人間って全体がわかった気になるとホッとするように思います。
でも、わかったつもりになってホッとしても、次の瞬間には「?」とわからない様な気がして不安になる…
その繰り返しですから、そこからチョットぬけだすことが大切ですね。
どうやったら安心と不安のサイクルから抜け出せるか?というと、何か続けることでしょう。
例えば、コンビニに行って、獲物を漁り、コレって狙いを決めて、買い獲ってくると、達成感があります。
同じように、ネットで好きなものを選んで買ったり、レンタルビデオに行ってDVDを選んで借りてきたり、そんなことで「こころ」を自分で操ることができる…。
豪華なものや高いものを買う必要はなく、部屋を片付けたり、洗濯して綺麗にしたり、美味しい料理を褒めてもらったり、そんなことで十分…。
どこに、どんなことに、どんな風に、脳が吸い込まれるか?…で違ってくる様に思います。
この世に拡がる、みんなの考え…
その繋がり(連関)を見渡すことができるプロトタイプを考えると、いまのところ次のような感じです。
<祖型>
<構造>
<感情>
<作動>
<記憶連係>
<論考>
こんな感じでしょうか…、でも、まだまだ修正が必要そうですね。
いろいろなことは単純ではありませんね。。。
例えば、消費税。
これまで消費税を10%に上げることが公約でしたが、安倍さんはアッサリと延期しました。
これから、消費税アップは是か否か、アベノミクスは是か否か、と参院選まで大騒ぎでしょう。
でも、全ての政策は連係していますから、ただ単に消費税を上げるか下げるかで是非を判断することはできません。
一般的に政策には快い点もあれば痛い点もあるわけで、一概に善し悪しを決めることはできません。
支出を抑えれば消費税を上げなくてもいい場合もあるでしょうし、有効活用するのであれば消費税を上げてもいい場合もあるでしょう。
問題なのは、今の日本では、防衛費、社会保障、教育費、人件費など様々な因子について階層分析ができていないので、どこにウェイトを置き、どんな風に調整したら良いか?を誰も掌握していない点です。
政治家たちの動機も、政権を維持することだったり、政権を倒すことでしかなく、安倍さんが好きか嫌いかの違いで人々が作動してしまっている…
本当は、どんな政治家か、どんな政党か、なんて問題じゃありません。
どんな政策をコンビナトリア(すなわち結合)するか?
消費税の上げ下げや赤字国債の是非で論じていても、らちがあきません。
日本は赤字国債を出しても大丈夫だと主張しても、それには限度額という前提条件があるわけで、その条件まで連係して論じなければダメなはずなのに、いつも議論は空転し続けています。
安倍さんでも、舛添さんでも、おそらくダメだとは思いますが、だからといって彼らを首にしても日本の現状が好転することはありません。
どこかに集合知を形成しないと、日本が沈んでしまう…
それが輪廻なのでしょうけど、日が沈む時、そこまで諦観できるでしょうか。