先日書いた「自愛と他愛の表裏一体 」は、利他の方向へ論理を拡大していく基本的な部分でした。
そこで今日は、利己の方向へ論理を拡大していく方法について書いてみたいと思います。(^O^)/
人間は、自分を犠牲にして消耗してしまい、病気になったり死んでしまっては元も子もありません。
つまり、自分を強く信じ我を守ることが基本ですし、利己や保身は人間の行動原理です。
ですから、他人に負けず勝つために、背中を見せず弱肉強食で生き残ろうとします。
弱肉強食は、適者生存の摂理であって、人間社会でも必要な原理と言えるでしょう。
人間個人も強い者が勝ち、企業や国家といった組織も強い者が勝ちます。
そこで、こうした弱肉強食について正しく理解するため、クマとウサギの例え話を考えてみます。
草を食べてウサギは増え、ウサギを食べてクマは増えるモデルを考えましょう。
ウサギは弱いので、強いクマに食べられます。
ウサギがクマに食べられる弱肉強食があってバランスがとれています。
弱肉強食というストレス下で、俊敏なウサギが生き残り進化していきます。
また、上手にウサギを狩ることができるクマが生き残り進化していきます。
利己的な弱肉強食が存在してこそ、適者生存による進化が進む訳です。
自然界において弱肉強食の適者生存は絶対に必要なことと言えるでしょう。
しかし、クマが全てのウサギを食べてしまっては身を滅ぼします。
また、ウサギもクマがいないと数が増え過ぎて草が無くなり身を滅ぼします。
つまり、自然界では弱者のウサギと強者のクマが相互依存している自然の摂理が働いているので、能力があるウサギとクマが生き残り進化していく適者生存が機能しています。
このように、自然界では相手を根絶やしにするような利己的弱肉強食は存在しないわけです。
転じて、人間社会ではどうでしょう?
人間社会でも「弱肉強食と適者生存」という重要な摂理を機能させるためには、人間は自らの手で適切な「社会ルール」を創り出す必要があります。自然の摂理に代替する「社会ルール」が無ければ「弱肉強食と適者生存」が機能せず、人間の社会(組織)は崩壊して行くのでしょう。
人間社会のクマが生き残り保身するためには、ウサギの生活を守らなければなりません。
人間社会のウサギも生き残り保身するためには、クマの生活を守らなければなりません。
そういう役割を果たす「社会ルール」が人間社会には必須なのです。
人間が利己的弱肉強食で適者生存していくためには、相手への配慮すなわち利他が不可欠であることに気付くべきだと私は考えています。
歴史をひも解くと・・・
エジプト文明では、ピラミッドを作った下層の人々は案外幸せだったことが発掘でわかっています。
日本社会でも、昭和まで公共事業というシステムで下層の人々が案外幸せだった時期が続いていました。
しかし、エジプトでピラミッドのシステムが滅んだように、現在の日本でも政官財癒着による公共事業や原子力事業といったシステムが滅びつつあるわけです。
人間社会には、どうしてもクマとウサギがいます。強者と弱者は無くなりません。
人間社会を維持して行くためには、クマもウサギも、つまり強者も弱者も進化して行かなければなりません。
そのためには、利己でクマを叩くだけ、利己でウサギを叩くだけではなく、クマもウサギも生き残り、互いに進化できる摂理が必要なのです。
そして、こうした互いに進化できる摂理の下でも、どうしても進化できないクマとウサギだけを排除するシステム設計が必要です。
長い間、現代の人間たちは必要とされる「社会ルール」を改善していく事を怠り、無法な自由経済で「弱肉強食と適者生存」が続けた結果、世界が疲弊しています。
その結果として、世界と日本は旧体制から新体制への過渡期にあるわけで、相手を滅ぼさない利他的弱肉強食と適者生存という新しい「社会ルール」の構築が急務となっています。
自然界には神様が創った自然の摂理がありますが、いまこそ、人間界の人間の原理を自分たちで生み出し改善して行く必要があります。
このように、クマとウサギの利己的世界でも実は利他的に相互依存しているのですから、クマとウサギの国家間、クマとウサギの企業間、クマとウサギの組織間、クマとウサギの夫婦間、クマとウサギのアバター間で上手くやっていくためには、互いが利他的に相互依存していることに気付く事が大切なんですよね・・・
クマとウサギは、互いに苦悩を伴う弱肉強食を続けているからこそ、進歩があるわけです。
苦悩に学べ・・・
いつの日か、苦悩があるからこそ、欠乏があるからこそ、幸せが続いていくことに気付くことができるでしょう・・・
さて、私たち日本人は、いま日本が陥った苦悩に学ぶことができるのでしょうか?