これは本当に必要なことだろうかと考えると、いろいろと見えてくるものです。
例えば、うがい…
日本人は、うがいすれば、風邪やインフルエンザを予防できると思っていますが、本当は効果はありません。ですから、厚生労働省もインフルエンザ予防対策から「うがい」を除外しました。
のどの粘膜は粘液で覆われています。そして、のどの粘膜の上に生えている繊毛細胞が粘液を動かして、鼻や喉の中を浄化しているのですが、うがいをやり過ぎると、この粘液を洗い出してしまい、かえって喉を傷めたりすることもあります。世界の中では「うがい」する民族は少ないんですよね…
耳掃除もそうです。
人間は哺乳類ですから、犬や猫と一緒です。四足動物は、もちろん、自分で耳掃除なんかできませんから、動物の耳は耳掃除しなくても大丈夫なように出来ています。耳の中の皮膚はベルトコンベアーのように奥から外へゆっくりと移動していて、耳垢は自然に出てきます。ですから、綿棒などで毎日掃除する必要はありません。太古の昔から綿棒が無くても人間は暮してきたわけですから、当然といえば当然ですよね。
市中の消毒もそうです。
人間が密集して暮らすようになったために、インフルエンザといった感染症が大流行するようになりました。強毒性の鳥インフルエンザなど死亡率が高い感染症であれば、社会全体での感染制御が必要となりますが、死亡率が低い普通のインフルエンザであれば、免疫力が弱っている人たち以外は、神経質に消毒する必要はないわけです。アメリカなどでは、ある程度の死亡者の発生は許容して、2009年の新型インフルエンザの時にも「咳エチケット」の啓蒙だけでした。
いま大流行している消臭除菌なんかも、部屋にスプレーしたり、絨毯を消毒したりしても、全く無意味です。
社会に広がる習慣の中に、本当は必要ないことって多いですよね。
やらなくても生きていけるもの…
儀式のように習慣にしてしまっていることって、案外、多いです。
ゲーム、チャット、ネットへの書き込み、飲酒、喫煙…
本当は必要なことではない…
全ては、脳を安心させるためだったり、脳を喜ばせるためだったり…
楽しみがないから憂さ晴らしだったり、無用な心配に対して安心するためだったり…
脳が安心するために、うがいし、耳掃除し、消毒し、消臭します。
脳を喜ばせるために、酒を飲み、喫煙し、ギャンブルし、ゲームをする。
脳が喜ぶのに慣れると、もっともっとと、脳が要求してきます。
安心感が失せたり、脳内麻薬が切れると、脳が我慢できなくなるわけです。
現代社会では必要ないことを沢山やらなければなりません。
必ずしも必要ではない事で、毎日毎日、脳が空転している…
「空」になれば、脳も「空転」が止まり、安らぎが訪れます。
でも、現代社会では、働き、生きないとならないので、
「空」になっている暇がありません。
ただ、空転を止めるため、時々は「空」になりたいものです。
現実逃避で「空」になるのではなく、
「空転」の原因を見つけて「空」になれたら、楽でしょうね。