターディマティーニがこのような状態を体験できたのも、自分が「ついていないなぁ」と思えるような人生の様々な体験(学習障害時とレッテル張りをされたこと、ハワイで毒草を食べて瀕死の状態になったことなど)と、「ついてるなぁ」と思えるような事様々な体験(自分を無条件にサーファーとして生きることを認めてくれた両親、自分を瀕死の状態から救ってくれた通りがかりの女性、その結果であったホールプラグ氏との出会い)が統合されたからこそ、起きたとも言えると思います。つまり、ドクターディマティーニも、「楽苦(ラック)」の統合体験をしていたのだと思います。

これは、ドクターディマティーニだけでもたらされたことではなく、私たちひとりひとりにも独特の様々な形でもたらされていることです。しかし、私たちは忙しく騒々しい現代社会の中で生きているため、なかなかじっくり自分を内観し、そうした「楽」と「苦」を統合する機会がなかなかないのかもしれません。

いつか、ドクターディマティーニが言った言葉「宇宙はあなたのことを心から愛している」といったことを思い出します。

あなたも、宇宙からもたらされている「ついてること」と「ついていないこと」を統合して、「楽苦」な愛を体験してみませんか。宇宙はあなたが愛に気がつくのを待っています。それは、様々な形の体験かもしれませんが、その根っこでは愛につながっています。

{B74B2ED5-190C-42D1-BF71-0EB3733FF792}


今日も読んでいただいて、ありがとうございました。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏

【参考文献】













いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2017-03-16 04:30:51

問題に行き詰まったら、新しい眼鏡をかけてみよう

テーマ:┃- 愛
私は、昔受験生だった頃から眼鏡をかけています。つまり、私は近眼だったわけです(今は老眼です:苦笑)。

これは私の人生において象徴的な出来事でした。つまり、受験生だった頃は、目の前の問題集や参考書に集中して、他の事はほどんど考えることをしないようにしました。「四当五落」と言う言葉があるように、とにかく睡眠時間を削ってでも、受験勉強に専念することが合格の近道だと言われていたからだと思います。

こうした姿勢は、身近なものに目を向け、すぐに結果を得る思考と結びつきやすかったと思います。もちろん、何ヵ月か先に行われる大学のことを考えて勉強すると言う形はとっていましたが、実際には、大学に行って何を学ぼうか、4年後の卒業時に何がしたいか、などと長期的な事は全くと言っていいほど考えていなかったのかもしれません。

しかし、大学に入ってみると、そこでの知識は、受験勉強のそれとは違い、近眼的なものではありませんでした。古今東西の歴史から、遠く未来を見渡す、言ってみれば、遠視的な視点を持たないととても対応できないものでした。

例えば、生物の歴史、人類の歴史、社会の発展の歴史、教育の歴史などを学びつつ、一方で今後の生物の進化の行方、人類の行方、社会のゆくえ、教育の行方なども見据えたとても壮大で、遠視的な見方を要求する内容でした。

さらには、それは、自分の興味のある分野だけの勉強ではなく、一般教養などで、自分の専門以外の領域である自然科学、なども含めて学ぶと言う拡大した視点を必要とするものでした。

このように私は、受験勉強から大学の学問と移る中で、近視的な視点から、遠視的な視点を持つ重要性に迫られていたわけです。

しかし、こうした遠視的視点への移行は、単に大学生だけに求められているものではなく、我々現代人すべてに求められていることではないかと思います。様々な問題が入り込み、過去の狭い枠組みだけでは解決がしにくい現代社会において、私たちの視点を狭い枠組みから、広い枠組みへと転換する事は誰にも求められているわけです。

人類社会が誕生した頃は、狩猟社会であり、目の前の人間たちの食料をどうするか、明日どう生きるかという、いってみれば、近眼的な視点が必要でした。しかし、人口が増大し、より多くの人々を養う必要が出てきたときに、これまでの近視的な視点から、遠視的な思考を持って、食料を確保するために農業と言う新しいレベルの人間の営みが発明されたわけです。そして、その後の、人類の発展の中で、人間は自然現象や、社会現象や、人間の営みをより長期的、広い視野で捉えることによって、さらに発展を重ねてきました。いってみれば、人間が生き延びるためには、近視的思考だけではなく、遠視的な思考を採用する事も必須だったわけです。

しかし、現代社会において、最近、近視的な思考を極端に助長する現象が広く見られているようです。それは、スマホの発展によって、相手から来たメールやメッセージに対して即座に反応するという「スピード反応文化」です。そこでは、常にスマホを持ち歩き、電子メールや、LINEや、WhatsAppなどのアプリ、あるいはFacebookなどのソーシャルメディアからもたらされるメッセージに対して、即座に反応することが当たり前のこととされています。そうした、「スピード反応文化」の中では、近視な思考にはまりやすく、遠く広い視点を持って深い思考をすることが難しくなってきます。

先ほども述べたように、現代社会は過去の枠組みが通用しなくなってきています。過去の近視的な枠組みを離れて、まったく新しい創造的な視点を持たないと対応できない問題が山積みになっています。

それは、私たちの日常生活の中でも同じことです。つまり、私たちは、日常生活の中で、お金のこと、人間関係の事、健康の事、私的活動のこと、家族や愛する人の事、仕事の事などで様々な課題を抱えるわけですが、これらを解決するためには近視眼的に、目の前の今現在のことだけをやっていればいいというわけではありません。

まず、目の前の問題を解決するためには、一旦その半径1メートルの地点からより高い位置へと視点を移動する必要があります。そうすると、これまで見えなかった他の要素や、領域が問題に関わってくることが見えてきます。それは単に今現在と言う視点だけではなく過去や未来と言う視野も視野目にに入ってくると思います。

その際に重要なのは、過去の狭い枠組みの中にとらわれ、過去からの枠組みを前提にダウンロードし続け、それにコントロールされていては、いつまでたっても、地べたに入いつくばり、高い視点を持つことができないと言うことです。

そこでは、過去からの枠組みのダウンロードを一旦保留し、ニュートラルな視点を持って、より高度な視点から物事を眺めてみる必要があるわけです。そうすると、先ほども言ったように、今まで見えていなかった他の要素や領域との関連も見えてきて、それまで気がつかなかったメリットやデメリットが見えてきます。

そして、より高い視点を持って問題をとらえることができることができるようになってきたら、次に、メタ思考を働かせて、その根底に流れる原理原則や法則やアナロジーを発見することが重要であると思います。

先日、娘と一緒に数学を勉強していたとき、私はとても感心しました。私は学生時代、数学を無味乾燥な同じ作業の繰り返しのように捉えていたことがありました。しかし、今回勉強した二次関数を改めて捉え直してみると、これは物事の中にある法則を発見し、未来を予測するということに直結していることであるということに気がついたのです。

学生時代、目の前にある数式をグラフにしてそれで終わりという感覚がありましたが、このグラフを描くと言う作業は、未来における業績を予想したり、空を飛び交っている飛行機や、海を進む船が衝突しないコースを見つけるために重要になっている考え方がそこにあるということに気がついたのです。もちろん、実際の物事はそんなに二次関数のように単純化できないと思いますが、考え方は共通していると思います。

もし私たち人類が、自分の乗っている飛行機だけ、あるいは船だけに近視的に集中していたら、それこそ多くの事故を生み出し、私たちの人間社会は成り立たなくなっていたでしょう。また、業績や成績を考える場合にも、目標を持たずに、あるいは見通しも持たずに、目の前のことをただやってるだけでは、その後の成長も鈍ってくるでしょう。そうならないためにも、自分たちのやってることを高い視点から理解し、その根底を流れる法則を発見し、それに基づいてある程度未来を予測するという力が必要になってくるわけです。

娘と勉強していて、娘がそれまで見えなかった数学の法則を発見した時の、感動した表情は私の脳裏に深くやきつきました。それまで、どうしても見えなかった法則性が見たとき、人間は意識レベルを拡大することができ、問題の解決に結びつくことができるのだと思います。

手前味噌ですが、そうした娘の新しい発見、すなわち、近眼的な視点から、遠視的な視点をもたらした1つの要因は、私の娘の成長を願う愛であると思います。これは、何も私たち親子だけに当てはまるものではなく、人間社会一般にも当てはまるものだと思います。

つまり、近眼的に物事を捉え、問題にはまり込んでしまっている時、実は、誰にも24時間365日もたらされている様々な形の愛を発見した時、視野が広がり、より高い次元から物事を解決できるのだということを確信することができるのです。

近眼的な視点だけではなく、遠視的な視点を持つことで、私たちが抱える道を生活はより解決へと大きな一歩を踏み出せるのだと思います。そして、誰にも愛がもたらされている以上、それはすべての人に可能だということです。

{645F9AFE-E043-421A-9AE0-7DEEC7703CFE}

今日も読んでいただいて、ありがとうございました。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏

【参考文献】


いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。