論考例題:フランスのテロについて考えてみる | クラスタ民主主義システム研究室

クラスタ民主主義システム研究室

☆学習とディベート☆ ☆ネットワークデモクラシーを夢みて☆ 
☆教育ディベートを推進しよう☆ ☆「complex system」で思考してみよう☆「ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室」からタイトル改題しました。 

今回のフランスで発生したテロ事件では17名の一般人が殺害されました。その犠牲者の一人が風刺漫画家のCharlie Hebdo氏でテロ対象の中心人物でした。


彼のTwitterが残っています。

https://twitter.com/Charlie_Hebdo_?original_referer=http%3A%2F%2Fwww.huffingtonpost.jp%2F2015%2F01%2F07%2Ffrance-gun_n_6428462.html&tw_i=545891200579174400&tw_p=tweetembed


お隣の北朝鮮に対するものだと次のような感じになります。



おしり
(上記サイトより転載)


彼の作風は「尻」だったようですね…。風刺する相手の頭を「尻」のように描いでバカにする…。イスラム教の聖職者の頭を「尻」の形に描いていたようで、現代社会では良くあることだと思いますが、この「黄色」はフランス人が東洋人をバカにするときに使う色です。イエローモンキーのバカどもが…という嘲りなんですよね。この風刺画を見た欧州の右翼人たちは、白人は優秀で黄色い東洋人は愚劣…と脳に思い描くわけです。


ただし、お隣の北朝鮮国内で同様の風刺画を描けば下手をすると銃殺でしょうし、戦前の日本でも天皇陛下に対して同様のことをすれば刑務所行きだったに違いありません。


他はどんな作風かは下記のサイトをご参照ください。

http://www.newsch.info/archives/20293092.html

http://www.moeruasia.net/archives/42208987.html

(一部は違うサインで他の人の絵もあるようですが…、もっと酷いです。)


日本でも天皇陛下に対してこんな風刺画を描かれたら怒る人が多いでしょうね。。。


風刺しバカにし揶揄する側…


権威をバカにされて憤る側…


風刺を見て嘲ったり蔑む側…


共感したり反感したり…


人は「+」と「-」の反応をしますし、同じ人間でも立場によって反応は違ってきます。


もちろん、下品だったり卑劣だからといって人を殺してはいけないわけですが、表現の自由に対して私たちはどのように対応すべきなのか、どこまで許容すべきなのか…、この機会に考えてみようと思います。




信仰は難しいですね。


昔、日本にもキリシタンに対して踏絵を強要した人々がいました。施政者に踏絵を踏まされた側の苦しみもあったでしょう。ある種の宗教は社会に対する害悪と考えて憤りと怒りとともに弾圧した日本人たちも過去に存在しました。


信仰をバカにする側が悪いのか…、風刺画や踏絵ごときに憤る側が愚かなのか…、間違った方向に信仰して金儲けしたり権力の道具にする信者が間違っているのか…


信仰は、本来、無形のものに対して信仰するわけで、描かれた漫画や彫り物や彫像や施設を汚されたからといって、信仰している神様や創造主や教祖や人物そのものを汚されたわけではなく、怒ったり憤ったり復讐したりすること自体が間違った信仰や信念を持ってしまっている証左と言えるでしょう。


表現の自由を許さない側も間違っていますし、下品な揶揄で嘲ることしかできない人間も愚かでしょうし、くだらない愚行に憤怒する側も間違っています。


本来、偶像を信仰することが間違いであって、キリスト教でもイスラム教でも偶像崇拝は禁止でしょう。偶像や肖像や紋様を信仰するから争いが起こることを太古の人々は知っていたからこそ経典で禁止していたのでしょうに、現代では律法や経典を守らない信者が増えているのでしょうね。


神道にしても神様は目にみえないものですし、仏様も千の風に乗っているわけで、神仏を汚したり汚されたりすることはできない…。私なんかは、そう思いますね。


偶像や肖像やシンボルは単なる道具にすぎず、道具や手段は守破離の対象であるはず…、ほんとうの慈愛に目覚め悟りを開いた人には不必要なものではないでしょうか。


たとえ国旗を焼かれても国の威信を焼かれるわけではなく、そんな愚行をする者こそが「自由」を間違って行使していると思います。


国旗を焼いたり、国旗を焼かれて怒ったり、風刺画を書いたり、風刺画を描かれて怒ったり、そんなことしていないでもっと事の本質を解明したり議論したりしてみるべきでしょう。


いま、実は、日本でも同様のことが続いています。


桑田佳祐氏が紅白歌合戦で安倍首相を揶揄したり紫綬褒章を「尻」のポケットから出したりしたことに対して下記サイトのように憤る人々が増えていますが、そのくらいで権威や信仰が汚されるようなことはあり得ないでしょう。人間の錯覚ではないでしょうか…


http://youtu.be/D9mxw265TvA


以下、転載

------

年越しライブから中継という形でNHK紅白歌合戦に参加した、ミュージシャンの桑田佳­祐氏であるが、政治批判はともかく、授与された紫綬褒章で悪ふざけをするなど、その人­間性がとにかく幼稚であったことが発覚した。その心得違いについて一言申し上げておく­とともに、入念なリハーサルを繰り返す事で知られる紅白歌合戦の舞台事情から、NHK­の社会的責任を追及しておきます。

------


桑田佳祐氏の関連先に右翼が街宣車で抗議すべきだと主張する人々がネット上に散見されますし、襲われたり襲撃されたりしても自業自得だと考える人々もいますが…


表現の自由はいつ何時でも尊重するべきなのか、表現の自由は自主的に制限すべきなのか、人間が信仰している対象は何なのか、シンボルとなる絵画や写像やバッジ・紋章(例えば褒章や北朝鮮の襟章のようなもの)は重要なのか、いま自分はどの立場から論考しているのか…、世の中から紛争や対立を減らして戦争を回避するためにも、ちょっと立ち止まって考えてみる良い機会ではないでしょうか。


追記:モハメッドの頭にアヌスを描いても、東洋人の顔を黄色に塗っても、鼻の下にチョビ髭をつけても、自己満足でしかないと思うのです。そして、そんなバカなことをする人間に怒るだけでは何も進歩しないでしょう。。。


ウサギ