19111010 | クラスタ民主主義システム研究室

クラスタ民主主義システム研究室

☆学習とディベート☆ ☆ネットワークデモクラシーを夢みて☆ 
☆教育ディベートを推進しよう☆ ☆「complex system」で思考してみよう☆「ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室」からタイトル改題しました。 

ちょうど100年前の今…、辛亥革命が行われていました。

辛亥革命は、1911年10月10日に始まり、「双十革命」「ダブル・テン(Double Ten)」とも呼ばれています。

その辛亥革命の映画「1911」を観てきました。



黄興をジャッキー・チェン、孫文をウィンストン・チャオが演じています。

中学生の頃、ブルース・リーに憧れてヌンチャクを買った世代としては、空手映画俳優だったジャッキー・チェンは好きな俳優の一人ですから、彼の100作目は観たいと思っていました。

それで観ようと思っただけなので、今まで孫文や辛亥革命についての知識はありませんでした。



映画で初めて知ったのですが、孫文は政治に傾倒した医者だったんですね…、驚きでした。

それで、映画の中でもステーキをメスで切り分けながら弁舌を振るうシーンがありました。

やはり医者でも政治に関心を持つことは大切だなあ…と思いながら観ることができました。



それにしても、清王朝の圧政に苦しみ、帝政から搾取され続けた中国国民のエネルギー。

列強諸国に祖国を食い物にされ、搾取され続けた民衆が各地で蜂起する…

革命家が書いた檄文や世界を行き来する電報が果たした役割、そして孫文の演説…

中国の国策映画である点を差し引いても、心に残る傑作だったと思います。



100年前、すでに民主主義への強く熱い想いがあった…

201111…2011年11月、低迷した日本で観るに相応しい映画だと思います。

しかし、100年前の中国人たちは、死を厭わず兵器を持って立ち上がるしかありませんでした。



100年後の今は、銃を手にしなくても、電子ネットワークという武器があります。

船に乗って、日本、ハワイ、アメリカ、ヨーロッパと移動する必要もなく、人々は対話できる…

にもかかわらず、人々は「悪のレッテル」を貼っているばかりで、何も考えようとはしません。

100年前にあって、今は無いもの…、それは「志」でしょう。



映画の中に、孫文の弟子が、袁世凱に孫文の人となりを語るシーンがあります。

なぜ、孫文は、言葉だけで資金を集め、革命を成し遂げる事ができたのか?

孫文は、無私無欲の人だった…という台詞が耳に残ります。



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孫文は、長崎を9回訪れています。

きっと、この山を眺めたでしょうし、展望台に登ったかもしれません。

私は、この山を眺め、この山で遊んで育ちました。



いま、「孫文・梅屋庄吉と長崎」という企画展示が行われています。
http://www.nmhc.jp/sonbun/page.html#intro1

$ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室-船

$ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室-孫文

上海と長崎は、辛亥革命の架け橋だったという事実。。。

そして今年、長崎と上海を結ぶ航路が復活しました。
http://www.huistenbosch.co.jp/htbblog/2011/11/04/1584.html

$ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室-航路


実は、庄吉と右左吉は同じ時代を同じ地で生きていたのです。

きっと面識があったでしょう…、二人とも実業家でしたから。

中国人たちは100年前にゼロから立ち上がりました。

100年前にできたこと…、現代で、私たちに出来ないはずがありません。

ウサギ