中3になった頃には、関西方面への修学旅行をきっかけとしてかなり開き直った気持ちになれるようになっていた。祖母の決まり文句をもじって「周りは周り、私は私」と心の中でおまじないのようにつぶやいた。そして、同じように見える周りのみんなだって実はそれぞれに違っていることにも気づくようになっていたのだ。
 2歳違いのカンナはバスケットボール部で活躍していた。関根という私と同じ姓から、出身小の異なる同級生たちには姉妹であることに驚かれたが、別に同情されるようなことはなかった。中学生というのはそんなものだ。
 そして高校受験の季節。相変わらず数学で極端な低空飛行を続け、やはり周囲とはワンテンポずれてしまいがちな私のことを両親も色々考えてくれたのだろう。進学先は藤沢市にある大学付属の女子高校を勧められた。同じ中学から受験するのは一人だけだったけれど、私もそれが自分に向いていると考え単願の推薦入試の形で合格することができた。公立に比べ学費は高かったけれど、家の新築の際には祖母の金銭的負担もあってどうやら我が家には住宅ローンなるものが無かったことが幸いしたらしい。