アナンディと赤いラキィと舞踏(映画ライフオブパイ) | クラスタ民主主義システム研究室

クラスタ民主主義システム研究室

☆学習とディベート☆ ☆ネットワークデモクラシーを夢みて☆ 
☆教育ディベートを推進しよう☆ ☆「complex system」で思考してみよう☆「ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室」からタイトル改題しました。 

この映画ライフオブパイでは、主人公パイに恋人アナンディが現れます。アナンディとは「至福」という意味だそうです。人の命名は大切ですね。自分の名前の意味を考え、命名してくれた人の意図を慮ることで、自分という存在の目的を知るからでしょう。名が体を現すようになりますから、子供の名前を命名する時には、よく考えるべきだと思います。


映画の中で、アナンディはパイの右手首にラキィまたはラーキー(吉祥の紐)を巻きます。日本ではミサンガを思い出しますが、このラキィは、ラーキー・バンタンという兄弟と姉妹の関係を祝うヒンドゥー教の祭礼で使われるものだそうで、姉妹(女性)が兄弟(男性)に今後の保護をお願いする意味合いがあるようです。


ラーキー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AD


また、美と豊穣と幸運を司る女神であるラクシュミーを祝うお祭りのディーワーリーでも、このラキィを兄弟の手首に結ぶ風習もあるようです。ラクシュミーはヒンズー教の最高神ヴィシュヌの妻、つまり、この映画では肉食島が暗喩となっているヴィシュヌ神の妻がラクシュミーですから、赤い紐を手首に結ぶという行為は、男女関係と同時に、神々の関係をも思い起こさせるのだと思います。


ディーワーリー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%BC



クラスタ民主主義システム研究室-ラクシュミー


ラクシュミーは、仏教のの吉祥天やギリシャ神話のアフロディーテーやローマ神話のビーナスを連想させる存在と言えるでしょう。


肉食島にパイが上陸した時、アナンディからまいて貰ったラキィを肉食島の木々の根っこに巻き変えました。


当初は、この意味がわからなかったのですが、パイが信仰に帰依し俗世から離れたことを意味しているのだと思います。俗世から離れたため、アナンディに託されたアナンディを庇護する責任を果たすことができなくなったので、ヴィシュヌ神の化身である肉食島にアナンディの加護をお願いする意味で、ラキィを巻き付けた…と解釈できると思います。


神話の世界では、神々は化身して現世に現れます。この映画ではヴィシュヌ神の化身が肉食島ですが、神話的には、アナンディがラクシュミーに相当する存在であり、パイがヴィシュヌに相当する存在でもあるのでしょう。


アナンディは、この映画の中で踊ります。その踊りの動きには全て意味があり、森の中に隠れる蓮の花を舞踏で表しますし、アナンディに舞踏を教えていた踊りの先生は、大地のエネルギーを舞踏に込めるよう教えていました。


つまり、アナンディの舞踏は身振りや体の型で意味を伝えることを示唆しています。


こうした動きやイメージで意味を伝える手法は、パイの父が営んでいた動物園でパイとアナンディがデートしていた時にも出てきます。パイとアナンディが二人でトラの様子を見ている時、アナンディがトラの顔の傾きと眼の動きを読み取り、「音がした方向に耳を澄ましている…」と解説するシーンです。


こうした一連のシーンを通して、この映画ライフオブパイの隠れたテーマの一つとして、舞踏では身振りや動作を言語として使うように、動物の身振りや動作にも言語としての機能があることを説明している…わけです。


動作、型、イメージ、色が言語として機能している…、昔の人々にとっては当然のことだったんでしょうね。


つまり、動物の動作、目や耳の動き、鳴き声、顔や体の色、花の色と形など自然に存在するイメージや動きは、全て言語として存在している…、私たち現代人は、音声や文字でコミュニケーションしているので、そうした自然界の言語を忘却してしまっている…


この映画ライフオブパイは、そんなことを訴えているように思います。


連想して読み取る…、心で見聞きする…、大切ですよね。


ウサギ