なぜ悪が必要なのか | クラスタ民主主義システム研究室

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☆教育ディベートを推進しよう☆ ☆「complex system」で思考してみよう☆「ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室」からタイトル改題しました。 

私たちの精神が善も悪も生み出しますね。人の世は人間の判断で移り変わっていきますから、私たち人間が社会を善くしたり悪くしたりしているのは間違いありません。ブレグジット(Brexit)やトランプ政権の誕生などといった人類の判断が本当に善いことなのか?…、私たちが事前に知る手段はないのでしょうか。

 

人類や市民の様々な決断が正しいのか?誤っているのか?、事前に予測することを試みるためには、なぜ人の世は善だけの世界にならないのか?、なぜこの世に悪が蔓延るのか?、理解しておく必要があります。

 

何故、世に悪が存在するのか?

 

検索してみると上記のような記事がヒットしましたが、解答を知ることはできませんでした。

 

では、どうやったら、一人一人の判断を積み重ねて集合知を形成し、その判断が善いのか?悪いのか?を解析することができるのでしょう?(単なる多数決や投票では善し悪しを解析できないのは間違いありません)

 

その疑問に答えるためには、いくつかの基本を押さえていかなければなりません。

 

まずは精神と社会の関係性

 

私たちの精神は生まれ出た社会によって左右されます。日本に生まれた人間の脳は日本語を話すようになりますし、日本の価値観に染まります。同様に、米国の価値観、中国の価値観に染まる…。それぞれで善悪の判断が違っていますし、時代が違っても善悪の基準は違います。

 

例えば、ナチス時代のドイツではユダヤ人迫害は当然でしたし、植民地時代には白人至上でアジア人や黒人たちは卑下され下等な存在でした。そして、今でも黄人や黒人や中東人は下等だと考える人々がいますし、朝鮮人やシナ人は下等だと考えている人々が実在しています。彼らにとって「下等な存在を卑下する」ことは悪ではないのです。

 

このように地域、時代、個性によって善悪の判断が違ってしまうわけですが、もしも人類が共通の道徳観を共有することができたなら、私たちは善が優位な社会を築くことができるのしょうか?

 

その答えは否です。なぜなら人間には悪が必要だからです。人間には「悪が無い世界」を築くことはできません…。

 

例えば、平等な社会が良いか?、階層化された社会が良いか?、その判断は複雑で二値化できないため、現実的には善悪の判断は幅を持った分布になり、可変的な性質を持たざるをえません。したがって、判断すべき対象に対して脳は「善し悪し」の判断を行い、善と悪を脳が生み出していく…。

 

つまり、人間の脳は、過ちが無ければ正解を選ぶことができませんし、悪がなければ正義の意識を持つことができません。人間が、過誤と悪を脳にイメージするかぎり、この世から悪が無くなることはなく、人間には悪が必要になる…。

 

 

 

また、人間が「悪ではない」とか「許されることだ」と判断することで悪が生じることもあります。一例を挙げれば、戦場で兵士が捕虜を邪魔だからと殺したり一般市民をスパイだからと断定して殺したりすることに関して、ケースバイケースで今でも「悪ではない」「仕方ない」と判断する人々が実在しており、それは悪ではないと容認するからです。ドイツ市民が悪ではないと容認したからホロコーストが発生したように、時に悪を人間は容認します。

 

戦争の時、敵軍への攻撃で市民を巻き込んでしまっても、それは悪ではない、仕方がないと人間は判断しますが、殺された市民からすれば悪以外の何物でもない…。

 

誰かが敵を殺さなければならないとき、誰が殺人を担い、その殺人を善とするのか…、その言い訳の論理を如何にして構築するのか…。

 

誰かを見捨ててでも仲間を守らなければならないとき、誰を犠牲にするのか?…。ドイツ人がユダヤ人を排斥したように、同胞を守るために土人たちを卑下し蹴落とすのか?…。

 

そんな善悪の全体像を象徴化して私たちの脳が常に認識することができるように進化すれば、私たちは「悪」に対する認識を上手に使いこなすことができるようになるでしょう。私たち個々人の脳がどこに「悪」の認識を向けているか?…、その状況を解析しなければ、人間たちの判断が善いのか?悪いのか?予測したり判定したりすることはできません。

 

ある人にとっては善でも、別の人にとっては悪だ…、という相克が生命の創造時に設計されているため、自然の維持に悪は必要であり、善悪の表裏をとり込んだ解析が必須…。(兎を狩る狐にとって狩猟は善でも、狐に狩られる兎にとって狩猟は悪

 

つまり、善悪の認識を私たちの脳の外部で解析できるようにすることは極めて重要です。なぜなら、善悪に代表される「対構造」の解析方法を開発することができれば、そのノウハウは正誤や美醜といった他の「対構造」にも流用することができるのです。

 

私たちの脳が、どんな風に外界から受けとる対象(事象・現象)を認識し処理しているのか?、その判断過程を仮想世界に投影することができれば、私たち人間はより賢く振る舞うことができるはずなんです。

 

もう私たち人類は、脳と社会が相互に連結し、脳と社会とがお互いに影響を及ぼし合いながら流転し始めていて、その流れや振幅はますます急激で急峻になっており、私たちの脳の有り方やネット上のメディアや情報倉庫を管理しなければ、さらに混沌としたカオスに陥っていくでしょう。

 

私たちの脳が生誕した地の言語を植え込まれるように、いまやネット上に溢れるデータや情報が私たちの脳を浸食し、その浸食された脳が再びネット上の情報やデータを書き換えていく…、そんなサイクルが廻り続けている状況は極めて危険であり、ポピュリズムや反インテリの蠢動は世界を恐慌や大戦といった暗闇に変えてしまう…。

 

私たちの脳とネット社会との間に整流装置を挟まなければ、現状を改善することはできないはずです。ただ、この装置は既に稼働していて、googleのようなプラットフォームやFacebookのようなSNSは私たちの脳をコントロールしたり洗脳したりする力を持ち始めており、整流や調整のためではなく、勢力拡大と利潤獲得のために稼働していますから、早急に調和や協調を行うシステムを開発しなければなりません。

 

パソコンやスマホといった端末の向こうに在る脳構造をネット上に投影して相互調和を促すようなシステムを考えなければ、クリントン対トランプのような断絶が、これからの未来世界を対立へと駆り立てていくことになるに違いありません。

 

脳の状況を投影するためには脳の反応形式をクラウド上に投影する図式化や数値化が欠かせません。次回からは、その辺りへと具体的に突っ込んでいきたいと思います。

 

 

全体を考えると、個々人の全員がゴルフや映画や追っかけといった趣味を生き甲斐にして、社会の維持を担わず自由に楽しんでいるだけだと、社会は劣化していきます。自由に楽しんでいればよいのではなく、社会の維持に役立つ貢献を楽しまなければいけない…。

 

うさぎ