辛亥革命は、1911年10月10日に始まり、「双十革命」「ダブル・テン(Double Ten)」とも呼ばれています。
その辛亥革命の映画「1911」を観てきました。
黄興をジャッキー・チェン、孫文をウィンストン・チャオが演じています。
中学生の頃、ブルース・リーに憧れてヌンチャクを買った世代としては、空手映画俳優だったジャッキー・チェンは好きな俳優の一人ですから、彼の100作目は観たいと思っていました。
それで観ようと思っただけなので、今まで孫文や辛亥革命についての知識はありませんでした。
映画で初めて知ったのですが、孫文は政治に傾倒した医者だったんですね…、驚きでした。
それで、映画の中でもステーキをメスで切り分けながら弁舌を振るうシーンがありました。
やはり医者でも政治に関心を持つことは大切だなあ…と思いながら観ることができました。
それにしても、清王朝の圧政に苦しみ、帝政から搾取され続けた中国国民のエネルギー。
列強諸国に祖国を食い物にされ、搾取され続けた民衆が各地で蜂起する…
革命家が書いた檄文や世界を行き来する電報が果たした役割、そして孫文の演説…
中国の国策映画である点を差し引いても、心に残る傑作だったと思います。
100年前、すでに民主主義への強く熱い想いがあった…
201111…2011年11月、低迷した日本で観るに相応しい映画だと思います。
しかし、100年前の中国人たちは、死を厭わず兵器を持って立ち上がるしかありませんでした。
100年後の今は、銃を手にしなくても、電子ネットワークという武器があります。
船に乗って、日本、ハワイ、アメリカ、ヨーロッパと移動する必要もなく、人々は対話できる…
にもかかわらず、人々は「悪のレッテル」を貼っているばかりで、何も考えようとはしません。
100年前にあって、今は無いもの…、それは「志」でしょう。
映画の中に、孫文の弟子が、袁世凱に孫文の人となりを語るシーンがあります。
なぜ、孫文は、言葉だけで資金を集め、革命を成し遂げる事ができたのか?
孫文は、無私無欲の人だった…という台詞が耳に残ります。
![$ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室-111020_132251_ed.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20111020/13/u-sa-kichi/5c/f8/j/t02200165_0352026411558867200.jpg?caw=800)
孫文は、長崎を9回訪れています。
きっと、この山を眺めたでしょうし、展望台に登ったかもしれません。
私は、この山を眺め、この山で遊んで育ちました。
いま、「孫文・梅屋庄吉と長崎」という企画展示が行われています。
http://www.nmhc.jp/sonbun/page.html#intro1
![$ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室-船](https://stat.ameba.jp/user_images/20111114/20/u-sa-kichi/48/a6/j/t02200140_0342021711611551130.jpg?caw=800)
![$ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室-孫文](https://stat.ameba.jp/user_images/20111114/20/u-sa-kichi/f0/c0/j/t02200233_0231024511611551131.jpg?caw=800)
上海と長崎は、辛亥革命の架け橋だったという事実。。。
そして今年、長崎と上海を結ぶ航路が復活しました。
http://www.huistenbosch.co.jp/htbblog/2011/11/04/1584.html
![$ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室-航路](https://stat.ameba.jp/user_images/20111114/20/u-sa-kichi/68/26/j/t02200111_0634031911611551132.jpg?caw=800)
実は、庄吉と右左吉は同じ時代を同じ地で生きていたのです。
きっと面識があったでしょう…、二人とも実業家でしたから。
中国人たちは100年前にゼロから立ち上がりました。
100年前にできたこと…、現代で、私たちに出来ないはずがありません。
![ウサギ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/013.gif)