その時何が? その2 | 南部の国から

南部の国から

歴史好きの歯医者さんが、日常で感じたことをダラダラと綴っております。
現在フリーテーマでお送り中。

前回のブログで、「アメンバー限定記事を公開する」ということを書きましたが、申し訳ありません、あれは撤回します。


やはり、言葉がでない、悲しすぎる話ですので、このまま限定記事とさせていただきます。


今回は、また別のお話。


やはり今回の大津波で被災された方の経験談を聞く事ができましたので、今回はそのお話を紹介させていただきます。



これは陸前高田ではない、別の港町での話です。


その方(仮にBさんとします)は3月11日、いつもと同じようにオフィスで仕事をしていたそうです。


午後2時46分…。


ゴゴゴゴ・・・・・・・


やたらと大きな地鳴りとともに地面が大きく揺れ、その直後さらに大きな揺れがそのオフィスを襲ったそうです。


揺れは非常に長く、その時間はかなり長く感じたということです。


Bさんのオフィスは本当に海岸近くにありました。


頭をよぎったのは「津波が来る!!」という事でした。


オフィスに来ていたお客さんを家(?)に返し、さらに働いていたスタッフも即座に返したそうです。


で、オフィスの戸締りを行い(←どうもこの時まではまだ余裕があった、と言っておりました)、息子とともに車で高台へと避難しようとしました。


そうしますと、同じように考えた人がたくさんたのでしょう、高台へ続く道へは車であふれ、すぐに渋滞となってしまいました。


渋滞待ちでイライラしていると、子供が一言、


「お父さん、後ろからすごい波が迫ってくるよ!!」


ミラーで後ろを見てみると、冗談か?と思えるような「水の壁」がすごい勢いで迫ってきていたそうです。


これじゃダメだ、と思い、車を捨てて逃げることを決めました。


で、反対車線を半ば逆走するような形で反対車線へと飛び出し、近くの駐車場へ車を止めました。


しかし、そこで波に追いつかれてしまったそうです。


「これまでか…」


と一度は覚悟を決めたそうです。


水は車の下へと入り込み…、車を持ち上げていきました。


迫りくる水の中には流されてきた家の破片や瓦礫など様々なものが混じっておりました。


そうこうしているうちに、車はみるみる持ち上げられていきまして、家の2階ほどの高さまで持ち上げられていきました。


すると、車の下に家の破片や瓦礫などが次々と入ってくるではありませんか!


車が瓦礫の上に乗り上げるような形になったのだそうです。


で、第一波の波が波がひいた時、車の下をみて驚いたそうです。


なんと、家や瓦礫が車の下数メートルにわたって積み重なっておりました。


第二波(?)が来る前にこの場から逃げだそう、ということで車から降りましたが、瓦礫の山を下りる事は出来なかったそうです。


あたりを見回すと…脚立がある!!


その脚立を拾い、隣接していた家の屋根に上がろうとしました。


そこにはまた別の人がおり、その人の手を借りてその家に上がる事ができたそうです。


まだこの場所は危険、ということでさらにその隣の家へ…。


だんだんと空が暗くなっていきます…。


これ以上の異動は逆に危険と考え、Bさんはその家にお邪魔することにしたそうです。


その家は、1階が水につかり、その住人もすでに避難した後だったらしく、空き家となっておりました。


幸い2階部分は水につかることもなく無事でしたので、その家の住人に悪いな、と思いつつそこで一夜を明かすことにしました。


その夜…


近くで火の手が上がりました。


私もその町の火事の光景を後にテレビで見ましたが、夜の暗がりに火の明るさで街が煌々と明るい状態…。


火の手は近くまで迫ったそうですが、幸いにしてその家に燃え移ることはありませんでした。


その夜はまるで生きた心地がしなかったそうです。



次の日。


陽が上って町を見ると、津波で流された家、瓦礫、潰された車、残った家も昨晩の火事で焼け、一面に漂う焦げたにおい…。


まるで地獄にいるようだった、とBさんは語ってくれました。


その家から出た時、そのあたりの水はひいていたそうです。


瓦礫がたまった道を息子とともに高台へと行きました。


高台には知り合いの家がありまして、その家へ転がり込みました。


そこでやっと、「ああ、生き延びた…」と思ったそうです。


で、その友人の父に車を借り、盛岡まで一時避難したそうです。



盛岡には奥さんの実家がありました。


Bさんの奥さんは所用で東京におり、難を逃れておりました。


数日後、盛岡で奥さんと合流し、物資を整え、再び自分の住んでいた街へと戻りました。


その途中で私らと会い、今回の話を聞かせてくれました。


かな~り笑いながら話してくれましたが…、「この体験、もはや笑うしかない」のだそうです。


まるで悪い夢の中にいたようだった、とも言っておりました。



さて、自分の住んでいた街へと戻ったBさんですが、自宅は1階が水につかったものの、2階は無事で、現在はその残った2階で生活しているのだそうです。


ただ、家の中が物色された跡があった、とも言っておりました。。。



ちなみに、オフィスの仲間も全員無事だったそうです。


現在は、流されたオフィスの場所を移し、事業再開に向けて頑張っているそうです。



またしても貴重な体験談を聞かせていただきありがとうございました。