今日も何度か大きめの余震がありました。
特に診療時間中の地震というのは…、この間のことがありますからいまだに神経過敏状態になっています。
なかなか落ち着いて仕事ができないというのも、困ったものですね…。
さて、今日は首相が陸前高田に現地視察に訪れたそうな。
あの光景を見て、総理は一体何を思ったのでしょうか。
さて、ここ3回にわたって(うち1回はアメンバー限定ですが)木曜日に訪れた陸前高田のレポ、および所感を書いております。
今回は現地の状態を見て考えさせられたこと、復興に向けての私の考えをつづっていきたいと思います。
街中津波にやられて壊滅状態に陥った陸前高田市。
無事なのは山間部の住宅地だけ、といっても過言ではありません。
避難所で暮らす被災者の方々の疲れもピークに達している様子でした。
これらの状態は何も陸前高田だけではないかと思います。
宮古しかり、釜石しかり、大船渡しかり…。
この状態では明日への活力は生まれてこない、というのが現状かと思います。
ただ、ニュースで紹介されていましたが、気仙沼でしたか?漁師さんが残った船をかき集めて漁に出始めたとか?
本当に頭が下がる思いでいっぱいです。
さて、今後の対策、私なりに考えてみました。
ただ、あくまで机上の空論であるというのも考慮に入れて、ここから先の話を読んでもらえれば、と思います。
まず必要なのは、まずは被災者の方々に元気を取り戻してもらうのが先決かと思います。
最低でもライフラインが断たれた状態での生活を何とかするべきです。
かといって、あの惨状を目の当たりにして、素人目に見ても、ライフラインの完全な復旧にはまだまだ時間がかかりそうでした。
となれば、まず被災者をライフラインがしっかりしている内陸に移動してもらって、そこで英気を養ってもらった方がよいのでは、と思います。
電気、水道、ガス、さらにはトイレなど衛生状態が整った内陸部の方がゆっくりと休めるのではないか、と思うのです。
仮設住宅も、沿岸部だけでなく遠野や水沢、一関、さらには盛岡、花巻、北上などにも建設して、積極的に入居してもらっても良いのではないか、と思います。
そして次です。
今回の被災で仕事を失った方もたくさんいるでしょう。
そういった方々を対象にして、復興事業へ参加してもらうのです。
この際大切なのは、「ボランティア」という形ではなく、国あるいは県で一時的に職を失った方々を雇いあげ、彼らの手で街を復興させるのです。
仕事を失い、明日の生活もどうしようかと悩む被災者にとって、街を復興させることができるわ、それで給料もらえ手生活が安定するわで、一石二鳥ではないかな、と思います。
さらに、各都市から毎日数便、沿岸部への無料バスを出して、内陸から沿岸部に通ってもらうようにしたらいいかな、と思います。
瓦礫の撤去に最低1年。
街の立て直しにおそらく5年。
産業の復興まで・・・それこそ10年くらいの時が必要なのかもしれません。
長い目で見た時、被災者が現地にとどまって作業するよりも、英気を養える環境を作り、なおかつ被災者の生活も保障(?)するようなシステムづくりをしていかなければ、沿岸部の復興というのは難しいことだと思います。
でもこれはやり遂げなければいけない事です。
県、そして国が一体となって復興事業に当たらなければ成功はとてもおぼつかない、そう思います。
そういえば、国では復興相を創設するとか?
これは東北地方の国会議員が担当しない事には始まらないと思います。
ここは地元岩手の小沢一郎を使うのが筋でしょう、総理。
あるいは輿石さんでもアリかと(詳しくは知りませんが、確か福島の議員さんだったとおもいますが)。
彼らの起用をしないようであれば、あの陸前高田の惨状を見たはずの総理は何も感じなかった、ということでしょう。
そういう目で、そして思いで今は成り行きを見守っています。